140929夏が過ぎ、あっという間に10月を迎えようとしていますね。
10月を英語ではOctober(オクトーバー)といいますが、これに似た英単語を皆さんは知っていますか?
octopus(オクトパス)、日本語では『タコ』のことです。
この二つに共通する部分は“oct”これはヨーロッパで昔使われていた「ラテン語」という言語で『8』を表す言葉です。
Octopusは8本の足という意味で、タコを示します。イメージしやすいですね。

では、なぜOctoberが8月ではなく10月なのでしょうか。

そもそも10月=Octoberはローマの暦に由来します。

ローマの暦には1月2月がなく、現在でいう3月が1年の始まりだったのです。
3月から数えていくと10月は8番目、それで「8番目の月」=“October”とあらわすようになりました。

同じように9月は「7番目の月」=“September”、11月は「9番目の月」=“November”
12月は「10番目の月」=“December”と表します。ちなみに「~番目の月」という名称がついているのは9月~12月で、1~8月は神様の名前や皇帝の名前などが由来となっています。

「1年が3月から始まる」というとなんだかしっくりこないかもしれませんが、日本でも学校などの新学年は4月から始まりますよね。似たような感覚と思ってください。

また、1年が3月から始まるからこそ、2月だけほかの月に比べて短いことや、閏年には2月に1日加えることも納得できますね。

“October”という単語ひとつでも、いろいろと知識は広がります。知識を広げることで、そこにまた新しい発見が生まれてきます。当たり前のことや、何気ないものを掘り下げることにより知識は広がります。勉強の秋、これまで以上に深い勉強をし、知識を広げていきましょう。

140922今年の夏は、たくさん雨が降りました。
雨のせいでみなさんの夏休みの予定が変わってしまったことも多かったでしょう。日本全国でも雨に悩まされたニュースがたくさんありました。
先生が子供だったころ、雨が降って遠足など楽しみにしている時に「雨なんか降ってほしくないなぁ。」なんて文句を言うと、「自分たちが毎日食べているお米や野菜は雨がないと育たない。作物を育てて生活をしている人にとって、雨は大切なものなのだから、そんなばち当たりことは言っちゃいけない。」と、おばあちゃんに怒られたものです。
 “鬼雨”と“喜雨”という言葉があります。どちらも「きう」と読みますが、鬼のしわざかと思えるような激しい大雨、長い日照りの後でようやく降った恵みの雨、というまったく正反対の意味を持つ言葉です。

日本はそれほど大きい国ではないにもかかわらず、季節ごとに、また土地ごとに様々な雨が降ります。昔から日本には雨を表す言葉がたくさんあります。
例えばおなじみの“梅雨”。「ばいう」とも「つゆ」とも読みますが、六月から七月にかけて降る長い雨を表す言葉は中国、朝鮮半島の一部と日本にしかないのです。

さらに日本では、
初夏に降り若葉からしたたる“青梅雨”「あおつゆ」、
激しく降ってはサッと止む“男梅雨”「おとこつゆ」、
しとしと長い“女梅雨”「おんなつゆ」、
集中豪雨となる“荒梅雨”「あらつゆ・あれつゆ」、
ほとんど降らない“空梅雨”「からつゆ」
など、いろんな表現があります。

“時雨”「しぐれ」は秋から冬にかけて降ったり止んだりを繰り返す雨のことですが、
朝方に降ったり止んだり“朝時雨”「あさしぐれ」、
北風とともにやってくる“北時雨”「きたしぐれ」、
京都の北山の風物詩“北山時雨”「きたやましぐれ」、
冬の紅い花が咲く頃に降る“山茶花時雨”「さざんかしぐれ」
など、風情ある呼び名が多くあります。

他にも四季折々に“五月雨”、“村雨”、“霧雨”、“氷雨”、“私雨”、“洒涙雨”などがありますが、みなさん全て読めますか? “神立”、“銀竹”、“狐の嫁入り”、“桜ちらし”、“山茶花ちらし”、“麦喰らい”、“大根ずり”、“なごの小便”など、雨という字を使わない雨の呼び方もたくさんあります。どんな雨かは是非調べてみてください。
また、“雨降って地固まる”、“晴耕雨読”など雨にまつわることわざや熟語・慣用句も国語の授業でたくさん学んできました。
最近知ったのですが、“桜雨”という苗字の人が存在するそうです。なんだか風流な名前ですね。

このように日本にはたくさんの雨の言葉があるのはなぜでしょうか。
日本人は長いあいだ、雨に悩まされながらも雨に恵みを受け、雨ととともに生きてきました。だからこそ日本人は、どこの国の人よりも雨の恐ろしさを知り、雨のありがたさを知っているのだと先生は思います。日本人ほど雨が好きな国民はいないのではないでしょうか。

みなさんも今度雨が降った時には、この雨はなんていう名の雨かな?どんな名前をつけようかな?など、雨に思いを巡らせて見てください。今まで憂鬱だった雨の日が、なんだか愉しくなるかもしれません。

140916みなさんは、言葉の意味を調べるときに国語辞書を使っていると思います。先生も先日、辞書である言葉の意味を調べました。
その際、調べた言葉と同じページにあった別の言葉の解説に驚かされました!
思わず辞書の名前を確認すると「新明解国語辞典」。インターネットで調べてみると国語辞書の中でも、言葉の意味や使い方に独特の表現を用いているということで有名な辞書でした。

いくつか個性的な解説を他の辞書(「大辞林」)と比較してみます。

「はまぐり【蛤】」
(大辞林)マルスダレガイ科の二枚貝。内湾の砂泥地にすみ、殻は丸みのある三角形で、殻長8センチくらい。
(新明解)遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。
⇒辞書に味の感想が書いてあるとは、とてもめずらしい。また、人によって普通は違うのではないでしょうか。先生にとっての普通の貝は「あさり」です。

「れんあい【恋愛】」
(大辞林)男女が恋いしたうこと。また、その感情。
(新明解) 特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
⇒とっても情熱的に表現されていることに驚きです。

「ぼんじん【凡人】」
(大辞林)普通の人。
(新明解)自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。
⇒自らを高める努力を怠ってはいけないと、戒められた気分になります。

辞書にのっている言葉は、辞書なので決して間違った意味ではありません。しかし、独特の解釈が非常に興味深いですね。このおもしろさに惹かれ、先生は、今では気になる言葉をすぐに探すようになりました。

ところでみなさんは、現在、学校の宿題や能開の勉強が、ただの「こなすための勉強」になっていませんか?能開の宿題はちょっぴり量も多いため、その気持ちもわかります。
しかし、参考書を見比べてみたり、調べた単語の近くの単語に寄り道してみたり、資料集の端っこに載っている実験や写真を確認することの方が、ずっと記憶に残るものです。

10月にはオープン模試も開催され、中3生は公立模試もスタートします。毎週のゼミの宿題で「本物の力」をつけていくためにも、勉強の道草をしてみませんか。

140908長かった夏休みもあっという間に終わりましたね。
今年の夏休みはどうでしたか?よいものにできたでしょうか?

ちょっと遅いですが、夏といえば…。いろいろ思い浮かべますが、先生は真っ先に「海」を思い浮かべます。
だから毎年必ずすることがあります。それは「ふるさとの海に入る」ことです。

先生のふるさとは、瀬戸内海の小さな島です。周りは海に囲まれていたので、海は当たり前にあるものでした。
小、中学生のころは、それこそ毎日泳ぎに行っていました。みなさんがプールに行くようなものです。潮の満ち干きによって1日に泳げる時間が決まっていました。だいたい3~4時間くらいなのですが、それを中心に1日の生活の予定が決まっていました。
時間になると「命札」というかまぼこ板に自分の名前や連絡先を書いたものを手ににぎりしめて、海まで走っていきました。海まで走ると2~3分で着きます。天気だろうが、雨が降ろうが平気で泳いでいました。
高校は隣の島まで船で通いました。授業中、窓の外に目をやると、海が見えました。毎日の生活の中にいつも「海」が普通にありました。

今はふるさとを離れているので年に1回か2回くらいしか帰れませんが、それでも毎年海に入ります。
能開の先生をし始めてからは7月8月は忙しいので、いつも夏休みの最後に、少しだけでもふるさとに帰るようにしています。つかの間の夏休みです。シーズンではないので海には誰もいません。それでもふるさとにもどって、海を見て、足だけでも海に入ります。さすがに今は泳ぎませんけどね。

海をぼーっとながめていると、いろいろな思いが頭をめぐっていきます。
楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、くやしかったこと…。
一通り考えると、不思議なことに「よし、やるぞ!」という気持ちになります。変わっているかもしれませんが、先生の1年間はここに区切れ目があります。そして、「よし、またがんばるぞ!」という気持ちになります。

夏休み、よくみなさんはがんばりましたね。ここからが本当の勝負です。
でも、ずっとがんばり続けるって、すごく大変なことですよね。切り替えってものすごく大切です。学期のスタートは切り替えのチャンスですよ。みなさんはどんなことをすれば気持ちが切り替わりますか?

もしかしたら海を見ると気持ちが切り替わるかもしれませんよ。

140901皆さんは音楽が好きですか?
先生はクラシック音楽がとても大好きです。

「クラシック」といえば、非常に堅苦しくて、聞いていて眠くなる…を思う人がいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。「クラシック」と呼ばれる音楽が作られた当時にしてみれば、私たちが考える「流行歌」と大して変わらない位置づけだったんですよ。
だから、「クラシック」と呼ばれる音楽は、当時の流行やメッセージがふんだんに盛り込まれているんです。その中の一つを紹介しようと思います。

先生のお気に入りの曲の一つに「序曲1812年」という曲があります。作曲者はピョートル・チャイコフスキー。「くるみ割り人形」などを作った人として非常に有名です。
しかしこの曲は、クラシック音楽の中でも非常に珍しいことですが、通常楽器としては扱われないものを楽器として使われていることで知られています。
何だと思いますか?それは「大砲」です。なんで?と思うかもしれませんが、実はその理由はタイトルからもわかります。

1812年という年は、フランス史上最大の英雄であるナポレオンがロシア遠征を行って、大損害を出して撤退する年です。ロシアでは、今でもロシア遠征を「祖国戦争」と呼び、誇りに思っています。
この年は、ヨーロッパ史においても非常に重要な年です。当時無敵だと思われていたナポレオン率いるフランス軍がロシア軍に大敗したという事実は、ナポレオンのことを快く思っていないヨーロッパ各国に勇気付けることになり、後のナポレオンの滅亡へと繋がっていくきっかけとなったからです。

さて、「序曲1812年」は、フランス軍がロシアに攻めてくる様子や、ロシア軍がフランス軍をやっつける光景を表現しています。その最大の盛り上がりを見せる部分で「大砲」の出番がやってきます。「大砲」を用いることで、ロシア軍がフランス軍をやっつけたことを強調しているわけです。

チャイコフスキーはこの曲の作曲をとても嫌がりました。彼は友達への手紙の中にも、「この作品を愛情もって作ってはいない」といっているくらいです。それでも、彼は短期間でこの曲を完成させて発表しています。するとロシア国内で大反響を巻き起こし、世に知られる曲となりました。ただし、この曲はフランス国内ではほとんど演奏されることはありません。だって「フランスが負けた」ことを表現している曲なのですから。

先生が君たちに伝えたいことは、「芸術作品」として世に残っているものには、それぞれの背景があり、作曲者の思いや意志が込められているということです。

「読み取る」ということは、単に「国語の問題で正確に答えを出す」というだけではありません。なぜそういう結論に至ったのかということを掘り下げて考えることこそ、真の「読み取り」なのです。
皆さんにはいろんな本に接して欲しいと思います。いろんな情報に接して欲しいと思います。その中で、いろんなことがわかってきます。ぜひいろんなものに接してください。いろんなことを体験してみてください。

皆さんには、多様なものの考え方やものの見方を持って欲しい、そう先生は願っています。