Aくん「先生、この問題って、先に引き算をするんですよね」
先生「ちがうよ。割り算をしてから、引き算だよ」
Aくん「ですよね(笑)」

このやりとりがおかしいと感じますか。感じなければ、あなたも「ですよね」くん危険度大です。
本来なら、Aくんの最後の台詞は「ああ、そうでした。僕が間違っていました。」または、「ああ、そうか、僕は勘違いしていました。」などになるはずです。Aくんは、この問題がわからなかったか、自信がないので確認したかったはずです。でも、自分がこんなことを質問するのははずかしいので、わかっているんだけど、ちょっと確認してみたフリが、この「ですよね」に込められていると思われます。

これを「知ったかぶり」といいます。実はこれが勉強の最大の邪魔になります。
勉強に限らず「素直な」子どもは、ドンドン伸びます。知らないことは恥ずかしいことではありません。間違えることから、勉強は始まります。「そうか、そういうことか」「今度は、間違えないようにしよう」という気持ちが、はっきりしていればしているほど、記憶は鮮明に残るのです。それが、知ったかぶりをすると、それがあいまいになってしまうのです。

残念なことに、大人にも「ですよね」くんはいます。でも、周囲の人たちは気が付いています。「ああ、この人は、本当はわかってないのに、素直にわからないって言えないんだな」ということを。その方が、もっと恥ずかしいとは思いませんか。

さあ、卒業シーズン前に、みんなは「ですよね」くんを卒業しよう!

野球が大好きだった身長136㎝の小さな少年は、生徒数わずか80名ほどの小さな海辺にある中学校に入学。その中学校には、部活が軟式テニス部とバレー部と卓球部の3つしかなく、好きなものを選ぶという状況ではありませんでした。でも、軟式テニス部は非常に強く、全国大会で個人・団体とも優勝経験があるほどの実力があり、魅力を感じていました。しかし、残念ながら部活選択の最終日までにラケットを準備できなかった少年は、しかたなくバレー部に入部しました。

 ネットの前に立ち、おもいっきりジャンプする少年。その当時のネットの高さは、2m20cm。身長136cmでは手を伸ばしてもネット上部までは 50cm以上はあり、何度ジャンプしても手はネットを越えることはありませんでした。

 身長が伸び、ジャンプ力もつき、中2の始めにようやくネットから手が出るようになり、セッターとしてレギュラーに定着。試合にも何度も出場しました。その間、何度も何度も、敵のアタックを止めるためのブロックに挑戦。しかし、一度も成功せず。ブロックでは、まったく戦力にならない状態が続きました。

 中学を卒業し、高校でもバレー部に入部。ネットの高さは、一気に2m43cmに上がり、中学での身長やジャンプ力の成長はすべて帳消しとなりました。再びネット上部から手が出ないところからのスタートです。

 ところが、バレーを始めて6年目の高校3年の5月、高台にある高校との練習試合での出来事でした。少年は、初めて納得のいくブロックに成功したのです。ネットからわずかしか出ていない手に、敵のエースが強烈にアタックしたボールが、偶然にもジャストミートしたのです。大量の汗が流れていたので、チームメイトには気づかれませんでしたが、目からは涙が流れていました。周囲から見れば、試合中の一瞬の小さな出来事に過ぎません。でも、少年にとって40歳を過ぎた今でも忘れることのできない大きな出来事になりました。

 中学入学から大学卒業まで、数え切れないほどの試合の中で、数え切れないほどブロックにチャレンジし、納得できるブロック数1。淋しい限りの数字です。でも、この「貴重な1は、他のどの数より大きい」と、おじさんになった少年は今もなお思っています。

年末年始、あわただしい時期ですが、受験生にとっては正念場です。
毎回のテストに一喜一憂し、志望校の選択に悩み、毎日の勉強の多さに苦しんでいる人もいることでしょう。

今回言いたいのは、受験を他人事のようにやらされていると感じてしまうことがある人、そして、普段から「〜しなければいけない。」「本当は〜したいけど、〜だからできない。」ということをつい口にしてしまう人に対してです。
受験は自分のこと。自分が受けたいから、やりたいからやっているんだと愚痴を一つもこぼさず取り組んでいる人には言うことはありません。

世の中に「〜しなければいけない。」ことなどありません。
「本当は〜したいけど、〜だからできない。」ということを口にすることがあるけれど、本当にしたいことがあるならそれをすれば良いんだ。
本当のところは、「本当は〜したい」と言っていることより、妥協しているほうが自分にとって楽だから、好ましいから、自分がそうしたいから「できないこと」を選んでいるんだ。

自分がとっている行動は、全て自分が選んだ「やりたいこと」なんだ。
もちろん、「〜しなければいけない」と思っていることを「やらない」選択をする自由が君にはある。つまり、受けたくない志望校を受けなくてよい自由が、勉強しないことを選択する自由が、君にはある。

それでも、受験をすると、その志望校を受けると自分で選んだんであれば、自分が選んだことに潔く、「私は〜したいからこの受験をする!」と取り組んでいこうよ。

自分の人生を他人事にしちゃだめだ。

自分の将来は自分で選ぼう。