160229皆さんはどんなスポーツが好きですか。
先生は色んなスポーツが好きですが、中でもボクシングとテニスが好きです。
今日は、一流のスポーツ選手(アスリート)と呼ばれる人たちには2つの共通点があるという話をします。

1つ目は自分が使う「モノ」に対する強い愛着心。
2つ目はやり続ける強い精神力。

シューズ、ラケット、バットやグローブ。
これらは実際にプレイをする上で必要だから、皆さんも納得できますね。
しかし、本当の一流プレイヤーは日常的に使う「モノ」への愛着も一流なのです。

現在西部ライオンズで活躍している菊池雄星投手。
花巻東高校時代に入部時からずっとやり続けた「トイレ掃除」。
トイレ掃除といっても素手で便器を洗うという修行レベル。
菊池投手を育てた佐々木監督は「嫌なことから逃げないでやることが精神を鍛える」と言われました。
先生が感心したのは、みんなが嫌がるトイレ掃除を、菊池投手が笑みを浮かべて喜んでしていたということです。
「自分が毎日使うモノですから感謝しながら掃除して当然ですよね」と菊池投手。
正に「モノ」に対する愛着がないとできません。
それを現在でもやるという継続力。これが本物の一流アスリートです。

皆さんも、今から新学年へのステップを登っていきます。
新しくなくとも筆記用具やノート・参考書へは愛着を持って使ってください。
講習会で大量の宿題を出されても、嫌がらずに笑みを浮かべて喜んでやってほしいと思います。
かなりの精神力が要求されますが、やり切った後は超スーパーウルトラ充実感があること間違いナシです。
『継続こそ力なり』

160222皆さんは『78:22の法則』という言葉を聞いたことがありますか。これはユダヤの法則とも言われ、世の中はすべて78:22の割合で成り立っているという考え方です。

世の中すべてと言ったら、少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、人の体だけで考えても

①人の体を構成している成分の割合は、水分が78%に対してそれ以外の物質が22%
②呼吸では、肺呼吸が78%に対して皮膚呼吸が22%
③健康な人の腸にいる菌の割合は善玉菌が78%に対して悪玉菌が22%
④足の裏にかかる体重の割合は、かかとが78%に対してつま先が22%

と、これだけたくさんのことが78:22の割合で構成されていると言われており、人はこの数字のバランスが崩れると体調不良や病気になることもあります。又、自然界の中でも

①地球の海と陸地の割合は、海の78%に対して陸地が22%
②空気中の成分の割合も窒素が78%に対して酸素が22%

挙げたらきりがありませんが、私たちを取りまく環境の中にも、この数字の比率で成り立っていることがたくさんあります。

ところで、なぜ『78:22の法則』がユダヤの法則と言われるのか。すべてのものは、この数字で成り立っているというのは、もともとは宇宙の法則からきており、ユダヤ人が世の中には、お金を借りたい人が22、お金を貸したい人が78の割合でいると考え、預金者と借金者をこの数字の割合で管理したことで、銀行業で成功を収めたからだと言われています。

この法則で考えると、人間のやることは完璧ではないのだから、どんなに頑張っても100%の内22%は不完全のままで終わるということになります。自分では100%達成できたと思っていても、他人から見たらできていないと言われたこともあったはずです。これは人間である以上、仕方がないことかも知れません。
大切なことは、人間にとって初めてやることは、勉強にしろ、スポーツにしろ、なんであれ「どんなに頑張っても78%しか達成できない」ということを自覚し、この不完全の22%を次にどう活かすかです。そして、次にやるときは、この22%を100と考えて、最大限の努力をしていく。そうすると1回目では最大限78%の達成度が、2回目では78%+22%×0.78=95%へとレベルアップしたことになり、これを何回も何回も繰り返すことで、限りなく100%に近づいていくことになります。どんな分野でも一流と呼ばれる人は、自分の最大限の努力を何回も何回も繰り返しているのです。

あと1ヶ月と少しで新学年が始まります。新しいことにチャレンジしなければいけないことが、増えてくると思います。そのときは、この『78:22の法則』を思い出し、理想とする自分に近づけるよう努力していきましょう。

1602152月も半分が過ぎましたね。
今年は特に暖かかったり、寒かったりを繰り返し、その日その日の天候に一喜一憂する日々を過ごしています。
さて2月は如月(きさらぎ)とも言われることを知っていますか。
これはそもそも旧暦の2月(今の3月頃)の異名です。
「如」という漢字には「従う」というような意味があり、「何かが動き出すと、それに伴って、他のものも動き出す」という意味で使います。
つまり、「如月」は、「草木や生物が次々に動き出す季節」であることを意味しています。
もちろんこれは旧暦の話であって、新暦の2月とは状況が異なります。
また、この「如月」という名称は、昔の中国で2月を表すことばで、それをそのまま文字だけ使っているのです。
「きさらぎ」という読み方の語源には
衣更着(衣をさらに着る)・・・寒さがぶり返すため、衣を更に重ねて着ることから
気更来(陽気がさらに来る)・・・春の陽気がさらに増してくる時期だから
生更ぎ・・・草木が生き生きとし、芽吹く季節だから
など、いろいろな説があります。

本来は今の3月頃を指し示す季節であることや、3月をあらわす「弥生」は「弥(いよいよ、ますます)生(草木が芽吹く)」季節であることを考えると、「如月」=「生き生きとし始める季節」と考えたいですね。

春の訪れが感じられる時期です。新年度に向けて、皆さんがさらに生き生きと成長していくことを期待しています。

1602082月3日は節分でしたね。豆まきはしましたか?

人によっては住んでいる家の状況で、外に豆をまくのが難しい場合もありますよね。
先生が子どものときはアパートに住んでいましたが、ベランダのすぐ下が芝生だったので、節分の夜にはその芝生に向かって豆をまいていました。まあ、翌朝は芝生に鳩がたくさん集まっていましたが・・・

この『豆まき』は中国の習俗が伝わったものらしいです。豆は「魔滅(まめ)」とも書き、大豆を鬼の目に投げつけて、鬼を退治できたという話が残っているとか。
あと、豆まきに用いられる豆は「いり豆」でなくてはいけません。「いる」が「射る」という意味に繋がり、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を「投げつける(射る=いる)」ことで「魔を滅する(魔滅=まめ)」。単純に『豆まき』といっても、いろいろな意味が含まれていますね。

そういう意味を含めて、豆をまくときの言葉は知っていますよね。
「鬼は外!福は内!」

そんな悪者にされている鬼ですが、一方でこんな言葉もあります。
『目は臆病 手は鬼』

先生も新聞で目にしてはじめて知ったのですが、三陸地方に伝わる言葉らしいです。

気仙沼(宮城県)のある魚問屋で、大にぎわいの宴席のあと、下げた食器の山を見てため息をついている店の人たちに、一家のお母さんが言った言葉。

やらなければならないことが山のようにあって逃げ出したくなるときも、とりあえず手を動かせばどうにかやりきることが出来るという意味ですね。目で見ているときには不安になることも、手は不可能を可能にする、鬼のように強さを持っているということです。

これは特別な力ではなく、きっとみんな持っている力です。

今、目の前に不安を抱えている人もいると思います。新学年に向けて、新しく始まる中学・高校生活に向けて、受験に向けて、あるいは毎週の宿題に・・・そして君たちの将来にはもっと大きな困難が立ちはだかることがあるかもしれません。でも、君たちの手はそれを打ち砕く力を持っています。

豆まきで追い払った鬼ですが、君たちの手には味方になってくれる鬼が出番を待っています。大切なのは「手を動かす」こと、行動することです。

160201みなさんは浦沢直樹さんを知っていますか?
ダレ?って思う人が多いと思います。もしかすると「知ってる!」という人もいると思います。

実は、浦沢さんは「20世紀少年」や「YAWARA」など多くのヒット作を描いてきた漫画家なんです。
30年の間、マンガの連載を続けてきていますが一度も休載したことがないそうです。(みんなのよく知っている「ONE PIECE」でも、新世界編に突入する前には1ヶ月の休載がありました。)
休載せずにマンガを描き続けることが、どれだけ大変なことか実感としてはわからないですよね。きっと、テスト勉強が延々と続いているような感じかなと思います。

そんな、忙しい中でも浦沢さんは、大学で講義をしたりテレビ番組の企画なども行っています。
その大学講義の中で、「白い紙を眺めて、何も思いつかないから描かないと、その紙は白いままで、自分が何をどんな風に描きたいのかということもわからないままです。とにかくペンを持ち描くことで、その描いたものが○なのか×なのかがわかり自分の描きたいものに近づける」のだと言われています。

その話を聞いた時に、勉強も同じじゃないかなと思いました。
予習をしていて難しい問題にぶつかった時、これは習ったことがないからとすぐに答えを見たり、あるいは問題をただ眺めて時間を過ごすのではなく、とにかく書いたり調べたりしてみることで、答えに近づいていくことができます。

みんなの勉強はまだ始まったばかりです。
自分がどんな勉強がしたいのか、どんなことをしたいのかを考えていくためにも目の前に広がる白紙になんでも書き込んで自分の進む道を描いていってほしいと思います。