2025年も早いもので、もうすぐ3月です。今年の節分は2月2日でしたね。
昨年は2月3日だったのですが、どうして3日になったり2日になったりするのだろうと疑問に思った人はいませんでしたか。

そもそも「節分」とは、何をする日なのでしょうか。
豆まきをする日、恵方巻を食べる日を思い浮かべる人が多いと思いますが、文字通り「季節の分かれ目」に「悪いもの=鬼」を追い出して1年間健康に過ごせるようにと願いを込める行事です。

節分は二十四節気(春分・夏至・秋分・冬至など)の1つで、本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。
つまり年に4回節分があるのですが、現在では立春の前日だけを指すようになりました。これは「暦」が関係しています。

旧暦では、二十四節気の立春が1年の始まりとされており、その前日は今でいう「大晦日」にあたります。
そのため新年を迎えるために鬼(病気や疫災など)を追い払い、福を招き入れるという意味を込めて、「2月の立春の前の節分」が特に重要視されるようになったのです。
2025年の立春は2月3日なので、その前日である2月2日が節分となるわけです。

では、なぜ今年の立春は2月3日なのでしょうか?
現在、私たちの生活では、皆さんご存じの「太陽暦」を使用しています。
「地球が太陽の周りを1周する時間=1年=365日」としていますが、正確には約365.2422日かかります。
この365日を超えた0.2422日を調整するために4年に1回、1日多いうるう年があるのですが、それでもわずかに誤差が生じてしまいます。(0.2422×4=0.9688日で1日にはわずかに足りません)
この誤差が蓄積されると立春が2月3日になったり、2月4日になったりして、その前日である節分もずれてしまうのです。

ちなみに、ほぼ毎年2月3日だった節分は、2021年には約124年ぶりに2月2日になりました。
そして2025年、2029年、2033年…と4年周期で2月2日になることが今後約100年間続くと言われています。

あらゆる現象には必ず理由があります。(有名な誰かのセリフです。)
日常生活の中で当たり前だと思うことは意外とスルーしがちですが、ちょっとしたことでも疑問に思うことが大切だと先生は思います。
みなさんも身近な疑問があれば、自分が納得するまで調べたり考えたりしてみてはいかかでしょうか?

先生が子供のころ、お父さんから月の土地をプレゼントとして貰ったことがあります。

「何言ってんだ?この先生?」と思った人も多いでしょう。
実際、少年だった先生も「え、それどういうこと?」と思いました。
ただ、そう思いながらも、なぜかワクワクした記憶があります。
父が購入した月の土地の広さは、サッカー場1面分くらいです。
家を建てて、その周りには馬が飼えるくらいの大きな庭ができますね。(無理だけど…)

先日、このことをふと思い出し、「あれは何だったんだろう?」とネットで検索してみました。
すると、まだ販売されていました!只今、第3期分譲中。
価格は1エーカー(約サッカー場1面分)で2,700円……安っ!
それどころか、現在では金星やイオ(木星の衛星)も購入可能です。

なぜ月の土地が販売できるのか。
宇宙に関して、各国が調印している『宇宙条約』というものがあります。
その条約には、「いかなる国も月や惑星などの天体資源について権利を主張できない。」と記されています。
簡単に言うと、「どの国も天体を独り占めしちゃダメ!」ということですね。
しかしこの条約には盲点がありました。
国の所有はダメだけど企業や個人での所有についての記載がない…
そのことに気づいたアメリカの企業が所有権を主張し販売しているそうです。

「実際に月に移住できるようになったときはどうなるの?」
「もし宇宙人が住んでいたらどうなるの?」
様々な疑問はありますが、驚くほどの低価格なので冗談で買う人もいますよね。
先生のお父さんもその一人だったということです。

ただ、月の表面積はおよそ90億エーカー。
地球から見える55億エーカー分しか販売されていませんが、それでもすべて売ると約24兆円です。つまり、この会社は知識とアイデアだけで24兆円の資産を手に入れたことになります。びっくりしますね。

さいごにこれからの話をしましょう。
現在は、仮想通貨がある時代です。数年後には仮想空間上の土地の売買も普通になるでしょう。
おそらく先生たちの想像をはるかに超えた時代がやってきます。
そういう時代を生き抜くには、知識と考える力を今のうちに身に付けることが大切です。
皆さんはそのために勉強していますし、今やっている努力は必ず将来の糧になります。
皆さんの未来のために、何事にも全力で挑戦してください。

先生は3歳のころからラグビーというスポーツをしていました。
本格的な活動は大学までで、今はたま~に出身高校のOB戦などで年に数回ボールを触るくらいですが、多くのことを経験してきました。
その中で、先生が高校生の時の話です。
少し自慢っぽくなるのはご愛きょう。笑
先生の住む長崎県はラグビーが非常に盛んな土地柄で、長崎の代表校は花園と言われる(まぁ野球でいう甲子園みたいな感じかな)全国大会では過去に準優勝やベスト4などに入ることもありました。
そんな長崎ですが、他の多くの県と違って、ある一つの特ちょうがあります。
それは強い高校が複数あり、毎年代表校が目まぐるしく入れ替わるという点です。
多くの県では〇年連続△回目の出場などですが(2024年の大会は佐賀工業の43回連続が最高)、先生が高校生のころの長崎は長崎北陽台、長崎北、長崎南山、諫早農業などが毎年代表を争うといった感じでした。
先生の高校は上記の学校ではないため、いつも上記の学校と戦うとボコボコにされていました。笑
当然このような高校には先生の幼稚園時代からのラグビー仲間も多くおり、活躍を非常にうらやましく思ったものです。
そんな中、先生にもチャンスが与えられました。
それは長崎県の代表として国体の長崎代表に選ばれたのです。
初めて長崎代表の練習に行ったとき、そこにいたのはほぼほぼ上記の高校のメンバーで、しかも小さいころからのチームメートやライバルチームのメンバーです。
先生の高校からは当然先生一人ですので最初は不安でしたが、やはり友達がたくさんいたのであっという間に雰囲気に慣れていきました。
そんな中で感じたことが何点かあります。

まず、お互いの高校同士がかなり意識しあっているということです。
練習が終わってメンバーと食事に行った時です。
ラガーマンあるあるなのですが、『白米対決in浜勝』が始まりました。
北陽台が大盛で5杯食べると南山が6杯で追い抜く、北高は7杯で逆転!店員さんが疲れたのか途中から『おひつ』を持ってきたのに対して諫早農業が必殺『おひつ食い』を始める!といった感じでお互いが負けたくない感でバチバチでした。
これはほんの一部分ですが、他にもスタメンにどの高校が何人いるかなどいろいろなことで競っていました。

さらに先生が衝撃を受けたのは意識の高さです。
別の練習の日ですが、先生が履いていたズボンに対してチームメートからクレームが入りました。
簡単に言うと、『すべるのでプレーしにくい。よくそんなズボンで練習できるな、さすが△△高』(←先生の高校名)という内容です。
最後の一言は余計ですが、本当にその一言は先生にとってとんでもない衝撃でした。
強豪校は練習着ですら細かい意識を飛ばしているということにカルチャーショックを受けました。
そこから彼らと自分の違いを意識するように心がけました。
そうすると出てくる出てくる、弱小高校と強豪高校(競合高校?)の違い。
本当なら栄養学的には関係ないのかもしれませんが、4校とも菓子パンやジュース類をまったく口にせず、おにぎりとバナナやオレンジなど果物類を口にしていました。
練習後のクールダウンのストレッチも適当にせず、なんなら残ってまで体の手入れをしていました。
自分の高校の練習終わりはというと、クールダウンを適当に済ませ、近くのコンビニでピザまんやから〇げくんをほおばっている!ということに気づき、情けない気持ちになりました。
そこから先生の補食はおにぎりに変わったことは言うまでもありません。

この年は歴代の長崎としてもなかなか強い学年で、国体で全国準優勝、花園で長崎の代表校がベスト8という結果でした。
そういったメンバーと同じチームでやれたことは先生の誇りですし自慢です。
でもそれ以上にやはり『意識の差』を感じた苦い思い出でもあります。

勉強でも同じです。
今まで多くの『出来る先輩たち』を見てきましたが、
①ライバルを作り出す(めっちゃ意識してバチバチ)
②意識が高い
この2点は本当に共通しているように感じます。
忘れ物をしない、鉛筆は必ずといでくる、カバンの中は整理されている、など細かい部分からです。
このあたりが苦手な人!意識してみませんか?
意識を高めると結果も変わって行きますよ。

皆さんは「人のまねをすること」についてどう思いますか?
約2年前、先生が暮らしている長崎の中心部にサンドウィッチ屋さんがオープンしました。
そこはアメリカ発祥のファストフード店で、先生がアメリカ留学時代に友人に連れて行かれたお店で、懐かしい反面、苦い思い出のあるお店です。

学生時代に初めてそのサンドウィッチ屋さんに入ったときの思い出話をちょっとお話ししたいと思います。
数種類のパンの中から好きなものを選び、トーストするのかそのままなのか?そして数あるトッピングの中から好みの肉・チーズ・野菜・ソースを順に選んで自分好みのサンドウィッチに仕上げていく形式のお店でした。
自分好みのサイズ・中身に仕上げることのできる大変魅力的なお店でしたが、今まで経験したことのない注文方法で英語でどのように伝えれば良いのかわからず中々注文の列に並べませんでした。
チーズだけでも4~5種類あり、他の具材との相性が分からないため、何を選ぶべきかすら分からない。
さらには、教科書には載っていないフレーズが飛び交う店内。
「自分好みにしよう!」という考えは捨て、『前の人にならえ』で注文し始めました。

目の前に並んでいた巨大な男性が店員さんと交わす会話を聞き、全く同じ言葉を真似しながら注文していきました。
思い出すだけでも緊張感がよみがえってきます。
最後にできあがった、超巨大なサンドウィッチ。
昼だけでは食べきれずその日の夜ご飯にもなりました。
自分好みのサンドウィッチは手に入りませんでしたが、それ以来、同じような形式のお店に入ることが楽しみになりました。
先生はこの経験を通して「観察する⇒真似る⇒進化させる」というサイクルを学びました。

人は誰でも初めて何かをやり始めたり、経験したことが無いことに出くわした時、どうしていいのかわからないで悩むことがあると思います。
皆さんも初めて能開に入ったときに勉強の仕方が分からず悩んだ経験はありませんか?
うまくやっている人や熟練者の動きを観察したりアドバイスをもらいながら、まずは「真似する」ところから始めるとうまくいくこともあると思います。
何事においても、自己流を貫くだけではなく、周りを観察し自分に足りないものを吸収しながら、さらに自分に磨きをかけていけるといいですね。

世の中には興奮する事はいっぱいありますが、先生にとってその1つは間違いなくエベレストです。
先生は、小学生の時に遠足で普賢岳という山に年1回登っていた以外、登山の経験がない全くの素人ですが、この世界一の山だけは以前から気になって仕方がありません。

エベレストで興奮するところは、何といっても8,848メートルと言うその高さです。
これは飛行機の巡航高度 (8,000〜12,000メートル)と同じくらいの高さです。
すなわち、皆さんが頭上の飛行機を見上げたときの高さ、それがエベレストの高さなんです。
標高8,000メートル以上の地帯は、「デスゾーン」と呼ばれ、空気は地上の3〜4分の1しかありません。
そこでは、10キロ以上ある酸素ボンベがないと低酸素症となり生きていけません 。
平均気温は夏でもマイナス30度を下回ります。
モンスーンが近づくと風速50メートル以上の猛烈な吹雪となり、体感温度はマイナス60度にもなります。

そこを登る苦しさを、ある登山家は「マイナス50度の冷凍庫の中で、20キロの荷物を背負い、顔に枕を押し当てて、全速力で6時間以上走り続けるようなもの」と表現しています。
よく映像で登山家が 山の上をよちよち歩いている場面ありますが、そこには1歩ごとに想像を絶する苦しさがあるのです。

このエベレスト界隈で、昨年衝撃が走りました。
それはある遭難した登山家のミイラ化した遺体が、溶けた氷河の中から見つかったからです。
実はエベレストの上には遺体がゴロゴロ転がっています。
その数は100を越えるとも言われています。
エベレストのような極限状態では遭難者を救助する事は難しいです。
二重遭難といって救助に向かった人までが遭難してしまう可能性が非常に高いからです。
そのため、遭難者や遺体は回収されず放置されることが少なくありません。

しかし、今回その遺体に世界の注目が集まったのは、エベレスト登山の歴史を変える可能性があるからです。
現在公式に認められているエベレスト登頂に最初に成功した人は、ニュージーランド人のエドモンド・ヒラリーとネパール人のテンジン・ノルゲイという2人です。
2人は1953年に登頂に成功しました。
(この2人についても非常に面白い話があるので、お話ししたいのですがここでは割愛します。)
しかし、この2人に先立つ29年前の1924年、エベレスト登頂に成功したのではないかと言われている2人がいます。
イギリス人のジョージ・マロリーとアンドリュー・アービンです。
ジョージ・マロリーは「なぜ山に登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と発言をしたことでも有名な人です。

この2人はエベレストの山頂から200メートル付近のところにいた事は確認されています。
しかしその後に消息を立ち遭難しました。
問題はこの2人が山頂にたどり着いた後に遭難したのか、それともたどり着く前に遭難したのかと言う点です。

アーヴィンはその当時の最新機種であるヴェスト・ポケット・コダックという、コンパクト・カメラを持っていました。
もし山頂にたどり着いたのならば、記念撮影をしたでしょうから、カメラにフィルムが残されていれば、初登頂の決定的な証拠になるのです。

その、アーヴィンの遺体が見つかったことで、近くからそのカメラも発見されるのではないかと、注目が集まったのです。
残念ながら、現時点ではカメラの発見には至っていません。
しかし、捜索範囲は確実に狭まっています。
近い将来、そのカメラが見つかり、この論争に決着がつくことを先生は願っています。

このように、歴史には、不確定なものがたくさんあります。
教科書で習う歴史は、推論にしか過ぎないこともあるのです。
皆さんが普段から勉強する際、本当にそうなのだろうかと疑問を持って取り組むこと、そのことが皆さんの学習に厚みを与え、より充実した人生を送る手助けになると先生は考えます。

ちなみに、エベレストには素人でも登頂することができます。
ただし、お値段のほうも世界最高峰で800万円ほどかかるそうです。
これを読んでくれた人の中から、誰かチャレンジしてくれる人が出てくることを期待しています。

今年も「今年の干支は何でしょう」と問いかけると、「巳(へび)年です」という元気な声が返ってきました。
しかし、一部の生徒は「あっ」と気付いて考え始めました。
毎年、話すと覚えていてくれるものですね。
「乙巳(おつへび)!」惜しい(笑)、乙巳(きのとみ)です。

干支というのは、十干(じっかん)と十二支の組み合わせ、十干十二支を略した言葉です。
あまり聞きなじみがないと思いますが、十干は、中国の古代思想から考えられたもので、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)という10個の要素で構成されています。
日本独自の読み方では、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となります。
木、火、土、金、水は五行思想、えは兄、とは弟からきています。
十干が10通り、十二支が12通りあるのでその組み合わせは60通りです。
算数で習う最小公倍数の考え方ですね。
60通りですので一巡りに60年かかります。
60歳で還暦のお祝いをしますが、この還暦というのは干支がもとになっている考え方です。
生まれた年に還るから還暦なのですね。

歴史で習う“乙巳の変”の乙巳もここから来ています。
“乙巳の変”は“大化の改新”ともいわれますね。
蹴鞠(けまり)で親しくなった“中大兄皇子”と“中臣鎌足”が、談山(かたらいやま)で密談して、蘇我宗家を討ったあれですね。
ちなみに密談場所の談山のふもとにある談山(たんざん)神社には藤原鎌足が祀られています。
世界唯一の木造十三重の塔は一見の価値ありですよ。
そして、談山の奥にある御破裂山(ごはれつざん)には鎌足公の墓所といわれる場所があります。
墓所があるという以上に、名前のインパクトがすごい山ですが、「天下に異変が生じる時、御破裂山が鳴動して知らせる」、という何かの映画に出てきそうな言い伝えがあり、少なくともこれまでに53回、鳴動したそうです。
やばいですね。

さてその十二支の巳ですが、競争では辰(たつ)と同着の5番でしたが辰にゆずって6番になったそうです。
あのにょろにょろ進む巳が、空を飛ぶ辰と同着とはすごいですね。
それに地面をはって午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)に勝ったというのもすごいですよね。
ちなみに負けた動物たちにはそれぞれ理由があるそうです。
順に挙げると、午は道草をくっていた。
未は迷子になっていた。
申と戌は喧嘩をしていた。
酉はその喧嘩の仲裁をしていた。
亥は誰よりも早かったが、違う場所についていた。
といった感じです。
巳がこつこつがんばっていたら、ライバルたちがかってに負けてくれたといったところでしょうか。
なんだか考えさせられますね。

新年になると、何か新しいことをしたいな!と思うのですがみなさんはどうでしょうか?
先生は昨年から言語学に興味を持ち、時間があるときに気になることを調べています。
その中で一番好奇心がそそられたのは、幼い子どもの言語発達についてです。

突然ですが、みなさんは幼い子から「今日、とらのこが降るからはやく帰ろうよ。」と言われたらどう思いますか?
「とらのこって何だ?」ときっと大困惑することでしょう。
実はこれ、「今日は雹(ひょう)が降るからはやく帰ろうよ。」と言いたかったのです。
天気予報で「ひょうがふる」と聞き、ひょうと言えば動物、豹ってなにか虎と似ていたな、じゃあ虎の子だ!と考えたという成り行きでした。
とっても可愛い間違いですよね…。
「そんな勘違いありえないよ!」と笑っている人もいるかもしれませんが、おそらく幼いころに似たようなことを言っているはずですから、ぜひお家の人に聞いてみてくださいね。

さて、言葉というのは年齢を重ねていくにつれ、正しく使える数が増えていくものだと思います。
それではなぜみなさんは言葉が正しく使えるようになっていくのでしょう?
それは、わたしたち人間が訂正・修正を繰り返して学ぶことができるからだと思います。
かく言う先生も、言葉はどう使うのかといったことを語っていますが、幼い頃はとうもろこしを「とうもころし」と物騒な言い間違いをしていましたし、今でも自分の使っていた言葉の誤りに気付くこともあります。
(「準備万端」と「準備万全」って違うんだ!とか)

ただ、少しずつ心身が発達してくると、間違いが「恥ずかしいこと」「してはいけないこと」のような気がしてしまい、なかったことにしたり、放置したり、何か他のせいにしてしまったりしてしまいたくなります。
そこで、間違いを訂正していくことが成長に繋がることを心に留めていてほしいのです。
もちろん、いくら頭では理解していても実行することは生半可な気持ちでは難しいです。
しかし、その大変さ、面倒さを超えた先にある理解したときの気持ちよさを味わってほしい、学びの原動力としてほしい、そして、そのサポートができたら幸せだなと思っています。

秋は過ぎ去り、冬が本番を迎えつつある昼下がり。
いい加減運動せねばと思い、近所を散歩する。
いい天気だ。雲ひとつない。
遠くに見える真っ青な空と深い緑の山の境界線が好きだ。
たどり着ける訳もないのにそこへ向かって歩みを進める。
ふと、空と山の境界線に白い鉄塔があるのに気づく。

そう言えば、あの鉄塔はどうやって建てたのだろう。

トラックが通るような道があるようには思えない。
まさか人の力で運んでいるのだろうか?
それに鉄塔と鉄塔の間を結ぶ電線はどうやって張ったのか?

次々に浮かぶ疑問と一緒に散歩を続ける。
ふと、目の前に「〇〇の宿跡」と彫られた石碑が現れる。

宿?
ここには昔宿があったのか?
温泉か?温泉があったのか?

温泉に行きたいな。
寒くなってきたな。
帰ってお風呂に入ろう。

湯船につかりながら先ほどの疑問を思い出す。
なぜ?どうして?どうやって?
だめだ、お風呂になんて入っている場合じゃない!

どうやって山の上の鉄塔を立てるのか?
建設場所まで行くための道路を作って資材を運んだり、ヘリコプターを使ったりして運ぶ。
送電線もヘリコプターと地上の作業員との協力で張る。
資材の材質や塗装の色、作業方法の一つ一つに工夫がしてある。すごい。

「〇〇の宿跡」とはいったい何?
昔の街道沿いにあった休憩のための宿。場所によっては峠を越えるための準備をする場所。
街道で有名なのは五街道「東海道」「中山道」「甲州街道」「奥州街道」「日光街道」。
街道は人や物資が行き来するために整備された道のこと。五街道は参勤交代にも用いられた。
街道は日本各地にあり、中でも長崎街道は別名「シュガーロード」とも呼ばれる。
出島を通じた貿易で当時貴重だった砂糖が大量に長崎にもたらされ、街道を通って長崎から佐賀を通り、福岡まで砂糖が運搬された。
このとき街道沿いに砂糖や砂糖を使った菓子作りの技法が伝わり、カステラや丸ぼうろなどの有名なお菓子が生まれた。なるほど。

普段気にも留めない目の前の光景にも、必ず意味や歴史が存在する。
誰かが言った。
「知識を増やすことは、世界の解像度を高めること」
知れば知るほど世界はより鮮明に、より深く、より広がっていく。

知るためのスタートラインは疑問を持つこと。
なぜ?どうして?と感じることが、あなたの世界を広げるきっかけとなる。

今年も残りわずか。
来年もあなたにとって世界が広がる1年となりますように!

そう願いながらこの文章を打つ手が止まる。
キーボードの配列はなぜこうなっているのか?

夏の暑さがうそのように涼しくなり、あっという間に寒くなりましたね。
夏の暑い時期は、ちょっとした移動もおっくうで、クーラーのきいた電車やバスに乗ったり、すぐに車を使ったりしていましたが、歩きやすい季節になったので、運動不足解消もかねてなるべく歩くようにしています。
最近は、目的地に向かってただ移動するだけでなく、ちょっとした脇道があると、「そこに入ってみよう」と、知らない道にドンドン入っていくようになりました。

普段は絶対に通ることのないみちをぶらぶら歩くと、いつもは気づかなかったことをたくさん発見します。
先生が住んでいる長崎は坂の町なので、本当にこんなところまで家があるのか!という山の斜面まで家がびっしり並んでいます。
車は入ることのできない細い路地なので、ゆっくり歩くことができますし、猫もよくいます。
こんなところに小さな公園がある!裏道の小さなおにぎり屋さんのおにぎりがめちゃめちゃおいしい。
歩かないと気づかないことはたくさんあります。
階段に白いペンキが塗っていますが、暗くなった時に見やすいように塗っているのだそうです。
階段を上っていくのはものすごく大変ですが、ふと振り返るとものすごくいい景色が広がっています。

タイトルの「さるく」ですが、「さるく」とは、長崎の方言で「ぶらぶら歩く」という意味があります。
ぶらぶら歩くことは、一見、意味のないことをしているように思えるのですが、思わぬ発見があるのが「さるく」なのかもしれません。

みなさんの勉強もそうではないでしょうか。
英語がきらいな人は「自分は外国になんか行かないから、英語はいらない!」数学や算数がきらいな人は「計算ができなくても電卓やスマホがあればかわりにやってくれるし…。」社会がきらいな人は「もう死んでしまった人がやったことを覚えて何の意味がある?」なんて言っていませんか?
確かに意味のないことなのかもしれません。
目的地に向かわず、ぶらぶらしているのが勉強かもしれません。
だからこそ、その中に隠れている大切なことを見つけるチャンスが転がっているかもしれませんよ。

みなさんも「さるく」してみませんか?

12月に入り、空気が一段と、ピリッと冷たくなってきた気がします。
あまりの寒さに、外出するのも億劫になりそうですが、外を歩くと、イルミネーションが目を楽しませてくれますね。
最近では目を見張るような装飾も多く、キラキラ輝く街並みを見ていると、なんだかワクワクしてきます。
みなさんは、このイルミネーションの起源を知っていますか?
いろんな説があるそうですが、最も有名な説の一つは、18世紀のドイツに遡ります。
マルティン・ルターという人(宗教改革をした人。社会で習った人もいますね。)が、クリスマス・イブのミサの帰り道、森の中で見た星の煌めきに感動して、子供たちに見せたいと木にロウソクを飾って再現しようとしたのが始まりだそうです。
その後、電球を使用して飾りつけをしたのは、ご存知エジソンなのだとか。

昔から人の目と心を惹きつけるイルミネーション。
暖色系の光は喜びを感じさせ、寒色系の光はリラックス効果をもたらす、というのは知っている人もいるかもしれません。
さらに光の点滅や変化による視覚の刺激と、家族や友人との共有体験が合わさって、幸福感をもたらしてくれるそうですよ。

さて、このイルミネーション、ある場所では準備に1年を費やすそうです。
テーマを決め、コンセプトを練り、光を調整するために明るさを100%から0%まで試して修正を重ねていく。
また、周囲とのバランスを考え、見え方や点灯、消灯の秒数まで、妥協なく労力を費やします。
当然、試験的に点灯するためには人がいない真夜中まで作業する必要も出てきます。
きれいなイルミネーションの裏に、こんな苦労が隠されていると考えると、何気なく見上げていた光も違って見えそうですね。
だからこそ綺麗なんだ、とも言えるかも。

さあ、これから冬行事の季節です。
イルミネーションにも負けない輝きを放てるように、努力を惜しまず頑張りましょう!未来を照らす冬になりますように。