181015学生時代の思い出は部活と入試が大きく印象に残っています。
小学生のときはサッカー、中学時代は野球、高校でバスケ、大学でもアメフトと様々な部活に取り組んできました。
当然、目指すものは勝利。そのために練習を励んでいました。
勉強も手を抜かず部活で遅くなっても塾に通い、入試に向けても必死になっていたと思います。
今思えば沢山の勝負をしてきたのですが、負けたのは数知れず、悔しい思いも沢山しました。

そんなときいつも思い浮かぶのが学生の頃よく読んでいた漫画の「スラムダンク」です。
バスケットにかける高校生が全国制覇に向けて頑張る、いわばスポ根漫画です。
主役の桜木花道率いる湘北高校のメンバーはとても個性的で学生時代の自分はとても興味を持って読んでいました。
その中でも思い出すシーンは、全国大会2回戦で高校バスケ界の頂点に君臨する山王高校との対戦です。歴代最高レベルといわれる高校生を相手に怪我をしながらも湘北高校は食らいついていきました。
そして最後まで諦めずごくわずかの差で勝利しました。

そのときの相手側の監督の言葉を今でも覚えています。

『負けたことがあるというのがいつか大きな財産になる』

私は大学入試のとき、すべり止めの私立に落ちました。
途方に暮れていたころに国立大学の合格を知り、ものすごく喜んだことを今も鮮明に覚えています。
負けたから駄目なんじゃない。負けたから今やっている努力をやめるべきではない。

まずは挑戦し、たとえ負けたとしてもそこから学ぶことはとても大きいと思います。

さぁ、皆さん。もうすぐEXオープン模試がありますよ。まずは過去の自分に挑戦です。
努力を続けていればいつか桜は咲きますよ。

181009先日、深夜眠れなくてテレビをつけると、20年くらい前の映画が放映されていたので、何気なく見ていました。そのお話しは、主人公である天文学者が、地球外生命体とコンタクトを取るという内容でした。
あるとき、惑星からの信号を受信したので、主人公たちは「自分たちは文明を持っている」ことを証明するために、『素数』のリストを送信しました。その結果、異星人たちは「地球には知的生命体がいる」ということで、ある信号を送ってきます。解析すると、それは何かマシンの設計図が現れる事が判明。それは、地球外生命体と接触するための機械だったのです。
つまり、「地球人には『数』の概念があり、高度な文明を持っている」と判断され、接触をはかってきたのです。コンタクトが取れたのは主人公のみ。それをまわりに証明できなかったため、主人公は疎外されて終わるという話でした。

ところで、みなさんはこの『素数』というものを知っていますか?みなさんが最初にこれを目にするのは、小学5年生くらいでしょうか。
『素数』とは、1より大きい整数のうち、1とその数自身でしか割り切れない数のことです。2は一番小さい素数で、同時に偶数の中で唯一の素数です。3、5、7も素数ですし、89や2521も素数です。整数論というものによれば、1より大きいすべての整数は、素数の積(かけ算)で表すことができます。つまり、素数は正の整数すべての基本単位と言えるのです。たとえば、「6=2×3」、「54=2×3×3×3」というように。(ちなみに、こういった二つ以上の素数の積であるような数を、合成数といいます。)

「素数は無限にある。」このことを、エウクレイデス(ユークリッド)という人が紀元前3世紀(今から2000年以上も前)に証明しました。ところが、素数を求める方法を見つけることは、今も数学では最大の難問の一つとなっています。数学者たちは、すべての素数を計算で求めることのできる万能の公式を見つけられずにいますが、史上最大の素数の記録は今も破られ続けています(2016年12月時点では、2233万8618けたになるそうです。)。また、素数には「双子素数」と言って、3と5、11と13、101と103など差が2である素数の組があるのですが、これが無限にあるのかどうかも疑問となっています。
ですから、これらの難問を解くと『フィールズ賞(数学のノーベル賞)』を取ることになるかも知れません。
 
そもそも、『数』というものに何も興味や疑問を感じなければ、『素数』という考え方は生まれなかったでしょう。また、数学という学問も、もっと大きくいえば文明も科学も、こんなには発展していなかったでしょう。ちょっとしたことから疑問(好奇心)を持ち、探求を深め、続けていくと結果として大きなものになっていく。
みなさんも、ちょっとしたことでもいいので、好奇心をもって調べてみてください。普段の学習で言えば、受身にならず積極的に好奇心を持って、疑問に思ったことを調べてノートにまとめる。そしてそれを続ける。そうすれば、きっと飛躍的な成果が期待できますよ。

1810012018年6月30日
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産への登録が決定されました。
国内の世界遺産登録は6年連続で22件目になります。

ところで先生の教室は島原にあります。
島原と言えば歴史の教科書にもある「島原の乱(1637年)」が起こった地域です。
「島原・天草一揆」とも呼ばれます。
その最後の舞台となったのが、今回世界文化遺産に登録された「原城跡」です。

「島原の乱」は現在の長崎県島原半島、熊本県天草諸島を中心に起こった住民一揆で、住民の多くがキリスト教に入信していました。そして、弾圧を受けた住民たちは廃城になっていた原城に立てこもりました。最終的に3万人以上が籠城したと言われています。
しかし、長期戦による疲れと飢えに耐えていた一揆軍は、徐々に士気が下がり、多くの投降者を出した後、幕府側の再度の総攻撃を受けて壊滅します。原城は落城し、リーダーの天草四郎は討ち取られ、一揆軍はほぼ全滅しました。
これにより勃発から鎮圧までに約半年をかけた日本史上最大の反乱は幕を閉じます。

注目すべきはリーダーの「天草四郎」です。
本名を「益田四郎時貞」といい、乱が起こった当時は15歳でした。とても博学な少年で、キリスト教の経典などを暗記し、人々に説いて聴かせていたそうです。迫害を受けていたキリシタンたちの精神的な支えになっていたのでしょう。
君たちとそんなに変わらない年齢の少年がシンボル的存在として何万人もの一揆軍を指揮する。大人でも怖気づき逃げ出したくなることをわずか15歳の少年がやってのけたのです。すごいですよね!本当に「究極のリーダーシップ」だと思います。

あれから380年がたち、平和な世の中になりましたが、
君たちも勉強やスポーツなどいろんなことに挑戦する気持ちを忘れずに、
これからの生活の中で「リーダーシップ」を発揮してほしいと思います。

180925いつのまにか、肌寒くなり季節の変わり目を感じますね。
秋を感じる行事の一つに十五夜があります。皆さんは十五夜ってどんなイメージがありますか?

童謡『うさぎ』を歌って、月見団子を食べるぐらいですかね。
最近では団子やすすきを供える家庭も少ないでしょうね。

昔は作物の成長と収穫に感謝する意味も込めて十五夜の満月に祈りをささげていたそうです。

先生の住んでいる地域では十五夜に変わったことをしています。
子どもたちは頭にわらを鉢巻のように巻きます。
地域のおじいちゃんたちが大きな綱を用意して、円になるように敷きます。
その円になった綱が土俵となり、子どもたちが相撲を始めるのです。
小さい子も中学生くらいの子も一緒に行います。

相撲大会が終わったら、今度は土俵にしていた綱を使って、おじいちゃんおばあちゃんから子どもまで、そこ地域に住むみんなで綱引きを行うのです。変わった風習ですよね。
調べてみると南九州の方には似たような綱引き・相撲をしている地域がたくさんあるそうです。

昔の人は、今まで努力して育ててきた作物を収穫できることに感謝し、十五夜の夜に来年の収穫への祈りをささげてきました。

君たちもぜひ来年の自分の姿を想像してください。今ある自分の目標を達成できるよう努力し、達成できたならば感謝する心を忘れないようにしましょう。感謝する相手は月ではなく、親や友達かもしれませんね。

1809189月も中旬になりました。
朝夕は涼しくて、まさに秋到来ですね!
先生は秋生まれというのもあってか、1年の中では秋が一番好きな季節です。

プロ野球も優勝争いのクライマックスを迎えますし、食事もおいしい!!
でも特に好きなのは、秋の自然の風景を愛でる「紅葉狩り」です。
毎年、秋には友達や家族とバイクや車で紅葉狩りツアーに出かけます。
山や渓谷で鮮やかな彩りを見せてくれるモミジやカエデなどは、周囲の新鮮で澄んだ空気と相まって、とてもリフレッシュできます。
ついでに?食べるお蕎麦も最高です!

今年はどこに行こうかな?と考えていて、ふと思いました。
紅葉狩りって何を狩るんだろう?
ブドウ狩りなら葡萄、ナシ狩りなら梨、いちご狩りなら苺。
でも、紅葉狩りではモミジは狩らないなぁ。

そこで調べてみました。
元々は「狩り」とは「何かを獲りに山に入ること」だったそうです。
例えば「鷹狩り」。
これは山の中に入って、鷹を使って獲物を狩ることです。決して鷹を狩ることではありませんよね。
「紅葉狩り」という言葉が使われ始めたのには平安時代の貴族が影響しているとのこと。
当時は紅葉を楽しむには山の中や渓谷に入らねばならず、山野に出向いたことから「紅葉狩り」と呼ぶようになったそうです。

今年は、豪雨や台風、地震など、様々な自然の驚異を見せつけられました。
でも、自然がもたらしてくれるいい面も体感してほしいと思います。

勉強の秋・スポーツの秋・芸術の秋・読書の秋・・・・
様々な秋の顔がありますが、心身をリフレッシュしてくれる「紅葉狩り」。
日本に生きる私たちが享受できる最高の贅沢の一つだと思います。
「そうだ!今度の休みは〇〇へ行こう!!」

180910紀元前49年1月7日、古代ローマ武将のカエサルは、兵を率いたままルビコン川を渡りました。彼は、元老院から軍隊を解散してローマに帰還するように命じられていました。
しかし、カエサルはその命令にさからって、イタリアに侵入したのでした。

そのとき、彼が言ったことばが、「賽(さい)は投げられた」です。「事はすでに始められたのだから、途中でやめることはできない。ただ断行あるのみ」という意味です。
この故事から、ある重大な決断・行動をするたとえとして、「ルビコン川を渡る」ということばもつくられました。ただし、ルビコン川はイタリアとガリアの国境を流れていた川ですが、どの川を指すのか正確にはわかっていないそうです。

さて、この「賽は投げられた」の中国版が、「乾坤一擲」です。この四字熟語は、唐代の詩人韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩からつくられました。
「竜疲れ虎困(くる)しみて川原(せんげん)を割(さ)き 億万の蒼生(そうせい)性命存す 誰か君主に勧めて馬首を回らし 真に一擲(いってき)を成して乾坤(けんこん)を賭けしむ」
竜と虎は、項羽と劉邦のことです。二人が天下を争ったとき、決着がつかずに疲れきってしまい鴻溝を境に停戦協定が結ばれ、億万の生命が救われました。いったい誰がこのような乾坤一擲の決断をさせたのでしょうか、といった詩です。
乾坤は天地の意味で、擲とは賽(サイコロ)を投げることだそうです。したがって「乾坤一擲」とは、一か八か、天下を賭けた大勝負をすることをいいます。

ところでいま、「一か八か」といいました。これはどういう意味でしょうか。
乾坤一擲の類義語には、ほかに「一六勝負」があります。これはサイコロの目の一と六から由来したものです。
しかし、サイコロには八はありません。だから「一か八か」がよくわからないのです。
なぜ、なぜ? なぜでしょう?

じつは、このことば、「丁(ちょう)か、半(はん)か」から生まれたものなのです。
丁は偶数で半は奇数ですが、その“丁”と“半”の上部に注目してみてください。
漢字の上部をとって、“一”と“八”にしたのである、なんてね。
実に名訳である、エッヘン、オッホン。

故事成語やことわざから学ぶことはたくさんあります。そして、そこから新しい考えが生まれることもたくさんあると思います。
挑戦してみてください。

1809031993年屋久島と同時に世界遺産に登録されましたね。白神山地には手付かずの原生的なブナの天然林が世界最大級規模で残っているといわれています。
しかしこの話、少々先生には?でした。
手付かずの原生林なら世界中にまだ見ることが出来るのではないか?
白神山地が特になぜ?
この疑問の答えを一冊の本が教えてくれました。「山の自然学」小泉武栄 です。
 
小泉先生によれば3000万年前、地球は温暖でそのほとんどが熱帯に包まれていた。現在の温帯に含まれる森林は北極を取り囲むわずかな地域にのみ分布していたらしいのです。
その後気温の寒冷化とともに、森林は南下し始めます。(北極は寒すぎたわけですね。)
その際、針葉樹林は(根性をみせて)現在の場所にとどまり、他の森林は現在のアメリカ東部、ヨーロッパ、日本の三箇所に移動したわけです。しかしその後ヨーロッパ、アメリカでは氷河が発生し多くの植物が滅亡、生き残った森林はごく一部の種類のみとなりました。
この氷河の影響を受けなかった日本の森林のみが、多種多様な原生林を残したのです。

白神山地のブナ林は森そのものが「生き残り」であり自然史からも非常に貴重なものなのです。(すごいですね。)
世界中を放浪した先生の友人の話を聞いても、日本の森林ほど多種多様な植物を持つ森林はないそうですよ。日本は小さな国土の国ですが、素晴らしい森林を持っているわけです。

9月、新学期ゼミが始まります。能開の教室にもさぞや多種多様な(失礼かな?)生徒諸君が顔を見せてくれると思います。
それぞれの個性をぶつけ合って、生きる能開の教室を広げていってください。

180827夏休みが終わろうとしています。

以前から教室に通っている人も、初めて参加して挑戦してくれた人も、夏の講習会や集中特訓から、君たちが得たものがありますね。

この講習会では宿題に追いかけられたんじゃないかな。
『ご飯食べたら、アレしなきゃ。』とか、『これが終わったら次はこれね。』
『あっ!生徒会にも行かなきゃいけなかった~。どうしよう~。』
という感じで、「やること山のごとし」の日もあったと思います。
その中で君たちは、やることの順番を考えたり、いつもよりも早く始めたり、工夫しながら生活のスピードを上げてきたはずです。

生活を『時計の針』で考えてみて。
時計の針が、カチッカチッとゆっくり進むのではなくて、ぐぃ~んと進んでいく。
ちょっと焦りながら、目の前のことに集中して次へ次へと進んでいくんですね。
実は『頑張る』って、こんなことなんです。
少しずつ、たくさんのことができる人になっていくんですよ。
なんでそんなことができたかというと、それは周りのみんなが同じように進んでいるからなんですね。

ピンとこないかも知れないけど、高速道路を走る車に乗っていると、初めは速いと感じますが、そのうち慣れてくる。普通の道に戻ったら、逆に遅く感じるんですね。

大都会に行くと、人の歩く速さにびっくりすることがあります。
電車から電車に乗り換えていくので、早足になるんです。彼らにとっては毎日やってて当たり前になっているけど、のんびり過ごしていた場所から行くと初めはついていくのがきついです。
でも慣れてくると、自分も早足の仲間入りをします。
自分の生活を変えていくんですね。
反対にまわりがのんびりしているところにいると、自分ものんびりになっていくんです。
それでは今までと同じ。未来は変わりません。

さぁ、この夏で『自分の中にある時計の針の進み方』が速くなったはずです。
初めのうちはきつかったはず。でも慣れてくると少し当たり前になってきたでしょう。

確実に言えることがあります。
それは、忙しい人ほど伸びるということです。
忙しい人は、勉強の時間がとれなくなるんじゃないんです。実は逆なんです。
時計の針の進み方が速くなるんですよ。君たちが経験したみたいに。
1日の中でやれることが増えるから伸びていくんですね。
さらに共通しているのは、伸びていく人は忙しさを言い訳にしません。

大事なのは元の速さに戻さないこと。速く進む人たちの中にいることです。
9月が始まります。時計の針の進み方を速く速くしていけば、自分の目標に速く近づいていきますよ。
忙しい人になってください。そして全員で伸びていきましょう。

1808208月も下旬になって、夏休みもあと少しですね。この夏休みは充実していますか?
今まさに講習会中の人もいれば、クラブに一生懸命打ち込んでいる人もいることでしょう。
そして、早ければ8月の後半から学校が始まり、通常の生活に戻っていきますね。
「うれしい!みんなに会える」と思う人や、「もう、休みが終わってしまう」と思う人がいると思います。

ある、資料によると、夏休みと冬休み、休み明けの通学がつらいのはどちらか? という質問に、ほとんどの人が「夏休み明け」と答えるのだそうです。
冬休みと比べて、夏休みのほうが長いので名残惜しくてそう感じるわけではないようです。

実は、人間の習慣は21日間で作られるそうです。夏の40日ある休みの間、だらけた生活を送っていると、これが習慣になってしまって、学校が始まって、この習慣を取り戻そうとするのでしんどいのだそうです。取り戻すのにまた21日かかりますからね。

逆に言うと、いいことも
「21日間続けると習慣になる」わけですね。

新学期までと少し、何かを始めるときは今から21日間続けて取り組んでいくことを心がけるとよいですね。

180806みんなの顔はどんな顔ですか?丸い顔の人、四角い人、卵型の人、ホームベース型の人、いろいろですね。

日本人の顔の形は、大きく分けて縄文人型と弥生人型に分かれるそうです。角型で顔が短く、目が二重で大きく、鼻の付け根が高い人は縄文人型だそうです。
一方、丸型・面長で、目が細く、鼻の付け根が低い人は弥生人型だそうです。みんなの顔は何型ですか?ちなみに、私の顔は、顔が長くて目が大きいという中間型です。

山口県の日本海側の西の方に、土井ヶ浜遺跡という遺跡があります。景色のとてもきれいな角島の近くです。土井ヶ浜の遺跡からは、約300体の人骨が発見されています。人骨が埋葬されていた様子は、土井ヶ浜人類学ミュージアムというドーム型の施設で、人骨のレプリカを使って再現されています。
鵜(う)の骨と一緒に埋葬されている女の人、親子で埋葬されているもの、夫婦だったのか恋人同士だったのか男女で同じ場所に埋葬されているもの、骨折のあとのある人骨も見つかっています。なかには、14本もの矢じりが刺さった人骨も発見されています。それらの弥生人たちは、みな砂浜から西の海のほうに顔を向けて埋葬されていました。

土井ヶ浜は弥生時代前期の遺跡ですが、不思議なことがあります。それは、土井ヶ浜遺跡で発見された弥生人は、顔の形が長く、九州や他の日本のどの縄文人とも似ていないのです。
では、いったい土井ヶ浜の人たちはどこから来たのでしょうか?

最近の研究で、土井ヶ浜の弥生人と同じ顔の特徴を持った人がいたことわかりました。それは、中国の山東省の人たちです。顔の形が長いという土井ヶ浜の弥生人たちと山東省の人の顔の形は、共通点がとても多いそうです。このため、土井ヶ浜の弥生人たちは、はるか昔に中国から、はるばる海を渡って日本にやってきたと考えられています。
なぜ、はるばる広い海を渡って日本にやってきたのでしょうか。ちょうどそのころ、中国は戦国時代で、国中が戦争をしている状態でした。土井ヶ浜の弥生人たちは、そんな戦争の絶えない国から、平和な土地を求めて日本へやってきたのでしょうか。

土井ヶ浜の弥生人たちが西の海のほうを向いて埋葬されていたのは、遠い故郷を見ていたのかもしれません。故郷に残した人々のことを思ったのでしょうか、いつの日か平和な故郷へ帰ることを夢見ていたのでしょうか。
地図もコンパスもない時代に、星や陸の形だけを頼りに、遠く中国からやってきた航海の大変さは想像を超えるものです。そんな土井ヶ浜の弥生人たちの意志の強さ、たくましさを考えると、ただただすごいなあと感じます。何よりすごいと思うのは、広い海の先にある未知の世界に向かって、小さな船で漕ぎ出した勇気です。

今の世の中では、広い海の先にあるのは未知の世界ではないかもしれません。しかし、いままで体験したことのないことや、いままで出来なかったことの先にあるのは、みんなにとっての「未知の世界」です。
この夏、みんなにとっての未知の世界に、勇気をもって一歩を踏み出そう!