150330春の時期、古来より人々の心をつかんで離さない、桜。
歴史では日本独特の文化が生まれた平安時代以降、花といえば桜をさすほど日本では馴染みのある植物です。満開に咲きほこる艶やかさは新しい出会いのワクワクさを連想させ、その反面散り際の潔さは武士のはかなさを現してもいるようでもあり趣深いですね。
さて、その桜の花がきれいに咲く条件を皆さんはしっていますか。

桜は冬の厳しい寒さのもときれいな花のもとをせっせと作り、春の暖かさを感じ一気に開花します。厳しい環境は大きな力を蓄える条件なのです。ある程度の期間寒さにさらされないと開花できないのです。
このことは皆さんも同じではないでしょうか。これからの人生、苦しいと感じる体験が待ち構えているかもしれない。大きな壁が立ちはだかるかもしれない。もしかすると能開の予習や宿題、ノート評価の厳しさもそうかもしれませんね。ですが、その苦しさを乗り越えた先に本当の愉しさがあるのです。
桜が花を咲かせるには日本のようなはっきりとした四季が必要であり、みなさんがこれからの人生で笑顔を咲かすには強い意識、はっきりとした士気が必要になります。
ワンランク上の目標は簡単には届かないものです。だからこそ覚えておいて欲しいことは、厳しさは必ず皆さんの成長につながるということです。
来年度も様々なことに挑戦してください。

最後に、受験生が困難な時期をのりこえ手にした受験合格の便りを「桜、咲く」と表現することは風情があって素敵だと思いませんか。

150323家人(奥さん)に怒られた。
正月までにはと思っていた自室の片付けがいっこうに進まないからだ。さらに時間がたった分悲惨な状態になり、重い腰を上げて再開した。たいへんなのと片付けの才能がないので家人に応援を頼んだが、スパッと断られた。

一人さみしいのでラジオを聴きながら、とにかく続けた。その途中、モノであふれかえっている部屋をながめ、あきらめ半分にボーとしていて、ハッと気付いた。「総量」が変わっていないのだ。
整理整頓と称して、これは右、これは左と動かしても、並べ替えているだけで、部屋全体にあふれかえるモノの総量が減るわけではないからだ。
至極、当たり前のことだが、これに気付くと気付かないとでは、かなり違う。あふれかえっていたら外に出さないと収まらない。逆に、足りないなら外から入れないと足りないまま。目先ばかりにとらわれて全体を見渡さないと、問題の根幹の解決にはならず、その場しのぎでしかなくなる。それでは部屋の外に出さねばと、物置にせっせとモノを運び入れた結果、久しぶりに床が見えた。たったそれだけで、幸せ感でいっぱいだ。

さて次。物置がいっぱいになりかけていることに気がついた。家人に怒られるかもしれない。そうか、家全体のモノの総量は減っていないのだ。いよいよ捨てるしかないのか。断捨離か。さて、どうしよう。家人から見れば小さなことだが、当人にとっては大きなことだ。「悩みは尽きないな。生きているんだもの。」という相田みつをさんの言葉が浮かぶ。「手伝ってくれないか。」の一言が言えない。

その空間をながれるラジオで、武田鉄矢さんがこんなことを言っていた。
「人という字は人と人とが支え合ってできている。金八先生の名言ですが、これは嘘。
人という字は、ひとが立っている形を表した字です。人は一人で立って歩いていくものです。
武田さん、そりゃないよ。その昔、感動したんだ。物置の片づけを一人でしなさいってことか。

そのとき呆然としながら考えたことがある。「モノ」と「悩み」は同じだ。尽きなく増え続け、左右に動かしても置き直しても解決に至らない。すき間がみえたら幸せ。そんなものを年中持ち歩いているのが「人」だ。モノを持ちつつも一人で立って、そして支え合っていければいい。理想だろうけれども。そうですよね、金八先生。

(終礼で「後日談)
結局、先生のしらない間に、物置に蓄えたものを家人(一番怖い人)が一気に捨ててしまいました。呆然としましたが(笑)、なんとなく幸せでした。

150316同じカリキュラムで、同じ時間(3年間)を過ごしてきたはずなのに、なぜ学力差がつくのでしょうか?

先日、東京マラソンを見ました。日本人トップでゴールした今井正人選手を応援していました。30km過ぎまでは先頭集団にくらいついており、「優勝できるのでは?」というかすかな期待を抱きながら見ていましたが、結局は先頭集団からは遅れてしまい、2時間7分台という好記録を出しましたが、全体順位は7位と世界のレベルとの差を見せつけられました。

マラソンにおいては日本人が練習をしていないわけではありません。最後まであきらめない姿勢も見られます。でも、現実には世界レベルには到底およばないというのが、今の日本のマラソン界の現状です。しかし、あきらめない姿勢を持ち続けて練習を続けていけば、日本人のマラソン選手からいつの日か世界トップランナーがでると信じています。

君たちはまもなく、高校受験マラソンという1つのマラソンが終了します。しかし、次のマラソンはまだ続きます。「大学受験マラソン」というマラソンです。

君たちは「大学受験マラソン」のスタートをいつ切りますか?

「高校受験終了直後」「高校入学式の日」「高校での成績がやばくなった1年生の秋ころ」
「高校3年生で部活動が終了したあと」

よく君たちはいいます。「高校受験の勉強で疲れたから、少し休んでからスタートしたい」
と。しかし、本当にその考え方はあっていますか?高校受験が君たちのゴールではありませんよね?

受験というマラソンは「よーい、ドン」でスタートするのではなく、スタートの時期を自分で選べます。君たちは「早くスタートを切り先頭集団で走っていきますか?」「それとも遅れたと分かってからスタートしますか?」

スタートする時期によって、君たちの入れる大学および未来は変わってくるのではないでしょうか?

スタートを早めて、先頭集団に入ったとしても、その集団にくらいつく、または飛び出すための努力が必要ですし、遅れてしまってから追いつくには倍の努力が必要になります。受験はマラソンと同じく、他者との競争です。「自分のペース」だけ守っていても遅れてしまう可能性があります。

大学入試に向けての「大学入試マラソン」のスタートはまもなくです。スタートの切り方で君たちがどの位置についていくか、言い方を変えると君たちの未来は変わっていきます。

君たちが希望する将来に向かって、次の「大学入試マラソン」に挑んでいきましょう。

150309_02やがて全ての受験生が受験を終わらせます。
ゲームやテレビを我慢し、ときには寝る時間を削ってまで勉強する姿を数多く見てきました。目標に向かって、必死に頑張り続けるかっこいい姿です。
さて、この頑張りは一体どこにつながっていくのでしょうか。

皆さんは「太陽の塔」って知っていますか?
昔のことなので皆さんは知らないかもしれないですが、愛知万博の前に日本で開かれた万博、「大阪万博」のときに建てられた塔です。

この太陽の塔には3つの顔があり、それぞれの顔にはメッセージがこめられていると言われています。

<塔の背面>無表情な顔をした黒い顔があります。
これは、一部の人々が、物の豊かさや経済的発展を求めるあまり、人の不幸、例えば公害を生み出した、「過去」を意味しています。

<塔の正面>苦しい顔をした白い顔があります。
これは、急速に技術や産業が発展していく中で、自然が破壊され、人間の心まで破壊されていくことに苦しんでいる様子、万博当時の「現在」を意味しています。

<塔の頂上>黄金の顔があります。
「過去」と「現在」を受けて、物の豊かさだけでなく、自然との調和や人の心の豊かさも求める姿を表しています。これから進むべき「未来」を意味しています。

大阪万博が開催された当時は、「科学技術の進歩が社会を豊かにして、人を幸せにする」と皆が思っていた時代です。
だから、科学技術に合わない太陽の塔の建設は多くの人に猛反対されたようですが、塔を作った岡本太郎さんは「人間の本当の豊かさ」を求めて建設を進めました。
大阪万博が終わり、太陽の塔は、ほかのパビリオンと同様取り壊される予定でした。しかし、「撤去反対」の大署名運動が巻き起こり、パビリオンでの中では太陽の塔だけが残りました。建設を反対された太陽の塔だけが、40年以上たった今でも緑あふれる万博記念公園の中に残っています。
そして、皆さんのよく知る愛知万博、「愛・地球博」へとつながっています。

さて、冒頭の”頑張りのつながる先”ですが、受験勉強も講習会の勉強も、努力して入学した学校での勉強も、大阪万博のようにいつかは終わります。そのときに残るものは「何を目標に努力したか。そして、目標に向かって頑張った自分、立ち向かった自分」だけです。志望校に合格した、講習会の宿題を終わらせた。これらもとても大切なことですが、「どんな目標を立てたか、どのように合格したか、どのように宿題を終わらせたか」が、何十年と皆さんの心に残り皆さんを支え続ける、結果以上に大切なこと。そんなことを太陽の塔は教えてくれて
います。

講習会がスタートします。
自分の目標をもう一度確認し、講習会が終わった後も、自分の誇りとなるような勉強にしていきましょう!

150302今日は「たまご」の話をしたいと思います。
「コロンブスの卵」という言葉は、みなさんも聞いたことがあるでしょう。「誰にでもできることでも、最初に実行し成功するのは難しい」という意味で使われますね。
大西洋航路を発見したコロンブスが、成功をねたむ人々にたいして「卵を立ててみてください」といい、誰にもできなかったところ、殻を一部わることで簡単に立ててみせた。それなら誰にでもできると主張した人々にたいする見事な反論の逸話ですね。
このときのたまごは「ゆで卵」だったらしいのですが、実は「生卵」なら底をつぶさなくてもふつうに立ちます。

たまにスーパーで買ったたまごパックを教室に持ち込んで実演しますが、これがかなり楽しい。
先生がこの事実を知ったのは、小学生のとき図書館で借りて読んだ科学本に書いてありました。その日さっそく台所の冷蔵庫に向かい、時間はかかりましたが3個のたまごをテーブルの上に立てることに成功しました。何遊んでるの!と母には叱られましたが、立っているたまごを不思議そうに見ていた顔をいまだに覚えています。

必要なもの、
1. 新鮮な生卵(笑)。
2. 根気と集中力。
以上。これだけです。

新鮮なたまごの表面はざらざらしていますが、これが重要。あとは指先で重心を意識しながら、バランスをとる。たまごによって立ちやすい立ちにくいものがあるので、何個かためしてみるといいでしょう。
生徒のみなさんにやってもらうとよく分かるのですが、たまごが立つことを信じている又はたまごが立つことを知っている子は成功させるのが早い。半信半疑な子はすぐに諦めちゃいますね。他の子がたまごを立たせるのに成功したのを見て「ほんとにできるんだ」と分かってからようやく成功させます。

実はこのことは、みなさんの学習にもあてはまります。「この勉強を頑張って続けていたら必ず上手くいくんだと信じて又は知っていて取り組んでいる人は、受験でも何でも成功しやすい。この感覚が分かれば、今よりももっと勉強ができるようになりますよ。

まずは、先生を信じてたまごを1個立ててみましょうか。