新年度のゼミが始まって1ヶ月半。能開福井本校では、第1回目のゼミで「将来の夢や志望校」など、子どもたちが今、どんな夢・憧れを持っているのかをアンケート調査しました。このアンケートをもとに、親・子・先生による三者面談が5月中も継続して行われています。

小学3・4年生でも、半数近くの会員が自分の夢について書いています。ましてや小学5・6年生や中学生にいたっては、約8割近くの会員が夢の職業(憧れの職業)を書いています。
いろいろある職業の中でも一番人気は…。「医師」のようです。

三者面談で、「なぜ医師になりたいのかな?」という質問を投げかける私。やはり、「困っている人を助けてあげたいから。」という返答が多い中、「ドラマで医師の活躍するドラマがあって、それで憧れて。」という回答もあったりします。実際に医師をされている保護者の方に最近のドラマについてその信憑性(現実の医療現場に近いのか)を尋ねたところ、案外信憑性が高い(医療現場に近い)らしいので驚いています。

さて、高度な専門性と豊かな人間性を必要とされる医師。社会的にもそのステータスは高く、相当の高い学力を身に付けていかねば医師にはなれない現実。今回ご紹介したいのは、医師としてご活躍されている方で、へき地診療所から医療現場をスタートされた方の福井新聞に掲載されたエッセイ(随想)です。

医師免許取得後3年目で赴任を命じられた先は、医師は自分一人だけのへき地診療所。「不安」と「不満」が入り混じる中、様々な症状を抱えて来診される患者さん。その多くは高齢者。その中に、難治性湿疹を治すために通ってこられたおばあちゃんがおられました。

処方した私の薬では治らず、皮膚科に通ってそれを治された後で「先生、今度からこの薬を出すといいよ。」と教えてくれたおばあちゃん。私のような若造を医師として頼りにしてくれたり、育ててくれたりする村の人々と接していくうちに「この人たちのために自分は何ができるのか」と考え始めました。さらに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。

~(中略)~

実は一度、非典型的な症状の肩こりを呈したクモ膜下出血を見逃してしまった経験が私にはあります。患者さんの親戚の方は、誤診で気落ちする私を責めるどころか慰めてくれました。「一生懸命やってもうまくいかないことは誰にでもある。先生、こういうことはお互い様だよ。」…私にとって生涯忘れられない言葉となりました。幸いにもこの患者さんは全く後遺症のない状態で退院し、今でもお元気です。自分自身が大きな病気を患って2ヶ月間仕事を休んだ間も、村の人々からのたくさんのお見舞いや激励をいただいたりしました。

若い頃は自分が地域を支えているつもりでした。ところが、様々な恥ずかしい経験・体験などを通じて、それでも許していただいたりしていた自分を省みると、実は地域に育てられ、地域に支えられてきたことに感謝する気持ちでいっぱいの自分がここに存在しているのです。

「失敗は成功のもと」ということわざがありますが、十代の若いみんなの失敗は、周りの先輩たちや大人たちが受け止めてくれ、またいろいろと助言してくれるものです。見知らぬ世界(非日常の生活空間)に飛び込んでいろいろな人と交わる中で、対立・葛藤することも当然あるでしょう。そういった経験を積んで、みんなはたくましい人間へと成長していくのです。この夏、勉強にスポーツにボランティア活動に大いにチャレンジしましょう!

自転車競技の一つに「ダウンヒル」があります。

夏場のスキー場など、急斜面の荒れ地につくられたテクニカルなコースを高速でいかに速く走破するかという単純な競技です。

はじめてダウンヒルの大会に出場したときのことです。たいした練習もせず、ひどく軽い気持ちで出場した大会でした。それなのに、とにかく緊張したことを覚えています。自転車はマウンテンバイク、前後のサスペンションは当たり前で、肘・肩・胸・脊椎を保護するプロテクターにフルフェイスヘルメット、口にはマウスピース、手にはグローブをはめます。ダウンヒルの大会では通常は一人ずつスタートしタイムを計測していきます。スタート地点には「スタート台」があります。スタート台は一段高く、この場所から岩や木の根っこでゴツゴツしたコースを見渡すことができます。

心の中では「どうせ速く走れやしない」「誰も期待していない」と思っても、順番が近づくにつれ緊張感はどんどん高まっていきます。スタート地点の人が背中をたたいてスタート。練習とは比べものにならない緊張感からまったく思うようにレースをすることが出来ませんでした。

練習でできないことはもちろん本番では出来ないけれど、練習でできていることも本番では出来ませんでした。

ほんの数分の「勝負」ですが、自分が「いける」「できる」という強い気持ちで挑めなかったことが残念で仕方ありませんでした。原因はもちろん練習不足です。

さて、みなさんも「勝負」をしなければいけない場面があります。それは部活の大会、学校のテスト、受験、検定試験、もしくはクラスの前での発表なんかもそうかもしれません。どれだけ軽い気持ちで挑んだとしても、必ず緊張します。強い気持ちで「勝負」するためには「練習すること」と「練習する方法を考えること」です。どちらも積み重ねが大切です。その積み重ねが緊張感をおさえ、自信を与えてくれます。自分に自信を与えてくれるのは自分自身です。

そして「勝負」の日は自分では決められません。ある日突然決まります。部活の大会や学校のテストがそうだと思います。ですから文句を言わず、「勝負」の日が決まったらすぐに行動です。

その日から練習あるのみです。

受験生にとって、志望校を決めることはとても大切なことです。
志望校とは、合格して『本当に行きたい高校』のことです。
今の自分の力で行けると高校を必ずしも志望校とは言いません。
志望校は、自分の一生の『母校』になる高校であり、『人生の宝』になります。

志望校の『志』とは、『士』の『心』と書きます。
『士』とは、『サムライ』のことを意味します。手を広げ命がけで人を守る姿です。
『志』とは『サムライの心』を意味します。

では、『サムライ』の『心』とはどんな心でしょうか?

江戸時代の日本では、男子は15歳前後に元服し、社会的に一人前に認められると同時に、いつでも主君の為に『命を捧げる覚悟』をしました。
もちろん現代ではそういうことはしませんが、15歳という年齢はまさに受験生であり、君たちの事ではないかと先生はいつも思っています。
高校受験は単なる『合格』や『不合格』ではなく、自分の一生に関わるとても大切な『儀式』でもあることも意識して欲しいのです。

福井の生んだ幕末の志士『橋本左内』(安政の大獄で、藩主松平春嶽を守って処刑された)は、15歳にして今の『藤島高校』の前身である『明道館』の校長代理を務め、藩内の師弟の教育指導を行い、その著書『啓発録』(15歳で書き上げた)の最初に、〔大事を成し遂げるにあたって、『第一に稚心去るべし』〕と言い切っています。

受験生にとって、大事とは『志望校に合格し、母校とする』ことです。
その受験生が、大事を成し遂げようとするときに、

・だらだらTVばかり見ていて、いいのですか
・漫画ばかり見ていて、いいのですか
・ゲームばかりしていて、いいのですか
・部活ばかりに明け暮れて、いいのですか
・言われないと勉強しない、でいいのですか

受験生として、『志望校合格』にむけて、好きなことややりたいことばかりする『稚心』を『断つ』ことが絶対に必要です。

『断つ』ということは、『覚悟』がなければできません。
君達には『覚悟』を持って欲しいのです。

その『覚悟』は『高校受験合宿』に参加することでさらに確かなものとなります。
受験生にとって夏休みは【夏を制するものは受験を制す】といわれるように受験の天王山です。今から夏の『高校受験合宿』参加するという『覚悟』を決め、好きなことを『断つ』という受験勉強のスタートをきってください。

『高校受験合宿』に参加した経験が、受験勉強がもっとも厳しくなるⅡ期以降の『心の支え』になってくれるのです。