さて今日は歴史のお話です。

みなさん、日本の歴史の始まりは縄文時代ですよね。
(本当は旧石器時代もあって、そこには遺跡と土器のねつ造という悪い意味で歴史に残る大事件があるのですがそこはおいておきます。
興味があれば調べてみてください。
文字通り教科書を塗り替える大事件だったのです…)
さてその縄文時代の内容として皆さんが覚えるもの、何がありました?
縄文土器。
土偶。
竪穴住居。
狩りや採集の生活。

そうですね。
その通り。
ではその生活で出たものを捨てる場所は?
そう、貝塚です。
貝などを捨て、当時の暮らしを知ることができる遺跡。
その通りです。

昔は「ゴミ捨て場」と言われていましたが、最近は「ゴミ『など』を捨てた」という表現に変わっていることが多いです。
まあ人骨も出てきていますので、人骨はゴミとは言いませんね。

では皆さん、なぜ当時の暮らしを知ることができるのが貝塚だけなのでしょうか?
山や平野にも当然人々は暮らしていたはずです。
その人たちもゴミを捨てなかったはずはありません。
その人たちの捨てたゴミはなぜ出てこないのでしょうか?わざわざ貝塚までゴミを捨てにいったのでしょうか?

答えは実は中学理科にあります。
皆さん、貝の主成分は何か知っていますか?
貝は「炭酸カルシウム」という物質で主にできています。
これは酸と反応する、すなわちアルカリ性の物質です。
酸性の物質は、周囲のものを腐食させる性質がありますが、アルカリ性の物質と反応することで中和が起き、腐食作用がなくなるのです。

実は日本の土地はほとんどが酸性で、地中で眠る物質の多くはそのまま腐食し、消えてしまいます。
しかしアルカリと反応し中和反応が起きることで腐食がなくなり、当時のままの姿を残すことができます。

つまり、「貝塚以外にもゴミは捨てられていたが、それらは腐食し、貝が捨てられていた場所だけが腐食から逃れることができた」が正解なのです。

社会で習う出来事にも、理科や他の科目の知識が関わってくるのですね。

「貝塚」という用語だけ覚えてもダメ。
そこに「なぜ?」が加わることで、科目を越えた学びが生まれます。
皆さんも「なぜ?」を大切にすると、新しい発見が学びが生まれるかもしれませんね。

みなさんに趣味と呼べるものはありますか?
辞書を調べると趣味とは「専門としてではなく,楽しみにすること」とあります。
先生の専門は「みなさんと一緒に学習する」ことですから趣味と呼べるのは「読書」が一番にあげられるかもしれません。
最初の一冊と自ら言えるのは中学1年生に読んだ北杜夫先生の「船乗りクプクプの冒険」です。
そこから始まり、現在は自宅に約5000冊の本が所狭しとおいてあります。
小説だけでなく詩集も専門書もあります。

先生の好きな詩人は金子みすゞ先生と中原中也先生です。
特に金子みすゞ先生の「星とたんぽぽ」は、大人になった今でも大切にしている詩です。
その中に「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
」という一節があります。
詳しくは読んでほしいので省略しますが、見えぬものの代表として「昼間の星」と「枯れたたんぽぽの根」を描いています。
この「見えぬもの」と「見えないけれども」の表現方法にしびれるのです。

みなさんの周りを見渡してください。
見えないけれども間違いなくあるものが存在しますよね。
そう、成績というものには表れていないけれども、そこに至るまでにやってきたことは間違いなくみなさんの中に存在しますよね。
それらは「お空の星」や「地中の根」に匹敵するのです。
そう考えると結果に表れなくとも学習し続けることに価値が見えてきませんか?
見えないけれどもまちがいなくそこにあるもの。
信じて日々過ごしてみませんか?

現代の生活において無くてはならなくなったスマホ。
最新の調査結果によるとスマホ保有率は小学6年生で約65%、中学3年生では約80%にもなるそうです。
生徒の皆さんにも普段からスマホを使っている人は多いのではないでしょうか。

ただ、そんな身近にあるスマホですが、最近になって脳に及ぼす悪影響がわかってきました。
ある調査結果によるとスマホを長時間使用している子供は、そうでない子供に比べるとテストの結果が悪くなる傾向にあるそうです。
もちろん、スマホを使用している時間が長ければ長いほど勉強時間が減りますし、睡眠時間が減ることによって集中力が低下し、そのような結果になっていることも否定できません。
しかし、勉強時間や睡眠時間を同じ条件にしてもその傾向は変わらなかったようです。では、その原因は何にあるのでしょうか??

もともと、スマホは人間を楽にするために作られた道具です。
当然、楽になればなるほど脳は活発に働くことはありません。
そこで、脳の中に使われない機能ができてしまい、結果的にその機能は衰えていくそうです。
これがテストの結果にも影響しているということです。

ドキッとする調査結果ですが心配はいりません。
長時間スマホを使用している子供の使用時間を1時間未満に抑えることで、脳の中の使われていなかった機能が発達し成績は向上していったそうです。
鍛えれば再び発達していくなんて人間の再生能力は素晴らしいですね。

さて、いよいよ新学年がスタートしていきます。
新しい学年のスタートは何かを切り替えるにはちょうど良いタイミングになります。
スマホだけでなく何か悪い習慣があるのであれば、これを機に切り替えてみませんか?
小さな変化であってもゆくゆくは大きな変化になることもあります。良いスタートを切っていきましょうね。

美しいと言う字の由来の話です。
羊が大きい、大きな羊と書いて「美」しいとなります。
漢字の語源は諸説ありますが、古代中国では羊は貴重だったため、大きな羊は美しいと評されたとか。

今回はもう一つの「大きな羊」のお話です。
この話はお世話になった私の上司が、皆さんのように卒業する生徒に向かって
「あなたたちにこういった人間になってほしい」
と卒業生への最後のメッセージとしてお話していた内容です。
私も毎年最後に集まるであろう生徒に向けてこのお話をします。

古来遊牧民たちは羊をつれて生活をしています。
羊は臆病な動物でもあり、常に群れをなして生きています。
その群れの中には、親子羊、兄弟羊、まだ生まれたばかりの赤ちゃん羊もいます。
草をたくさん食べながら、家族のような大きいコミュニティで愛を育んでいました。

その平穏な羊の生活の最大の天敵は「狼」です。

そんな時、その羊たちを狙って狼の群れがやってきました。
羊たちは一斉に逃げ惑います。
必死の思いで、子供羊達を庇いながら、親羊達は一生懸命逃げます。
狼達は容赦無く、羊の群れの周りをグルグル回り、羊の群れを小さく固めて迫ってきます。
もはやこれまで!と一網打尽に狼に襲われそうなったその時、羊の群れの固まりから飛び出し、逆らって走る1匹のひときわ大きな雄羊がいました。
群れのリーダーです。

狼たちは驚き一斉にその大きな羊に襲いかかります。
その隙に群れの羊たちは狼と逆の方向に逃げることが出来ました。
リーダーの羊は狼に敵うわけもなく、大きな羊とはいえ狼達に1匹の羊が敵う訳もありません。

最後まで血を流し、戦い抜き死んでいきます。
自分以外の全ての羊を守って。
血で真っ赤に染まった最後を遂げる姿を見た遊牧民らは、尊敬と感謝の意味をこめて「美しい」と称えたといいます。

ここでの教訓は、自己犠牲の美談ではありません。
見た目だけの美しさだけではなく、「本当の美しさ」とは、の本質があると思います。
これから皆さんが、たくさん勉強して、色々学び、能力や人間力を高めていくと思います。
またそうなってほしいと思います。
いずれ社会に出て、時に「力あるもの」は組織や周りを引っ張っていく存在、「リーダー」になっていくことでしょう。
その力を何のために使うか?なぜその力を持つ存在なのか?その時に考えてほしい。

力強きものが、その力を誇示するものではなく
その能力や立場を自分の為だけに使うのではなく

周りの為、周りの人のために、体(身)を挺して、守ってあげるような、優しさと強さを備えた、美しい大きな人(たいじん)になってほしいと思います。