君たちは「ノミ」を知っているだろうか。大きいものでも数ミリ、下手すると見落としてしまうほどの大きさである。しかし跳躍力においては世界新記録保持者である。何しろ自分の身長の800倍も跳ぶのだから。

このノミを使って1つの実験が行われました。ノミが跳び出そうとすれば飛び出せるぐらいの高さのガラスの広口瓶にノミを入れ、上にガラス板でフタをしておく。ノミは逃げ出そうとして何度もジャンプ、そのたびにガラスのふたにぶつかります。数日するとフタを取ってもノミは跳び上がって逃げようとはしません。

次の実験はカマスという魚を使いました。中央をガラスで仕切った水槽の片方にカマスを入れ、もう片方にはえさをぶら下げておきます。カマスはエサを食べようとして何度もガラス板にぶつかります。そのうちにあきらめてガラス板をはずしても、エサを食べに行かずに餓死してしまいます。

人間はこんなことはないと思うでしょうが、実際に人間を使った実験や、実例があるそうです。1883年、オランダ。「3分の1の血液を失ったら死ぬ」ということをベッドに縛り付けた犯罪者に知らせておき、犯罪者の足の指をメスで切ります。そして足元の容器にはポタポタと音をたてて血液が落ちていきます。しばらくしてそばにいた医師が「まもなく3分の1になります。」それを聞いた犯罪者は静かに息を引き取りました。実は足には痛みだけを与え、血液の代わりに容器に水をたらして音を出していました。

また、アメリカのある鉄道会社では、社員が冷蔵庫の中で作業をしていましたが、外から扉を閉められ鍵を掛けられてしまいました。1日後にその社員が凍死しているのが発見されたそうです。しかし、冷蔵庫の電源は入っていなかったのです。

動物と人間の場合は少し状況が異なりますが、共通するのは「思い込み・あきらめ」が悲劇につながるということ。受験勉強もいよいよ本格化しますし、受験学年でなくても勉強が難しくなる時期です。「解けない・苦手」などの思い込みや、「どうせダメ・やってもムダ」とあきらめていませんか?

「学問のすゝめ」と言われたら、「福沢諭吉」とすぐに浮かびます。そう、あの1万円札の人ですね。
先生が初めて「福沢諭吉」について習ったのは小学校の頃でしたが、直後の小テストに出たので特に覚えています。
「学問のすゝめ」の有名なフレーズとして、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を強調して習いましたよね?
だから、先生は当時、と言っても実は最近まで、人類の平等を訴えた偉い人なんだと思っていました。素直な気持ちで。
しかし、少し前に突然気になったんです。平等を訴えることと、学問をすすめることに何のつながりがあるんだろう???
調べてみました。
そうしたら、その続きとして「と云えり」とあって、今風にいうと「言われている」になります。
あれ?伝聞?ちなみに、アメリカ独立宣言からの引用だそうです。
まぁ、そこからさらに続いて「実際は違って、貧富の差などがある→それはなぜか?→学問をしている人としていない人の違いだ→学問をしよう!」と、ちゃんと学問を勧めています。
ここまで知れば、タイトルにも納得がいきますよね?
ここまで来て先生は、もっと早く調べておけばよかったと思いました。そして、物事の表面だけしか見ていなかったんだと反省しました。
みんなにも、いままでは当たり前だと思って気にもしていなかったことや、気になったけど「まぁいいか」で済ませてしまっていることはありませんか?
勉強がいつの間にかただの作業になってはいませんか?
「なぜ?」を大切にしましょう。本来何かを新しく知るということは楽しいことです。
ただ、目の前のテストのために、または、受験のためにだけ勉強するのではもったいないと思います。
今勉強していることは、みんなの将来の幅を広げてくれます。そして、将来でもまた、みんなの幅を広げてくれます。
大人になっても勉強は続きます。常に自分を磨いていかないといけません。
より良い人材を社会は求めますからね。
だから、気になったら調べよう!どう調べていいかわからなければ先生に相談しましょう!
というわけで、これが先生の「学問のすゝめ」です。

みなさん、「古典芸能」というものを知っていますか。国語で学ぶ和歌や俳句、社会の歴史で語句として学ぶ能楽や歌舞伎などがそれに当たります。そういう言葉は知っているけれど、聴いたこと、観たことのある人は少ないと思います。先生の中学・高校の友人には地元では有名な能楽一家がいましたし、実家の近くには歌舞伎小屋様式で有名な劇場もあります。幼い頃から、先生の周りには「古典芸能」にふれる環境がありました。

そんな「古典芸能好き(?)」の先生が影響を受けた方の一人が、一度だけお会いしたことがある噺家(落語を演じる人)の故・桂枝雀さんです。枝雀さんの落語の話だけで何時間も語ってしまいそうなので、ここでは枝雀さんのよく言われていた「約束と想像」という言葉をみなさんに紹介したいと思います。

落語には、「座布団に座る」、「かぜとまんだら(扇子とてぬぐい)はこういうときに使う」という約束ごとがあります。また、聴く人、観る人の「想像力」がなければ、落語は成立しません。同じようにみなさんにも、能開生として、「日付とテーマを書く」、「赤線を引く」、「webテストに取り組む」など統一した約束があります。みなさんの一人一人の中には、「マーカーの色」、「ふせんの使い方」、「1週間の学習の流れ」といった工夫しながら作リ上げた勉強の約束があると思います。

では、勉強における「想像」とはどんなことがあるでしょうか。それは、今取り組んでいる勉強によって、自分がどうなっていくかをイメージすることです。「このノートまとめのおかげで来週の通常テストで満点をとれる」、「冬期講習会の小テストで1位を取る」、「合格発表を見てガッツポーズをする」、「医者になって苦しんでいる患者さんを助ける」など、近い未来から遠い未来までの自分を想像しながら勉強に取り組んでください。その「想像」がみなさんの勉強の「もうあとひと踏ん張り」に力を貸してくれるはずです。勉強における「約束と想像」を大切にして日々の学習に取り組んでいってほしいと思います。

昔のことばに『果報は寝て待て』というものがあります。『果報』とは努力した結果です。

つまり、やるべき事をやったら、結果がでるまで何もする事がない(寝て待つぐらいしかできない)という意味です。

君たちでいう結果というのは、テストの成績だったり、受験の合否だったり、部活の試合だったりすると思います。

しかし、ワンランク上を目指す君たちにはもう一つの言葉を知ってほしいと思います。

『果報は練って待て』

結果はもちろんよい結果を期待しますよね。

君たちにはよい結果を生むためにも、最大限の努力をしてほしい。なかなか結果でないと悩んでいる人もいるでしょう。悪い結果がでることを怖がってしまう人もいるでしょう。

大事なことは、結果を焦らず、精一杯の努力をし続けられるということです。
まじめに努力し続けている人にこそ、よい結果が出ると先生は思います。

そして、受験や試合などで力を発揮したら、結果を待つだけでなく、
次の目標を定めて、行動に移してほしいと思います。

あと数ヶ月で受験をむかえる人もいるでしょう。
合否を待っている間もただ待っているのではなく、次の目標を決めて行動してみましょう。