170515私が、能開の先生になって初めて参加した合宿は「南の島の大冒険合宿」でした。正直、その合宿に参加すると決まった時は、行きたくありませんでした。しかし実際に参加してみると、自分が想像すらできなかった様々な経験をすることができました。本当にすべてが初めて!海底まで見える澄んだ海・まさに手が届きそうなくらいの満天の星空。5泊風呂なしの生活。日焼けで耳たぶまで皮がむけるなどなど・・・本当に人生観が変わるくらいの経験でした。またそこで先生が担当した班での活動は、苦労の連続でした。最初は全くまとまりがない班で
した。協力的でもなく自分勝手。先生も悩み、班での話し合いもいろいろしました。しかしそれを積み重ねていく中で班がどんどん団結していく。本当に感動的でした。今の教室での生徒対応も、この時の経験がベースになっています。
最初は嫌だったものだけど、そこでの経験が今の自分のプラスになっていることを実感して、心底「参加して良かった」と思うのです。

これからの時代、様々な力が求められます。「やってて良かった」と「やっておけば良かった」の差は今まで以上に大きくなってくるでしょう。例えば大学入試も2020年から大きく変わっていきます。学力評価だけではなく人物評価まで入ってくるのです。学力だけであれば、短期間で何とかなるものです。しかし人物評価となると予備校に通って、詰め込んで何とかなるものではありません。それこそ、その時までにどんな経験をし、どんなことを学び、どれだけ自分を成長させてきたかが問われると言ってもよいでしょう。
高校3年生のその時になって、「やってて良かった」と思うのか?「やっておけば良かった」と思うのか?この2つの思いのどちらかを強く感じるような入試になると考えられます。また入試だけではなく、大人になって社会に出たときに、「やってて良かった」の安堵・「やっておけば良かった」の後悔はさらに強くその人の生き方に影響してくるかもしれません。

5年先・10年先・将来を見据えて、早い段階から準備することも大切です。
ただ、自分が将来を想像して、必要なことを今のうちからやっておくというのも限界があります。
むしろ、今の段階ではそれほど必要性を感じない・めんどくさいものの中にこそ、将来になって「やってて良かった」と実感できることがあると思うのです。
なので先生は君たちに言いたい。勉強も大切だけど、子どものうちにあらゆることに飛び込んで、多くの経験をしてほしい。目先の利益・算段で行動するのではなく、今の自分にとって必要性をあまり感じなかったとしても、どんどん機会があれば飛び込んでいってほしい。ティエラの夏合宿はまさにその機会だと思う。家族旅行や物見遊山では絶対に得られない経験がそこにはあるから。
「やってて良かった」と「やっておけば良かった」の大きな違いは、まず「やること」からだよ!

170508この春、能開の高校部で昨年以上の多くの生徒が志望大学への合格を果たしたことは、皆さんも知っていると思います。これは生徒たち一人ひとりが努力を積み重ねた結果であり、とても誇らしいと感じています。今回、合格を果たした生徒たちやその先生に話を聞く機会がありましたが、その中で印象に残っている言葉があります。

高3年生は受験直前期のように、高2年生は受験生のように

これは1年間を前倒しで、勉強を進めようという考え方です。3年生になったばかりの人は、いよいよ残り少ない受験直前に突入するような集中力で、2年生になったばかりの人は、今からが本格的な受験生だぞという強い気持ちで、それぞれ勉強を進めることが合格の秘訣なのです。

もちろん1年間も前倒しするわけですから、簡単なことではありません。難しいことやわからないことにもたくさん出会うでしょう。でも、そこであきらめたり逃げ出したりするのではなく、自分が掲げた目標とのギャップを、少しずつ埋めて進んでいく努力が必要なのです。これは大学受験での話ですが、高校受験にも通じることがありそうですね。

「先んずれば人を制す」という言葉もあります。何事も人より先に行えば、物事を有利な立場に立てるという格言です。どちらかというと他人を押しのけて自分だけが勝利するイメージがありますが、もっと大きな視点で考え、自分からどんどん先に進むことで、一段上のレベルに成長するという意味だと理解してみてはどうでしょうか。

受験勉強は孤独な苦しい戦いだと言われますが、能開では「受験は団体戦だ」という話をします。それは皆さんを支えてくれる家族や、一緒に頑張れる仲間たち、そして能開の先生がいるからです。家族に励まされ、友だちと競い合い、助け合い、目標に向かって進んでいく先に合格があるのです。

5月に入って1学期も中盤になりました。自分からどんどん先に進む気持ちで、新しい目標にチャレンジして下さい。

170501マンガ「ドラえもん」の中では便利な道具がたくさん出てきますよね。ドラえもんが生まれたとされる22世紀では、車の運転はおろかトイレなど世の中のあらゆるものが自動化されて、人間を助けてくれます。
「宿題を自動でしてくれるペン」とか「食べたら暗記できるパン」とか、先生はそれを見て「うわぁ、こんなものがあったら楽になるのになあ!」と感心したものです。
さすがに暗記パンは無理にしても、今では技術の進歩でその一部が実現できるようになってきました。長崎ハウステンボスの「変なホテル」では、人間ではなくロボットがお客さんにサービスをしています。「自動で運転してくれる車」は5年~10年後には登場していることでしょう。(50年後には空を飛んでいたりして!?)

またロボットだけではなくAI(人工知能)もすごい勢いで発達し、昨年にはなんと一人の人間の命を救ったこともありました。
白血病(血液のガン)と診断されたある患者が、薬による治療を続けてもまったく症状が回復せず、このままでは死んでしまう可能性まであったそうです。
ワトソンというこのAIは、2000万件にものぼる医学論文と1500万件の薬の効果を学習しています。このAIに患者のDNA情報や症状を入力したところ、「この患者は特殊な白血病ではないか」「別の薬に変えたほうが良い」というアドバイスを出したのです。
このアドバイスに従い医者が薬を変えたところ、それまでまったく良くならなかった病状がみるみる回復し、患者は半年後に退院することができました。

コンピュータや機械は、人間には不可能なスピードや量を処理することができます。いくら勉強熱心な医者でも、これほどの色々な病気をすべて暗記することは不可能でしょう。
ですから「これから医者はいらなくなる」「これからはロボットとAIが何でもやってくれる」「人間は何もしなくても生きていけるようになる」と極端なことを言う人もいるようですが、はたして本当にそうでしょうか。

もしお医者さんがロボット(AI)になった場合、もしその治療によって病気が悪くなったら、ましてや命を落としてしまったら、誰が責任を取るのでしょう。そのロボットを操作した人間でしょうか。そのロボットを置いている病院でしょうか。それともロボットを作った会社でしょうか。
ロボットが出した判断が正しいかどうか、またその治療を行うかどうかを判断して、最終的に責任を取るのはやはり人間であるべきです。ということは、ロボットを使う医者も、ロボットと同じくらいのことはできなくてはならないでしょう。
どれだけ技術が進歩しても、その技術を使う人間もまた進歩していかなくてはならない。先生はそう考えます。

便利な世の中になって人間が考えることをやめてしまうとき、それは世の中がロボットとAIに支配される日なのかもしれませんよ???

170424最近、多くの外国人が日本を訪れています。とりわけ人気を集めているのが京都市右京区にある「龍安寺(りょうあんじ)」です。みなさんの中にも修学旅行で行ったことがある人がいるかもしれませんね。

龍安寺が有名なのは美しい枯山水(かれさんすい)の石庭があるからです。その石庭にはいくつか秘密が隠されています。代表的なものの一つが石の置き方です。75坪の白砂の上に大小15個の石がランダムに並んでいます。その15個の石は庭のどこから眺めてもいずれかの石の一部が他の石に隠れたり、他の石と一体となって見えにくくなっています。先生が龍安寺を訪れたとき、一度に13個までしか見ることが出来ませんでした。見る人の心次第でいろいろな思いをめぐらすことが出来そうですね。

もう一つは庭を囲む塀です。お寺の本堂を背にして石庭を見ると塀が奥の方に向かって低くなっていきます。遠近法を利用し、見る人が庭の奥行きを感じるよう工夫されているのです。人間の錯覚を利用した高度な技術です。このように龍安寺の石庭には見る人を楽しませる工夫が盛り込まれています。先人の知恵はすごいですね。

ところで能開の先人(先輩)たちはどんなことを工夫してきたでしょうか? それは「ノート作り」です。ノートに赤線を引いて大切なことを書き留めたり、まとめたりし、自分専用の参考書作りをして、入試などの壁を乗り越えてきました。みなさんのノートはどうですか?

新学期が始まってもうすぐ1ヶ月になります。本格的に新しい学年の勉強がスタートしています。先人たちに学び、ノート作りにこだわっていきましょう。

170417『継続は力なり』という言葉を知っていますか?
「数学の点数をのばしたい!」とか、「部活動でレギュラーに入りたい!」とか、
「コンクールで入賞したい!」とか、「ダイエットしてやせたい!!」とか…
どんな目標でも、それを達成するために一番重要なのは、『努力を継続する』ことです。

はじめは皆やる気があって努力するのですが、それが「続く人」と「続かない人」がいますね。
続かない人はおそらく、「頑張った成果が見えなくてやる気が続かない」のではないでしょうか?
「勉強したらすぐに点数が上がった!」なんてことはほとんどありません。世の中そんなに甘くはないのです。でも、成果がなかなか見えない努力を続けるのは難しいですよね・・・

では、どうすれば努力を継続することができるのでしょうか?
ここは逆転の発想で、成果が見えるようにすればよいのです。
例えば、勉強すると毎回、TVゲームのように「計算力が3あがった」とか「読解力が5あがった」等が分かるとしたらどうでしょう?成果が見えると、やる気が沸いてくる気がしませんか?
「続く人」の多くは、このような成果が見える化されたシステムを持っているのです。

もちろん能開にもありますよ。それが赤線の余白の活用です。「今日は○○を覚えた」とか、「昨日わからなかった□□が理解できた」ということを、ノートに余白に書きましょう。その日勉強した内容を振り返る時間を取るとともに、その成果を紙に残すことによって、少しずつだけれども着実に、自分が成長していることがわかるはずです。ノートの工夫は能開流の「見える化システム」なのです。

「見える化システム」のポイントは『毎日確認・毎日記録』すること。
先生はこの間まで某有名トレーニングジムに通い、このシステムを使って体重14kg、体脂肪率10%を落とすことができました。
具体的には、毎日体重と体脂肪率を計測してトレーナーさんに報告。更に、毎回の食事をスマホで撮影し、摂取カロリーや成分をすべて報告していました。
とても面倒ではありましたが、毎日少しずつ減っていく体重と、鏡の前の自分が変化していく姿を見ていると、お米やパンが食べられないことなど苦ではありませんでした。

努力が続かないのは、自分がダメ人間だからではなく、周りの環境やシステムの問題です。
みんなも「努力を継続する」ために、成果の「見える化システム」を作りましょう。

170410昨年は台風や洪水に見舞われ、異常気象という言葉をよく耳にしました。しかし、近年感じるのは夏の猛暑と冬の雪の少なさです。これこそ異常に思えてなりません。
そこで、いま地球でどんなことが起こっているのかを一緒に考えてみたいと思います。
異常気象の大部分は地球温暖化が原因で起こっていると考えられます。
温暖化によって南極の氷床が融け出し、グリーンランドにある雪の堆積面積はここ数年で20%ほど減少しています。永久凍土の融解、氷河の後退などが各地で起こり近年は1年で3㎜以上の速度で海面上昇が観測されています。

温暖化によって蓄えられた熱は海洋が巨大な貯蔵庫となって吸収してくれています。もし、海に蓄えられた熱を全部大気が吸収していたら、いまよりも30℃も気温が上昇すると予測されます。我々は海のおかげで生き永らえているといっても過言ではないのです。

ところで、気温が高くなると、それにともなって海水温が高くなります。そうすると海水の蒸発量が増え、雲が発生してきます。また、気温が上昇すると、大気中に含まれる水蒸気の量が2倍、4倍、8倍、…とすさまじい勢いで増えていきます。その結果、巨大な雲が形成され短時間に爆発的な雨をもたらす原因となるのです。また、海面水温の上昇は対流を生じさせ、低気圧になったところに風が吹き込んで上昇気流を起こし、お互いの相乗効果で、より破壊的な台風を生み出します。日本でも最近、「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」といった言葉が使われるようになりました。

地球温暖化の原因を探ると、そこには産業革命以来、石炭や石油の燃焼によって排出された二酸化炭素を中心とした温室効果ガスがあります。温室効果ガスによって地球は毛布をかぶったような状態になっており、ガスが増えると地球がどんどん暖かくなります。
大気中に微々たる量しか存在しない二酸化炭素がこれだけの大きな影響をもたらす原因といわれても想像できないかもしれませんが、二酸化炭素は1度発生するとなかなか分解しないところが厄介なのです。寿命は300年~500年と非常に長く、長期にわたって蓄積されると、熱の収支バランスを崩すこととなるのです。

これまでは、森林や海洋、土壌が二酸化炭素を吸収してきましたが、その吸収能力をはるかに超える速度で増えており、どんどん溜まっているのが現状です。世界の熱帯林や森林は大量伐採によってずいぶんその面積を減らしてきました。さらに森林の「高齢化」が進んでいます。森林は100年近く経つと、光合成による二酸化炭素の吸収はほぼゼロになり、吸収源として機能しなくなります。呼吸を促すには伐採と植林を進めて、新陳代謝を促す必要があるのですが、森林による吸収はほぼ限界に達したと言われています。

そこで、吸収できないのであれば、排出を抑えようという考えのもと、二酸化炭素の排出量を世界全体で2050年までに半分にする必要があるいという話が出てきたわけです。先進国は8割削減をサミットで掲げています。いま可能な限り温暖化対策を講じないと2050年以降気温の上がり方のスピードが5倍になるという予測もあります。

温暖化が地球の生態系に与えるダメージはかなり深刻です。1.5~2.5℃の平均気温の上昇により約20~30%の種の動植物が絶滅の危機に瀕します。また、海水中に多くの二酸化炭素が溶け込んで海洋が酸性化することによって、海洋中のプランクトン、サンゴ、貝類、甲殻類にダメージを与えます。そうなると魚にも影響が出ることは必至です。

昨年、話題になったウィルス性の熱帯伝染病デング熱はヒトスジシマカという蚊に媒介されますが、その分布域が北上しており、また、1年のうちの生息期間も長くなっているためウィルス感染リスクが高くなっています。また、蚊媒体の感染症であるマラリアも地球温暖化の進行により、日本が汚染地域に入るリスクが高まります。

温暖化による干ばつや洪水などによる被害は貧困を招き、感染症の拡大や自然資源の争奪などの紛争にもつながります。それがさらに貧困を深刻化させていくという負の連鎖が起こり得ます。

温暖化は決して将来の問題ではなく、今の問題です。そして国を越えて地球に住むすべての人々が取り組むべき問題です。エアコンの温度設定や使わない電気はこまめに消すなど身近なできることから行動を起こさなければ、取り返しがつかない状態になりかねません。自然の変化はある臨界点を越えると一気に進行します。じわじわとその臨界点が近づいている気がして仕方ないのは杞憂でしょうか。

170403さあ、今週から新学年、新学期ですね。
何事も始まりが肝心、とはよく言いますが、新学年の勉強の始まりはいつでしょうか。
今週から?来週から?それとも新学年のガイダンスが終わった後から?
いやいや、ティエラ生の君なら間違いなく「すでに始まっている」と答えてくれるでしょう。

オリンピックではフライングすれば失格ですが、勉強にフライングなんてありません。ですので、新しいクラスで君の隣に座っている彼や、斜め前の彼女が、もうすでに新学年の範囲を学習しているかもしれないのです(君ももう始めているよね!!)。

さて、オリンピックといえば去年ブラジルのリオ五輪が開催されましたね。日本は過去最多の計41個(金12、銀8、銅21)のメダルを獲得しました。そのうち陸上男子400Mリレーの銀メダルを覚えていますか?日本男子トラック競技初の銀メダルです。第1走者(山県亮太さん)、第2走者(飯塚翔太さん)、第3走者(桐生祥秀さん)、第4走者(ケンブリッジ飛鳥さん)の100Mの自己ベストはそれぞれ(10秒05、10秒41、10秒01、10秒10)4人の合計は40秒57。世界大会でメダルを取るためには「400Mを4人で37秒台」が必須条件であることを考えれば、100Mを9秒台で走る選手がいない時点でメダル獲得は厳しいと言われました。しかし、結果は銀メダル。タイムは37秒60。

何が起こったのでしょうか。何がタイムを縮めたのでしょうか(それも劇的に!!)
それは、バトンリレーです。

リレーではバトンを走りながら次の走者に渡すために20Mの「バトンゾーン」が設定されています。バトンゾーンで次の走者は加速し、速度が乗ったところでバトンを受け取ります。しかし、全速力で走りながらのバトンリレーは非常に難易度が高く、陸上競技が強いあのアメリカでさえミスが起こります。ですので、バトンリレーが上手ければ個人で敵わない相手にも勝つことができるのです。日本は極限までバトンリレーを磨き、無駄をなくして銀メダルを獲得したのです。

新学年が始まる時期、長期休みの前後、テストの後など、勉強にも次の目標に向けて頭の中を切り替える「目標のバトンゾーン」があります。この「目標のバトンゾーン」を上手く使える人は、学年が上がるほど成績も上がっていきます。ほかの人が「少し休憩」だと思っている時間が、君にとっては「目標のバトンゾーン」なのです。

新学年が始まりましたが、君は目標のバトンゾーンで上手く加速できていますか?まさか、「まずは生活リズムに慣れてから・・・・・・」なんて言ってませんよね?
新たな目標に向けて最高のバトンリレーをする。そんな新学年のスタートであってほしいと先生は思います。

1703274月から新学年のスタートです。新しいことへのチャレンジや勉強を頑張ろうと心に決めるタイミングでもありますね。その前に、一度今までの自分を振り返ってみてください。

みなさんは新しい学年、学期、夏休みなどの長期連休になると、「よし!これから頑張るぞ。」と決意をよくしませんか。
何かのタイミングをきっかけにして頑張ろうとすることは1つのやり方としては良いものだと思います。ただ、一過性のものでは意味がないですよね。
例えば、ノートの最初はきれいだけどそのうち空白なページがあったり、適当にノートをつくってしまったりなど、何度も同じ失敗を繰り返したことはないですか。

なぜ、同じことを繰り返してしまうのでしょうか。それは、自分がやってきたことを振り返っていないからかもしれません。
例えば、勉強をやらなくなっていく時期には何の行動をするのかを考えてみましょう。例えば、スマホ、ゲーム、漫画などなど何か別の行動をとっていることも多いのではないでしょうか。
他にも小さい弟、妹がうるさくて集中できないとか、そういったことをまずは、自分にベクトルを向けて改善しましょう。

スマホ、漫画の誘惑に負けるのなら、周りに協力してもらい管理してもらいましょう。周りの人たちに勉強環境を乱されると感じるなら、場所を変えてみる(自習室や図書館の利用)、親御さんに頼んでみるなど周りではなく自分から動くことでしか変えられないと思いましょう。

新学年になり勉強をがんばろうとする気持ちに加えて、これからずっと学習量を確保していくためにもまずは自分に反省点を見つけてベクトルを向け勉強環境を作り出し学習をスタートしていきましょう。

170321人間は自立して生きていかなければならない。しかし、自分ひとりでは生きられない。今日は、そんな矛盾を含んだ人生の一面を少し垣間見るお話をしていきたいとおもっています。

ある、中学1年の男の子がいました。その子は反抗期まっさかり、変なプライドがでてきて物事を正しく見ようとはしません。

ある日、この男の子はお父さんが買った小さなおんぼろのヨットで静岡県の西部を流れる天竜川の船着場から遠州灘に向けて帆走を楽しんでいました。この子のお父さんは、子どもが救命具もつけず、Tシャツと海水パンツでヨットのへりに腰掛けている姿に不安を覚え、子どもに声をかけます。「お~い、救命具ぐらいつけろよ!」しかし、この男の子は「大丈夫だよ、もう十分泳げる年齢だよ。」といって、お父さんの気持ちをさえぎってしまいます。しかし、その後突風がきて、その小さなヨットはひっくり返ってしまったのです。

男の子のお父さんはヨットに捕まっていたので、ヨットから流されずにすんだのですが、男の子は予想していない出来事だったため、海の中に投げ出されてしまったのです。遠州灘の潮の流れは速く、男の子はヨットからどんどん離れていきます。男の子はあせりました。ヨットに向かって懸命に泳ぐのですが、ヨットとの距離はどんどん離れていきます。Tシャツが肌に張り付いてうまく泳ぐこともできません。男の子はどんどん不安に襲われていきます。そして、ついに声を振り絞って・・・「助けて~、助けてくれ~」と泳ぎながら声をあげました。

この声を聞いてお父さんもあせりました。ひっくり返ったヨットから離れて、子どもに向かって一目散に泳ぎだしたのです。お父さんの泳ぐスピードは早くあっというまに男の子のところまで泳ぎつきました。男の子は安心し、お父さんに抱きつきました。そのときです。男の子に抱きつかれたお父さんは泳ぐことができなくなり、男の子ともども海の中に沈んでいきました。そのまま・・・2m~3mとどんどん沈んでいきます。男の子は安心して目をパッチリ開けていたため、自分とお父さんが海に沈んでいく様子、そしてお父さんが苦しそうにしている様子がはっきりわかりました。そしてこのままだったら二人とも確実に死ぬということをはっきりと理解しました。

男の子はお父さんから離れ、自力で海面まで泳ぎ顔を出しました。そして、潮に流されながらでもなんとか口だけは出していようと決心しました。体も疲れ果てました。海水も何度も飲みました。それでも口だけは海面からだしていよう、いや出さなければ死ぬと思い懸命に口だけを海面から出し続けました。

それからどのくらいのときがたったのでしょう・・・男の子はよく覚えていません。気がつくと目の前に小さな釣り船があり、その釣り船から人の手がでてきて、男の子を船の上にひっぱり上げてくれました。しばらくして、男の子が横を向くと、男の子のお父さんも船の上でひっくり返って寝ていました。男の子は助かったと心の底から思いました。

男の子はなぜ助かったのでしょう・・・
もし、男の子がもしお父さんにそのまましがみついていたら・・・
人は、自分で生きなければと思うと、勇気がでるものなんですよね!

ちなみに、この男の子は中学1年の時の先生です!

170313いろいろな困難に直面したとき、誰かのせいにしたり、境遇を恨んだりすることがあります。
そうすることで自分を納得させ、向き合わず、避ける。自分もそんな一人です。
ドラマのタイトルではないですが、逃げることも確かに役に立つことも多いです。しかし、そうしたところで解決にならないし、前に進まないことを皆、経験していると思います。

大震災から6年経ちました。この時期になると思い出す卒業式の答辞があります。部分的ですが、紹介したいと思います。

大震災が起きてから数日後、気仙沼市立階上中学校で卒業式が行われました。多くの人が被災し、家族、友人が亡くなった人もいる中で行われました。そこでの答辞になります。

「・・・自然の猛威の前には 人間の力はあまりにも無力で 私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには むごすぎるものでした。つらくて 悔しくてたまりません。・・・しかし 苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って生きていくことが これからの 私たちの使命です。・・・後輩の皆さん 階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が いかに貴重なものかを考え いとおしんで過ごしてください。・・・」
※「文部科学白書2010」階上中学校答辞より一部改変
 
この思い、決意に頭が下がります。そして、もう一つ大切なことを教えてくれています。失ってみて、初めて分かること気付くこと。物的なものもそうですが、あたりまえと思っていることが、実はあたりまえではない。そして、それこそ真に大切なものだということです。

ぜひ、インターネット等で映像や、全文を検索し、見て、読んでください。