「どうして正義のヒーローは悪者を殴っていいんだろう?」

これは『10歳からできる 自分のあたまで考えること』という本の中で問いかけられた問題です。みんなはどう考えますか?

今日はいつもみんながしている勉強とはちょっと違う勉強のお話をしてみたいと思います。
みんなが、学校や塾でいつも解いている問題は必ず答えがありますよね。
でも、答えがない問題が身の回りにはたくさんあります。
たとえば「勉強はどうしてしないといけないの?」と聞かれたら、みんなならどう答えますか?
むむむ、それはやらないといけないからです。勉強が好きだからです。○○になりたいからです。修行だからです。など人によって答えはいくつもあり、どれが正解ということはありませんよね。むしろ、どれも正解かもしれません。
ちなみに私は、将来の選択肢を増やすために勉強するのだと思っています。

さて、このような答えのない問題を考える力が算数や国語の力と同じくらい必要になってきています。

でも、こんな答えのない問題をいつも考えてはいませんよね。
学校や塾の宿題をしないといけないし、予習や復習もしっかりしておきたいから、そんな問題をじっくり考える時間はないかもしれません。

けれど、普段の生活をちょっと振り返ってみると、ニュースを見たときに「どうしてだろう」と思ったり、マンガやアニメ、ドラマの登場人物の気持ちを理解しようと色々考えたりすることはありませんか?
これも人によって答えがたくさんある、答えのない問題だと思います。

実は、みんなは普段から答えのない問題を考えているのではないでしょうか。

何かを一生懸命考えて、頭の中がグルグルしてしまうこともあります。そんな時は、お家の人や友達に話したりして、別の意見も取り入れながら自分の考えはこれだなというのを見つけるのもいいかもしれません。

こうやって考えることで、きっと思考が柔らかくなってどんなことにも対応できる“あたま”が完成していくと思います。

勉強の合間にでも、答えのない問題を周りの人と話してみると面白いと思います。
きっと、いろんなものの見え方が変わってくると思いますよ。

ある夜、部屋でJSB3・ØMIのBLUE SAPPHIREを聴いていたとき、窓からふと空を見ると、きれいな三日月が出ていました。その日は雲一つなく、あまりの美しさに、しばらく時間を忘れてじっと眺めていました。

月と地球は兄弟星のようなイメージがありますが、実際、「潮の満ち引き」や「暦」など、人類とは切っても切れない関係を持ちながら共に歩んできました。そういった長年の深いつながりから、月にからんだ伝説も、太古から数多く残っています。

「月の桂」という言葉を知っていますか。古代中国では、月には約1500mもの高さの桂の木が生えていると考えられていました。昔、月に奇妙な男が住んでいました。その名は「桂男(かつらおとこ)」。本名は呉剛と言い、元々は唐の西河にいましたが、あるとき、月の宮殿に咲く桂の花に不老不死の効能があることを知り、満月の日だけにかかるはしごを使って、それを採りに月へ行きました。そこで、彼は花を独り占めしようとしたために神の怒りを買い、罰として、その巨大な桂の木を斧で伐ることを命じられます。しかし、斧を入れても伐り口はすぐにふさがってしまうので、彼は桂の木を永遠に伐り続け、不老不死のまま、月に閉じ込められました。桂男の伐採の調子が良く、どんどん枝が伐り落とせたときに月はどんどんと欠け、伐られた枝から新しい芽が出てぐんぐんと木が伸びるときに月は満ちる。月の満ち欠けには、そんな言い伝えがあります。

桂男が永遠に木を伐り続けているように、月もまた、地球の周りを休むことなく永遠に回り続けています。もし月がなかったら、地球は超高速で自転し、地軸の傾きが変わることの影響も受け、恐らく多くの生命が絶滅するでしょう。逆に言えば、月のおかげで、地球環境が絶妙なバランスで成り立っているのです。当たり前のように存在する月のありがたさに改めて気付かされました。そんな神秘的で清らかな月を愛でるときは、やはり遠くから眺めるのがいいですね。(月への感謝も忘れずに。)

皆さんはQRコードを使ったことがありますか。四角の枠の中に模様があって、それをスマホやスキャナーで読み取ると、ホームページが開いたり、お金の支払いが完了する仕組みです。今では日本だけでなく世界中のお店でもこのQRコードが広く使われるようになり、現金を持ち歩かずに買い物できる便利な仕組みとして広がっています。

実はこのQRコードは日本人が作ったものです。元々は自動車部品の会社が工場で部品を管理にするために作られました。それまでは二次元バーコード(横長の帯のようなもの)が一般的でしたが、盛り込める情報が限られていたため、もっとたくさんの情報を盛り込めて、エラーが出ずに安定して使えるものとして開発されたのです。

この開発を命じられた社員は、2年かけてQRコードを作り上げました。どんな角度からも瞬時に読み取れるようにするため、QRコードの3つの隅に「回」のような記号を置くアイデアを思い付いたそうです。また、工場の中で少しくらい汚れたりや破れたりしても、安定して読み取れる仕組みも取り入れています。

この会社はQRコードの特許を取得しましたが、使用をオープンにして、誰で自由に使えるようにしました。せっかく作った便利な仕組みを、出来るだけ多くの人に使ってもらうためです。おかげで私たちは、買い物や旅行やコンサートなど、様々な場所でこのQRコードを使い、便利な生活を送ることができているのです。

世の中の役に立つ仕事を、皆さんも大人になったらぜひ取り組んでみてください。

みなさんにも、好きなものと嫌いなものがあると思います。

たとえば、食べ物ではどうでしょうか。(食べ物の好き嫌いはよくないですが…)
どんな順番で食べますか?

好きなものから食べるひと、嫌いなものから食べるひと、それぞれいると思います。

色々どちらも理由があります。嫌いなものを先に食べるひとは、好きなものは後で食べても、お腹がいっぱいでも大丈夫なので、先に嫌いなものを食べて気分が楽になることが理由のひとつでしょうか。

では勉強(家で宿題をやる時)の場合はどうでしょうか。

嫌いな科目から先に取り掛かると、元気で新鮮な気持ちの間にがんばることができて、好きなものは後からでもがんばれるし、気がかりなことが先に済んでいれば、気分が楽になりますね。

嫌なことから逃げずに立ち向かうことが、何でも大切です。

今日4月4日は、1年に12日ある「月」と「日にち」の数字がゾロ目になる日となります。

「4」という数字は「死」という言葉と同じ音読みで死を連想してしまう人も多く、

昔から不吉と言われている数字です。

そんな「4」という数字が連続している今日ですが、数字が持つマイナスなイメージとは真逆の「幸せの日」と記念日に制定されているのを知っていますか?

3月3日の女の子の日とされる「桃の節句」と、5月5日の男の子の日とされる「端午の節句」のほぼ中間にあり、女の子の子(し)と男の子の子(し)が合わさり、「しあわせ」と連想できることから、すべての子どもの幸せを願い制定されました。

同じ「4」という数字でも、ドイツなどヨーロッパでは十字架の神聖な十文字を表すため、この記念日と同じようにラッキーナンバーとしてプラスのイメージが持たれています。

新生活が始まり新しいことに挑戦する中で、上手くいかずにマイナスなイメージを持つことがあるかもしれません。

そんな時は別の視点を持つことで、「4」の数字のようにプラスのイメージに変えて取り組んでいきたいですね。

兵庫県ではつい先週、高校入試の合格発表がありました。

生徒のみんなだけではなく、私も一緒になって頑張ってきたつもりなので、結果はとても気になりました。今回は、個人的に嬉しい気持ちもあれば、悔しくてやり切れない気持ちもあった高校入試でした。

今日は、私の中で思い出に残った生徒の話をしたいと思います。その生徒は、ある高校を志願していて、合格できる寸前まできていました。でも残念ながら、当日、その子の番号はありませんでした。長く能開でがんばってくれたのに、残念な気持ちでいっぱいでした。

合否発表の後、その生徒とお母さんが私のところまで来られました。これだけ頑張ってもらったのに申し訳ない。私はそんな気持ちでしたが、案外その生徒の表情は晴れやかでした。「やり切ったから後悔はありません。逆にいうと、次に何をしないといけないかが見えてきました。」と、その生徒は言いました。ある意味、私より立派だなと思いました。

みなさん、本気で頑張った後に仮に結果が出なかったとしても、気を落とす必要はありません。逆にそのことで、次に何をするべきかが今までより明確に見えてくれば良いのです。それがきっちり見えるまで走り続けてください。

走る方向が正しいかどうかは、結果が出てみないとわかりません。だけど、走らないと結果も出ませんからね。この春期講習会、短い期間ですが、全力でやってみましょう。何か一つでいい、今までやらなかったこと、嫌でできなかったことを一つやってみる。そんな春にしてください。

プロのスポーツ選手はそのスポーツをすることで報酬(給料)を受けます。高い給料をもらっている選手がいる一方で、一般的なサラリーマンよりも低い給料しかもらえない選手もいます。その差は何なのでしょうか。当然プロなので能力が高くなければ活躍できませんが、能力が高くても評価されない選手はたくさんいます。人の価値は「どれだけ多くの人から必要とされているか」で決まると考えます。

何もかも一生懸命なA選手がいるとします。練習時は物凄い量の練習をし、試合時は敗戦寸前でもあきらめず、勝とうとする姿勢を崩しません。後輩は「あの先輩があれだけ練習するのだから、自分も負けずに練習しよう!」と思う。そんな風に思う選手がたくさん出てくれば、間違いなくそのチームは強くなるでしょう。また観客は「全力でやっている選手のために大きな声で応援しよう!また試合を見に行って応援しよう!」と思う。そうするとチームの関連会社の売り上げが上がります。A選手はチームからもファンからも必要とされていてそのチームには欠かせない存在であるため、給料は必然的に上がっていきます。そしてその結果A選手はこう思うにちがいありません。「もっと結果を出して、ファンを喜ばせたい!より一層頑張るぞ。」

もうすぐ新しい学年になりますね。あらためて、まずは与えられた課題をしっかりこなしましょう。やりきることで学力はもちろん、忍耐力や集中力、苦手から逃げない心など社会に出てからより求められる人間力が高まります。2022年度も頑張っていきましょう。

皆さんは、「人生で最も苦しかったこと」を問われたら、何を思い浮かべるでしょうか。

私はいくつか思い浮かぶ中で、迷わず「高校行事のマラソン大会」を挙げます。
「たかが高校のマラソン大会で…」と思われるかもしれません。
ですが、私が通っていた高校のマラソン大会の距離は約50km。
加えて、当時の私の体育の通知表は「2」で、マラソンもクラスではビリから2番目。
高1のときは約40km走ったところで時間切れ。高2は約30kmのところで足が攣(つ)ってリタイヤ。

高3までには一度くらいは完走したかったので、私なりに努力しました。
行事の半年ほど前から、走行負荷を減らすためにダイエットすることから始め、1ヶ月前から放課後に1時間ほどランニング。
足が攣(つ)ることの対策で塗り薬を準備。
準備が功を奏してか、順調なペースで約40kmの地点へ進みますが、ここで思いがけないアクシデントが起こります。
なんと「空腹」で走ることができなくなります。ヨタヨタと歩くのがやっと。
ですが歩くペースでは時間切れになるのは間違いない。
中継地点でもらった食べ物を手に取ろうとリュックの中を漁りますが、出てくるのは食べ終わった「バナナの皮」「みかんの皮」…。
周りは土手道で、お店どころか自販機一つありません。
私は意を決し「みかんの皮」を口にします。(バナナの皮は硬すぎて食べられませんでした)
あんな「皮」でも意外にもエネルギーはあるもので、なんとか残り10kmを走り切ることに成功します。

家に帰って家族に完走の報告をすると、よほど意外だったのか、非常に驚かれました。
私自身も、長く越えられなかった壁を越えた実感があります。

3月も中旬を迎え、中学・高校・大学と新たな道へ進む人たちもいると思います。
これから進路が決まる人もいるはずです。ときには苦しいこともつらいこともあるでしょう。

みなさんには「苦境を乗り越えた経験」を大切にしてほしいと思います。
「苦しいけど、あの時よりはマシ」「あのとき頑張れたから、今回も頑張れる」
苦しさも、必ずみなさんの糧になると信じてください。
よい新生活を。

皆さんは、「習慣は第二の天性」という言葉を聞いたことがありますか?
元々はヨーロッパのことわざを翻訳した言葉であるそうですが、私は漫画を読んでいて、この言葉を知りました。

意味は、「身についた習慣は、生まれつきの性質・才能のように深く身についている」というものです。
悪い意味では、いくら才能があったとしても日々の生活を怠ってしまうと、その才能を開花させること無く、人生を送っていくと考えられます。
良い意味では、生まれもった才能があまり無かったとしても、充実した生活・習慣を過ごしていれば、生まれ持った才能を超えることができる、と考えることが出来ます。

天才だけが広い世界で活躍するのではなく、どんな人でも、今まで積み重ねてきた努力が習慣となって、当たり前にこなせるようになることで自分の力がどんどん伸びていくのだと思います。

さて、3月に入り地区によっては新学年が始まりました。
そして今週は宿題点検の日です。
改めて、今日までの1週間を振り返ってみて、この1年はこの習慣をつける!と思える良いスタートは切れましたか?
振り返った後は、より自分が成長できるような良い習慣を考え、次の1週間で実行していきましょう。

最近、テレビ番組(ほんまでっかTV)に出演をされていた斎藤孝先生の「子どもと声に出して読みたい実語教」という本を読みました。斎藤孝先生は明治大学文学部の教授です。実語教とは平安末期~明治初期まで広く用いられていた初歩の道徳の教科書です。

江戸時代では寺子屋でも広く活用されていました。斎藤先生は「実語教」のことを「日本人千年の教科書」と呼んでいます。よく考えると1000年間も読み続けられた教えってすごいですね。その中には心に残る教えがたくさんあったのですが、今日はその一つを話してみたいと思います。

実語教の中に
「習い読むといえども復せざれば、只(ただ)隣の財を計うるが如し。」
とあります。どういうことでしょうか。

勉強をするのも、本を読むのも、一度だけではなく繰り返しやらなければ、ただ隣の財産を数えるようなものです。それだけでは自分のものになりませんよ。という意味です。

昔の人は、いい本を何度も何度もすりきれるほど読みました。今は、インターネットの時代で情報はいくらでも手に入ります。勉強に関しても、問題集や参考書もあふれていますが、それを一度読んだだけ、解いただけでは理解をできたとはいえません。

今から予習をしたいので、新しい知識が必要ですという人は別ですが、今まで習ってきたことで身についていないと感じている人は、繰り返し繰り返し、今までしてきた問題集を自分のものになるまでやってみましょう。中学3年生であれば百戦錬磨ですね。

良い問題集を何回も繰り返しやって解き方を完全にマスターしてしまうと、初めて見る問題でも「これはあの問題とあの問題の組み合わせだな」と気づくようになります。応用ができるのです。1回や2回解いただけだと、なかなかそこまいきつきません。

受験前になると、何か別に新しいことをしないと…と、浮足立つ生徒もみられますが、そういう時こそ、今までやってきたことを自分のものにできたという感覚までやってほしいですね。