「蚤」(のみ)という漢字は、「かきたくなるかゆい虫」という意味があるそうです。
なんだか名前を聞いただけでもかゆくなりそうですね。

ウィキペディアには「節足動物門昆虫網ノミ科に属する外部寄生昆虫」とあります。
「寄生昆虫」、つまり、自分で生活しないで人間や犬や猫、鳥などの体表に寄生して、その血をすって生活している昆虫なんだ。

今ふうに言えば、「パラサイト」、日本風に言えば「居候」(いそうろう)だ。二酸化炭素を感知して寄生する主人をさがして、そこにこっそりとすみつく。寄生主が死んだら別の主人を探して移動する。体長が0.9ミリ以下という小さなノミの、なんとも、しぶとい生き方がほほえましくもあります。

人間に寄生する昆虫として「のみ」と同じくらい有名なものに「しらみ」がいます。今はどちらも日常の話題に登場しなくなりましたが、「のみとしらみ」ほど、昔から人間に親しいものはありません。衛生状態が今よりも悪い時代は、日常の身近なところに「のみとしらみ」がいました。それでも、このふたり(?)は、人間にとってはずいぶんと違う印象で見られています。

しらみは「柔らかく、しめりがちで鈍い動きで、陰性」、のみは「固く、元気に飛び跳ねて、陽性」といった感じでしょうか。だから、人間に受けが良いのは「のみ」のほうです。そういえば、「のみの夫婦」とか「のみの心臓」とかいった言葉もあります。「のみの市」「のみのサーカス」というのもあります。

20世紀の初めまで「のみのサーカス」は実際にあって、人前で芸をするノミがいたそうです。
円錐の紙をのみにかぶせて、跳ねるのみがそれを動かして、観客にはのみが踊っているように見えるのだそうです。

また、こんな話もあります。のみをガラスの容器の中にいれふたをする、するとのみはジャンプする。何度も何度もジャンプするが、ふたを超えた高さまでは飛べない。やがて、ふたをとっても、のみはふたのところまでしか飛べなくなってしまう。「自分はこの高さまでしか飛べない」と思って(?)しまうのだそうだ。

教訓。
「人間ものみのサーカスのように、自分はこの程度だと決めつけてはいけない」
「人間は、自分で自分の限界を決めてしまったらそこで成長は止まる」

君たちの中にも、「自分はこの程度だ」と、自分で勝手にきめつけて、努力することをあきらめてしまった人はいませんか。

のみしらみ 馬の尿する 枕もと(芭蕉)
よい日やら のみが跳ねるぞ 踊るぞや(一茶)