人が(特に大人が)よく使うフレーズに「自慢じゃないけれど」というのがありますね。
この言葉が出たら、ほぼ間違いなく自慢話がその後に続きます。
他にも「誤解を恐れずに言うと」というフレーズは誤解を恐れているからこそ使うし、「友達の話なんだけど。。。」といって出てくる恋愛話は実は自分のことだったりします。
あと、「ワタシは天然だからぁ」と自己申告する天然キャラはニセモノで、周りの全員が「あのコは天然だ」と言っても「ワタシは普通」と本人だけは真剣に否定してこそホンモノの天然キャラです。
これは「酔っぱらっちゃったぁ」というのがニセモノで、ホンモノの酔っぱらいが「全然酔ってないから大丈夫」と言う―というのに似ているということも、大人になってからのために頭の片隅に入れておいてください。

という話はさておき、自慢ではないのですが先生は高校生時代に模試の英語の成績で校内1位を3年間守り続け、都道府県内でも英語だけは常に成績上位者として名前が掲載されていました。
誤解を恐れずに言うと、何か特別な勉強をしたワケではありません。
でも、とにかく英語は得意でしたし今はそれが仕事にも思い切り活かされています。

ただ、中学校時代の英語の成績はむしろ平凡でした。中1のときの成績は5段階評価で3だったし、中2で4に上がって中3では5を取れましたが、「得意」という自覚まではなく高校で上位を取れるとは思っていませんでした。
それでも高校に入って最初のテストで良い点を取ったことで自信を持ち、その後必死にがんばった憶えはあります。

どうして英語ができるようになっていったかを振り返ってみると、成績上昇の時期と関連することがひとつありました。
先生は中2の頃から洋楽にハマって毎日英語の曲を聴き、歌詞を確認し、曲に合わせて歌っていました。
「歌詞を見なくても歌えるようになりたい」「キレイに発音したい」「英語を日本語に訳すより英語としてそのまま捉えたい」という想いで歌っているうちに、歌とは関係のないテストの英語の点数が上昇していったのです。

さて、この春もみなさんの先輩たちが努力を継続した末に数々の難関大学へと進学し、その背中で「こうやってがんばれ」をキミたちに示してくれていますね。
そのなかでも圧倒的な英語力を誇る生徒や急激に英語の成績を伸ばした生徒に「英語ができるようになる一番の方法は?」と訊いてみるとほぼ全ての生徒の口から【音読】というキーワードが出ます。

そしてその【音読】のコツは「手本がある」が前提で「手本の発音をそっくり真似る」「スピードも手本に合わせる」「文を見なくても言えるようになるまで繰り返す」と言っていました。
これを聞いたとき、先生が中学生時代に家族にうるさがられてもがんばって歌っていたあの歌がまさに【音読】であり、成績上昇のカギは実はこれだったのだと確信しました。

音読だけで成績が上がるなんて信じられないと思うあなたこそやってみましょう。
英語の成績を上昇させるには音読!
先生だけではなく数々の優秀な先輩たちもそれを証明しています。
「新学期から」などと自分にとって都合の良い時期を探すのではなく、今すぐrestart! そして毎日少しずつでもいいから継続しましょう!

ところで先生はよく人に「変わっている」と言われるのですが、非常に残念なことに先生自身にもその自覚があります。
冒頭で話した通り、それはホンモノのユニークさではない証明となってしまうのでとても残念です。
そして、全く関係ないですがつい最近先生は誕生日を迎えました。
またひとつ増えた年齢から目を逸らさず、半世紀以上生きてきたこの人生が終わるその日までホンモノになるための道のりを歩んでいく決意をしたところです。
何ごとも極めることが重要です。共にがんばりましょう!

終わりは始まりで、始まりは終わりの始まり

この言葉をみなさんは聞いたことがありますか?
最近はモンストやエヴァンゲリオンなどでも使われている言葉です。

学校もあと1週間余りで3学期が終わります。
もうすぐ1年が終わるわけです。
「終わり」であると考えると、暗い感じがします。
しかし、当然ながらみなさんの生活が終わるわけではありません。
今の学年が終わり、次の学年になるだけです。
すべての「終わり」は「始まり」と言い換えることができます。

みなさんも学年の区切りがあることで、気持ちもリセットして、新しい道を歩むことができるようになります。
正月に背筋がしゃんとして、何かわくわくする感じと似ていますね。
「始まり」であると考えることで、今までとは違った風景が広がり、過去を踏み台にして、ステップアップするイメージを作れます。

気持ちもリセット、生活リズムや生活態度もリセットして、春休みに向かいましょう!
きっと次の学年ではいいことが起きますよ。

みなさんは小田凱人(おだ ときと)という名前を聞いたことがありますか。
先日、引退を表明し、国民栄誉賞の受賞が決まった車いすテニス界のレジェンド国枝慎吾さんの後継者として期待されている弱冠16歳の選手です。

TVの報道番組のスポーツコーナーで取り上げられていたのを見て初めて小田選手を知りました。

彼は小学生の低学年までサッカー少年でチームの中心選手、将来の夢はプロのサッカー選手でした。
そんな彼が9歳の時、左足に骨肉腫(骨のがん)を発症します。
12時間にもおよぶ手術とその後の17回にも及ぶ抗がん剤治療により一命は取り留めますが、股関節に人工関節を埋め込み左足には後遺症が残りました。
9か月に及ぶ懸命なリハビリにより車いす生活にまでこぎつけましたが、当然サッカーは諦めざるを得ませんでした。

そんな彼が病室で見た、国枝選手のロンドンオリンピックの決勝戦での映像が彼のその後の彼の人生に大きな生きる力を与えました。
感情をあらわにして戦う国枝選手をかっこ良いと思った彼はお年玉をはたいてテニスラケットを購入しベッドで素振りを始めました。
抗がん剤治療は大人でも根を上げることが多い中、彼はベッドの上で毎日トレーニングをしていたことに担当医は驚いたそうです。

小田選手はとにかく早く退院して車いすテニスをやりたい一心だったと当時を振り返っていました。

9か月後、退院した彼はすぐに車いすテニスにのめりこみます。
テニスをすることは彼にとって生きることそのものであり、支えてくれる両親への恩返しでもありました。
ところが11歳の時にがんが肺に転移し、再び抗がん剤治療を受ける闘病生活が始まります。
「人生、そんなに上手くいくはずがない、けど、きっとこの試練を乗り越える」という思いだったそうです。

その後、彼は史上最年少14歳11か月でジュニア世界ランキング1位になり、翌年15歳でプロ選手に。
16歳で初めてグランドスラムという世界最高峰のトーナメントに出場し、世界ツアー最終戦で優勝と輝かしい成績を修めています。

プロという勝負の世界に身を置きながらも、おしゃれや音楽が好きな普通の高校生でもある彼は「病気と闘っている子どもたちのヒーロー的な存在になれるような選手」を目指しています。

この放送を見ながら、幼い時に信心深かった祖母に教わった言葉を思い出しました。

「人は生まれるときに、仏様に志願して生まれてくる。そのときにこの世で試練が与えられることを告げられるが、障害を持つ者も、それを承知で、それでもこの世に生まれ出てくる、だから根性が据わっているのだ」と。
パラスポーツを見るとき、多くの人が感動し賞賛し拍手を送ります。
しかし、それは障害を持つ彼らに敬意を示すだけでなく、志願して生まれてきた彼らの思いと生きる力に共鳴するからだと思います。

小田選手には車いすテニスでぜひ輝いて欲しい。
そのことが病気と闘う子どもたちだけでなく、世界であらゆる困難に対峙している人々に勇気を与え、大きな希望となります。

2月28日に、外科医の米田あゆさんが宇宙飛行士候補者に内定したことがニュースになりました。
米田さんは4月から基礎訓練を開始しますが、順調にJAXAで宇宙飛行士に認定され、宇宙船への搭乗が決定すれば、向井千秋さん、山崎直子さんに次ぐ3人目の日本人女性宇宙飛行士が誕生する見込みです。

ところで日本人女性2人目の宇宙飛行士になった山崎さんは、候補者に選ばれてから実際に宇宙に行くまでに、なんと11年の時間がかかりました。
そこには厳しい訓練期間の他に、スペースシャトル・コロンビア号の事故による宇宙計画の見直しなど様々な要因がありました。

訓練を続けても本当に宇宙に行けるかどうかわからない「先の見えない状態」は、山崎さんにとって本当に苦しかったそうです。
それでも1%のチャンスに期待してアメリカやロシアで厳しい訓練を続け、何とか宇宙に飛び立つことが出来たのです。

皆さんに配布された「ティエラ環境保護活動レポート」にも「宇宙から眺めると地球は一つの宇宙船です。理屈抜きにストンと地球も一つの生物なのだと感じました」という山崎さんの言葉が紹介されています。

山崎さんが感じた先の将来が見えない不安は、皆さんも感じることがあるでしょう。
あと何回練習すればうまくなるのか、いくつ問題を解けば成績が上がるのか、その答えを知る人は誰もいません。
時には苦しさに気持ちが負けて、くじけそうになることもあるでしょう。
でも、もう少し頑張ったその先に、成長のチャンスがあることは確かです。

さあ、あと1回、あと1問、少しだけ勇気を振り絞って、前に進んでいきましょう。