毎年、春になると思うことはいろいろあります。受験は必ずしも全員が合格できるとは限りませんし、それに挑もうとするわけですから、不合格になる人もいるわけで、その現実を受けいれようと必死になっている姿を見ると、こちらもつらいものです。でも、長い目で見るとそれも決して悪いことではないと思うのです。

もちろん苦手科目、成績不振そして不合格・・・。勉強における「失敗」はいつでもいやなものです。ほんの一面に過ぎないのに、「学生」という立場でいる以上、まるで自身のすべてを否定されているように思えたりするから、正直認めたくないという気持ちはとても理解できます。

しかし本当の問題は、失敗したことそのものにあるのではなく、失敗を「認めない」「避ける」「逃げる」ことにあるのではないでしょうか。「練習不足」「わかるまで考えようとせず中途でやめた」など結果につながった原因を認めて改善すれば、おのずと良い結果に恵まれるはずなのに、失敗した「結果」だけ見てくよくよしたり強がったりしていても状況は何も変わらずまた同じ失敗を繰り返していくのです。賢く生きるには、失敗した自分もまた受けとめてあげて、その上で冷静にそのことに向き合うのもまた大切ではないかと思います。

あなたが生きている今の世の中では、酸性雨、大気汚染、森林破壊、海洋汚染、温暖化など地球環境の問題、食料問題、国内外での対立の問題、そしてCOVID-19(新型コロナ)など、以前と同じ方法では解決できない問題が山積しています。特に地球温暖化については経済発展との両立が難しいところまで来ているそうです。これまでと同じような経済活動を続けていたらいずれ地球に人類は住めなくなります。

これまで以上に予想できない出来事が起こり、その場その場で判断し対処しないといけないことがこれからも増えていきます。地震、台風、豪雨など自然災害においても「想定外」という言葉もよく耳にします。まさに複雑化、多様化している現代は予測不能で、目の前で起きていること、経験したことをもとに、考えぬいて答えを見出していく姿勢が要求されています。

今、うまくいっていることにしか目を向けなかったら学べなかったことが、実は失敗の中に多く潜んでいて、失敗を恐れることでその機会を逃してしまうのは非常にもったいないことなのです。

「これから」を生きるために必要なのは「失敗をこわがらない」「失敗をしっかりと受けとめる」ことではないかと思います。今の自分よりも上を目指している人ならなおさら失敗はつきもの。それに一回一回落胆して手を止めてしまうのは「時代遅れ」だと思いましょう。今の時代に生きる人は常に前進しようと試行錯誤する力をつけなければなりません。むしろたった1回や数回の失敗で自らを「こうだ」と決めつけることは愚かな生き方なのです。何回倒されても起き上がって、できるまでやりぬく。先生たちはそういうあなたの味方でいたい。

新しい時代の人になりましょう。失敗に負けない、受けとめて乗り越える人に。

最近自分が話をするときにひっかかる言葉がある。それが「当たり前」だ。ここ最近の社会情勢からというような大それた話ではなく、自分の思う「当たり前」と他人の思う「当たり前」が違うということに改めて気づいたというだけだ。

例えば、ある先生と話をしたときに驚いたことがある。その先生は、何と「両手で歯磨きをする」らしい。なんじゃそりゃと思って聞いてみると、両手で歯ブラシを持つのではなく、左の歯を磨くときは右手で歯ブラシをもって磨き、右の歯を磨くときは、今度は、歯ブラシを左手に「持ち替えて」磨くとのことだった。

私は片手で歯ブラシを持ち、磨く歯の位置によって毛先の向きを変えて磨いていた。ものは試しにと思い両手で持ち替えて磨いてみると、慣れないためぎこちなさはあったが、そこまでの違和感はなかった。その後はというと、両手で歯を磨くことは一切無い。

一見無駄に見えるような他愛のない話でも、新たな発見や好奇心につながることがある。ソーシャルディスタンスが求められ、目に見える成果が求められる時代ではあるが、やはり多くの人と接する時間を作ることで、様々な人との接点を持つことはとても大切だ。

このタイトルでピンときた人もいるかもしれません。カーリングのお話です。2月14日に北海道で行われたカーリング日本選手権の女子決勝戦での出来事です。前回優勝のロコ・ソラーレは、この戦いに勝てば北京オリンピック代表が決まる試合でした。一方、相手の北海道銀行にとっても負けられない戦いで、ロコ・ソラーレに勝って代表決定戦に持ち込みたい大事な試合でした。

その試合の中で珍しい場面がありました。北海道銀行の選手が絶妙な位置にストーンを放ちました。これで「試合が有利に!」と思ったのですが、北海道銀行の別の選手が「自分のブラシがストーンに当たってしまった」と申し出たのです。ブラシがストーンに当たれば失格です。申告の結果、そのストーンは無効になりました。

カーリングには、審判と呼ばれる人はいません。時間や距離を測る競技委員はいますが、ルールに触れる問題が起こった時は、選手同士が話し合って決めることになっています。フェアプレイの精神が大切にされるのです。フェアでないプレーで勝つくらいなら、むしろ負ける方を選ぶのがカーリングの精神です。この場面は、カーリングのスポーツマンシップを象徴するプレーでした。

スポーツとは、何のためにあるのでしょうか。相手に勝利することはもちろんですが、自分が努力してきた成果を確かめるためにあるのです。だからこそ、同じように努力してきた相手にも敬意を表します。柔道や剣道できちんと相手に挨拶することや、ラグビーで試合終了後にノーサイドで相手を讃えることも同じ精神でしょう。

正々堂々と戦うことは、皆さんの勉強にも通じると思います。一生懸命に勉強してきた結果を、毎回のテストで確かめるのです。テストで高得点を取ることが目的ではありません。それは結果です。どれだけ勉強して、どれだけ理解できたかが大切なのです。だからこそ皆さんには、たくさん宿題が出たり難しい問題があったとしても、逃げたりあきらめたりせずに勉強に取り組み、胸を張って教室に来て欲しいと思います。

さて、先のカーリングの試合の結果はどうなったでしょうか? ストーンが無効になった北海道銀行チームが奮起して、最終エンドでロコ・ソラーレに逆転勝利したそうです。北京オリンピック代表が決まる日本代表決定戦は、5月下旬から6月上旬に、両者が再び対決して行われます。

昨年の春、幼稚園の先生をしていた友人と会った時のことです。彼女のカバンの中からチラシがのぞいているのが見えました。「何持ってるの?」とたずねると、にこにこしながら見せてくれたのは、某予備校の生徒募集のチラシでした。チラシには『〇〇大学 法学部合格! □□君』の文字とともに、満面の笑顔で学生服の男の子が載っています。この男の子が幼稚園の時、友人が担任をしていたのだそうです。朝、新聞の折り込みに入っていたものを何となく見ていたら、名前で気がつき、行きがけの電車の中でじっくり見ようと思ってチラシを持って出てきたとのこと。

「小さいころの面影が残ってるわ~。法学部ってことは法律の勉強するんだね。同じばら組さんの子たちもみんな高校卒業だよね。みんな元気かなぁ」と、ひとしきり当時の思い出話を聞かせてくれました。

 さて、皆さんは今までに『先生』と呼んだ人が何人いるでしょうか。数えてみたことがありますか? 保育園や幼稚園、小学校、中学校の先生、塾や合宿、習い事、自然学校やスポーツ教室の先生、たくさんの先生たちがいることと思います。その中でも『忘れられない先生』『大好きな先生』普段は忘れてしまっているけれど、ふと思い出して「もう一度会いたいな」と思う。そんな先生はいませんか?

先生たちの方も同じです。毎年たくさんの生徒に出会い、別れていきますがその中でも、忘れられない生徒や思い出に残る生徒たちが存在します。普段は目の前の生徒たちのことで一生懸命でも、ふとしたきっかけで昔の生徒を思い出すと、あの子のクラスであんなことがあったな、こんな子もいたな、と生徒たちと過ごした時間がどんどん蘇ってくるそうです。そして様々な思い出をたどりながら、生徒たちが健やかで幸せでいることを願うのです。

「先生ってそういうイキモノなの。勉強教えるだけじゃないの。だから先生なのよ」

春の日差しの中、そういうイキモノの友人は、かつての教え子の成長と門出を心から祝福していました。

公立高校の入試が始まっています。皆さんの今までの成長にかかわってきた、全ての『先生』たちは、かつての生徒たちが全力で試験に臨めるよう、良い結果につながるように強く願っています。祈・合格。持てる力の全てを出し切れ。

お家で過ごすことも多くなり、最近は家の中で体を動かすためのアイテムがたくさん出ていますね。我が家でも最近、運動不足を解消するべく、トレーニングに取り組んでいます。といっても、冒険を楽しみながら体を動かす、お家フィットネスゲームなのですが。(ガッキーのCMのヤツです)

気軽にできるだろうと思ったら、これが結構ハードで手ごたえがあります。相当動いたぞ!と思っても消費カロリーはちょっぴりだったりして凹みます。しかし、正しい動きを教えてくれたり、頑張りをほめてくれたり、トレーニング結果を見直せたり、自己流でもくもくとやるより楽しいなと思います。

継続は力なり、これはコツコツ続けてみようと(今のところ)考えているのですが、…ところでこの「コツコツ」ってどんな意味なのか分かりますか?

漢字で書くと「兀々」となります。あまり見慣れない漢字ですが、「兀」という字は「人が頭を突き出している様子」「高くそびえる様子」を表していて、「兀々」は「一つの物事にたゆまぬ努力をするさま」「一心に努力して高みを目指す」という意味を含む言葉です。

確かに「地道に何かに取り組むこと」を表現する時に、「コツコツ」を使いますよね。

高みを目指して「兀々」と積み上げていくことが、しっかりとした土台を築き、自分の力となっていく。勉強で言えば「基礎学力」が土台となって、様々な問題に対応できる応用力や判断力が養われていきますね。お城だって土台となる礎がきちんと築かれていない上には、立派な天守は成り立ちません。

しかし、この「基礎」を「兀々」築く段階がなかなか難しいわけです。体づくりも勉強もそうですが、すぐに結果が形になる訳ではありません。つまずいたりうまく進まない時、解決策が分からず迷ううちに、「もういいや」と投げ出したり、楽な方向につい流れていったりしてしまいます。そんな時は、ゼミで学んだ勉強の仕方に改めて丁寧に取り組んでみましょう。ノートをしっかりと取り、気づきや重要ポイントを整理して考えをまとめていきましょう。ティエラの教室では皆さんに合った様々な教材や学習方法を提案することはできますが、本当に力をつけるためには、皆さんが基本をおろそかにせず、毎日机に向かう姿勢を崩さないことだと思います。もちろん、教室の先生たちが皆さんをいつもそばで支えていますから、困ったことやどうしても解決できないことは、何でも相談してください。

さて、もう少しで新学年を迎えますね。「基礎」となる力をつけるには、自ら地道な努力をするほか道はありませんが、その道を確実に進んでいける学びがティエラにはあります。結果を焦らず、自分の努力を信じ、高みを目指して「兀々」と頑張ってください。