161024突然ですが、次の3つの言葉に共通すること、わかりますか。
「姫路城」 「法隆寺」 「厳島神社」
どれも名高い日本史上の建造物ではあるのですが、それだけでは不十分です。では、ヒントになるような言葉を続けます。「富士山」「屋久島」「小笠原諸島」…、さらに「ピラミッド」「万里の長城」「グランド・キャニオン」…。実は、それらはすべてユネスコによって「世界遺産」に登録されているものばかりなのです。(現在、総数は1000件以上。日本は20件。)

人類共通の貴重な財産である、地球上の素晴らしい文化財や自然環境を崇めて、国際的な協力と援助の下で保護・保全し、未来へ向けて末永く受け継いで残していくという考えに基づいた取り組みである世界遺産の中には、平和への願いや人種差別の撤廃などを考えていく上で重要な物件もあり、明確な定義付けはされていませんが、別名「負の遺産」と呼ばれているものもあります。それらは、歴史上で人類が犯した愚かな過ちの出来事を記憶に留め、同じ事を二度と起こさないための教えとしての存在意義があります。日本では、唯一、広島の「平和記念碑(原爆ドーム)」が挙げられます。

その原爆ドーム、今年の5月27日、アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミット後にその地を訪問したことで改めて注目を集めました。元々、この建物は、戦前から「広島県産業奨励館」(最初は広島県物産陳列館)として運用されていましたが、あの1945年8月6日の原爆投下により、一瞬にして無惨な姿へと変貌したのでした。

戦後、広島が徐々に復興していく中で、存廃の議論が活発になり、取り壊される可能性が高くなりました。そんな折の1960年、1歳の時の被爆が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった、ある女子高生の書き遺した日記のほんのわずかな一節がきっかけで、原爆ドームは保存の方向へと大きく動き出すことになります。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう。」
この一言に民衆は感銘を受け、やがて保存を求める運動に広がっていき、1966年、永久保存が議決されました。そして、30年後の1996年の世界遺産登録へと繋がっていきます。

世界でただ一つの被爆国家として、正に原爆が投下された生々しさを世界中の人々に、そして後世の人々に伝えていくことは、他の国には決してできないとても大切な使命です。その陰に人々の心を動かした女子高生の悲しい運命がありました。彼女の平和を願う気持ちは、人類に永遠の貴重なメッセージを残していきました。

歴史は神が創るのではありません。一人ひとりの想いのうねりが、果てしない歴史を紡いでいくのです。

161017今回は「スティーブ・ジョブズ」の話をします。皆さんも知っているアイフォンやアイポッドを開発したアメリカのアップル社の創業者です。今年の10月で、ジョブズが亡くなって5年になります。

今では私たちの周りにコンピュータはあふれていますが、ジョブズが「アップルⅠ」というコンピュータを開発するまで、コンピュータは大きくて高額で、大企業などが持つ限られた機械でした。そのコンピュータを、小さくて安く、誰もが使いやすいものに変えたのがジョブズの功績です。アイフォンやアイポッドも同様ですね。音楽プレイヤーや電話機を簡単な操作で身近に携帯できるものに変えたのが、ジョブズなのです。

そんなジョブズのエピソードを一つ紹介しましょう。ジョブズは大学生の頃、つまらない授業にあきて大学を中退したのですが、「カリグラフィ」という西洋書道の授業だけはこっそりと参加し、文字のデザインの勉強に熱中していました。アルファベットの様々な書体が持つ文字の美しさに感動し、熱心に研究していたそうです。

コンピュータと西洋書道は全く別の世界で、何の関係もありません。一見、ジョブズは無駄で回り道のような勉強をしていたのですが、10年後、「アップルⅠ」の後に「マッキントッシュ」というパソコンを開発する時、西洋書道の勉強が美しい「フォント(文字)」の作ることに役立ちました。

「マッキントッシュ」以前のパソコンでは、お世辞にも美しいとは言えない、地味で無骨なフォントしか使われていませんでしたから、デザイナーをはじめとする多くの人々がジョブズの作ったマッキントッシュを支持しました。そしてそこから、パソコン用に多くのフォントが開発され、広く使われるようになったのです。

もともと「西洋書道」と「コンピュータ」は点と点で無関係な存在ですが、ジョブズはそれをつなぎ合わせて見事な成果を出したのです。亡くなる6年前に、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式に招かれて、次のようにスピーチしています。

「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」

未来を信じて、今を一生懸命に生きよう、ジョブズはそう言いたかったのだと思います。

161011君は何色の夢を見ますか?
ここでいう夢は、寝ているときに見る夢のことです。
鮮やかな色の付いたカラーの夢を見る人、白黒の夢を見る人、それぞれでしょう。

アメリカで1300人を対象に行った夢の色についての調査結果では、カラーの夢を見ている人の割合は30歳以下の人は80%、60代の人は20%だったそうです。

さらにその研究の中では、カラーテレビしか知らない若い人ほど、カラーの夢を見ていると答えているそうです。
かつて白黒のテレビを見ていた人ほど「映像=白黒」のイメージがあり、潜在意識の中で夢の色を白黒と判断しており、カラーテレビの出現によって、若い人ほど「映像=カラー」になっている可能性があるそうです。

普段見ている景色ではなく、普段見ているものの「イメージ」が夢となって現れます。
カラーテレビが普及したことでカラーの夢を見るようになったとしたら、これからテレビが進化していったらどんな夢を見るようになるのでしょう。
においを感じることができるテレビができたら?
夢の中でもにおいをイメージとしてとらえるようになる?
今話題のVR(仮想現実)が各家庭に普及したら?
より現実に近いイメージの夢を見るようになる?
さらに未来で暑さや寒さ、風までも感じるような体験が身近にできるようになったら?
夢の中でも暑さや寒さのイメージがより強まって、暑さ、寒さを感じるようになる?
イメージが強くなることで、夢の世界がよりリアルになっていくでしょう。

君は何色の夢を見ますか?
ここでいう夢は君が思い描く将来の夢です。
この夢の色は君自身が選択し、塗り上げていきます。
強く、具体的にイメージすることで、それはやがて現実となっていくでしょう。

161003能開・熊本校の佐藤です。
今回は、ぼくの竹馬の友の話をします。

強く願い続ければ、「夢」は必ず実現できる。
貫き通した少年時代の夢の話です。

40数年前、中学生だった山下泰裕少年は、「一生懸命柔道の稽古に励んで、将来はオリンピックに出たい。メインポールの日の丸を仰ぎながら君が代を聞けたら最高だろう。そして選手を辞めたら、世界の人々に柔道を広げる仕事をしたい」と「将来の夢」と題した作文に書いた。

彼は自分の子供の頃は、悪ガキだったと言うが、ぼくはそうは思わない。とても優しい心の持ち主だった。たしかに体は大きいし、スポーツも得意、けんかも得意?それで、近所の厳しい柔道教室に連れて行かれたのが柔道との出会いと言う。でも本当はその前に剣道をやっていたけどあまり強くなかった(笑)。ところが、柔道はルールを守ればどんなに暴れても怒られない。エネルギーを発散でき、有り余る闘争心を満たしてくれる柔道の激しさに、たちまち夢中になっていったと言う。

彼の「将来の夢」のひとつは、1984年のロサンゼルスオリンピックで実現した。しかし、彼にとってオリンピック出場のチャンスは3回目だった。1回目は補欠、2回目はモスクワオリンピックのボイコットで参加できず。3回目にようやく、それも足を怪我して、苦しんで苦しんで最後のチャンスを勝ち取ることができた。テレビの画面を通してぼくもいっしょに泣いた。彼は、表彰式で日の丸を見ながら「自分は世界一幸せな男だ」と思ったそうだ。さらに続けて「もちろん、自分も誰よりがんばってきた。しかし、すばらしい先生との出会いや、切磋琢磨してきた多くの仲間がいたからこそ、自分の夢が実現できたのだ」と言った。

2003年、彼は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事に就任しました。世界における柔道の普及と発展という、まさに夢の通りの仕事に就いた。

最後に、彼からのエールを伝えます。「自分の好きなことなら何時間でも続けられるし、やり遂げた後には心地よい達成感がある。今の楽しさを少しだけ我慢すれば、明日が、未来がもっと楽しくなると思ってがんばってほしいですね。」

160926Ⅱ期に入って早1ヶ月が経とうとしています。まだ暑いなと思っていたのが、いつの間にか秋の感じが深まりつつありますね。

秋という字は、穀物を表す禾部(のぎへん)と、穀物を乾かす火を組み合わせた会意文字です。したがって、秋は「収穫を深く喜ぶ」時期でもあります。一方で、冬に向かう季節でもあるので物寂しさを感じる季節でもあります。そのことからも、秋にまつわる和歌も数多く残されてきました。その中でも3つの有名な和歌があることを知っていますか?

寂しさは その色としも なかりけり 槙(まき)立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ(西行法師)
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ (藤原定家)

この3つの和歌は「三夕」(さんせき)と呼ばれ、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる名作として知られている和歌です。この3つの和歌のことも、この作者のことも知っている人もいるかもしれません。三首とも、秋の風景の中に寂しさと美しさの両方を表現しようとしています。
ところで、三首の作者のうち、「見渡せば~」の作者である藤原定家は今日、9月26日に没しています。この「見渡せば~」の和歌は、彼が24歳のときに詠んだもので、2つ目の和歌の作者である西行法師から勧められて作った和歌の中にある作品だそうです。​

藤原定家は、「新古今和歌集」の撰者としても、「小倉百人一首」の撰者としても知られている中世を代表する歌人ですが、彼のことを調べていくと、実はとても頑固な人だったことがわかります。
23歳のときに宮中で仲間に侮辱されて殴りかかり、官職から追放されるという事件を起こしたり、どんなに当時の権力者であった後鳥羽院が褒めても、自分で作った歌が自分では気に入らないからと、新古今和歌集に入れることにひたすら反対したりするなど、折り紙付きの強情な性格だったようです。後に後鳥羽院のおしかりを受け、謹慎を命じられるのですが、この謹慎の間、「源氏物語」や「土佐日記」といったさまざまな書物を書写したことで、多くの平安文学が後世に残ったとも言えます。また、彼が残した「明月記」という日記は、当時の社会のようすや天候などを細かく記録していることからも、高い評価を受けています。

定家自身はとても癖のある人だったようですが、君たちにも見習ってほしいことがあります。それは「こだわりを持つ」ということです。
定家は、自分の和歌の考え方をよりしっかりとさせるために、古典の勉強を惜しみませんでした。何が良くて何が悪いのかをその膨大な勉強の中で作っていったのです。だからこそ、権力者であっても自分の意見を曲げない自信が生まれたのだと思います。
特に中3生の皆さん、来週からは公立模試が本格的にスタートしますね。毎週の模試を受け、授業を受け、その上で訂正ノートを作っていかなければなりませんし、百戦錬磨などの問題もどんどん取り組んでいかなければなりません。大変なことであることは十分にわかっています。しかし、その大変な作業を積み重ねることによって得られる自信は、誰にも負けないものになるはずです。これは中3生だけに限った話ではありません。能開で勉強するすべての皆さんにいえることです。胸を張って今やっていることを全力で取り組んでいってほしいと思います。必ず皆さんの力になりますから。

160920気がついたら秋の気配がし始めてきました。今年の夏はどうでしたか?様々な経験をしたと思います。楽しいことや苦しいこともあったでしょうね。夏といえばお祭り。お祭りの楽しみといえばたくさんの屋台ですよね。
昔、先生が必ずねらっていたのは「金魚すくい」でした。たくさんすくっては、家で飼っていた記憶があります。その中で1匹だけ、10年以上生き延びた金魚がいたことを思い出しました。

やってきたばかりの金魚は、エサを入れると、ものすごい勢いで食いついてきます。金魚すくいの屋台のおじさんは、エサなんかくれませんからね。ところが、数日、数週間経つと、エサに反応しなくなります。いつでも好きな時に食べればいいと、ぐうたらな金魚になってしまうのです。

1か月後、別の祭りで取ってきた金魚を入れます。エサを入れるとどうなるか。新たに入れた金魚は、われ先にエサに飛びつきます。当然です。で、面白いことに、ぐうたら化した金魚もそれに釣られて、うそのように動き出します。そうやってどんどん大きく、大きく成長した金魚は、鯉のように大きくなりました。

最初は小さな金魚鉢に入れて飼っていたのですが、あまりにも大きくなるものですから、どんどん大きな入れ物に入れ替えていきました。金魚鉢が水槽に、水槽が最後には池になりました。
「ここまで長生きしたんだから、池を作ってやろう!」と父が言って、なんと庭に池が作られました。

父が「金魚鉢の法則」というものをその時話してくれました。
金魚は金魚鉢の大きさによって体型が変わると言われています。小さな金魚鉢では、小さな金魚のまま。大きな金魚鉢では、大きな金魚へと成長する。だから、この金魚には池が必要だと言うのです。

当時は「ほんとかなぁ…」と疑っていましたが、金魚だけに限らず、これは人間にも当てはまるような気がしています。

夏に講習会や合宿、様々な経験をみなさんはしてきました。講習会が金魚鉢としたら、合宿は池でしょうか?これから2学期に行われるオープン模試や全国統一小学生テストはもっと広い湖や川かもしれません。みなさんにはもっともっと大きなフィールドがあります。どんどん大きくなって、大海へと泳ぎだしてほしいと思います。

逆に金魚鉢の中に入ったままで、ぐうたら化した人はいませんか?そういう人は周りをよく見てみましょう。Ⅱ期から入った新たなメンバーが、がんばっていませんか?エサをばくばく食べるように、負けないようにがんばりましょう!!

160912「当たり前のもの」は、当たり前のものですから、普段、意識することはあまりありません。ただ、「当たり前のもの」が当たり前ではない体験をすると、あらためてその大切さに気づかされます。

夏合宿に参加して、あらためて保護者の方のありがたさを感じた人も多いのではないでしょうか。
ありがたみを感じるよりも、あまりに当たり前になりすぎていて、「何でこんなことを自分でしないといけないんだ」、「何でこれがないんだ」、「家と料理の味付けが違う、量が足りない」と不満や苛立ちを感じた人もいるかもしれません。
それは、裏返せば保護者の方のおかげで日常がいかに恵まれているかということの証明です。

先生も、例えば、水道が突然、使えなくなるといったことが起こると、「あぁ、いつも蛇口をひねるだけで水が出るなんて、なんて水道ってありがたいんだ」と思う前に、「何で出ないんだ。まったく」と思ってしまいます。
蛇口をひねれば、きれいな水が必要なだけ出てくるということが、あまりにも当たり前になってしまっているからです。
しかし、あらためて考えてみれば、「当たり前のもの」というのは、長い年月をかけ、様々な人たちの努力によって「当たり前のもの」になったものや、様々な人たちの貢献によって「当たり前のもの」として維持されているものなのです。

保護者の方だって、みんなと同じようにやるべきことがたくさんあり、色々と大変なことがある中で、みんなのために様々なことを行ってくれているのです。

水道にしたって、古くは紀元前2,500年ごろに栄えたモヘンジョ・ダロにはすでにあったといわれていますが、様々な人たちの知恵と努力の結果、今の形になったのです。そして、様々な人たちが、日夜、維持に努めてくれているから、いつでもきれいな水が出るのです。

ちなみに、先生の家は、小高い山の頂上付近にあるのですが、家の近くには、室町時代に作られた石造りの水路があります。その水路は、常にきれいな水を懇々と流し続けています。先生の家の周辺では、二世代前まで、実際に生活用水としてその水を使っていたそうです。数百年たっても実用に耐えうる石造りの水路を、機械など無い時代に、数kmつないだ人たちの行いには頭が下がります。

みんながいずれ直面する受験にしたって、生まれや育ちにかかわらず、全ての人が平等に様々なものを学び、自由に職業を選択できるように、先人たちが知恵を絞って生み出したシステムということもできると思います。

さぁ、Ⅱ期の日常が始まりました。「当たり前のもの」に感謝することは中々難しいことかもしれませんが、だからこそそういったことに感謝する気持ちを少しでも持てれば素敵なことだと思います。
また、感謝できる人は、感謝される人でもあると思います。自分がかかわる「当たり前のもの」が、誰かの大切なものになっていると思えれば、日常の何気ないこともがんばる力がわいてくるんじゃないかなと思います。

160905こんにちは。夏休みも終わりましたね。
みなさんは夏期講習会中、宿題のプリントや小テストのプリント、漢字・英単語テストのプリントなどたくさんのプリントをもらってきたことと思います。
そのプリントを切り貼りしたノートを積み上げるとかなりの高さになると思います。その高さこそ、皆さんがこの夏、努力した賜物です。その高さに比例して、自信も積み上げてくださいね。

さて、その講習会中に大量に配られたプリント類は「紙」でできていますが、皆さんはその「紙」の凄さを知っていますか?
紙の歴史は非常古く、紀元前150年頃のものが現在の紙の元となった最古の紙だと言われています。今から2200年近く前に紙は発明されているのですね。

それでは、実験をしてみましょう。皆さん手元になんでもいいので紙を準備してください。そして、それを今から100回折りたたんでください。

今、紙を一生懸命に折り出した人は、せっかく折り出しましたがやめたほうがいいです。やれと言っておきながら、やめたほうがいいとはどういうことだ!と立腹した人もいるかと思いますが、実際には100回折りたたむことは不可能なのです。
紙1枚の厚さを0.05mmとすると100枚「重ねた」だけなら5mmにすぎません。しかし、紙を100回「折りたたむ」とその厚さはなんと約67億光年(0.05mm×2の100乗)となります。67億光年というのは光が1年間に進む距離を1光年としていますので、光の速度をもってしても67億年かかるという距離です。

もう一度、目の前の紙を見てみましょう。見方が変わりますね。敬意こそ払います(笑)

皆さんは紙を「積み上げていく」学習ではなく、紙を「折りたたむ」学習を行って下さい。そして、視野の広い、発想力の豊かな大人になって欲しいものです。
1つの側面からのみ物事を捉えるのではなく、1つの事象から気になりだしたことを次々と調べ、学び、咀嚼して行くことで、その知識は何倍にも生きた価値のあるものへと変貌していきます。

皆さんたちの学習に置き換えれば、1つの問題ができればいいのではなく、問題を解く際に気になったことは参考書や辞書を使って調べ、今であればインターネットを使って調べ、またそこでわからないものに出くわしたら更に調べ…という具合に「深めて」行くのです。それが人の知的欲求を満たしていくものだと考えます。

勉強の秋!
「やらなければいけない」宿題としての勉強ではなく、「自分を一回り大きくするための勉強」として宿題と向き合っていってくださいね。

160829暑かった夏も終わりに近づいていますが、厳しい暑さが続いています。
夏のお楽しみといえば、花火大会もそのひとつですが、先生の住んでいるところでも、先日花火大会が行われました。
様々な色彩で夏の夜空を彩る花火は、暑さを忘れさせてくれます。

でも、なんで、花火はあんなに色鮮やかなのでしょうか?
火の色といえば、赤やオレンジを思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、実際は、赤や青、緑に黄色、紫と様々な色の花火が上がっています。

花火には、その色のもととなるものが火薬に入れられているんですね。
なんだと思いますか?

実は、金属なんです。
「え?金属って燃えるの?」と思うかもしれません。

金属は燃えます。(燃えない金属もありますが。)
リチウム・ナトリウム・マグネシウム・アルミニウム・鉄・カリウム・カルシウムなどは燃えやすい金属なんです。

しかし、燃えやすい物質である鉄であっても、ある程度分厚くなればまず燃えませんし、アルミ箔でも小さく丸めればそう簡単には燃えなくなります。金属というのはほんの少しまとまっただけで燃えにくくなるのです。

逆に、燃えやすい状態というのは、粉末状であったり、薄く伸ばされている状態の時です。砂鉄やアルミ箔は燃えやすい状態と言っても良いですね。

また、金属は「水に入れても燃える」というのが非常に面白いところです。
燃えるのには酸素が必要だというのは常識ですが、水はH2O、つまり酸素を含んでいる物質です。金属はこの水を分解して酸素を奪って燃えられる変わった物質なのです。

はっきり言って、燃えやすい状態の燃えやすい金属は「油より燃えやすい」のです。

さて、金属を燃やしたら、炎の色は赤だけでなくさまざまな色になります。ナトリウムなら黄色、銅なら青緑というように、金属の種類によって違っています。
このように、金属を燃やしたときに、その金属の種類によって決まった色を放出することを「炎色反応」といいます。
花火は、この「炎色反応」を利用しているんですね。
よく考えられたものだと思いませんか?

そういえば、虹の色の数を「7色」と決めたのは、あのニュートンだということを知っていましたか?
ニュートンといえば、リンゴが落ちるのを見て発見したという「万有引力の法則」が有名ですが、光の研究でも有名なのだそうです。

ティエラでこの夏、猛勉強している君たちの中に、将来、もしかしたら、新しい花火の色を作っている人がいるかもしれません。花火に限らず、ニュートンのように様々な分野で、世界に役立つ大きな発見をしてくれる人が出てきて欲しいと思います。

160822長崎に住んでいない人が聞くと、「なんて不謹慎な!」「そんなことしていいの!?」と思うかもしれませんね。

しかし、長崎ではとても普通のことで、『精霊流し』(盆の終わりの15日の夕方に、精霊(御先祖さまの霊を送り返すため、供物をわらや木で作った舟に乗せて川や海に流す行事)ともなると、車道で堂々と爆竹だってやっても怒られることはありません。

なので、先生も昔お盆になると、よく知らない親戚のおじさんから「花火代」といってテッシュペーパーに包まれたおこづかいをもらったものです。

全国的には、ナスとキュウリを牛と馬に見立てて作る「精霊馬」や「精霊牛」が有名ですね。
いずれにも意味があり

「花火」・・・お盆に帰ってきていたご先祖さまが、帰り道をまちがえないよう、寂しくないように送り出すため
「精霊馬」・・・足の速い馬として見立てられ、あの世から早く家に戻って来られるように
(キユウリで作る)
「精霊牛」・・・遅い牛として見立てられ、少しでもこの世から帰るのを遅らせるように
(ナスで作る)

というように、ご先祖さまの魂をいたわる気持ちが込められているのです。

さて、時として人は目に見えないモノに礼を尽くしたり、大切にしたりします。

友だち同士の友情。親子間の愛情。夏合宿での気づき。講習会で作ったノートへかけた努力…
本当に大切なモノは、見えないことが多いようです。

長かった夏休みも、あと少しで終わります。
「能開の2学期は、8月から!」
この夏にキミたち一人ひとりが経験した大切なことを胸に、2学期も頑張っていきましょう!!