マラソン大会が好きな人っていますか。

先生はマラソン大会が大嫌いです。嫌いな理由はいくつもあります。まず、マラソン大会って、たいてい冬にありますよね。寒い中、白い息を吐きながら顔をゆがめて走っていました。「冬にする必要があるのか。」といつも思っていましたね。そして、マラソン大会って距離が長いことですね。その分時間もかかるわけですから苦痛を感じる時間も長いですよね。極めつけは、数日前から嫌な気持ちになることですね。「雨が降って中止にならないかな。」「当日、風邪をひかないかな。」と逃れる策をいつも考えていましたね。言うまでもなく元気に参加するわけですが…。

また、マラソン大会は、走っている途中でいろんな自分と出会いますよね。走っている時間が長いからいろんなことを考えます。急な上り坂で「走って越えるのはきついな、歩こうかな。」と甘える自分、きつい時に「腹が…足が…」と痛いフリをする情けない自分、他の人にどんどん追い抜かれていく時に「はは、みんな頑張るね。たかがマラソン大会なのに。」と強がる自分、ゴール直前で「最後ぐらいは順位を上げてやる!!」とスピードを上げる調子の良い自分。ずっと「リタイアしたい」と願う自分…。いろいろな自分と出会います。いろいろな自分と出会いながらも、最後はなぜか完走してしまいます。嫌々ながらも完走できるのは、きっと、リタイアすることが格好悪い、頑張って走っている人の姿が見えている、みんな同じ状況で頑張っている、ゴールで待っている友達や先生がいるなどという思いがあるからだと思います。スタートもコースもゴールもみんな同じだからこそ、最後まで頑張ってゴールを目指せるものなのです。

よくある話ですが、人生をマラソンに置き換えて考えてみましょう。
みんないろいろなことから、逃げようとしたり、言い訳したり、急にやる気を出したりしながらも前に進んでいますよね。その都度、いろいろな自分に出会っていると思います。マラソンには決まったゴールがあります。では、人生マラソンのゴールはどこだと思いますか。目の前の目標を達成した時がゴールではないですよね。「入試がゴールだ!」という人もいれば、「大学受験がゴールだ!」「就職することがゴールだ!」「夢を叶えることがゴールだ!」という人もいます。究極ですが「命つきるまで!」と言う考え方もありますね。一人一人ゴールの考え方が違うのです。

先生が思う人生マラソンのゴールは中学、高校、大学に合格した時でも、就職が決まった時でもありません。先生が思う人生マラソンのゴールとは「この先やり残したことがないと心から思えた時」だと思っています。当然、ゴールが変わればコースも変わってきます。人生マラソンは、普通のマラソンのように決まったコースをただ走っていれば必ずゴールに辿り着くものではないのです。人生マラソンのコースは一人一人違い、いろいろな場面で大きくコースが変わっていきます。

わかりやすい例をあげれば、受験ですね。受験の合否によって学校が変わるわけですから、コースが変わっていきますし、受験をするかしないかでも大きく変わりますよね。他に例をあげると、新学年の準備をして新学期を迎えるかどうか、部活でも習い事でも真剣に取り組むかどうか、目の前の宿題を真剣に取り組むかどうか、ものごとを計画的にやるかどうか、暗記する時に書いて覚えるのか見て覚えるのか。人生マラソンは、自分で楽なコースを選ぶことも、あえて厳しいコースを選ぶこともできます。今までに「あの時こうしておけば良かった」「やった方が良いのはわかっているけど…」と思うことが多々あったでしょう。そういう時は、長い目で考えてみるとうまくいきます。

例えば、二週間後に大きなテストがあるとしましょう。目先の遊びを優先してテスト勉強をしないのか、二週間後のテストにむけて勉強を始めるのか。2週間後に幸せな自分になれる方はどちらかわかりますよね。このように、その時は楽をしているほうが幸せでも、長い目で見た時に幸せではないこともあります。迷った時、選択を迫られた時は、1週間後、1ヵ月後、1年後、10年後に「この選択で幸せになれるのかな」と一度考えて見ましょう。人生マラソンの攻略法は、長い目で見た時に「こっちの方が幸せになれる!」と思ったほうを選んでいくことです。あなたはどういうコースを選んで前に進んでいきますか。

こんにちは。
新しい年が始まって早くも一月が経とうとしています。
一年というのは長いようで短いものです。
一年365日、12ヶ月、週でいえば約52週間です。
52週と聞いてあなたは長いと思いますか。
短いと思いますか。
先生は短いと感じます。
光陰矢のごとしという言葉がありますが、
時間の過ぎるのは速いもの、
一年はあっという間です。
皆さんも新しい学年になったと思ったらもう……、という感覚はないでしょうか。
古典に「邯鄲の夢」というお話があります。
中国の唐の時代に書かれた小説「枕中記」の故事の一つです。
手短に言うと、
趙の国に廬生という若者がいました。
廬生は、人生の目標も定まらず、故郷を離れ趙の都、邯鄲に赴きます。
そして、そこで出会った呂翁という道士に自らの身の不平を語ります。
すると呂翁は夢が叶うという枕を廬生に授けます。
廬生がその枕を使うと、
崔氏(唐代の名家)の娘と出会い結婚し、
科挙(官吏登用試験)に合格し、
出世を重ね京兆尹(首都の長官)となり、
夷狄を破って勲功をたてて栄進することができました。
しかし、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷されます。
そこで三年を過ごしますが、
再び召されて宰相に上り、
それから十年間、よく天子を補佐して善政を行います。
しかし、今度は突然、無実の罪で逆賊として捕えられます。
思い悩み自殺しようとしますが妻におしとめられます。
ともに捕まった者たちは皆、死刑になりますが彼だけは流罪になり一命を取り留めます。
やがて冤罪であったことが皇帝に知れ、
再び呼び戻されて手厚く寓されます。
五人の子も高官に上り、
十余人の孫を得て幸福な人生を送り、
多くの人に惜しまれつつ眠るように最期を迎えます。
そして、ふと目覚めます。
すると呂翁に出会った当日であり、
寝る前に火にかけた粥がまだ煮上がってさえいなかった。
というお話です。
人の栄枯盛衰は所詮、夢幻に過ぎないということを表す話として知られていますが、
先生はこの話を知ったとき、合わせて時間は過ぎてしまえば一瞬ということを強く思いました。
雑多な日常の中でつい日々に追われてしまいますが、
だからこそみんなには夢・目標、志というものを持って日々、過ごしてほしいと思います。
夢・目標、志というと大きなものを考えがちですが、
小さくとも自分が誇れる夢・目標、志であればいいと思います。
どんな夢・目標、志であっても自分の中から自然と出てきたものであれば本物だと思います。
もちろん大志を抱いている人は、
その実現を目指して驀進してほしいと思います。
話が少しそれましたが、
とにかく時間というのはたくさんあるようであっという間に過ぎるものです。
今年も十二分の一が終わろうとしています。
新年度のスタートももうすぐそこに迫っています。
夢・目標、志を持って、もしくは探して、
今を大切にがんばりましょう。

皆さん、今一番興味・関心があることは何ですか?スポーツについてでしょうか?歴史のことでしょうか?星のことについてでしょうか?さまざまなものがあると思います。
昔から「好きこそものの上手なれ」と言いますが、先生もそう思います。なぜなら、自分の興味・関心が深いものであればあるほど、その分だけ調べたり、練習をしたりしますよね。
先生は、勉強というのは、こうした興味・関心を自分の力で切り開くためのものだと思います。
今まで知らなかったことに出会う喜びというのは、何よりもまして貴重なものだからです。君たちのこれからは、さまざまなことに自分から積極的に目を向けることが求められるし、君たち自身の力にもなってくれます。
先生がいろいろなことに目を向けてみようと思ったきっかけとなった、1冊の本があります。その本のタイトルは「ウルトラマン研究序説」と言います。
表紙にはウルトラマンがかっこよく登場する写真がデザインされているので、最初にこの本に出会ったときには「ウルトラマンや怪獣の本なんだろう」と思い、何も考えずに読み始めました。
しかし、この本はとても難しい本だったのです。十数名の著者がいるのですが、この人たちは、有名な大学の先生ばかりで、自分たちの研究していることから、真剣にウルトラマンのことについて研究しているのです。
たとえば、ウルトラマンは人間の姿からウルトラマンとして巨大な姿に変身しますが、どうすれば人間(大体175センチくらいの男性)から40メートル以上の大きなウルトラマンになるのか、ということを「量子力学」という学問を利用して解明しようとした物理学者。人間の骨はカルシウムでできていますが、ウルトラマンという大きな姿になったときには、カルシウムでは支えきれないはずだから、ウルトラマンの骨は何でできているのだろう、と考えた医学者。ウルトラマンが怪獣を倒したあとに残る怪獣の残骸は、誰が片付け、どのように処分するのだろう、と考えた環境学者。ウルトラマンが壊してしまった建物やコンビナートは誰が弁償する責任があるのだろう、と考えた法律学者・・・などなど、テレビで見ていたら「かっこいい」で終わってしまったであろうウルトラマンには、さまざまな視点でみることができることを教えてくれました。
興味・関心の幅を広げるきっかけになることは、人それぞれです。本によってかもしれません。先生から聞いた話かもしれません。そこから、自分から「どうなっているのだろう」と調べてみることが、君たちの知識の幅やものの見方を大きく変えてくれます。
今君たちがやっている「勉強」は、そうした興味関心を広げるために必要な「やりかた」なのです。今やっていること一つ一つは決して無駄にならないのだと思い、日々一生懸命努力してください。

毎日寒い日が続きますが、この季節になると、先生はものすごくお風呂に入るのが楽しみになります。家のお風呂にのんびりとつかるのもいいんですが、たまに温泉に行くのも楽しいですよね。

日本は世界的に見てもとても温泉の多い国です。先生もいろいろな温泉に行ったことがありますが、その中でも大好きなのが大分県の別府温泉です。別府には街中に本当にたくさんの温泉があります。源泉の数が2,800ヶ所以上で日本の総源泉数の約10分の1を占めています(すなわち温泉の10個に1個が別府にあるということです)湧出する湯量も日量137,000キロリットルで日本最大の温泉地です。

温泉に入るという時には多分旅館やホテルをイメージするかもしれません。別府にもたくさんの旅館やホテルはあるのですが、あまりそういったところには行きません。

だって街中をブラブラ歩いているだけで温泉がいたるところにあるんです。地図を片手に探してもいいのですが、あえて何も持たずに歩くとさらに面白いです。だいたい地区に1つの温泉があります。みなさんの住んでいるところにも「公民館」がありますよね。その「公民館」が温泉になっているのです。だいたい二階建てで、一階が温泉、二階が公民館というタイプが多いです。だいたい公民館とポストと公衆電話がそろっているところに温泉があります。面白いでしょ。

地元の人しかいないようなところですが、お願いをすると温泉に入れてくれます。ものすごく安くて、ほとんどの温泉が100円で入れます。中には無料で入れるところもあります。その代わり中には浴槽がポツンと1つだけ。洗い場もありません。浴槽の周りに直接座って、洗面器で中のお湯をくみ出して体を洗います。

みんなで使う温泉なのでいろいろなきまりがあります。なんでこんなきまりがあるのか、考えてみてください。

・体を洗ってから、浴槽に入らなければなりません。
 →体をきれいにしないと、お湯がよごれるからですよね。これは当たり前ですよね。
・洗たくをしてはいけません。
 →お湯をたくさん使ってしまうからです。
・浴槽のふちに座ってはいけません。
 →お風呂に入るときに手でさわる場所なので、おしりをつけるのはやめましょう。ということです。
 これは別府に行ってはじめて知りました。座っていて怒られたんですよ。
・歯をみがいてはいけません
 →直接床に座るので、その横で口をゆすいだ水を「ペッ」とされるのは気分がよくないですよね。

みんなで使う場所だから、みんなが気持ちよくお風呂に入ることができるように。と作られたきまりなのです。

でも、実は一番のきまりは「あいさつをする」ことなのです。
最初入った時はびっくりします。なにせよそ者の先生にあいさつをしてくれるのです。お年寄りも若者も子どももみんなあいさつをします。
入る時には「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」
最初はよそ者なので「誰だ?こいつは…?」というような目で見られるのですが、きちんとあいさつをして入ると
「どこから来たの?」「熱くない?水をいれようか?」「せっけん持ってるの?」
といろいろ親切にしてくれます。あいさつをすることで、「仲間」だと認めてもらった気分になります。とても温泉に入りやすくなります。

出るときには「お先に失礼します」と、誰かが出たら、みんなで「さようなら」というあいさつを普通にします。この「さようなら」が最初は慣れなくて、すごくこっぱずかしかったのですが、今ではすごくいい言葉だなぁ、と思っています。

能開にもいろいろなきまりがありますよね。
きまりが守れなくて怒られた人もいるのではないでしょうか?
「なんでこんなきまりがあるんだよ…。めんどくさいな~」と思ったことはないですか
なぜ、きまりがあるのかと言えば、温泉と一緒で、みんなが気持ちよく勉強するためではないかと思うのです。

そして、あいさつは、「ここから勉強に入るぞ!」という切り替えの合図なのだと思うのです。そしてみんな「仲間」として勉強をするからこそ、力がつくのではないでしょうか。

さぁ、新しい年のスタートですね。
元気なあいさつから、はじめていきましょうか!