梅雨も明け、本格的な夏がやってきました。日本で夏の風物詩といえば、高校野球。厳しい地区予選を勝ち抜いてきた高校球児たち、今年は甲子園でどんなドラマを見せてくれるのでしょうか。

高校野球は、よく筋書きのないドラマと言われています。今から紹介する夏の甲子園でのお話は51年前、たぶん君たちのお父さん、お母さんが生まれる前の出来事で、『空前絶後の大逆転劇』として、今も語り継がれている一戦です。

時は、1961年夏。夏は3回目の出場となる倉敷工と、この大会が春夏通じて初出場の報徳学園が1回戦で対戦しました。試合は9回まで0―0の投手戦で、そのまま延長戦に突入。そして迎えた11回に両チームが6点ずつを挙げ、追いついた報徳学園が12回に勝ち越し点を挙げ、奇跡のサヨナラ勝利を挙げたというものです。試合の経過をスコア表で表すと

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計算
倉敷工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 6
報徳学園 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 7

となります。

この試合のハイライトは、いうまでもなく11回です。11回表に相手のエースを打ち崩し、6点を挙げた倉敷工の監督は、ほぼ勝利を確信したそうです。その裏、報徳学園に反撃を許しますが、2死ながらも得点差が4点もあったため、これまで好投していたピッチャーを休ませるために降板させ、怪我から復帰した本来のエースをマウンドに送ったことに、それが表れています。一方、報徳学園の監督は、ほぼ負けを覚悟していました。「とにかく1点だけでも取ろう」と選手に激を飛ばしたそうです。常識的に考えて、10回まで1点も取れなかったのに、いきなりの6点差。完封負けだけでも免れたいという気持ちが、本音だったと思います。ところが、選手が予想以上の粘りで、ついに同点まで追いつきました。こうなるともう勝負ありです。12回裏のサヨナラ勝ちはもう必然の結果とも言えますね。

この奇跡ともいえる逆転劇は、報徳学園選手ひとりひとりに、1分1秒でも長く憧れの甲子園でプレーをしたいという想いと最後まであきらめないという強い気持ちが野球の神様に届いたからではないかと思っています。今から各教室で、夏期講習会が始まります。特に受験を控えている生徒は、この夏が勝負です。1分1秒を大切に、最後まであきらめないという強い気持ちで臨みましょう。そうすれば、勉強の神様が君たちに微笑みかけてくれるはずです。

今日できることを100として考えて、今日より0.2パーセントの改善を試みたとしましょう。次の日には100.2できるようになります。10日目には101.8とすこしできるようになります。これを続けていくと1年365日後には207.3になるのです。すごいですね、1年間に約2倍になりました。

この0.2パーセントの改善は前の日と比べると少し良くなることなら何でもいいのですよ。「挨拶の声を少し大きくする」「家の事を今より少し多く手伝う」「朝起きる時間を10分早くする」「嫌いな食べ物を一口食べるようになった。」など毎日少しずつできることでいいのです。できることは1年間で約2倍で、2年で約4倍、3年で約9倍になります。

皆さんの周りに、1年前はたいしたことなかったのに、今はすごくできるやつ、となっている人はいませんか?その人は地道な改善を毎日繰り返している人かもしれませんね。
皆さん、日々の生活の中にこの0.2パーセントの改善を取り入れてみませんか。ほんの少し昨日より今日、今日より明日の改善をしていくことで将来できることの幅が広がっていきますよ。必要なことは、続けること、早くスタートすることです。

みなさんは、「世界がもし100人の村だったら」という話を知っていますか

これは、2001年頃にインターネット上で広まって、世界的に流布した世界の人々の相互理解、相互受容を訴えかける文章のことです。
日本では、中野裕弓さんが翻訳した文章が最初だと言われています。その一部を紹介します。


もしも世界が100人の村ならば

もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
その村には・・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

(中略)

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています

(以下略) ※中野裕弓 原約 「もしも世界が100人の村ならば」より

全文はこちらから
http://www.romi-nakano.jp/100people/index.html


このお話は、そんな風に、今の世界を分かりやすく100人の村にたとえているのです。
一度読んでみてください。そして、考えてみてください。
自分は人よりも恵まれていると思いましたか?
そんなかわいそうな人がいるのかと思いましたか?
人それぞれいろいろな感想があると思います。
この話の重要なところは、1つの村であるところです。
決して別々の村ではない…。
我々は共存しているのです。
私たちは誰のために勉強しているのでしょうか?
自分のためですか?
親のためですか?
私たちは人のために何かをしたときに幸せを感じる生き物です。
他人のために勉強しましょう。
それは最後には自分に返ってきます。
今やっている勉強は人のためになる!
そう思うとなんだかやる気が出てきますね。

今日はスベンサー・ジョンソンの「人生の贈り物―あなたの捜し物は何ですかー」について話しします。

このお話は、老人と少年のお話なのですが、少年は老人から「かけがえのないプレゼント」の話を聞きます。それを貰った人は、いつまでも幸せでいられるという不思議なプレゼント、かけがえのないプレゼントを探す。少年の長い旅はじまります。
皆さんは、一生の1つの素敵なプレゼントとは何だと思いますか?
それは、お金ですか?お仕事ですか?愛する人ですか?家族ですか?お友達ですか?
文中で、老人が少年にヒントを出します。
それは、『きみを幸せにする力は、きみにしかないんだよ。きみにしかね』
そうなんです、かけがえのないプレゼントとは、願いごととは関係がなく、人から貰うものでもなく、自分が自分に与えるものなのです、
原書のタイトル『The Precious Present』を直訳すると『かけがえのないプレゼント』となりますが、Presentには『贈り物』という意味のほかに、『現在』という意味もあり、『プレゼント』に『現在』をかけているという意味もあります。

現在とは、ありのままということで、それがかけがえのないことなのです。
何故、そうなのかわからなくても。現在は、そうなるべくしてなったものなのです。
その現在を知り、現在を受け入れ、過去でもなく未来でもない、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。そして、自分を否定することは、何よりも大事なものを否定することなのです。
思い通りにならなかった過去。どうなるかわからない未来を思い悩むのではなく、現在の瞬間こそが、唯一、経験出来る現実。だから今が大切なんです。今やらないといけないんです。
皆さんも瞬間、瞬間を大切に生きていきましょう。自分の将来のために。

勉強でもスポーツでも仕事でも何かに取り組んでると、必ず調子の波があるものです。いつも順調なときばかりではありません。調子の波が落ちて、思うように事が運ばないことも起こってきます。そんなときは気力や体調も衰え気味で、あせったり、「もうダメだ」と悲観して悩んだりしがちです。これが、いわゆるスランプです。

順調、不調の波の大きさは人によって違いはありますが、だれにでも起こることです。あのイチロー選手でも、年に二、三回は必ずスランプに見舞われるそうです。
じつは、こういうスランプのときこそ、次の飛躍のためのエネルギーを貯えるチャンスなのです。結果のことは考えないで、やるべきことを着実にくり返していけばいいのです。いずれ調子は回復してきて、気付いたら以前より一段高いところに進んでいるはずです。

見方をかえれば、スランプは飛躍の前兆なのです。たとえば、みなさんが勉強をしていて調子が落ちてきたとしても、それは決して能力がなくなったからではなく、もっと能力を発揮できる前兆なのです。心配したり落胆したりせず、むしろその状態を歓迎していいのです。

もし、わたしは人よりスランプの回数が多いと感じている人がいたら、それだけ向上するチャンスに恵まれていると考えましょう。あるいは、あまりに大きなスランプに見舞われていると感じたら、それだけ実力が高く評価されていると思ってください。

何もしないことをスランプのせいにはしないでください。
決して逃げず、歩みを止めず、堂々と前に進み続ける。これこそスランプに立ち向かう最善の策です。