180925いつのまにか、肌寒くなり季節の変わり目を感じますね。
秋を感じる行事の一つに十五夜があります。皆さんは十五夜ってどんなイメージがありますか?

童謡『うさぎ』を歌って、月見団子を食べるぐらいですかね。
最近では団子やすすきを供える家庭も少ないでしょうね。

昔は作物の成長と収穫に感謝する意味も込めて十五夜の満月に祈りをささげていたそうです。

先生の住んでいる地域では十五夜に変わったことをしています。
子どもたちは頭にわらを鉢巻のように巻きます。
地域のおじいちゃんたちが大きな綱を用意して、円になるように敷きます。
その円になった綱が土俵となり、子どもたちが相撲を始めるのです。
小さい子も中学生くらいの子も一緒に行います。

相撲大会が終わったら、今度は土俵にしていた綱を使って、おじいちゃんおばあちゃんから子どもまで、そこ地域に住むみんなで綱引きを行うのです。変わった風習ですよね。
調べてみると南九州の方には似たような綱引き・相撲をしている地域がたくさんあるそうです。

昔の人は、今まで努力して育ててきた作物を収穫できることに感謝し、十五夜の夜に来年の収穫への祈りをささげてきました。

君たちもぜひ来年の自分の姿を想像してください。今ある自分の目標を達成できるよう努力し、達成できたならば感謝する心を忘れないようにしましょう。感謝する相手は月ではなく、親や友達かもしれませんね。

1809189月も中旬になりました。
朝夕は涼しくて、まさに秋到来ですね!
先生は秋生まれというのもあってか、1年の中では秋が一番好きな季節です。

プロ野球も優勝争いのクライマックスを迎えますし、食事もおいしい!!
でも特に好きなのは、秋の自然の風景を愛でる「紅葉狩り」です。
毎年、秋には友達や家族とバイクや車で紅葉狩りツアーに出かけます。
山や渓谷で鮮やかな彩りを見せてくれるモミジやカエデなどは、周囲の新鮮で澄んだ空気と相まって、とてもリフレッシュできます。
ついでに?食べるお蕎麦も最高です!

今年はどこに行こうかな?と考えていて、ふと思いました。
紅葉狩りって何を狩るんだろう?
ブドウ狩りなら葡萄、ナシ狩りなら梨、いちご狩りなら苺。
でも、紅葉狩りではモミジは狩らないなぁ。

そこで調べてみました。
元々は「狩り」とは「何かを獲りに山に入ること」だったそうです。
例えば「鷹狩り」。
これは山の中に入って、鷹を使って獲物を狩ることです。決して鷹を狩ることではありませんよね。
「紅葉狩り」という言葉が使われ始めたのには平安時代の貴族が影響しているとのこと。
当時は紅葉を楽しむには山の中や渓谷に入らねばならず、山野に出向いたことから「紅葉狩り」と呼ぶようになったそうです。

今年は、豪雨や台風、地震など、様々な自然の驚異を見せつけられました。
でも、自然がもたらしてくれるいい面も体感してほしいと思います。

勉強の秋・スポーツの秋・芸術の秋・読書の秋・・・・
様々な秋の顔がありますが、心身をリフレッシュしてくれる「紅葉狩り」。
日本に生きる私たちが享受できる最高の贅沢の一つだと思います。
「そうだ!今度の休みは〇〇へ行こう!!」

180910紀元前49年1月7日、古代ローマ武将のカエサルは、兵を率いたままルビコン川を渡りました。彼は、元老院から軍隊を解散してローマに帰還するように命じられていました。
しかし、カエサルはその命令にさからって、イタリアに侵入したのでした。

そのとき、彼が言ったことばが、「賽(さい)は投げられた」です。「事はすでに始められたのだから、途中でやめることはできない。ただ断行あるのみ」という意味です。
この故事から、ある重大な決断・行動をするたとえとして、「ルビコン川を渡る」ということばもつくられました。ただし、ルビコン川はイタリアとガリアの国境を流れていた川ですが、どの川を指すのか正確にはわかっていないそうです。

さて、この「賽は投げられた」の中国版が、「乾坤一擲」です。この四字熟語は、唐代の詩人韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩からつくられました。
「竜疲れ虎困(くる)しみて川原(せんげん)を割(さ)き 億万の蒼生(そうせい)性命存す 誰か君主に勧めて馬首を回らし 真に一擲(いってき)を成して乾坤(けんこん)を賭けしむ」
竜と虎は、項羽と劉邦のことです。二人が天下を争ったとき、決着がつかずに疲れきってしまい鴻溝を境に停戦協定が結ばれ、億万の生命が救われました。いったい誰がこのような乾坤一擲の決断をさせたのでしょうか、といった詩です。
乾坤は天地の意味で、擲とは賽(サイコロ)を投げることだそうです。したがって「乾坤一擲」とは、一か八か、天下を賭けた大勝負をすることをいいます。

ところでいま、「一か八か」といいました。これはどういう意味でしょうか。
乾坤一擲の類義語には、ほかに「一六勝負」があります。これはサイコロの目の一と六から由来したものです。
しかし、サイコロには八はありません。だから「一か八か」がよくわからないのです。
なぜ、なぜ? なぜでしょう?

じつは、このことば、「丁(ちょう)か、半(はん)か」から生まれたものなのです。
丁は偶数で半は奇数ですが、その“丁”と“半”の上部に注目してみてください。
漢字の上部をとって、“一”と“八”にしたのである、なんてね。
実に名訳である、エッヘン、オッホン。

故事成語やことわざから学ぶことはたくさんあります。そして、そこから新しい考えが生まれることもたくさんあると思います。
挑戦してみてください。

1809031993年屋久島と同時に世界遺産に登録されましたね。白神山地には手付かずの原生的なブナの天然林が世界最大級規模で残っているといわれています。
しかしこの話、少々先生には?でした。
手付かずの原生林なら世界中にまだ見ることが出来るのではないか?
白神山地が特になぜ?
この疑問の答えを一冊の本が教えてくれました。「山の自然学」小泉武栄 です。
 
小泉先生によれば3000万年前、地球は温暖でそのほとんどが熱帯に包まれていた。現在の温帯に含まれる森林は北極を取り囲むわずかな地域にのみ分布していたらしいのです。
その後気温の寒冷化とともに、森林は南下し始めます。(北極は寒すぎたわけですね。)
その際、針葉樹林は(根性をみせて)現在の場所にとどまり、他の森林は現在のアメリカ東部、ヨーロッパ、日本の三箇所に移動したわけです。しかしその後ヨーロッパ、アメリカでは氷河が発生し多くの植物が滅亡、生き残った森林はごく一部の種類のみとなりました。
この氷河の影響を受けなかった日本の森林のみが、多種多様な原生林を残したのです。

白神山地のブナ林は森そのものが「生き残り」であり自然史からも非常に貴重なものなのです。(すごいですね。)
世界中を放浪した先生の友人の話を聞いても、日本の森林ほど多種多様な植物を持つ森林はないそうですよ。日本は小さな国土の国ですが、素晴らしい森林を持っているわけです。

9月、新学期ゼミが始まります。能開の教室にもさぞや多種多様な(失礼かな?)生徒諸君が顔を見せてくれると思います。
それぞれの個性をぶつけ合って、生きる能開の教室を広げていってください。