皆さんは「人のまねをすること」についてどう思いますか?
約2年前、先生が暮らしている長崎の中心部にサンドウィッチ屋さんがオープンしました。
そこはアメリカ発祥のファストフード店で、先生がアメリカ留学時代に友人に連れて行かれたお店で、懐かしい反面、苦い思い出のあるお店です。

学生時代に初めてそのサンドウィッチ屋さんに入ったときの思い出話をちょっとお話ししたいと思います。
数種類のパンの中から好きなものを選び、トーストするのかそのままなのか?そして数あるトッピングの中から好みの肉・チーズ・野菜・ソースを順に選んで自分好みのサンドウィッチに仕上げていく形式のお店でした。
自分好みのサイズ・中身に仕上げることのできる大変魅力的なお店でしたが、今まで経験したことのない注文方法で英語でどのように伝えれば良いのかわからず中々注文の列に並べませんでした。
チーズだけでも4~5種類あり、他の具材との相性が分からないため、何を選ぶべきかすら分からない。
さらには、教科書には載っていないフレーズが飛び交う店内。
「自分好みにしよう!」という考えは捨て、『前の人にならえ』で注文し始めました。

目の前に並んでいた巨大な男性が店員さんと交わす会話を聞き、全く同じ言葉を真似しながら注文していきました。
思い出すだけでも緊張感がよみがえってきます。
最後にできあがった、超巨大なサンドウィッチ。
昼だけでは食べきれずその日の夜ご飯にもなりました。
自分好みのサンドウィッチは手に入りませんでしたが、それ以来、同じような形式のお店に入ることが楽しみになりました。
先生はこの経験を通して「観察する⇒真似る⇒進化させる」というサイクルを学びました。

人は誰でも初めて何かをやり始めたり、経験したことが無いことに出くわした時、どうしていいのかわからないで悩むことがあると思います。
皆さんも初めて能開に入ったときに勉強の仕方が分からず悩んだ経験はありませんか?
うまくやっている人や熟練者の動きを観察したりアドバイスをもらいながら、まずは「真似する」ところから始めるとうまくいくこともあると思います。
何事においても、自己流を貫くだけではなく、周りを観察し自分に足りないものを吸収しながら、さらに自分に磨きをかけていけるといいですね。

世の中には興奮する事はいっぱいありますが、先生にとってその1つは間違いなくエベレストです。
先生は、小学生の時に遠足で普賢岳という山に年1回登っていた以外、登山の経験がない全くの素人ですが、この世界一の山だけは以前から気になって仕方がありません。

エベレストで興奮するところは、何といっても8,848メートルと言うその高さです。
これは飛行機の巡航高度 (8,000〜12,000メートル)と同じくらいの高さです。
すなわち、皆さんが頭上の飛行機を見上げたときの高さ、それがエベレストの高さなんです。
標高8,000メートル以上の地帯は、「デスゾーン」と呼ばれ、空気は地上の3〜4分の1しかありません。
そこでは、10キロ以上ある酸素ボンベがないと低酸素症となり生きていけません 。
平均気温は夏でもマイナス30度を下回ります。
モンスーンが近づくと風速50メートル以上の猛烈な吹雪となり、体感温度はマイナス60度にもなります。

そこを登る苦しさを、ある登山家は「マイナス50度の冷凍庫の中で、20キロの荷物を背負い、顔に枕を押し当てて、全速力で6時間以上走り続けるようなもの」と表現しています。
よく映像で登山家が 山の上をよちよち歩いている場面ありますが、そこには1歩ごとに想像を絶する苦しさがあるのです。

このエベレスト界隈で、昨年衝撃が走りました。
それはある遭難した登山家のミイラ化した遺体が、溶けた氷河の中から見つかったからです。
実はエベレストの上には遺体がゴロゴロ転がっています。
その数は100を越えるとも言われています。
エベレストのような極限状態では遭難者を救助する事は難しいです。
二重遭難といって救助に向かった人までが遭難してしまう可能性が非常に高いからです。
そのため、遭難者や遺体は回収されず放置されることが少なくありません。

しかし、今回その遺体に世界の注目が集まったのは、エベレスト登山の歴史を変える可能性があるからです。
現在公式に認められているエベレスト登頂に最初に成功した人は、ニュージーランド人のエドモンド・ヒラリーとネパール人のテンジン・ノルゲイという2人です。
2人は1953年に登頂に成功しました。
(この2人についても非常に面白い話があるので、お話ししたいのですがここでは割愛します。)
しかし、この2人に先立つ29年前の1924年、エベレスト登頂に成功したのではないかと言われている2人がいます。
イギリス人のジョージ・マロリーとアンドリュー・アービンです。
ジョージ・マロリーは「なぜ山に登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と発言をしたことでも有名な人です。

この2人はエベレストの山頂から200メートル付近のところにいた事は確認されています。
しかしその後に消息を立ち遭難しました。
問題はこの2人が山頂にたどり着いた後に遭難したのか、それともたどり着く前に遭難したのかと言う点です。

アーヴィンはその当時の最新機種であるヴェスト・ポケット・コダックという、コンパクト・カメラを持っていました。
もし山頂にたどり着いたのならば、記念撮影をしたでしょうから、カメラにフィルムが残されていれば、初登頂の決定的な証拠になるのです。

その、アーヴィンの遺体が見つかったことで、近くからそのカメラも発見されるのではないかと、注目が集まったのです。
残念ながら、現時点ではカメラの発見には至っていません。
しかし、捜索範囲は確実に狭まっています。
近い将来、そのカメラが見つかり、この論争に決着がつくことを先生は願っています。

このように、歴史には、不確定なものがたくさんあります。
教科書で習う歴史は、推論にしか過ぎないこともあるのです。
皆さんが普段から勉強する際、本当にそうなのだろうかと疑問を持って取り組むこと、そのことが皆さんの学習に厚みを与え、より充実した人生を送る手助けになると先生は考えます。

ちなみに、エベレストには素人でも登頂することができます。
ただし、お値段のほうも世界最高峰で800万円ほどかかるそうです。
これを読んでくれた人の中から、誰かチャレンジしてくれる人が出てくることを期待しています。

今年も「今年の干支は何でしょう」と問いかけると、「巳(へび)年です」という元気な声が返ってきました。
しかし、一部の生徒は「あっ」と気付いて考え始めました。
毎年、話すと覚えていてくれるものですね。
「乙巳(おつへび)!」惜しい(笑)、乙巳(きのとみ)です。

干支というのは、十干(じっかん)と十二支の組み合わせ、十干十二支を略した言葉です。
あまり聞きなじみがないと思いますが、十干は、中国の古代思想から考えられたもので、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)という10個の要素で構成されています。
日本独自の読み方では、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となります。
木、火、土、金、水は五行思想、えは兄、とは弟からきています。
十干が10通り、十二支が12通りあるのでその組み合わせは60通りです。
算数で習う最小公倍数の考え方ですね。
60通りですので一巡りに60年かかります。
60歳で還暦のお祝いをしますが、この還暦というのは干支がもとになっている考え方です。
生まれた年に還るから還暦なのですね。

歴史で習う“乙巳の変”の乙巳もここから来ています。
“乙巳の変”は“大化の改新”ともいわれますね。
蹴鞠(けまり)で親しくなった“中大兄皇子”と“中臣鎌足”が、談山(かたらいやま)で密談して、蘇我宗家を討ったあれですね。
ちなみに密談場所の談山のふもとにある談山(たんざん)神社には藤原鎌足が祀られています。
世界唯一の木造十三重の塔は一見の価値ありですよ。
そして、談山の奥にある御破裂山(ごはれつざん)には鎌足公の墓所といわれる場所があります。
墓所があるという以上に、名前のインパクトがすごい山ですが、「天下に異変が生じる時、御破裂山が鳴動して知らせる」、という何かの映画に出てきそうな言い伝えがあり、少なくともこれまでに53回、鳴動したそうです。
やばいですね。

さてその十二支の巳ですが、競争では辰(たつ)と同着の5番でしたが辰にゆずって6番になったそうです。
あのにょろにょろ進む巳が、空を飛ぶ辰と同着とはすごいですね。
それに地面をはって午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)に勝ったというのもすごいですよね。
ちなみに負けた動物たちにはそれぞれ理由があるそうです。
順に挙げると、午は道草をくっていた。
未は迷子になっていた。
申と戌は喧嘩をしていた。
酉はその喧嘩の仲裁をしていた。
亥は誰よりも早かったが、違う場所についていた。
といった感じです。
巳がこつこつがんばっていたら、ライバルたちがかってに負けてくれたといったところでしょうか。
なんだか考えさせられますね。

新年になると、何か新しいことをしたいな!と思うのですがみなさんはどうでしょうか?
先生は昨年から言語学に興味を持ち、時間があるときに気になることを調べています。
その中で一番好奇心がそそられたのは、幼い子どもの言語発達についてです。

突然ですが、みなさんは幼い子から「今日、とらのこが降るからはやく帰ろうよ。」と言われたらどう思いますか?
「とらのこって何だ?」ときっと大困惑することでしょう。
実はこれ、「今日は雹(ひょう)が降るからはやく帰ろうよ。」と言いたかったのです。
天気予報で「ひょうがふる」と聞き、ひょうと言えば動物、豹ってなにか虎と似ていたな、じゃあ虎の子だ!と考えたという成り行きでした。
とっても可愛い間違いですよね…。
「そんな勘違いありえないよ!」と笑っている人もいるかもしれませんが、おそらく幼いころに似たようなことを言っているはずですから、ぜひお家の人に聞いてみてくださいね。

さて、言葉というのは年齢を重ねていくにつれ、正しく使える数が増えていくものだと思います。
それではなぜみなさんは言葉が正しく使えるようになっていくのでしょう?
それは、わたしたち人間が訂正・修正を繰り返して学ぶことができるからだと思います。
かく言う先生も、言葉はどう使うのかといったことを語っていますが、幼い頃はとうもろこしを「とうもころし」と物騒な言い間違いをしていましたし、今でも自分の使っていた言葉の誤りに気付くこともあります。
(「準備万端」と「準備万全」って違うんだ!とか)

ただ、少しずつ心身が発達してくると、間違いが「恥ずかしいこと」「してはいけないこと」のような気がしてしまい、なかったことにしたり、放置したり、何か他のせいにしてしまったりしてしまいたくなります。
そこで、間違いを訂正していくことが成長に繋がることを心に留めていてほしいのです。
もちろん、いくら頭では理解していても実行することは生半可な気持ちでは難しいです。
しかし、その大変さ、面倒さを超えた先にある理解したときの気持ちよさを味わってほしい、学びの原動力としてほしい、そして、そのサポートができたら幸せだなと思っています。