200225今、日本でも新型コロナウイルス感染症が広がりつつあり、テレビや新聞で毎日のように報道されていることは、皆さんも知っていると思います。

この病気は感染してもすぐに症状がでないため、多くの人が不安に感じていますが、ここはできるだけ冷静に考える必要があります。なぜならこの病気の致死率は、中国以外で計算すると0.2%程度であり、【MERS(マーズ)の時は約34%、SARS(サーズ)の時は約9%】、健康で免疫力がある人であれば、感染しても重症化することは少ないと見られているからです。

大切なことは、正しく注意して予防して、この病気を広げないようにすること、つまり、手洗いやうがいを実行して、自分を守る行動をとることです。体温を測って毎日の記録を付けることも有効です。
そして、パニックにならないことも大切です。例えば、あせって必要以上にマスクや消毒液を買い占めることも、気をつけなければなりません。
最後にもうひとつ、他人の感染を疑って事実でない噂を広げたり、病気と疑われた人を差別することも、してはいけないことです。

また能開の教室が閉鎖になった場合は、お休みの期間は、朝礼ビデオや授業ビデオがインターネットで配信されるほか、ビットキャンパスのウェブ到達度テストを使うことができるので、安心して自分の勉強を進めてください。AI学習もまもなく自宅で出来るようになる予定です。

何か難しい問題が起こった時に、どのような行動をするかで、その人の価値が分かると言われます。能開で学んでいる皆さんも、自分がどういう行動をすべきかを考えて、毎日の生活や勉強に取り組んでほしいと思います。

200217「さあ、今日の朝礼を始めます!」(先生)
「え~?先生、朝ちがうで。すでに夜ですよ!?」(いつも屁理屈をこねる生徒A)
「業界用語で、始礼のこと『朝礼』と言います!」(先生)
「業界?どんな業界。始礼でエエやん!」(クールなファッション、ジャニーズ系の生徒B)
「学習塾業界です(笑)。その中でも、特に『能開』はね!」(先生)
「はい、起立!」(ガッシリ体格、ニキビ面の生徒C)
「勝手に言うな!いつもマネして言うたらアカンで。」(先生)
「はい、気を付け!」(しゃべり出したら止まらない、口数の多い生徒D)
「またマネするか?」(先生)
「はい、礼!」(部活動止めてしまい、足繁く能開に通う生徒E)
「コラ、先生のマネばかりするな!」(先生)
「はい、礼!」(先生)
「お願いします!(笑)」(クスクス笑いながら、いつも笑顔の生徒たち)
「はい、着席!」(先生)

先生は、いつも君たちとの会話を楽しんでいます。「今日は、どんな言葉の掛け合いになるのか?」と。いつもワクワクして「朝礼」に臨みます。しかし、今日の朝礼は「一度きり」の朝礼です。前回の朝礼と違うし、次回の朝礼とも違います。「今日の君たちが発する言葉」と「先生が受け止める言葉」とで化学変化が毎回起こります。その化学変化で起こった、その場の雰囲気、空気というものは「今までになく、これからもない一度限りのもの」です。その「一度限りの」朝礼を君たちに楽しんでもらいたい。先生も楽しみたい。「今、この場」を大事にしよう。そして「この一瞬」を大切にしよう。二度とない人生なんだから、この瞬間を有意義に君たちと共に先生は過ごしたい。

能開の楽しいは、この「愉しい」だ。次元の高い「楽しさ」なんだ。先生一人では決して作れない。君たちがいるから創造できる「愉しさ」なんだよ。「人生二度なし」。何かの御縁で巡りあったのかもしれない。その御縁に先生は感謝します。そして共に学び、共に育ち、共に生きる。この二度とない「学習空間」を、今日も君たちと一緒になって創り上げていきます。

これから始まるゼミ授業、「心の準備はできていますか?」。これから魂と魂のぶつかり合いが始まります。その化学変化が、能開の一斉「授業」です。「心に感じたこと」を大切にして下さい。心で感じたものは決して忘れない。その感性、感受性というものが君たちの未来における「自己表現」として開花します。人生は、一切自己表現なり。先生の好きな言葉の一つです。それでは、ゼミに入ります!心の準備はできたかな?

「アーユーレディ?」(先生)
「先生、俺ら女性(レイディ)とちゃうで(笑)」(最近、英語に興味を持ちだした生徒F)
「ごめん、ごめん。先生、発音悪いからな。ジャパニーズイングリッシュや!」(先生)
「いつも先生、オヤジギャグばっかりやん。」(娘のように、ツッコミを入れてくれる生徒G)
「誰がオヤジや!まだ小やじ(コヤジ)や!」(先生)
「昭和やな~。」(平成生まれの生徒H)
「時代は、令和になったぞ。心して行くぞ!」(先生)
「先生、今日もオデコが光ってる。」(勉強苦手、大嫌いの生徒I)
「アタマは砂漠化、サヘルや!」(雑学が強い、社会にしか興味を示さない生徒J)
「育毛してるの?」(いつもストレート勝負、直球をなげてくる生徒K)
「増毛(ぞうもう)ありがとう!いや、どうもありがとう!小学生からピカチュウと言われたわ(笑)」(先生)
「…。先生、寒い!」(ほとんどの生徒たち。)(笑)

2002103先日、久しぶりにテレビで女子マラソンを見ました。「大阪国際女子マラソン」です。その前にテレビでマラソンを見たのも、2年前の「大阪国際女子マラソン」でしたから、何か不思議な縁があるのでしょうか。ちなみに、今回も2年前も優勝したのは、「松田瑞生選手」でした!これまた何かの縁?
今日は松田選手ではなく、テレビの解説をされていた、Qちゃんの愛称で知られる「高橋尚子さん」のお話をしたいと思います。今回は親しみを込めて、「高橋選手」ではなく、「Qちゃん」と書かせてもらいます。

皆さんの中でQちゃんの現役時代を知っている人はほとんどいないのではないかと思いますが、先生にとって「Qちゃん」は間違いなくスーパースターの一人でした。
Qちゃんは、今から20年前、2000年のシドニーオリンピックで、女子マラソンで日本初の金メダルを獲得したすごい選手でした。
そのレースを見ていて今も強く印象に残っていることがあります。
Qちゃんは、レース当日の直前、顔からは笑みがこぼれ、非常に余裕のある態度を見せていました。体を横に動かしながら、歌を歌う素振りを見せるぐらいでした。他の選手たちが一様に緊張でこわばった表情をしている中で、その様子は一際目立っていました。Qちゃんは、もちろんふざけているのではありませんでした。もしかしたら、Qちゃんも緊張していて、緊張を和らげるために、わざとそうしていたのかもしれません。
さて、いざレースが始まって、Qちゃんの見事なレース展開ぶり、そして感動的な結果を私たちは目の当たりにすることになりました。近年、レベルの高くなった日本女子マラソンの歴史の中でも、燦然と輝く初の金メダル獲得!
にもかかわらず、Qちゃんはレース後にこんなセリフを残しました。
『とっても楽しい42.195㎞でした!』

この言葉を聞いた時、初めてQちゃんのレース直前の余裕ぶりの理由がわかりました。Qちゃんは、世界中の誰よりも厳しい練習をこなして、オリンピックに臨んだのだと思います。そして、『表彰台の1番高いところに上るのは、この私だ!』という確信をもって、レースに臨んだのでしょう。誰よりも練習した確信があったからこそ、自然に出た余裕だったのだろうと思います。そう、レースが始まる前に、すでに勝負はついていたのです。レースが行なわれるまでの練習量で、勝負はついているのです。同じことが、君たちが挑もうとしている様々なものにも当てはまると思うのです。
当日に頑張るのではない。当日までに頑張るのです。1日1日を大切に頑張るのです。

例えば兵庫県の場合、公立高校の一般入試が3月12日ですから、今から31日間、時間で744時間、分で44640分あることになります。その時間をどう使うか。それによって、勝者と敗者が決まります。敗者になりたい人なんていません。誰もが勝者になりたいです。じゃあ頑張ろうよ。1日1日、毎日が真剣勝負です。そして、今からでもまだ、力は付けられます。そのための、大切な1日1日です。

最後に、Qちゃんが恩師からもらった言葉を紹介します。

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」

200203EXオープン模試、いかがだったでしょうか。満足いく出来だった人、そうでない人…感想は人ぞれぞれだと思います。

さて、今まさにみんながやっている「勉強」。大人になって、社会に出たら、どんな風に活かされるものなのでしょうか。
実は先日、とある生徒からこのような質問を受けました。「学校や塾でやってる今の勉強って、大人になってから役に立つものなの?」ひょっとしたらみんなの中にも、同じような疑問を抱いたことがある人がいるかもしれませんね。
今日はそんな人たちに、一人の女性を紹介したいと思います。

今から約200年前、19世紀のイギリスに、鋭い知性で世間の常識を疑い、一人で闘った気高い女性がいました。
彼女の名は、フローレンス・ナイチンゲール。そう、おそらく世界で最も有名な看護師です。
みんなはナイチンゲールと聞いて、どんな女性をイメージしますか。「天使のような看護師」「戦場の兵士たちを看護した女性」などと答える人が多いと思います。たしかにそれも間違いではないのですが、ナイチンゲールが歴史に名を残した理由は、もっと別のところにあります。
彼女は、ただひたすらに看護に尽くしただけの女性ではありません。「事実としての正しさ」を見極め、大きな「課題発見」を成し遂げた女性だったのです。

ナイチンゲールは元々上流階級の生まれで、当時の常識では看護師という仕事は決して社会的評価が高いものではありませんでした。そんな中、彼女は周囲の猛反対を押し切り、看護師になるという道を選び、見事その夢を叶えます。
ちょうどその頃イギリスは、ロシアとオスマン帝国(トルコ)の間で勃発したクリミア戦争に巻き込まれていました。戦地では、医師や看護師が極端に不足していた状態。34歳のナイチンゲールは、看護師団を率いてクリミア戦争の戦地へと赴きます。

もし、このクリミア戦争への派遣がなければ、ナイチンゲールの名はほとんど誰にも知られないまま消えていたでしょう。さらには、看護師という仕事も、社会的地位が低いままだったかもしれず、現代人の平均寿命さえ今より短いままだったかもしれません。
いったい彼女は戦地で何を見て、何を考え、どんな行動に出たのか。ナイチンゲールがその本領を発揮するのは、ここからです。
ナイチンゲールが戦地で見たもの。それは、床が腐り、壁には汚れと埃がこびりつき、いたるところに害虫が這いまわる、あまりに不衛生な病院でした。さらに、医療器具や薬品、ベッドや石鹸、タオルなども不足している、とても病院と呼べない惨状です。
この戦地の病院で、ナイチンゲールは不眠不休で働き、最初の冬だけで2000人もの臨終に付き添い、重態の患者ほど彼女自身が看護にあたりました。そこで彼女はある「事実」に気がつきます。

戦場の兵士が死んでしまうこと。つまり戦死すること。この「戦死」という言葉を聞いて、みんなはどんな姿をイメージしますか。銃弾や砲撃にさらされ、深い傷を負い亡くなってしまう。そんな姿を思い浮かべるのではないでしょうか。少なくとも当時のイギリスの「常識」はそうでした。
ところが、ナイチンゲールが戦地で見た現実は、全く違います。戦場で負傷した兵士たちは、不衛生極まりない病院に送り込まれ、医療物資も生活物資も不足する中で、感染症に罹患することによって、結果として本来は助かったはずの命が失われていたのです。「戦場の兵士たちは、戦闘行為によって亡くなるのではなく、劣悪な環境での感染症によって亡くなっていた。」それがナイチンゲールの結論でした。

彼女は政府に対して「戦地の衛生状態を改善してほしい」と訴えなければなりません。しかしこれは、政府や陸軍に対して「あなたたちは兵士を無駄な死に追いやっている」と告発することでもあり、政治的なスキャンダルにも繋がりかねない話です。
恐らく普通のやり方で改善を求めても、認められないでしょう。そこでナイチンゲールが使った武器が、看護師に進む以前にずっと学んできた「数学」であり「統計学」だったのです。最初にナイチンゲールは、クリミア戦争における戦死者の死因を「感染症」「負傷」「その他」に分類し、月別に集計していきました。
その結果、例えば、1855年1月の場合、感染症による死者が2761人、負傷による死者が83人、その他の死者が324人というデータが集まりました。その後、彼女は「コウモリの翼」と呼ばれる独自のグラフを考案し、死因別の死者数を一目で分かるようにビジュアル化しました。当時はまだ、棒グラフも円グラフも普及していなかった時代。それでもたくさんの人にこの事実を理解してもらおうと、オリジナルのグラフまで作ったのです。
こうしてナイチンゲールは、ヴィクトリア女王が直轄する委員会に1000ページ近い報告書を提出し、どんな権力者であろうとも反論できない「客観的な事実」を突き付けたわけです。その結果、戦場や市民生活における衛生管理の重要性が知れ渡り、看護師という仕事が再評価され、感染症の予防にも大きく貢献していくことになりました。
もし、彼女が数学や統計学の素養を持たない、善良なだけの看護師だったなら、目の前の患者を助けることに精いっぱいで、医療体制や衛生管理の構造的な欠陥に気づくこともなかったかもしれません。また、仮に気づいたとしても、それを裏付けるデータがなければ彼女の意見に耳を貸す人はいなかったはずです。

戦場の兵士たちを救い、不衛生な環境に暮らす人々を救い、イギリスはもとより世界の医療・福祉制度を大きく変えていったのは、看護師としてのナイチンゲールではなく、統計学者としてのナイチンゲールだったのです。

さて、今やっている勉強が大人になって役立つのか。その答えはもう分かったはずです。君たちが今行っている1ページの努力を侮らないでください。その積み重ねが、新たなナイチンゲールの出現に繋がるのですから。