160926Ⅱ期に入って早1ヶ月が経とうとしています。まだ暑いなと思っていたのが、いつの間にか秋の感じが深まりつつありますね。

秋という字は、穀物を表す禾部(のぎへん)と、穀物を乾かす火を組み合わせた会意文字です。したがって、秋は「収穫を深く喜ぶ」時期でもあります。一方で、冬に向かう季節でもあるので物寂しさを感じる季節でもあります。そのことからも、秋にまつわる和歌も数多く残されてきました。その中でも3つの有名な和歌があることを知っていますか?

寂しさは その色としも なかりけり 槙(まき)立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ(西行法師)
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ (藤原定家)

この3つの和歌は「三夕」(さんせき)と呼ばれ、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる名作として知られている和歌です。この3つの和歌のことも、この作者のことも知っている人もいるかもしれません。三首とも、秋の風景の中に寂しさと美しさの両方を表現しようとしています。
ところで、三首の作者のうち、「見渡せば~」の作者である藤原定家は今日、9月26日に没しています。この「見渡せば~」の和歌は、彼が24歳のときに詠んだもので、2つ目の和歌の作者である西行法師から勧められて作った和歌の中にある作品だそうです。​

藤原定家は、「新古今和歌集」の撰者としても、「小倉百人一首」の撰者としても知られている中世を代表する歌人ですが、彼のことを調べていくと、実はとても頑固な人だったことがわかります。
23歳のときに宮中で仲間に侮辱されて殴りかかり、官職から追放されるという事件を起こしたり、どんなに当時の権力者であった後鳥羽院が褒めても、自分で作った歌が自分では気に入らないからと、新古今和歌集に入れることにひたすら反対したりするなど、折り紙付きの強情な性格だったようです。後に後鳥羽院のおしかりを受け、謹慎を命じられるのですが、この謹慎の間、「源氏物語」や「土佐日記」といったさまざまな書物を書写したことで、多くの平安文学が後世に残ったとも言えます。また、彼が残した「明月記」という日記は、当時の社会のようすや天候などを細かく記録していることからも、高い評価を受けています。

定家自身はとても癖のある人だったようですが、君たちにも見習ってほしいことがあります。それは「こだわりを持つ」ということです。
定家は、自分の和歌の考え方をよりしっかりとさせるために、古典の勉強を惜しみませんでした。何が良くて何が悪いのかをその膨大な勉強の中で作っていったのです。だからこそ、権力者であっても自分の意見を曲げない自信が生まれたのだと思います。
特に中3生の皆さん、来週からは公立模試が本格的にスタートしますね。毎週の模試を受け、授業を受け、その上で訂正ノートを作っていかなければなりませんし、百戦錬磨などの問題もどんどん取り組んでいかなければなりません。大変なことであることは十分にわかっています。しかし、その大変な作業を積み重ねることによって得られる自信は、誰にも負けないものになるはずです。これは中3生だけに限った話ではありません。能開で勉強するすべての皆さんにいえることです。胸を張って今やっていることを全力で取り組んでいってほしいと思います。必ず皆さんの力になりますから。

160920気がついたら秋の気配がし始めてきました。今年の夏はどうでしたか?様々な経験をしたと思います。楽しいことや苦しいこともあったでしょうね。夏といえばお祭り。お祭りの楽しみといえばたくさんの屋台ですよね。
昔、先生が必ずねらっていたのは「金魚すくい」でした。たくさんすくっては、家で飼っていた記憶があります。その中で1匹だけ、10年以上生き延びた金魚がいたことを思い出しました。

やってきたばかりの金魚は、エサを入れると、ものすごい勢いで食いついてきます。金魚すくいの屋台のおじさんは、エサなんかくれませんからね。ところが、数日、数週間経つと、エサに反応しなくなります。いつでも好きな時に食べればいいと、ぐうたらな金魚になってしまうのです。

1か月後、別の祭りで取ってきた金魚を入れます。エサを入れるとどうなるか。新たに入れた金魚は、われ先にエサに飛びつきます。当然です。で、面白いことに、ぐうたら化した金魚もそれに釣られて、うそのように動き出します。そうやってどんどん大きく、大きく成長した金魚は、鯉のように大きくなりました。

最初は小さな金魚鉢に入れて飼っていたのですが、あまりにも大きくなるものですから、どんどん大きな入れ物に入れ替えていきました。金魚鉢が水槽に、水槽が最後には池になりました。
「ここまで長生きしたんだから、池を作ってやろう!」と父が言って、なんと庭に池が作られました。

父が「金魚鉢の法則」というものをその時話してくれました。
金魚は金魚鉢の大きさによって体型が変わると言われています。小さな金魚鉢では、小さな金魚のまま。大きな金魚鉢では、大きな金魚へと成長する。だから、この金魚には池が必要だと言うのです。

当時は「ほんとかなぁ…」と疑っていましたが、金魚だけに限らず、これは人間にも当てはまるような気がしています。

夏に講習会や合宿、様々な経験をみなさんはしてきました。講習会が金魚鉢としたら、合宿は池でしょうか?これから2学期に行われるオープン模試や全国統一小学生テストはもっと広い湖や川かもしれません。みなさんにはもっともっと大きなフィールドがあります。どんどん大きくなって、大海へと泳ぎだしてほしいと思います。

逆に金魚鉢の中に入ったままで、ぐうたら化した人はいませんか?そういう人は周りをよく見てみましょう。Ⅱ期から入った新たなメンバーが、がんばっていませんか?エサをばくばく食べるように、負けないようにがんばりましょう!!

160912「当たり前のもの」は、当たり前のものですから、普段、意識することはあまりありません。ただ、「当たり前のもの」が当たり前ではない体験をすると、あらためてその大切さに気づかされます。

夏合宿に参加して、あらためて保護者の方のありがたさを感じた人も多いのではないでしょうか。
ありがたみを感じるよりも、あまりに当たり前になりすぎていて、「何でこんなことを自分でしないといけないんだ」、「何でこれがないんだ」、「家と料理の味付けが違う、量が足りない」と不満や苛立ちを感じた人もいるかもしれません。
それは、裏返せば保護者の方のおかげで日常がいかに恵まれているかということの証明です。

先生も、例えば、水道が突然、使えなくなるといったことが起こると、「あぁ、いつも蛇口をひねるだけで水が出るなんて、なんて水道ってありがたいんだ」と思う前に、「何で出ないんだ。まったく」と思ってしまいます。
蛇口をひねれば、きれいな水が必要なだけ出てくるということが、あまりにも当たり前になってしまっているからです。
しかし、あらためて考えてみれば、「当たり前のもの」というのは、長い年月をかけ、様々な人たちの努力によって「当たり前のもの」になったものや、様々な人たちの貢献によって「当たり前のもの」として維持されているものなのです。

保護者の方だって、みんなと同じようにやるべきことがたくさんあり、色々と大変なことがある中で、みんなのために様々なことを行ってくれているのです。

水道にしたって、古くは紀元前2,500年ごろに栄えたモヘンジョ・ダロにはすでにあったといわれていますが、様々な人たちの知恵と努力の結果、今の形になったのです。そして、様々な人たちが、日夜、維持に努めてくれているから、いつでもきれいな水が出るのです。

ちなみに、先生の家は、小高い山の頂上付近にあるのですが、家の近くには、室町時代に作られた石造りの水路があります。その水路は、常にきれいな水を懇々と流し続けています。先生の家の周辺では、二世代前まで、実際に生活用水としてその水を使っていたそうです。数百年たっても実用に耐えうる石造りの水路を、機械など無い時代に、数kmつないだ人たちの行いには頭が下がります。

みんながいずれ直面する受験にしたって、生まれや育ちにかかわらず、全ての人が平等に様々なものを学び、自由に職業を選択できるように、先人たちが知恵を絞って生み出したシステムということもできると思います。

さぁ、Ⅱ期の日常が始まりました。「当たり前のもの」に感謝することは中々難しいことかもしれませんが、だからこそそういったことに感謝する気持ちを少しでも持てれば素敵なことだと思います。
また、感謝できる人は、感謝される人でもあると思います。自分がかかわる「当たり前のもの」が、誰かの大切なものになっていると思えれば、日常の何気ないこともがんばる力がわいてくるんじゃないかなと思います。

160905こんにちは。夏休みも終わりましたね。
みなさんは夏期講習会中、宿題のプリントや小テストのプリント、漢字・英単語テストのプリントなどたくさんのプリントをもらってきたことと思います。
そのプリントを切り貼りしたノートを積み上げるとかなりの高さになると思います。その高さこそ、皆さんがこの夏、努力した賜物です。その高さに比例して、自信も積み上げてくださいね。

さて、その講習会中に大量に配られたプリント類は「紙」でできていますが、皆さんはその「紙」の凄さを知っていますか?
紙の歴史は非常古く、紀元前150年頃のものが現在の紙の元となった最古の紙だと言われています。今から2200年近く前に紙は発明されているのですね。

それでは、実験をしてみましょう。皆さん手元になんでもいいので紙を準備してください。そして、それを今から100回折りたたんでください。

今、紙を一生懸命に折り出した人は、せっかく折り出しましたがやめたほうがいいです。やれと言っておきながら、やめたほうがいいとはどういうことだ!と立腹した人もいるかと思いますが、実際には100回折りたたむことは不可能なのです。
紙1枚の厚さを0.05mmとすると100枚「重ねた」だけなら5mmにすぎません。しかし、紙を100回「折りたたむ」とその厚さはなんと約67億光年(0.05mm×2の100乗)となります。67億光年というのは光が1年間に進む距離を1光年としていますので、光の速度をもってしても67億年かかるという距離です。

もう一度、目の前の紙を見てみましょう。見方が変わりますね。敬意こそ払います(笑)

皆さんは紙を「積み上げていく」学習ではなく、紙を「折りたたむ」学習を行って下さい。そして、視野の広い、発想力の豊かな大人になって欲しいものです。
1つの側面からのみ物事を捉えるのではなく、1つの事象から気になりだしたことを次々と調べ、学び、咀嚼して行くことで、その知識は何倍にも生きた価値のあるものへと変貌していきます。

皆さんたちの学習に置き換えれば、1つの問題ができればいいのではなく、問題を解く際に気になったことは参考書や辞書を使って調べ、今であればインターネットを使って調べ、またそこでわからないものに出くわしたら更に調べ…という具合に「深めて」行くのです。それが人の知的欲求を満たしていくものだと考えます。

勉強の秋!
「やらなければいけない」宿題としての勉強ではなく、「自分を一回り大きくするための勉強」として宿題と向き合っていってくださいね。