180910紀元前49年1月7日、古代ローマ武将のカエサルは、兵を率いたままルビコン川を渡りました。彼は、元老院から軍隊を解散してローマに帰還するように命じられていました。
しかし、カエサルはその命令にさからって、イタリアに侵入したのでした。

そのとき、彼が言ったことばが、「賽(さい)は投げられた」です。「事はすでに始められたのだから、途中でやめることはできない。ただ断行あるのみ」という意味です。
この故事から、ある重大な決断・行動をするたとえとして、「ルビコン川を渡る」ということばもつくられました。ただし、ルビコン川はイタリアとガリアの国境を流れていた川ですが、どの川を指すのか正確にはわかっていないそうです。

さて、この「賽は投げられた」の中国版が、「乾坤一擲」です。この四字熟語は、唐代の詩人韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩からつくられました。
「竜疲れ虎困(くる)しみて川原(せんげん)を割(さ)き 億万の蒼生(そうせい)性命存す 誰か君主に勧めて馬首を回らし 真に一擲(いってき)を成して乾坤(けんこん)を賭けしむ」
竜と虎は、項羽と劉邦のことです。二人が天下を争ったとき、決着がつかずに疲れきってしまい鴻溝を境に停戦協定が結ばれ、億万の生命が救われました。いったい誰がこのような乾坤一擲の決断をさせたのでしょうか、といった詩です。
乾坤は天地の意味で、擲とは賽(サイコロ)を投げることだそうです。したがって「乾坤一擲」とは、一か八か、天下を賭けた大勝負をすることをいいます。

ところでいま、「一か八か」といいました。これはどういう意味でしょうか。
乾坤一擲の類義語には、ほかに「一六勝負」があります。これはサイコロの目の一と六から由来したものです。
しかし、サイコロには八はありません。だから「一か八か」がよくわからないのです。
なぜ、なぜ? なぜでしょう?

じつは、このことば、「丁(ちょう)か、半(はん)か」から生まれたものなのです。
丁は偶数で半は奇数ですが、その“丁”と“半”の上部に注目してみてください。
漢字の上部をとって、“一”と“八”にしたのである、なんてね。
実に名訳である、エッヘン、オッホン。

故事成語やことわざから学ぶことはたくさんあります。そして、そこから新しい考えが生まれることもたくさんあると思います。
挑戦してみてください。

1809031993年屋久島と同時に世界遺産に登録されましたね。白神山地には手付かずの原生的なブナの天然林が世界最大級規模で残っているといわれています。
しかしこの話、少々先生には?でした。
手付かずの原生林なら世界中にまだ見ることが出来るのではないか?
白神山地が特になぜ?
この疑問の答えを一冊の本が教えてくれました。「山の自然学」小泉武栄 です。
 
小泉先生によれば3000万年前、地球は温暖でそのほとんどが熱帯に包まれていた。現在の温帯に含まれる森林は北極を取り囲むわずかな地域にのみ分布していたらしいのです。
その後気温の寒冷化とともに、森林は南下し始めます。(北極は寒すぎたわけですね。)
その際、針葉樹林は(根性をみせて)現在の場所にとどまり、他の森林は現在のアメリカ東部、ヨーロッパ、日本の三箇所に移動したわけです。しかしその後ヨーロッパ、アメリカでは氷河が発生し多くの植物が滅亡、生き残った森林はごく一部の種類のみとなりました。
この氷河の影響を受けなかった日本の森林のみが、多種多様な原生林を残したのです。

白神山地のブナ林は森そのものが「生き残り」であり自然史からも非常に貴重なものなのです。(すごいですね。)
世界中を放浪した先生の友人の話を聞いても、日本の森林ほど多種多様な植物を持つ森林はないそうですよ。日本は小さな国土の国ですが、素晴らしい森林を持っているわけです。

9月、新学期ゼミが始まります。能開の教室にもさぞや多種多様な(失礼かな?)生徒諸君が顔を見せてくれると思います。
それぞれの個性をぶつけ合って、生きる能開の教室を広げていってください。

180827夏休みが終わろうとしています。

以前から教室に通っている人も、初めて参加して挑戦してくれた人も、夏の講習会や集中特訓から、君たちが得たものがありますね。

この講習会では宿題に追いかけられたんじゃないかな。
『ご飯食べたら、アレしなきゃ。』とか、『これが終わったら次はこれね。』
『あっ!生徒会にも行かなきゃいけなかった~。どうしよう~。』
という感じで、「やること山のごとし」の日もあったと思います。
その中で君たちは、やることの順番を考えたり、いつもよりも早く始めたり、工夫しながら生活のスピードを上げてきたはずです。

生活を『時計の針』で考えてみて。
時計の針が、カチッカチッとゆっくり進むのではなくて、ぐぃ~んと進んでいく。
ちょっと焦りながら、目の前のことに集中して次へ次へと進んでいくんですね。
実は『頑張る』って、こんなことなんです。
少しずつ、たくさんのことができる人になっていくんですよ。
なんでそんなことができたかというと、それは周りのみんなが同じように進んでいるからなんですね。

ピンとこないかも知れないけど、高速道路を走る車に乗っていると、初めは速いと感じますが、そのうち慣れてくる。普通の道に戻ったら、逆に遅く感じるんですね。

大都会に行くと、人の歩く速さにびっくりすることがあります。
電車から電車に乗り換えていくので、早足になるんです。彼らにとっては毎日やってて当たり前になっているけど、のんびり過ごしていた場所から行くと初めはついていくのがきついです。
でも慣れてくると、自分も早足の仲間入りをします。
自分の生活を変えていくんですね。
反対にまわりがのんびりしているところにいると、自分ものんびりになっていくんです。
それでは今までと同じ。未来は変わりません。

さぁ、この夏で『自分の中にある時計の針の進み方』が速くなったはずです。
初めのうちはきつかったはず。でも慣れてくると少し当たり前になってきたでしょう。

確実に言えることがあります。
それは、忙しい人ほど伸びるということです。
忙しい人は、勉強の時間がとれなくなるんじゃないんです。実は逆なんです。
時計の針の進み方が速くなるんですよ。君たちが経験したみたいに。
1日の中でやれることが増えるから伸びていくんですね。
さらに共通しているのは、伸びていく人は忙しさを言い訳にしません。

大事なのは元の速さに戻さないこと。速く進む人たちの中にいることです。
9月が始まります。時計の針の進み方を速く速くしていけば、自分の目標に速く近づいていきますよ。
忙しい人になってください。そして全員で伸びていきましょう。

1808208月も下旬になって、夏休みもあと少しですね。この夏休みは充実していますか?
今まさに講習会中の人もいれば、クラブに一生懸命打ち込んでいる人もいることでしょう。
そして、早ければ8月の後半から学校が始まり、通常の生活に戻っていきますね。
「うれしい!みんなに会える」と思う人や、「もう、休みが終わってしまう」と思う人がいると思います。

ある、資料によると、夏休みと冬休み、休み明けの通学がつらいのはどちらか? という質問に、ほとんどの人が「夏休み明け」と答えるのだそうです。
冬休みと比べて、夏休みのほうが長いので名残惜しくてそう感じるわけではないようです。

実は、人間の習慣は21日間で作られるそうです。夏の40日ある休みの間、だらけた生活を送っていると、これが習慣になってしまって、学校が始まって、この習慣を取り戻そうとするのでしんどいのだそうです。取り戻すのにまた21日かかりますからね。

逆に言うと、いいことも
「21日間続けると習慣になる」わけですね。

新学期までと少し、何かを始めるときは今から21日間続けて取り組んでいくことを心がけるとよいですね。

180806みんなの顔はどんな顔ですか?丸い顔の人、四角い人、卵型の人、ホームベース型の人、いろいろですね。

日本人の顔の形は、大きく分けて縄文人型と弥生人型に分かれるそうです。角型で顔が短く、目が二重で大きく、鼻の付け根が高い人は縄文人型だそうです。
一方、丸型・面長で、目が細く、鼻の付け根が低い人は弥生人型だそうです。みんなの顔は何型ですか?ちなみに、私の顔は、顔が長くて目が大きいという中間型です。

山口県の日本海側の西の方に、土井ヶ浜遺跡という遺跡があります。景色のとてもきれいな角島の近くです。土井ヶ浜の遺跡からは、約300体の人骨が発見されています。人骨が埋葬されていた様子は、土井ヶ浜人類学ミュージアムというドーム型の施設で、人骨のレプリカを使って再現されています。
鵜(う)の骨と一緒に埋葬されている女の人、親子で埋葬されているもの、夫婦だったのか恋人同士だったのか男女で同じ場所に埋葬されているもの、骨折のあとのある人骨も見つかっています。なかには、14本もの矢じりが刺さった人骨も発見されています。それらの弥生人たちは、みな砂浜から西の海のほうに顔を向けて埋葬されていました。

土井ヶ浜は弥生時代前期の遺跡ですが、不思議なことがあります。それは、土井ヶ浜遺跡で発見された弥生人は、顔の形が長く、九州や他の日本のどの縄文人とも似ていないのです。
では、いったい土井ヶ浜の人たちはどこから来たのでしょうか?

最近の研究で、土井ヶ浜の弥生人と同じ顔の特徴を持った人がいたことわかりました。それは、中国の山東省の人たちです。顔の形が長いという土井ヶ浜の弥生人たちと山東省の人の顔の形は、共通点がとても多いそうです。このため、土井ヶ浜の弥生人たちは、はるか昔に中国から、はるばる海を渡って日本にやってきたと考えられています。
なぜ、はるばる広い海を渡って日本にやってきたのでしょうか。ちょうどそのころ、中国は戦国時代で、国中が戦争をしている状態でした。土井ヶ浜の弥生人たちは、そんな戦争の絶えない国から、平和な土地を求めて日本へやってきたのでしょうか。

土井ヶ浜の弥生人たちが西の海のほうを向いて埋葬されていたのは、遠い故郷を見ていたのかもしれません。故郷に残した人々のことを思ったのでしょうか、いつの日か平和な故郷へ帰ることを夢見ていたのでしょうか。
地図もコンパスもない時代に、星や陸の形だけを頼りに、遠く中国からやってきた航海の大変さは想像を超えるものです。そんな土井ヶ浜の弥生人たちの意志の強さ、たくましさを考えると、ただただすごいなあと感じます。何よりすごいと思うのは、広い海の先にある未知の世界に向かって、小さな船で漕ぎ出した勇気です。

今の世の中では、広い海の先にあるのは未知の世界ではないかもしれません。しかし、いままで体験したことのないことや、いままで出来なかったことの先にあるのは、みんなにとっての「未知の世界」です。
この夏、みんなにとっての未知の世界に、勇気をもって一歩を踏み出そう!

180730皆さんは、勉強以外で「興味を持って取り組んでいることは何ですか」「普段から頑張っていることは何ですか」と聞かれたら、多くの人が様々なことをあげてくれるのではないかと思います。
スポーツをしている人は、自分が取り組んでいるスポーツが答えになりそうですし、習い事をしている人も多いので、自分が習っているものが、興味を持って取り組んでいる事なのではないかと思います。本が好きなので読書というのもいいですよね。先生が知らないだけで、もっと多くのことに皆さんは取り組んでいるのではないかと思います。

じゃあ先生は? ということで先生が最近頑張ろうと思って取り組んでいることを紹介したいと思います。
一つ目は料理です。料理マンガを読んでその気になりました。かなり単純です。
二つ目は筋トレです。この夏に鍛え抜かれた体を披露しようと思い始めました。これもかなり単純です。そして披露する場所は今のところありません。
三つ目は英語の勉強です。

今回の朝礼は、なぜ先生が英語の勉強を頑張ろうと思ったかを話したいと思います。

今年の春でした。先生はある英語の達人と出会う機会があったのです。もちろん達人本人が、「俺、英語の達人だからさあ」と言ってきた訳ではなく、もしそうだったらその性格についていけずその場でバイバイでしたが、先生が勝手にその人を達人だと思ったわけです。どちらかといえば逆で、その方は謙虚に「まだまだ英語の学習者です」と仰ってました。
なぜ達人と思ったかというと、その方はTOEIC満点、英検1級、TOEFLやその他の英語の資格もかなりの高レベルで取得されていました。そして先生よりかなり若い。まあ、若さは関係ないといえば関係ないのですが。

資格だけでなく、その方が話す英語を聞いた時に、「え?これ日本人の話す英語?」と思ってしまうくらいカッコイイ英語を話されていました。カッコイイといってもチャラチャラした英語ではなくきちんとした英語でした。
先生はてっきり、帰国子女か長期留学の経験がおありなんだろうと思って達人に聞いたところ、生まれも育ちも日本で、大学を卒業するまで海外に行ったことがないということでした。英語の資格の勉強も、その英語力も日本で勉強して身に付けたということでした。

「純粋にすごいな」という気持ちがものすごい興味に変わり、先生はどんな英語の勉強をしたのか達人に聞いてみることにしました。勉強自体は、英単語を覚え、文法を習得し、英文読解ができるようになる。そして聴く練習(リスニング)と話す練習(スピーキング)を行うというものでした。
先生が感動したのは、「○○という単語帳は100回くらい繰り返しました」とか「○○という文法書はページ数を言われたら、そのページに何が書いてあるか言えるくらい覚えました」とか、その他にもいくつかの仰天エピソードを聞いたときでした。つまり先生が目の当たりにしている達人の英語力は、ものすごい努力の積み重ねで得たものだったのです。

先生はこの達人とお会いして、日本にいても英語の勉強の仕方や努力の量で、達人までとは言わないまでも、すごい英語力を手に入れることができるのではないかと思ったのです。だって、達人も日本で生まれて育って英語力を身に付けたわけですから、同じ日本人である先生にもできるのではないかという結論に達したのでした。それが英語を頑張ろうと思ったきっかけです。
 
皆さんはこれから講習会や合宿という多くの人が集まる環境を経験します。そこには多くの出会いが待っています。先生が達人に会って英語の勉強をがんばろうと思ったのと同じように、自分を刺激してくれる出会いが必ずあると思います。
特に同じ学年であれば、その人が特別なのではなく、自分にもできるのではないかと思ってみてください。先生が興味をもって達人にいろいろ聞いたようにいろいろな質問をするのもいいでしょう。

皆さんにとっての多くの出会いは必ず皆さんを成長させてくれます。

180723今年も全国各地で夏の高校野球全国大会の予選が各地方で行われています。夏の全国大会は、この夏ちょうど100回目の大会になるそうです。
私は、特にスポーツを積極的にするタイプではなかったのですが、忘れられない試合があります。学生時代たまたま高校野球の決勝戦をテレビで見ていました。全国4000校以上が参加し残った勝ち残った2校です。
この年は、熊本県の熊本工業高校と愛媛県の松山商業高校の試合。私の出身地が愛媛の松山ということもあり何となくですが松山商を応援していました。

途中の試合経過は覚えていませんが3-2松山商リードで9回裏2アウト。あと一人抑えたら松山商が勝ちという場面で、「松山商の勝ちだな」とほとんどの人が思っていました。
ここで出てきた熊本工の1年生がホームランを打って同点になり、延長戦に入ります。そのとき熊本工はすでに勝ったかのような盛り上がり。逆に全国優勝まであと一歩まで来ていた松山商はしょんぼりした形で延長戦に入りました。

延長10回、先攻の松山商は無得点。後攻の熊本工は勢いがありました。1点取れば優勝という場面で、ワンアウト満塁の場面まで作ります。ここでヒットを打ったらもちろんサヨナラ勝ち、ファウボールや外野にボールが飛んでも、タッチアップというルールでランナーは守備がボールを取った瞬間から走っていいので、これもサヨナラ勝ち。松山商は絶体絶命のピンチです。
このとき、少し間があって松山商の監督が外野の守備を交代しました。出てきたのは地方大会からずっと控えだった矢野選手。ほぼ熊本工が勝つだろうという場面で、守備を変えたところから奇跡が始まります。
そのあとすぐのプレーで、バッターはしっかり外野まで打ちます。飛距離十分のボールが飛んだのは、変わったばかりの矢野選手のところへ。このときのテレビの実況の方は
「いった~。これは文句なし!」
誰もがタッチアップ成功で試合終了、熊本工の勝ちだと思いました。そこから矢野選手は、ボールを取って、そのままバックホーム。山なりのボールがキャッチャーのグローブの構えたところへ。と同時にサヨナラのランナーが滑り込む。会場が一瞬静まり返ります。
「アウトー!!!」
このとき鳥肌が立ったことは忘れられません。今度は、熊本工が負けたかのように静まり、松山商は勝ったかのように大盛り上がり。結果は、そのまま勢いづいた松山商が全国優勝しました。

それから何年かあとに「奇跡のバックホーム」の主役である矢野選手がテレビに出ていました。練習のときからどうしてもミスが多く、返球もバラバラだったそうです。当時、松山商が守備練習の最後に行っていた守備順にノックを受けて返球する「ノーエラーノック」のときも、みんながミスなくつないでも最後のライトの自分の場面でミスをして、ノックが最初からやり直しになることが続いたそうです。このプレッシャーから、何度も返球練習を積み重ねたそうです。チームのベンチには
「千日の鍛錬、一瞬の業」
という言葉が書かれています。

今、取り組んでいることがいつ成果として出るのか。目の前にある一問を挑んだ向こう側に何があるのか。
そんなことって、なかなか分かるようで、なかなか分かるものではないですよね。だからこそ、この夏です。本気で挑んだ一問が未来の自分につながることを信じて。

さあ、思いっきり2018年の夏を、自分の記憶と記録に残る夏にしよう。

180717西日本の豪雨災害に被災された方へ、心よりお見舞いを申し上げます。
なかなか復旧が進まない被災地の状況を報道で知り、とても悲しい気持ちになります。一日も早い復興をお祈りします。

さて日本は災害列島といわれるほど自然災害が多く、地震、台風、洪水などで多くの人が苦しめられてきました。昭和の時代でも、100人や200人の死者がでる災害や事故は毎年のように起こっていたように思います。それが平成になって犠牲者が減ってきたのは、社会の仕組みや生活の工夫の中で、私たちの防災の取り組みが進んでいるからです。

例えば阪神淡路大震災の時、地震の後のガス漏れで多くの火災が発生したため、地震と同時にガスが自動的に止まる装置が開発されました。家具が倒れてその下敷きになった人が多くいたため、家具を固定する突っかえ棒をつける家が増えました。携帯電話に緊急地震速報が流れるようになりました。5年前からは、重大な災害が予想される時に、気象庁が特別警報を出して避難を促すようになりました。どんどん防災の仕組みは進んでいるのです。

今回の水害で被害の大きかった岡山県は、もともと他府県より自然災害が少ない場所だといわれてきましたが、そのような場所でさえ、このような災害にあうこともあるのです。想定外はあるかもしれないと考えて、いざと言うときにどう行動するかを決めておくことは、とても大切です。避難するための安全な場所も、洪水と地震では違うかもしれません。皆さんの住んでいる場所がどのような場所なのか、家族で話し合って、もう一度よく見直してみましょう。

私たちが台風や地震を止めることはできません。ただ、被害をゼロにはできないとしても、最小限にとどめる工夫はできるのです。大きな怪我を小さな怪我にすませることができるのです。

いよいよ夏休みが始まります。海水浴やキャンプ、旅行など楽しいことがたくさん待っていますが、一方で、自然災害への心構えも忘れないでいてください。皆さんがよい夏休みを過ごしますように。

180709皆さんは、「3人のレンガ職人」というイソップ童話を知っていますか?

旅人が道を歩いていると、レンガを積んでいる3人の職人に出会い、「ここで何をしているのですか?」と尋ねます。
1人目は「レンガを積んでいるのさ」と答え、辛くて不公平だと考えていました。
2人目は「大きな壁を作っているのさ」と答え、家族を養うために仕事があることに感謝していました。
3人目は「歴史に残る偉大な教会を作っているのさ」と答え、教会の完成をイメージし、そこに訪れる人々の幸せまで考えていました。

同じ仕事をしているはずなのに、この3人の違いは何でしょうか?
それは、「目的」を持てているかどうかです。
「ただレンガを積んでいる」のと「教会を作るためにレンガを積んでいる」のでは、完成に大きな差がでます。

まもなく講習会がスタートしますね。
受験、将来の夢など、どんなことでもいいで、あなたの持っている「目的」をたまには思い出してみてください。
そうすれば、背筋が「ピンッ」と伸び、あとひと頑張りができますよ。

180702世界3大○○という言葉を聴いたことはありますか。
○○にはいろいろな言葉が入るのですが、日本のモノもたくさん入っているのに驚きます。
実は、この3大○○は、主に日本で使われている言葉なのです。だから日本の言葉が多く入っているといえば、納得ですね。

さて、3大○○といえば・・・。3大河川、3大夜景など、いろいろとありますが、皆さんは3大瀑布(ばくふ)って聞いたことはありますか。
瀑布とは滝のことです。
3大瀑布とは、①ナイアガラの滝(カナダとアメリカの国境)、②ビクトリアの滝(ジンバブエとザンビアの国境)、③イグアスの滝(アルゼンチンとブラジルの国境)のことを指します。
どの滝も、日本で見ることのできる滝の規模をはるかに凌いでいるので、その絶景は圧巻だといわれます。そして、その勢いも凄まじく、以前は、ナイアガラの滝は侵食によって一年間で滝の位置が1m以上も上流に移動していたといいます。
なぜ以前かというと、今は、技術の発達によって、1年間に3cmほどに抑えられているということです。
人間の技術の進歩って、滝の制御にまで及んでいるのですね。本当にすごいことです。

ここまでは、3大瀑布について述べました。では世界一落差の大きな滝を知っていますか。
この滝は、エンジェル・フォール(ベネズエラ)といわれ、落差は、979mもあるのです。
想像してみてください。想像を絶する高さです。もしかしたら、皆さんの近所の少し高い山よりも高いかもしれませんね。
そして、このエンジェル・フォールの最大の特徴は、滝つぼがないことなのです。
(※滝つぼとは、滝の真下にある水のたまっているところ、水深の深くなっているところのことです。)
この大きな落差のために、滝を落ちる水が散ってしまうのです。979mとはそのくらいの高さだということです。
でも、不思議なことに、散ってばらばらに降り落ちた水が集まって、滝のすぐ下からまた川が流れているのです。
なんとも、想像を絶する規模ですね。
このように、いろいろと調べてみると、いろいろな滝があることがわかります。

皆さん、どうですか。滝って面白いと思いませんか。
どのようなものでも興味を持って調べ、深めてみると、新しい発見や感動、そして、また新しい興味が生まれます。
ぜひ、自分の好奇心を大切にしてください。

この夏、好奇心を持って先生を「あっ」と驚かせるようなノートまとめをしてみませんか。