160719皆さんは日本から遠いウズベキスタンという国に、日本人が建てた「ナボイ劇場」という建物があることをご存知でしょうか。ウズベキスタンは中央アジアにある小さな国です。その首都タシケント市にあるのがナボイ劇場で、今でも多くの市民に親しまれています。

第二次世界大戦が終わった時、満州(今の中国)で捕虜となった日本兵を、ソ連(今のロシア)はシベリアなどで森林伐採や鉄道建設のために強制労働させました。そして、そのうちの一部の日本兵に対し、戦争で工事が中断していたナボイ劇場を完成するように命じたのです。

工事を命じられたのは500人ほどの部隊で、隊長の永田大尉は24歳でした。彼が考えたのは、隊員たち全員を無事に日本へ帰国させることでした。そしてさらに劇場を、捕虜が作った手抜き仕事と言われるものではなく、日本人はすごいと尊敬されるような立派な建物にしようと考えたのです。

捕虜としての強制労働は苦しく、十分な食事も与えられず、お風呂もまともに入れませんでした。それでも一生懸命に劇場建設に取り組む日本人を見て、地元のウズベク人も次第に敬意を表し、そっと食事を差し入れすることもありました。子どもたちがパンを差し入れした時には、数日後、同じ場所に日本人が木で作った玩具が、お礼の意味で置いてあったそうです。

日本人の活躍もあり、ナボイ劇場は2年で完成しました。ほとんどの日本人も無事に帰国することができました。それから19年後の1966年、タシケント市は直下型の大地震に襲われ、街はほぼ壊滅しました。しかし、その中でナボイ劇場だけは壊れることなく、避難所として大きな役割を果たしました。大地震に耐えたナボイ劇場の話は、日本人の技術の高さや勤勉さ象徴する話として、ウズベキスタンから中央アジアの各国に伝わり、それらの国では今でも親日家が多いそうです。

ウズベキスタンは1991年のソビエト崩壊と同時に独立しました。ナボイ劇場には「日本人の捕虜が建てた」と建設当時に書かれた石碑がありましたが、新しい大統領は「彼らは恩人だ、間違っても捕虜と書くな」と命令して、「日本国民がナボイ劇場の建設に参加し、完成に貢献した」と書き直させたそうです。

7月1日にバングラデシュのダッカで武装グループがレストランを襲撃し、日本人7名を含む22人が死亡する事件がありました。7名の日本人はバングラデシュの発展のために働いている人たちでした。とても悲しい出来事ですが、世界の国々のために働いている日本人がいることや、かつて日本人の働きで多くの人が救われたことがあったことを、私たちは忘れてはいけません。その人たちのおかげで人々が幸せに暮らすことができるのであり、そこから友情が生まれ、世界が平和で安全な世の中になっていくのですから。

160711皆さんは「落語」を聞いたことがありますか?
先生は、普段はあまり聞きませんが、飛行機で旅行したり移動したりするときに、機内放送がついていたら「落語」を聴いてすごしています。
「落語」にもいろんな種類があるらしく、江戸時代から語り継がれてきたもの(古典落語)もあれば、最近になって作られたもの(新作落語)まであるそうです。今日はその中でも「古典」に類する一つの作品を紹介します。タイトルは「千早振る」。大まかな中身は以下のとおりです。

「先生」の異名を持つ岩田の隠居が茶を飲んでいると、なじみの八五郎が訪れてくる。娘に小倉百人一首のなかに入っている、在原業平という人の「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という和歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えてほしいと思って来たという。隠居も実はこの歌の意味を知らなかったが、知らないと答えるのはプライドにかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。
江戸時代、人気大関の「竜田川」が遊びに行った際、「千早」という一人の美人に一目ぼれした。ところが千早は力士が嫌いで振られてしまう(「千早振る」)。振られた竜田川は妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「千早さんが嫌なものは、わたしも嫌です」と、言う事を聞かない(「神代も聞かず竜田川」)。
このことから成績不振となった竜田川は力士を辞めて、実家に戻って豆腐屋をすることにした。それから数年後、竜田川の店に一人のみすぼらしい女の人が訪れる。「おからを分けてくれ」と言われ、喜んであげようとした竜田川だったが、なんとそのみすぼらしい女の人は千早だった。怒った竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺をしてしまった(「から紅(くれない)に水くぐる」)。
八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで辞めますか」、「いくらなんでも美人がみすぼらしくなるくらいにまでなりますかね」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引に八五郎を納得させた。やれ安心と思ったところに八五郎が、「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早はペンネームで、彼女の本名が『とは(とわ)』だった」

この作品は江戸時代の中ごろ(今から350年位前)に作られたものらしいのですが、すごいと思いませんか?
江戸時代の庶民は「百人一首」が理解できているから笑えるんだということ。
それと、このお話には君たちに教えてくれていることがあるな、と先生は考えています。
それは、「知識」を身につける方法についてです。二つのことが挙げられると先生は考えます。
一つは、八五郎は意味がわからなかったから「先生」に聞きに行くのですが、当時は参考書などないので、物知りの「先生」に聞きに行きましたね。わからないことがあれば自分で調べることの大事さを言っているのです。君たちには「参考書」という武器を持っているのですから、有効活用してほしいです。
もう一つは、「先生」は「千早振る」の和歌を知らなかったけれども、「知らない」と言いたくなかったから、自分で考えたストーリーを語り始めるところ。すぐにストーリーを語り始めるのもすごいですが、それよりも大事なのは、なぜ「先生」は知らなかったのか、ということ。それはいままでに「千早振る」に接したことがないから。つまり経験がなかったからです。
自分で調べるということと経験をつむことの二つによってしっかりとした知識になっていくのです。参考書を使って調べ、何度も繰り返すという経験が君たちを強くしていくのです。
君たちはこれから夏期講習会に突入していきますが、まさに能開の勉強はこの二つを鍛えていくものです。それを実践するのが講習会です。自分の知識をよりしっかりしたものにするためにも、全力で取り組んでいきましょう!

160704「私は、今日から英単語を毎日10個ずつ覚える。」
「僕は、部活が終わったら必死に勉強する。」

皆さんは、こんな決意をしたことがありませんか?

その決意通りに頑張れるひと、そして頑張れないひとがいます。
その差はどこにあるのか?また、どうすれば頑張れるのか?
今日は、頑張るためのヒントをお話したいと思います。

昔、某大学の学生が卒業論文のために「ダイエットのポイント」を研究したそうです。
そのために行った実験の一つが次のようなものでした。

まずは、ダイエットしたいが、甘いものが大好きという人を50名集めました。そして、ダイエットを始める日を、次の3つから選んでもらったそうです。
①今日からはじめる  ②明日からはじめる  ③1週間後からはじめる

ダイエットの方法は、いたって単純で「甘いものを我慢する」。ただそれだけです。

目標を-5kgと設定し、ダイエットスタート!結果は以下の通りです。

①今日からはじめる・・・22人が選択し、15名が成功、7名が途中で断念。
②明日からはじめる・・・17人が選択し、5名が成功、12名が途中で断念。
③1週間後からはじめる・・・11人が選択し、全員が途中で断念。

③を選択した人の中には、ダイエットを始めるまでの1週間で、甘いものを食べまくり、逆に5kg太ってしまった人もいたそうです。

なぜこのような結果になったのか?実験をした学生さんは、人の記憶に関係があると結論づけました。

人の記憶は、時間とともに薄れていきます。それは、『決意』『ヤル気』も同じです。
どんなに『ヤル気』があっても、なにもせず時間が過ぎれば『ヤル気』は薄れていきます。

「思い立ったが吉日」という言葉がありますね。「何かをしようと考えたら、その日を吉日として、すぐに始めるのがよい」 という意味です。

スタートする日を1日でも遅くすると、成功する確率はぐんと低くなります。

もうすぐ夏休み、これからの頑張りを決意している人が多いのではないでしょうか。
特に受験生の皆さんは、『ヤル気』満々の時期でしょう。
成功するコツは、すぐに行動に移すことです。今日、行動に移すことです。

“「思い立ったが吉日」生活”始めてみて下さい。