150525突然ですが、先生は中華料理屋さんのカウンターでラーメンを食べることが大好きです。
おいしいラーメンを食べることはもちろんなのですが、その注文したラーメンが来るまでの間もワクワクします。

カウンターから厨房を見渡すと、お店のスタッフの手際の良さに注目してしまうのです。メニューにある何種類もの料理を、オーダーの順にレシピを見ることなくささっとつくりあげてしまう。単品で注文するお客さん、セットで注文するお客さん、色々な要望のお客さんに間違いなく対応しているのですから。
お店によっては喧騒の中、ホールスタッフの暗号のような指示でオーダーした料理が出てきたりするのもびっくりします。
さらに、いつ行っても量も見た目も味も変わらない。この人たちはほんとうにプロだなぁと感動すら覚えます。

よくよく厨房を眺めると、具材や道具は全て決まったところに整理整頓されています。そしてそれぞれの料理をつくる手順も決まっているようです。
単品でもセットでも基本は同じ。異なるのは組み合わせや量、使う器などでしょうか。基本の【型】がしっかりとできているので、プロの料理人は無数にある組み合わせに全て間違えることなく対応できるのですね。
お客さんのどんな注文にも応えられるように、しっかりと準備をすることはもちろん、そういう【経験値】を数多く積み重ねているからこそできるのでしょう。

これって皆さんにも当てはまりそうですね。皆さんはテキストやノート、参考書の整理整頓はできていますか?各教科、各単元の基本をしっかりとおさえていますか?
基本の【型】づくりを早期にしておけば、どんな問題も基本の組み合わせなのですから、オーダーにしっかりと対応した答えをつくることができるはずですよ。

もちろん、そのために【経験値=総量】が必要。ゴールデンウィークも終わり、ここから夏休みまでは祝日はありません。日常でしっかりと【型】をつくり、夏休みに【経験値】を積み上げていきましょう。

40年も前から「困難にたじろがないひとりで勉強できる子に」を掲げ、予習型繰り返し学習にこだわってきた能開の大先輩=先生たちの教え子が、何かのプロとして今もこの地球のどこかで社会に貢献しています。
そんな多くの先輩に続けるよう、正しい勉強の【型】を1学期の折り返し地点である今のうちに身につけて、【総量の最大化】の経験を積む夏の準備をしていきましょうね。

そしてこの夏、周りの誰もが驚くような勉強のプロを目指しましょう!
好みの味付けは、それからでも決して遅くはありませんから。

150518先週末は母の日でした。お小遣いでカーネーションをプレゼントしたりたくさんお手伝いを頑張ったりした人も多いでしょうね。
母の日に比べて父の日が盛り上がりに欠ける気がするのは、先生が父性であることのやっかみですかね。せっかくですから、今日は先生のお父さんのお話に付き合ってもらいましょう。

私の父は、今右半身が完全に麻痺していて寝たきりです。言葉も話せません。おそらく私を見ても自分の息子だとは認識できていないと思います。
実は11年前の4月、脳内出血になり突然仕事場で倒れたのです。

慌てて車に乗せ病院に運びました。覚悟をしてくださいと言われ、手術室に入ったのが病院に着いて2時間後。時計は18時を指していました。そこから待合室でただ父の無事を祈るだけの長い時間。父が手術室から出てきたのは夜2時を過ぎていました。

お医者様が私たち家族を呼び出して告げられました。
「脳の出血が止まりません。もしお望みならばもう1度手術をします。ただ、確実には止められないと思います。私たちはできる限りのことをしますのでいつでも声をかけてください。」

話し合って様子を見ることになったのですが、夜が明けた頃 病院の中庭に缶コーヒーを片手にたたずんでおられるお医者様の姿が目にとまりました。
その背中に思わず深々と頭を下げたのを、昨日のことのように覚えています。

結局父は元通りの元気な姿に戻れませんでしたが、今一生懸命生きています。歩けないので太ももも私の腕よりも細く今にも折れそうで、以前の屈強な父の姿を思い出すと思わず涙が出そうになります。

でも、お医者様に父の命を助けていただいてよかったと思っています。お医者様は夕方まで外来の診察をしながら夕方から父の手術に入り、また翌日も外来の対応をされていました。でも、疲れたなんて一言も言わずに、本当に夜通し私の父を見守ってくださったことは一生忘れません。

お医者様に救っていただいた命です。私はこれしか親孝行は出来ないなと思いながら、たまに介護の方と一緒に父をお風呂に入れます。私が息子だとは、決して気づいてはくれないけれど。

孝行したいときに親はなし、という言葉があります。せめて父が私のことを息子と認識できるうちに、好きだった晩酌くらい付き合って話をすべきだったな、と思います。

みなさんは父の日、どんな「プレゼント」をしますか。高価な物でなくてもお父さんに感謝の気持ちを伝える言葉のプレゼントだけで、きっとお父さんは喜ばれますよ。
そして出来れば、私の父を救ってくださったお医者様のように、自分を犠牲にしてでも相手の立場に立った思いやりをもった人に育ってくれたら、お父さんは涙を流すくらい喜ばれるはずです。

お金では買えない「プレゼント」は、きっとお父さんの心を豊かに満たすに違いありません。

150511GWが終わりましたが、皆さんどのように過ごしましたか?
旅行に行ったり、部活三昧だったり、もちろん勉強三昧だった人もいますよね。
先生は、というと全く違った二つの「式」に連続で参加してきました。
それは「結婚式」と「お葬式」です。
どちらにも続けて参加しての感想は、「二つの式は似ている」というものでした。
「めでたい結婚式と悲しいお葬式が似ているって何で!?」「縁起でもない!」と思う人がいるかもしれませんが、「お葬式」を悲しいもの、悲しまなくてはならないもの、ととらえているのは私たちの思い込みです。

世界にはいろいろなお葬式があるそうです。
例えば、ハワイでは、「死」を亡くなったひとの新たな旅立ちの記念ととらえて、フラダンスを踊ったり、スライドショーやビデオの上映などをしたりするそうです。こうなってくると結婚式と何が違うかわかりません。

そうです。先生はハワイ出身なのです。(ウソです。)

しんみりと悲しんだり、歌ったり、踊ったり、大声で泣いたりと、国、宗教、民族の違いなどで「お葬式」のとらえかたは随分違うようです。その全ては「こうあるべきだ」「こうに決まっている」という思い込みでできているのです。

今、君たちの前にある勉強のとらえかたも、君たち自身の思い込みに過ぎません。
自分は面倒な(と思い込んでいる)宿題、でも、楽しんでやっているA君もいるな。
自分は苦手な(と思い込んでいる)数学、でも、よだれをたらしながら喜んで取り組んでいるB君もいるな。
自分は覚えられない(と思い込んでいる)社会、でも、話し出したら5時間止まらないくらい詳しい歴女のCさんもいるな。

A君にも、B君にも、Cさんにもなれる可能性が君にはあります。

どうせなら「自分なら何でもできる!」という思い込みをしませんか?