新学年での初めての学校の定期テストを終えた人も多い時期ですね。
EXオープンも終わりました。結果や手ごたえはどうでしょうか。
「自信があるよ。よかったよ。」そんな声も聞こえてきそうですが、
同時に頑張ったのにうまくいかなかった人もいるでしょう。そして頑張ること自体出来なかった人も…。

成果や結果が出るこの瞬間に最大の学びがあります。
できなかった問題を復習することはとても大切ですが、もっと学ぶべきは何か。
先生は、できない自分、うまくいかない自分、現実をしっかり受け入れることだと思います。

頑張ったのに家族や先生に責められてしまうこともあるでしょう。
多くの人はそろそろ少しずつ気づいているはずです。
「どうやら思ったより自分はすごくない。どうしようもないこともある。」

全然いいじゃないですか。変えていける自分を知るのです。
どうしようもないことを知っているから、どうにかしようのあることに気づく。
自分に期待していない人にチャンスはめぐってはきません。

返ってくる結果には素直に反省して、さあ、次へ!
頑張りましょう。

大事なボールペンをなくした。いつもしまってある抽斗の中をくまなく探したが、ない。用事の時間が迫ってきたので、諦めて後にしようとした。
あ、あった。
使っていたときに電話にでて、そのままだったのだ。人の記憶はあてにならない。

さて、オープン模試が近づいてきました。皆さんがこの朝礼を読んでいるころには、直前の可能性も高いので、当日の話をします。

「終わりの合図とともにやり方を思いついた。あと少し時間があれば…」といった経験はありませんか。
しかし、「あと何分あってもできません」
思いついたのは、時間が理由ではないからです。問題を解くには集中します。しかし、集中しすぎると視野が狭くなります。そして、その視野を広げてくれたのが、「終わりの合図」だったのです。

「視野が狭くなっているな」と感じたら、一旦全体を見渡してみてください。一気に解決へ進めるかもしれません。

わかっていながら、ボールペンを探すのに苦戦した私が言うのもなんですが…。

皆さんは夢を見ますか?記憶に残る夢はめったに見ないというほどぐっすりと眠れている人もいるかもしれませんね。

さて、皆さんの夢に宇宙人とか外国人とかが登場することはありますか?その人や宇宙人は何語で話をしていますか?たぶん、日本語で話をしているのではないでしょうか?それくらい、母国語で考えて感じているものなのです。

言葉とは面白いもので、同じ意味であっても日本語と英語ではイメージが変わってきます。

日本語で「調子はどうですか?」と問われたら「まあまあですね。」と答えるイメージですが英語で「How are you going today?」と問われたら「Very good!」と答えてしまいます。中国語では「吃了吗?」(飯食ったか、元気ですかという意味)と問われたら「吃了、吃了」(食った食った、元気だよ)と答えます。言語が持つ文化の違いや勢いなどの違いを感じます。

これから進化が続くと「自動翻訳機」のようなものが外国語を学ぶ必要がないレベルにまでなりそうな気がしますが、各言語が持つ独特なものは感じられないのではないかと思います。間違ってもいいから、他国の言語で他国の文化を感じることの面白さを知ってほしいと思います。

あるとき、ある友人と話をしていて「へぇ~」と思ったことがありました。

友人:1から10まで言ってみて
先生:いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう
友人:じゃ、次は10から1まで言ってみて
先生:じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち
友人:何かに気づいた?
先生:この年齢になって大声で数を数えるのは恥ずかしいってことに気づいた
友人:いや、そうじゃなくて、‘し’が‘よん’で‘しち’が‘なな’に。。。
先生:え。。。? あ、ホントだ!
友人:これ、ほとんどの人がそうなんだよね(ニヤリ)

どうせ自分の発見ではなく、誰かから聞いたネタのくせにやたらと得意気なその友人の態度に苛立ちながらも、心の中では「俺は半世紀もの間、これに気づかず生きてきたのか!」という衝撃と動揺がしばらく渦巻いていました。

そして今度は自分が誰かにこれを仕掛けてみたくなり、次の日に職場で同僚に試してみました。しかし、その同僚はこのネタを知っていたようで、「いち、に、さん、よんっ、ご、ろく、ななっ、はち、きゅう、じゅう」と‘よん’と‘なな’を強めに言い、おまけにニヤリと笑って返したのです。その瞬間、普段は使わないように心がけ、生徒たちにも禁じている言葉が思わず口から出てしまいました。

「ウザっ!」

そりゃ、この場面にこれ以上に相応しい言葉はないし使いたくもなるわ。「ウザい」って言葉、侮れない。この言葉を使いたがるキミたちに強く心から共感できたので、その瞬間の先生の何とも言えない感情にもぜひ共感してほしいものです。

さて、この「うざい」という言葉は「うざったい」という、今はほぼ全ての国語辞典にも載っている言葉から派生しているようです。そして、その「うざったい」も元々はある地域の方言だったものが、いつしか全国区になったということのようです。「うざい」も、将来どの辞書でも見られるようになるかもしれませんね。

言葉はいろいろ調べてみるととっても興味深いものです。例えば、最近よく聞く「ウイルス」や「ワクチン」という言葉。英語で「ウイルス」は [ virus ]、「ワクチン」は [ vaccine ] です。どちらも [ v ] で始まり、あえてカタカナなら「ヴァイラス」「ヴァクスィーン」。これらがなぜ、にごりもしないア行とワ行の発音になってカタカナ語として定着したのでしょうか。英語を専攻して学んでいた学生の頃から非常に不思議でしたが、よく調べてみると語源であるラテン語で [ v ] を使うと「ワ・ウィ・ウゥ・ウェ・ウォ」のような発音をすると最近知ることになり、ようやく四半世紀に渡る疑問が解けたのです。

最近は言い訳や何かができない理由として「コロナだから」「コロナ禍なので」などをまるで流行語のようによく耳にしますが、そんな言葉で簡単に片付けたり、ネガティヴになってただやられっ放しになることなく、今回の [ virus ] [ vaccine ] のように「コロナがきっかけで」知識を得ることだってできるのだとポジティヴにやり返す強い気持ちも持つべきですね。

キミたちにも強い気持ちで前を向き、折れることなく様々なことを吸収して成長していってほしいと強く願い、ずっと応援しています。言葉は変わっていっても、気持ちは変わることなく。