最近自分が話をするときにひっかかる言葉がある。それが「当たり前」だ。ここ最近の社会情勢からというような大それた話ではなく、自分の思う「当たり前」と他人の思う「当たり前」が違うということに改めて気づいたというだけだ。

例えば、ある先生と話をしたときに驚いたことがある。その先生は、何と「両手で歯磨きをする」らしい。なんじゃそりゃと思って聞いてみると、両手で歯ブラシを持つのではなく、左の歯を磨くときは右手で歯ブラシをもって磨き、右の歯を磨くときは、今度は、歯ブラシを左手に「持ち替えて」磨くとのことだった。

私は片手で歯ブラシを持ち、磨く歯の位置によって毛先の向きを変えて磨いていた。ものは試しにと思い両手で持ち替えて磨いてみると、慣れないためぎこちなさはあったが、そこまでの違和感はなかった。その後はというと、両手で歯を磨くことは一切無い。

一見無駄に見えるような他愛のない話でも、新たな発見や好奇心につながることがある。ソーシャルディスタンスが求められ、目に見える成果が求められる時代ではあるが、やはり多くの人と接する時間を作ることで、様々な人との接点を持つことはとても大切だ。