150323家人(奥さん)に怒られた。
正月までにはと思っていた自室の片付けがいっこうに進まないからだ。さらに時間がたった分悲惨な状態になり、重い腰を上げて再開した。たいへんなのと片付けの才能がないので家人に応援を頼んだが、スパッと断られた。

一人さみしいのでラジオを聴きながら、とにかく続けた。その途中、モノであふれかえっている部屋をながめ、あきらめ半分にボーとしていて、ハッと気付いた。「総量」が変わっていないのだ。
整理整頓と称して、これは右、これは左と動かしても、並べ替えているだけで、部屋全体にあふれかえるモノの総量が減るわけではないからだ。
至極、当たり前のことだが、これに気付くと気付かないとでは、かなり違う。あふれかえっていたら外に出さないと収まらない。逆に、足りないなら外から入れないと足りないまま。目先ばかりにとらわれて全体を見渡さないと、問題の根幹の解決にはならず、その場しのぎでしかなくなる。それでは部屋の外に出さねばと、物置にせっせとモノを運び入れた結果、久しぶりに床が見えた。たったそれだけで、幸せ感でいっぱいだ。

さて次。物置がいっぱいになりかけていることに気がついた。家人に怒られるかもしれない。そうか、家全体のモノの総量は減っていないのだ。いよいよ捨てるしかないのか。断捨離か。さて、どうしよう。家人から見れば小さなことだが、当人にとっては大きなことだ。「悩みは尽きないな。生きているんだもの。」という相田みつをさんの言葉が浮かぶ。「手伝ってくれないか。」の一言が言えない。

その空間をながれるラジオで、武田鉄矢さんがこんなことを言っていた。
「人という字は人と人とが支え合ってできている。金八先生の名言ですが、これは嘘。
人という字は、ひとが立っている形を表した字です。人は一人で立って歩いていくものです。
武田さん、そりゃないよ。その昔、感動したんだ。物置の片づけを一人でしなさいってことか。

そのとき呆然としながら考えたことがある。「モノ」と「悩み」は同じだ。尽きなく増え続け、左右に動かしても置き直しても解決に至らない。すき間がみえたら幸せ。そんなものを年中持ち歩いているのが「人」だ。モノを持ちつつも一人で立って、そして支え合っていければいい。理想だろうけれども。そうですよね、金八先生。

(終礼で「後日談)
結局、先生のしらない間に、物置に蓄えたものを家人(一番怖い人)が一気に捨ててしまいました。呆然としましたが(笑)、なんとなく幸せでした。