私が最初に外国に出かけたのは1987年の夏。皆さんがまだ生まれていない頃のこと。その1年前、世界を震撼させソビエト連邦崩壊の一因ともなったチェルノブイリ原発事故でヨーロッパ、特にドイツの環境保護運動はどうなっているのだろう、という思いをもっての訪問でした。単身での海外旅行であり、ドイツ語どころか英語も満足にできなかったので、親友は心配して「その英語力では通用しないからやめとけ」とまで言われましたが、出かけることにしました。何故なら、やはり自分の目と耳で確かめたかったからです。

 最初の滞在先であるベルリンでドイツ人だけの集まりに出たときは、流石に萎縮してしまい、うまく交流できませんでした。特にヒヤリングが全然ダメ。それでも日を重ねるうちに英語を使うことに慣れてきて、時間と共に私の耳が英語耳になり、やがて夢の中でも英語で話すようになりました。
 半月ほどたった頃、北部の海岸の町に風力発電を見に行った際、海岸で一人の男の子と知り合いになりました。高校に通っており外国語は英語を選択しているというので、案内をお願いしました。風力発電は町の人がお金を出し合い、酪農家が土地を提供して実現したことを知りました。御礼に彼の兄さんが経営するレストランで夕食をご馳走しながら、あることを質問しました。あと10年ばかり経つと21世紀になるが次の世紀はどんな時代になると思うか、私はグローバルな時代になって世界はもっと人とモノが頻繁に行き交う社会が登場すると思うけど、君はどう思うか、と尋ねました。すると意外な反応でした。
 彼が言うには、それがどうしてそんな大変なのかわからない。自分達は小さな時から、外国へよく旅行し、友人も既に何カ国にもいるので、21世紀になったからといって特別な変化はないと思う、そんなことより、どうしたらトルコを始め外国から来た人たちとうまく暮らしていけるか、そのことが、この町にとって大きな課題だと思うと言いながら、使い古されたIDカードを見せてくれました。この夜、自分がいかに島国育ちであるかということを知りました。この町の格安チケットショップには、世界旅行のツアーが案内されていましたが、中国や韓国はあっても日本はありませんでした。店員に尋ねると「韓国までは陸続きだから格安な鉄道でいけるけど、日本には行けない」との答えでした。

 あれから23年たった。私のドイツ旅行から3年目にベルリンの壁は崩れソビエト連邦も無くなりEUが登場し、東ドイツ出身の女性政治家が統一ドイツの首相となって舵をきっている。失業率が高止まりする中、外国人排斥事件は後を絶たずネオナチと呼ばれる若者の増加も心配されている。一方で、既に電力のうち風力を含む再生可能エネルギーの占める割合は12%にも達し世界のトップクラスを走っている。あの日、海岸であった高校生は今、何処にいて何をしているだろうか?ドイツにとって一番の課題といった多文化(民族)共生について、どんな勉強をしているだろうか?国籍や民族の違う人々との間にどんな橋をかけているのだろうか。またドイツへ行く機会があったら、あの町を再び訪ねてみたいものだ。

 貴方なら外国の人に英語で「今、世界が共有する問題は何ですか?」と声をかけられたら、何と応えますか?英語力も必要ですが、それ以上に世界へのまなざしも必要ですよ。それと、外国語を口にする勇気(言う気)も必要。