先生は金沢本校の中3Vクラス(難関クラス)で社会を教えています。実は今でこそ社会を教えていますが、私が小学生のとき、社会という科目が嫌いで嫌いでたまりませんでした。社会の授業はほとんど聞かず、社会のノートに落書きをする毎日でした。それが今では「社会の先生」なのですから、人はどこでどう大きく変化するかわからないものです。

私の大きな変化は、小学5年生のときの休み時間でした。その時、クラスの中ではやっていたのが「どれだけたくさん暗記ができるか」という競争でした。皆さんも経験がありませんか?小学5年生のときに「円周率をどれだけたくさん覚えられるか」などを競ったことが。

ただ先生はちょっとだけ ひねくれてましたね。

「みんなが覚えている円周率なんかで競ってもおもしろくない。どうせなら、みんなが覚えられないようなものを覚えてやろう」という、意味不明な闘志がわいていたのです。そこで覚えようと思ったものが「歴代の天皇の名前」でした。初代は神武天皇から始まり、綏靖→安寧→懿徳・・・と続くわけですが、その125代まである天皇の名前を、漢字も含めて全て暗記しました。

その知識ははっきりいってほとんど役に立ちません。強いて言えば「高校の古典」と「百人一首」のときぐらいでしょうか、覚えていて良かったと実感できたのは。間違いなく高校入試や大学入試では全く必要のない知識です。入試だけを考えれば確かに「無駄な知識」かもしれません。ただその「無駄な知識」を身につけるためにやった様々な動作は、今の自分にプラスになっています。

○チラシの裏を使ってひたすら書きまくった
○書いても覚えられなかったので、声に出して読んでみた
○似たような名前をグループごとにまとめ、順番にしばられない方法で覚えた

…など、いろんなことを試しました。途中で「くだらない。もうやめてしまおう」と思ったこともありましたが、一方で「途中でやめるのは悔しい」という思いもありました。そういった思いが駆け巡る中で、様々な工夫をしました。また目標としていた人数まで覚えられたときの大きな達成感もありました。そして何よりも、最終的に125名を覚えたときには、社会という科目が好きになっていたのです。
これらは「学ぼう」と思って身につくものではありません。気がついたら身についていたものです。

人はどこで大きく変わるか誰にもわかりません。入試に必要な知識を身につけることも大切です。
一方で、入試には直接関係ないものであっても、それを「最後までやりぬくこと」は立派な勉強であり、自分に新たな力を与えてくれる機会だと思うのです。