ときどきこのような生徒の声を聞きます。
『なんで勉強しなくちゃいけないの?』 『○○ってやって、役にたつの?』
『受験に関係ない科目も勉強しなくてはいけないの?』など
 今回はそのように感じたことがある人に向けてのお話です。

「1742万5170桁という現時点で最大の素数を見つけた。」
という記事を先日読みました。読んだ最初の先生の印象は『だからどうした』でした。
「素数」とは、1とそれ自身でしか割り切ることができない正の整数と定義されています。1、2、3、4、5、6の数のうち2、3、5がそれにあたります。詳しくは数学の勉強をしっかりしていけば大丈夫です。また素数は無限個存在することが証明されています。
さらに発見のために研究者が何年間もかけて無限にある素数の一個を探しているとしりました。時間と労力の無駄遣いだと感じました。『なんで素数を調べているのか?意味あるの??』という疑問です。
 なぜこれほど騒がれているのか腑に落ちなかったのでもう少し調べてみました。実際素数は暗号などに用いられ、大きな桁数の素数からは複雑な暗号をつくることができます。例えば、コンピュータなどのパスワード、暗証番号の設定などへの利用です。これは素数の規則性が解明されていないためです。ですから大きな素数には大きな価値があるのです。現代の我々の身のまわりの情報を守るためには無くてはならないものになっています。

はじめの質問に対する答えは与えられるものではないはずです。
皆さんには生まれた疑問を大切にして、学んできたものを振り返ったときに活かせるものに変えて欲しいと思います。
そのために勉強のやり方を学び、工夫を重ねてください。
皆さんの素朴な疑問が世の中を変えていくはずです。

ちなみに素数の規則性がもし発見できれば、世の中は大変なことになるでしょうね。

わたしたちの脳の中には「自己報酬神経群」という、「自分へのごほうび」をモチベーションにしてはたらいている部位があります。この部位が活性化すると集中力が高まり、この部位の機能が低下すると集中力が低下し、それに伴って運動機能も低下してしまいます。
この部位はごほうびがもらえたという「結果」によって活性化するのではなく、ごほうびがもらえそうだという「期待」によって活性化します。つまり、脳が「ゴール間近だ!」「もうすぐ目標達成だ!」と判断したとたんに機能が低下し、集中力が低下してしまうということです。

みんなの中にも1つ何かが終わると、次に取り掛かるまで時間がかかってしまうという人はいませんか?

こういう状況を防ぎ、集中力を長持ちさせるのはどうしたらよいと思いますか?

それは、この仕組みを逆に利用するのです。
本来の目標としている地点よりも遠くにゴールを設定します。
すると、実際のゴールの手前で脳のパフォーマンスが落ちることがなくなります。
この仕組みを実際に活用したのが、北京オリンピックで金メダルを獲得した北島選手です。
彼の場合はプールの壁をゴールと思うのではなく、壁にタッチしたあと振り向いて電光掲示板を見た瞬間をゴールだと考える訓練を重ねたそうです。世界記録を塗り替えた影には、脳化学のサポートがあったのです。

さて、みんなの目標って何でしょうか?
定期テストで良い点を取ることですか?
志望校に合格することですか?
将来の夢を叶えることですか?

どんな目標でも構いませんが、そこがゴールだと考えてしまうとその直前でペースが落ちてしまうことでしょう。それは脳の機能なのでどうしようもありません。

そのゴールの先に新しい目標を立てましょう。
先生はみんなに目の前のことだけに囚われず、先を見据え、高い目標を立てられるようになって欲しいと思います。

スポーツが大好きな先生から、今日は生涯スポーツのお話をします。
みんなの中にも今スポーツをやっている人多いですよね。では、そのスポーツは何歳までできるのでしょうか?
生涯スポーツの『生涯』という言葉は『この世に生きている間』という意味があります。

先日(2月24日)、東京マラソンが開催されました。そこにエントリーした参加者の中で、最高齢は82歳だそうです。
先生も高校生の時にフルマラソンにチャレンジしたことがありますが、42.195kmをチャレンジするというものは日頃からのトレーニングと体力づくりをしていないと完走は厳しいです。80歳を超えてもチャレンジするってすごいですよね。

では、世界最高齢のマラソンランナーは何歳だと思いますか?
実は東京マラソンと同じ日に香港でもマラソン大会が開催されていて、そこの10km部門に出場した人がインド系英国人ファウジャ・シンさん。なんと101歳。さらにビックリしたのが、長距離マラソンを始めたのが89歳のときからで、9回もフルマラソンを完走しているそうです。シンさんは残念ながら今回の大会で引退すると言っていますが、さらにすごいのが、引退後も日課にしている16kmのランニング(約4時間かけているそうです。)は続けることを計画しているそうです。そんなシンさんは今まで一度も病気をしたことがなく、薬も服用したことがないそうです。健康の秘訣はスポーツと正しい食事だそうです。
13年間、シンさんを指導してきたトレーナの人が言うには、「シンさんは非常に前向きな人で、私が『今日は10キロを走りましょう』というと『いや、20キロ走ろうよ』と言うんです。」
101歳のおじいさんとは想像がつかない会話ですね。

最近はなんでも便利になって楽になってきていますが、『生涯現役』でがんばっている人の共通点はそういった『楽な方』に逃げるのではなく、『鍛える』ということに向かって継続してがんばっています。
能開は『鍛える』という意味では最高の場所です。今こうして、がんばっている君たちは前述した人たちみたいに『生涯現役』でがんばれるセンスを磨いているんです。
さぁ、これから新学年へ向けての勉強がはじまっていきます。あきらめないでがんばっていきましょう。まだまだ君たちには楽しみな未来が待っています。

プロ野球選手の赤星憲広さんが書いた「頭で走る盗塁論」(朝日新書)を読みました。
赤星さんと言えば、なんといっても盗塁です。阪神タイガースに在籍した9年間で381盗塁を記録。セ・リーグ新記録となる5年連続盗塁王も獲得しました。
先生は、東京ヤクルトスワローズの大ファンなのですが、阪神戦で赤星さんがランナーで出るたびに、いつも盗塁されるのではないかと気になってしょうがありませんでした。相手ファンから嫌がられる選手は、良い選手が多いです。“レッドスター”の愛称で親しまれた赤星さんは、多くのプロ野球ファンの記憶に残る名選手でした。

 みなさんは、盗塁が成功する確率はどれくらいか知っていますか。プロ野球では、ピッチャーが投げたボールをキャッチャーが捕球し、二塁にボールが届くまでが平均で3.2秒と言われています。
一方、赤星さんが盗塁のスタートを切ってから二塁に到達までも同じ3.2秒。つまり、俊足の赤星さんでさえも、セーフになる確率は計算上では五分五分ということになりますが、赤星さんはプロ通算で盗塁成功率8割以上という高い数字を残しました。なぜ成功率を高めることができたのでしょうか。

赤星さんは、「盗塁が成功するかどうかは、事前の“準備”で8割決まる」と語ります。準備とは、事前に相手を研究すること。相手のクセや配球を見抜いておくことで盗塁成功率を飛躍的に高めたのです。

例えば、赤星さんが元読売ジャイアンツの上原投手(現レッドソックス)と対戦したときの話です。上原投手は投球の前に、両手を胸の前で組んでタメをつくるときに「左肩が内側に入っていれば牽制球はしない」というクセがあることを、赤星さんは日頃から観察し、把握していました。そのクセが出た時は、自信を持って盗塁のスタートを切れたそうです。
頭をかく、まばたきの頻度、目の動き、無意識にピッチャーが行う様々な動きを常に観察し、事前に頭にインプットして準備しておくことが、足の速さよりもスライディングのテクニックよりも重要だと赤星さんは語ります。

また、キャッチャーにもクセがあるそうです。ピッチャーに速いストレートを要求する時は「ここに投げろ!」というように、どっしりとミットを構え、逆に遅い変化球を要求する時は、ミットの構えがやわらかくなるキャッチャーが何人もいたそうです。当然、遅い変化球を要求する時は、盗塁のチャンスです。
私たちは「足が速い選手」=「盗塁が上手い選手」と考えてしまいますが、赤星さんの話を聞くと、「頭を使って、どれだけ研究し、準備するか」が盗塁の真髄であることがわかりますね。体だけではなく、脳にも汗をかきながら、赤星さんは盗塁を積み重ねていったのです。

さあ、今日もゼミが始まります。
ゼミは、先生とみなさんの真剣勝負の場。
みなさん、この1週間で、しっかり「準備」はできていますか?

今日は少しだけ難しい話をしようと思います。生物の多様性についてです。多様性(たようせい)とは、簡単に言うと、「地球上には様々な生物がいて、それが生態系(地球の生物全体)を支えている」という意味です。

私たちが住む地球には、哺乳類などの高等動物から、アメーバなどの原生動物まで含めて 、1300~1400万種の生物がいると推定されています。まだ全てが確認されたわけではなく、私たちの知らない、想像もつかないような新種の生物が次々と発見されています。例えば深い海の底には、頭部が透明で脳みそすら透けて見えるような深海魚とか、有毒な硫化水素を食べて生息するバクテリアとか。生物の中には、熱に強いものや、乾燥に強いもの、ほとんど食事をとらなくても生きていけるものなど、多種多様な種類があって、それぞれが環境に適応して生きているのです。

この「多種多様な種類」というところが重要で、もし将来、地球の気候が大変動して、多くの生物が死滅することがあったとしても、きっとその厳しい環境にも耐えて生きのびる生物がいて(それがどんな生物か想像もつきませんが)、数百万年もすると、その生物から進化した新しい生態系ができるかもしれません。ちょうど恐竜が絶滅した後に、生き残った生物が進化して、やがて哺乳類など新しい生物が地球上に広がっていったように。

「多種多様」という表現は、私たち人間にもあてはまります。背の高い人、サッカーが得意な人、計算が速い人、思いやりのある人、リーダーシップの取れる人など、皆さんの周りにも色んな特徴をもった友だちがいるはずです。それを私たちは「個性」と呼びます。個性がたくさん集まることで、世の中は支えられているし、個性があるから人間であって、色んなタイプの人間がいて良いのです。他人をうらやましく感じる必要はないし、逆に相手を見下してはいけません。ダメな人間なんていないのです。大切なことは、人の役に立って、まわりの人を幸せにできるかどうか。そのためにどれだけ頑張ることができるかに、人間の価値があります。

皆さんも自分の周りの人を振り返ってみて、目立たないところで頑張っている友だちがいれば、ぜひ応援してあげてほしいし、小さなことでもいいから少しずつ頑張って、周りの人を幸せにできる人間になってほしいと思います。

『昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう。大切なのは疑問を持ち続けることだ。』
(Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.)

この言葉を聞いたことがありますか!?
天才の代名詞としてよく引き合いに出されるアインシュタインの名言のうちの一つです。
先生も理系を専門に学ぶ人間として、よく聞かされてきた名前です。
アインシュタインの凄さに関しては、色々な逸話が残っています。例えば9歳で、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を美しいと考え自力で証明を完成した話や、12歳で、微分積分学を独学で習得した話など様々です。ちなみに、微分積分学というのは、高校生が数学の授業で習う非常に難しい単元で、かの有名なエジソンは、生涯その考えを理解する事ができなかったと言われています。その難しい内容を日本でいう小6の内に独学で理解していたとは、天才と言われるのも納得できますね。

 ただ、アインシュタインは次のような言葉も残しています。
『私には特別な才能はない。ただ、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。』
(I have no special talent. I am only passionately curious.)

 つまり、必要なのは特別な才能などではなく、1つのことにどれだけ深く取り組むことが出来るかだと言っています。自分には、才能がないと嘆くのではなく、自分が興味の持てることに対して、好奇心を持って取り組む事が大切だと話しています。

さて、最初の言葉に戻ります。2月がスタートし、冬から入ってきた生徒もこれからいよいよゼミが始まっていきます。講習会と違って不安も多いのではないかと思います。ただし、大切なことは一つ一つの動作をきっちりとこなしていくことです。アインシュタインの言葉を借りると、昨日から学び(前回のゼミの復習)、今日を生き(しっかりと授業を受ける)、そして疑問を持って次の学習内容の予習をこなし、次回のゼミに備える。それが出来れば、明日へ期待しよう(次回の授業がしっかりと理解できる)という流れになります。
疑問を持つということは、わからないことに対して興味をもつということで、好奇心に繋がっていきます。先生達はみんなのそのような疑問にしっかりと答えられるように準備して待っています。だから、みんなも不安がらずにしっかりと予習に取り組み、色々なことに疑問をもって授業に臨んできて下さい。才能なんか重要ではありません。大事なことは多くの疑問(好奇心)をもって勉強に取り組むことです。さあ今日から改めてスタートしていきましょう!!

マラソン大会が好きな人っていますか。

先生はマラソン大会が大嫌いです。嫌いな理由はいくつもあります。まず、マラソン大会って、たいてい冬にありますよね。寒い中、白い息を吐きながら顔をゆがめて走っていました。「冬にする必要があるのか。」といつも思っていましたね。そして、マラソン大会って距離が長いことですね。その分時間もかかるわけですから苦痛を感じる時間も長いですよね。極めつけは、数日前から嫌な気持ちになることですね。「雨が降って中止にならないかな。」「当日、風邪をひかないかな。」と逃れる策をいつも考えていましたね。言うまでもなく元気に参加するわけですが…。

また、マラソン大会は、走っている途中でいろんな自分と出会いますよね。走っている時間が長いからいろんなことを考えます。急な上り坂で「走って越えるのはきついな、歩こうかな。」と甘える自分、きつい時に「腹が…足が…」と痛いフリをする情けない自分、他の人にどんどん追い抜かれていく時に「はは、みんな頑張るね。たかがマラソン大会なのに。」と強がる自分、ゴール直前で「最後ぐらいは順位を上げてやる!!」とスピードを上げる調子の良い自分。ずっと「リタイアしたい」と願う自分…。いろいろな自分と出会います。いろいろな自分と出会いながらも、最後はなぜか完走してしまいます。嫌々ながらも完走できるのは、きっと、リタイアすることが格好悪い、頑張って走っている人の姿が見えている、みんな同じ状況で頑張っている、ゴールで待っている友達や先生がいるなどという思いがあるからだと思います。スタートもコースもゴールもみんな同じだからこそ、最後まで頑張ってゴールを目指せるものなのです。

よくある話ですが、人生をマラソンに置き換えて考えてみましょう。
みんないろいろなことから、逃げようとしたり、言い訳したり、急にやる気を出したりしながらも前に進んでいますよね。その都度、いろいろな自分に出会っていると思います。マラソンには決まったゴールがあります。では、人生マラソンのゴールはどこだと思いますか。目の前の目標を達成した時がゴールではないですよね。「入試がゴールだ!」という人もいれば、「大学受験がゴールだ!」「就職することがゴールだ!」「夢を叶えることがゴールだ!」という人もいます。究極ですが「命つきるまで!」と言う考え方もありますね。一人一人ゴールの考え方が違うのです。

先生が思う人生マラソンのゴールは中学、高校、大学に合格した時でも、就職が決まった時でもありません。先生が思う人生マラソンのゴールとは「この先やり残したことがないと心から思えた時」だと思っています。当然、ゴールが変わればコースも変わってきます。人生マラソンは、普通のマラソンのように決まったコースをただ走っていれば必ずゴールに辿り着くものではないのです。人生マラソンのコースは一人一人違い、いろいろな場面で大きくコースが変わっていきます。

わかりやすい例をあげれば、受験ですね。受験の合否によって学校が変わるわけですから、コースが変わっていきますし、受験をするかしないかでも大きく変わりますよね。他に例をあげると、新学年の準備をして新学期を迎えるかどうか、部活でも習い事でも真剣に取り組むかどうか、目の前の宿題を真剣に取り組むかどうか、ものごとを計画的にやるかどうか、暗記する時に書いて覚えるのか見て覚えるのか。人生マラソンは、自分で楽なコースを選ぶことも、あえて厳しいコースを選ぶこともできます。今までに「あの時こうしておけば良かった」「やった方が良いのはわかっているけど…」と思うことが多々あったでしょう。そういう時は、長い目で考えてみるとうまくいきます。

例えば、二週間後に大きなテストがあるとしましょう。目先の遊びを優先してテスト勉強をしないのか、二週間後のテストにむけて勉強を始めるのか。2週間後に幸せな自分になれる方はどちらかわかりますよね。このように、その時は楽をしているほうが幸せでも、長い目で見た時に幸せではないこともあります。迷った時、選択を迫られた時は、1週間後、1ヵ月後、1年後、10年後に「この選択で幸せになれるのかな」と一度考えて見ましょう。人生マラソンの攻略法は、長い目で見た時に「こっちの方が幸せになれる!」と思ったほうを選んでいくことです。あなたはどういうコースを選んで前に進んでいきますか。

こんにちは。
新しい年が始まって早くも一月が経とうとしています。
一年というのは長いようで短いものです。
一年365日、12ヶ月、週でいえば約52週間です。
52週と聞いてあなたは長いと思いますか。
短いと思いますか。
先生は短いと感じます。
光陰矢のごとしという言葉がありますが、
時間の過ぎるのは速いもの、
一年はあっという間です。
皆さんも新しい学年になったと思ったらもう……、という感覚はないでしょうか。
古典に「邯鄲の夢」というお話があります。
中国の唐の時代に書かれた小説「枕中記」の故事の一つです。
手短に言うと、
趙の国に廬生という若者がいました。
廬生は、人生の目標も定まらず、故郷を離れ趙の都、邯鄲に赴きます。
そして、そこで出会った呂翁という道士に自らの身の不平を語ります。
すると呂翁は夢が叶うという枕を廬生に授けます。
廬生がその枕を使うと、
崔氏(唐代の名家)の娘と出会い結婚し、
科挙(官吏登用試験)に合格し、
出世を重ね京兆尹(首都の長官)となり、
夷狄を破って勲功をたてて栄進することができました。
しかし、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷されます。
そこで三年を過ごしますが、
再び召されて宰相に上り、
それから十年間、よく天子を補佐して善政を行います。
しかし、今度は突然、無実の罪で逆賊として捕えられます。
思い悩み自殺しようとしますが妻におしとめられます。
ともに捕まった者たちは皆、死刑になりますが彼だけは流罪になり一命を取り留めます。
やがて冤罪であったことが皇帝に知れ、
再び呼び戻されて手厚く寓されます。
五人の子も高官に上り、
十余人の孫を得て幸福な人生を送り、
多くの人に惜しまれつつ眠るように最期を迎えます。
そして、ふと目覚めます。
すると呂翁に出会った当日であり、
寝る前に火にかけた粥がまだ煮上がってさえいなかった。
というお話です。
人の栄枯盛衰は所詮、夢幻に過ぎないということを表す話として知られていますが、
先生はこの話を知ったとき、合わせて時間は過ぎてしまえば一瞬ということを強く思いました。
雑多な日常の中でつい日々に追われてしまいますが、
だからこそみんなには夢・目標、志というものを持って日々、過ごしてほしいと思います。
夢・目標、志というと大きなものを考えがちですが、
小さくとも自分が誇れる夢・目標、志であればいいと思います。
どんな夢・目標、志であっても自分の中から自然と出てきたものであれば本物だと思います。
もちろん大志を抱いている人は、
その実現を目指して驀進してほしいと思います。
話が少しそれましたが、
とにかく時間というのはたくさんあるようであっという間に過ぎるものです。
今年も十二分の一が終わろうとしています。
新年度のスタートももうすぐそこに迫っています。
夢・目標、志を持って、もしくは探して、
今を大切にがんばりましょう。

皆さん、今一番興味・関心があることは何ですか?スポーツについてでしょうか?歴史のことでしょうか?星のことについてでしょうか?さまざまなものがあると思います。
昔から「好きこそものの上手なれ」と言いますが、先生もそう思います。なぜなら、自分の興味・関心が深いものであればあるほど、その分だけ調べたり、練習をしたりしますよね。
先生は、勉強というのは、こうした興味・関心を自分の力で切り開くためのものだと思います。
今まで知らなかったことに出会う喜びというのは、何よりもまして貴重なものだからです。君たちのこれからは、さまざまなことに自分から積極的に目を向けることが求められるし、君たち自身の力にもなってくれます。
先生がいろいろなことに目を向けてみようと思ったきっかけとなった、1冊の本があります。その本のタイトルは「ウルトラマン研究序説」と言います。
表紙にはウルトラマンがかっこよく登場する写真がデザインされているので、最初にこの本に出会ったときには「ウルトラマンや怪獣の本なんだろう」と思い、何も考えずに読み始めました。
しかし、この本はとても難しい本だったのです。十数名の著者がいるのですが、この人たちは、有名な大学の先生ばかりで、自分たちの研究していることから、真剣にウルトラマンのことについて研究しているのです。
たとえば、ウルトラマンは人間の姿からウルトラマンとして巨大な姿に変身しますが、どうすれば人間(大体175センチくらいの男性)から40メートル以上の大きなウルトラマンになるのか、ということを「量子力学」という学問を利用して解明しようとした物理学者。人間の骨はカルシウムでできていますが、ウルトラマンという大きな姿になったときには、カルシウムでは支えきれないはずだから、ウルトラマンの骨は何でできているのだろう、と考えた医学者。ウルトラマンが怪獣を倒したあとに残る怪獣の残骸は、誰が片付け、どのように処分するのだろう、と考えた環境学者。ウルトラマンが壊してしまった建物やコンビナートは誰が弁償する責任があるのだろう、と考えた法律学者・・・などなど、テレビで見ていたら「かっこいい」で終わってしまったであろうウルトラマンには、さまざまな視点でみることができることを教えてくれました。
興味・関心の幅を広げるきっかけになることは、人それぞれです。本によってかもしれません。先生から聞いた話かもしれません。そこから、自分から「どうなっているのだろう」と調べてみることが、君たちの知識の幅やものの見方を大きく変えてくれます。
今君たちがやっている「勉強」は、そうした興味関心を広げるために必要な「やりかた」なのです。今やっていること一つ一つは決して無駄にならないのだと思い、日々一生懸命努力してください。

毎日寒い日が続きますが、この季節になると、先生はものすごくお風呂に入るのが楽しみになります。家のお風呂にのんびりとつかるのもいいんですが、たまに温泉に行くのも楽しいですよね。

日本は世界的に見てもとても温泉の多い国です。先生もいろいろな温泉に行ったことがありますが、その中でも大好きなのが大分県の別府温泉です。別府には街中に本当にたくさんの温泉があります。源泉の数が2,800ヶ所以上で日本の総源泉数の約10分の1を占めています(すなわち温泉の10個に1個が別府にあるということです)湧出する湯量も日量137,000キロリットルで日本最大の温泉地です。

温泉に入るという時には多分旅館やホテルをイメージするかもしれません。別府にもたくさんの旅館やホテルはあるのですが、あまりそういったところには行きません。

だって街中をブラブラ歩いているだけで温泉がいたるところにあるんです。地図を片手に探してもいいのですが、あえて何も持たずに歩くとさらに面白いです。だいたい地区に1つの温泉があります。みなさんの住んでいるところにも「公民館」がありますよね。その「公民館」が温泉になっているのです。だいたい二階建てで、一階が温泉、二階が公民館というタイプが多いです。だいたい公民館とポストと公衆電話がそろっているところに温泉があります。面白いでしょ。

地元の人しかいないようなところですが、お願いをすると温泉に入れてくれます。ものすごく安くて、ほとんどの温泉が100円で入れます。中には無料で入れるところもあります。その代わり中には浴槽がポツンと1つだけ。洗い場もありません。浴槽の周りに直接座って、洗面器で中のお湯をくみ出して体を洗います。

みんなで使う温泉なのでいろいろなきまりがあります。なんでこんなきまりがあるのか、考えてみてください。

・体を洗ってから、浴槽に入らなければなりません。
 →体をきれいにしないと、お湯がよごれるからですよね。これは当たり前ですよね。
・洗たくをしてはいけません。
 →お湯をたくさん使ってしまうからです。
・浴槽のふちに座ってはいけません。
 →お風呂に入るときに手でさわる場所なので、おしりをつけるのはやめましょう。ということです。
 これは別府に行ってはじめて知りました。座っていて怒られたんですよ。
・歯をみがいてはいけません
 →直接床に座るので、その横で口をゆすいだ水を「ペッ」とされるのは気分がよくないですよね。

みんなで使う場所だから、みんなが気持ちよくお風呂に入ることができるように。と作られたきまりなのです。

でも、実は一番のきまりは「あいさつをする」ことなのです。
最初入った時はびっくりします。なにせよそ者の先生にあいさつをしてくれるのです。お年寄りも若者も子どももみんなあいさつをします。
入る時には「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」
最初はよそ者なので「誰だ?こいつは…?」というような目で見られるのですが、きちんとあいさつをして入ると
「どこから来たの?」「熱くない?水をいれようか?」「せっけん持ってるの?」
といろいろ親切にしてくれます。あいさつをすることで、「仲間」だと認めてもらった気分になります。とても温泉に入りやすくなります。

出るときには「お先に失礼します」と、誰かが出たら、みんなで「さようなら」というあいさつを普通にします。この「さようなら」が最初は慣れなくて、すごくこっぱずかしかったのですが、今ではすごくいい言葉だなぁ、と思っています。

能開にもいろいろなきまりがありますよね。
きまりが守れなくて怒られた人もいるのではないでしょうか?
「なんでこんなきまりがあるんだよ…。めんどくさいな~」と思ったことはないですか
なぜ、きまりがあるのかと言えば、温泉と一緒で、みんなが気持ちよく勉強するためではないかと思うのです。

そして、あいさつは、「ここから勉強に入るぞ!」という切り替えの合図なのだと思うのです。そしてみんな「仲間」として勉強をするからこそ、力がつくのではないでしょうか。

さぁ、新しい年のスタートですね。
元気なあいさつから、はじめていきましょうか!