160711皆さんは「落語」を聞いたことがありますか?
先生は、普段はあまり聞きませんが、飛行機で旅行したり移動したりするときに、機内放送がついていたら「落語」を聴いてすごしています。
「落語」にもいろんな種類があるらしく、江戸時代から語り継がれてきたもの(古典落語)もあれば、最近になって作られたもの(新作落語)まであるそうです。今日はその中でも「古典」に類する一つの作品を紹介します。タイトルは「千早振る」。大まかな中身は以下のとおりです。

「先生」の異名を持つ岩田の隠居が茶を飲んでいると、なじみの八五郎が訪れてくる。娘に小倉百人一首のなかに入っている、在原業平という人の「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という和歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えてほしいと思って来たという。隠居も実はこの歌の意味を知らなかったが、知らないと答えるのはプライドにかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。
江戸時代、人気大関の「竜田川」が遊びに行った際、「千早」という一人の美人に一目ぼれした。ところが千早は力士が嫌いで振られてしまう(「千早振る」)。振られた竜田川は妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「千早さんが嫌なものは、わたしも嫌です」と、言う事を聞かない(「神代も聞かず竜田川」)。
このことから成績不振となった竜田川は力士を辞めて、実家に戻って豆腐屋をすることにした。それから数年後、竜田川の店に一人のみすぼらしい女の人が訪れる。「おからを分けてくれ」と言われ、喜んであげようとした竜田川だったが、なんとそのみすぼらしい女の人は千早だった。怒った竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺をしてしまった(「から紅(くれない)に水くぐる」)。
八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで辞めますか」、「いくらなんでも美人がみすぼらしくなるくらいにまでなりますかね」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引に八五郎を納得させた。やれ安心と思ったところに八五郎が、「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早はペンネームで、彼女の本名が『とは(とわ)』だった」

この作品は江戸時代の中ごろ(今から350年位前)に作られたものらしいのですが、すごいと思いませんか?
江戸時代の庶民は「百人一首」が理解できているから笑えるんだということ。
それと、このお話には君たちに教えてくれていることがあるな、と先生は考えています。
それは、「知識」を身につける方法についてです。二つのことが挙げられると先生は考えます。
一つは、八五郎は意味がわからなかったから「先生」に聞きに行くのですが、当時は参考書などないので、物知りの「先生」に聞きに行きましたね。わからないことがあれば自分で調べることの大事さを言っているのです。君たちには「参考書」という武器を持っているのですから、有効活用してほしいです。
もう一つは、「先生」は「千早振る」の和歌を知らなかったけれども、「知らない」と言いたくなかったから、自分で考えたストーリーを語り始めるところ。すぐにストーリーを語り始めるのもすごいですが、それよりも大事なのは、なぜ「先生」は知らなかったのか、ということ。それはいままでに「千早振る」に接したことがないから。つまり経験がなかったからです。
自分で調べるということと経験をつむことの二つによってしっかりとした知識になっていくのです。参考書を使って調べ、何度も繰り返すという経験が君たちを強くしていくのです。
君たちはこれから夏期講習会に突入していきますが、まさに能開の勉強はこの二つを鍛えていくものです。それを実践するのが講習会です。自分の知識をよりしっかりしたものにするためにも、全力で取り組んでいきましょう!