今日はクリスマスにまつわるお話をひとつ紹介します。それは「三本の木」というお話です。

小高い山のてっぺんに3本の小さな木が立っていました。3本は小さい時からとても仲良し。大人になったら何になりたいかいつも話し合っていました。

1本目の木はきらきら光る宝石でいっぱいの宝石箱になるのが夢でした。2本目の木は大きな船になって遠い外国に行くつもりでした。3本目の木はずっとここにいてみんなが見上げるような高い木になりたいといっていました。「きっとそうなろうね!」と3本の木はいつもはげましあっていました。

それから何十年がすぎました。小さな木たちはすっかり大きくて立派な木になっていました。ところがある日3人の木こりがやって来て木たちを切り倒してしまいます。

1本目の木は、宝石箱ではなく牛や羊にわらを食べさせる「かいば桶」になりました。2本目の木は、大きな船ではなく漁師の小船になりました。3本目の木は材木にされ使い道もきまらないまま放ったらかしにされました。

月日は流れ、三本の木は、自分が何になりたかったのかということなど、とっくの昔に忘れてしまいました。

ところがある日、若い夫婦が家畜小屋にやって来ました。そして彼女はすぐ赤ちゃんを産み1本目の木で作られた「かいば桶」の中に赤ちゃんをそっと寝かせたのです。すると、ひつじかいがやって来て、「この赤ちゃんは神の子のイエスさまだ」と言っています。「かいば桶」になった1本目の木は、「え!ぼくは神さまの赤ちゃんをだっこしているんだ」と、とても喜びました。

さてある日、ある男たちが2本目の木で作られた船に乗り込んできました。彼らが湖の真ん中を漕いでいると激しい嵐が起こりました。すると船に乗っていた一人の男が、風と湖に「静まれ。」と言うとすっかり静かになりました。2本目の木はこの時、すごい人が自分に乗って湖を渡っていることに気づき、とても喜びました。

最後に、ただの材木になった3本目の木は、ある人に引き取られると十字架にされました。そして、ある男がその十字架を背負わされました。3本目の木はこの時、イエスさまの大切なお仕事をお手伝いできてよかった、と喜びました。

三本の木のどれもが、自分が夢に思い描いたような姿にはなれませんでした。しかし、試練に耐えることで彼らの想像を超えた、もっとすばらしい形で彼らの望みは叶えられたのです。

これは、古くからキリスト教で伝えられるお話です。

いよいよ冬期講習会が始まります。勉強をしていると思うようにいかない時もありますが、あきらめずに先生たちと一緒に頑張っていきましょう!!そうすれば、いつかきっと願いは叶うはずです。

この冬は「やる気」と「元気」と「勇気」をもって。

皆さんは、どんなスポーツが好きですか?
野球?サッカー?テニス?卓球?いろんなスポーツがありますよね。好きになると、実際にプレーし、憧れの選手が出てきて、「その人みたいになりたい!」と思う人も多いのではないでしょうか。

先生は、小学生の頃からバスケットボールにはまっていました。当然、憧れのスター選手がいました。その当時、「バスケットボールの神様」と言われたマイケル・ジョーダンというスーパースターがいて、バスケをやってるほとんどの選手がお手本にしていました。
しかし、その当時チビだった先生は(小6で145CM、中3で155CM)、別の選手が大好きで、そのプレーを必死にマネしていました。

その選手は、マグジー・ボーグスという選手です。バスケットは身長が高いと有利なスポーツです。NBA(アメリカのプロバスケットリーグ)の平均身長は190CMくらいなのに対し、この選手は160CMしかありません。しかも、「シューズを履いて」です。NBA史上最も小さい選手です。
はじめチームは、話題づくりのために彼を入団させたのですが、あっという間にチームの中心選手となり、14年間レギュラーで活躍していました。何よりすごいのが、その身長で213CMもある選手のシュートをブロックするわ、ダンクシュート(ボールをゴールに直接叩き込む)はするわで、身長差を感じさせないプレーをしていたのです。

あるとき、インタビューの中で彼はこういうことを言っています。「小さければ、高く飛べばいい。」と。そしてこうも言っています。「小さいことをああだこうだ言っても、ルールが変わるわけじゃないし、急に身長が伸びるわけでもない。だったら、それを凌駕するよう練習すればいいだけさ。」と。チビだった先生は、その言葉を真に受けて、必死に練習しました。おかげでチームメイトにも恵まれ、全国大会も経験できました。

皆さんはどうですか?変えようもない事に文句を言い、努力する手を止めてはいませんか?自分の力で「周り」を変える事は非常に難しい。でも、自分の力で「自分」を変えることはいく分簡単です。もうすぐ冬休み。講習会も始まります。自分のできることを、最大限やってみましょう!

ちなみに、実はこのマグジー・ボーグス選手、今年の9月末に来日しています。そのとき、こうも言っています。
「自分に自信を持ってる人は少ない。しかし自分に自信を持つことは とても大切である。周りにいくら無理だと言われても自分は自分を信じるべきである。」

こう言いきれるだけの努力をしていきたいですね。

一流のプロ野球選手になりたい。有名なミュージシャンになりたい。世間に名を知られる一流の研究者になりたい。一流の大学に進学したい。人にはいろいろな夢があります。その夢を高い確率で実現できる方法が『10,000時間の法則』です。

「どの分野でも、一流になるためには10,000時間の練習(努力)が必要である」

逆に言えば、「10,000時間やり続ければ、どの分野でも一流になれる」ということですね。

ちょっと前に話題になった本に書かれていたので、この法則は知っている人も多いと思いますが
「10,000時間」というのが、なんとも納得できる長さだと思いませんか?

なんでも、プロスポーツ選手や芸術家やミュージシャンなど、さまざまな分野の事例を踏まえて見えてきた法則らしいです。中でも、ビートルズが売れるようになるまでの弱小バンド時代、モーツァルトが独自性の高いコンチェルトを作曲するまでの推定時間、マイクロソフト社の会長であるビル・ゲイツが成功するまでに費やした時間などが有名ですね。

「10,000時間って言われても、想像できないなぁ~」という人のために、どのぐらいの期間が必要なのか計算してみましょう。

毎日3時間やって、およそ9年かかります。(集中することが条件です。)
毎日2時間やって、およそ14年。

どうですか。毎日継続するのが難しい気もしますが、やれない時間ではないですよね。
しかも、10,000 時間経たないと変化がない訳ではありません。継続することで、その能力は常に上昇し、1,000時間もすれば、成果は目に見えてくるそうです。
成果が見えてくれば、あとは続けるのも楽になります。つまり、辛いのは初めの1年間だけですね。
なんとなく、やれる気がしてきたでしょう。

さぁ、あなたはどんな夢をかなえますか?
決してくじけない決意あれば、10年後にその夢はかないます。

これまで有名人と話したことはありますか?

 地元の様々なイベントやコンサートなどで見かけたり、街中や観光地でたまたま出会ったりなどはあっても、直接会話する機会はなかなかないのではないかと思います。

 先生は、7,8年前ですが、女優の小雪さんとそのマネージャーさんの2人を、半日ほどかけて、長崎市内を案内する機会がありました。みなさんのイメージもおそらく同じだとは思いますが、小雪さんの印象は物静かで、ほとんど自分から話をしないのではないかという先入観を持ってお迎えしました。

 はじめの内こそ、初見だったせいもありなかなか話をしなかったのですが、案内が進むうちに、長崎でお勧めの中華料理店はどこなのか、若い人がよく遊びに行くようなお店はどこなのか、さらには通院している東京の歯医者さんの話をしてくれたりなど、中盤を過ぎた頃から、ほぼ一方的に話をしてくるようになりました。最後には、夜になったら宿泊先を抜け出して夜景を見に行きたいと言っていましたが、さすがにマネージャーさんに怒られていました。

 翌日、空港まで送った際に、お礼にということでプレゼントをもらったのですが、何だったのかは内緒にしときます…

 芸能界というのは、とても厳しい世界で、少しでも油断するとすぐに表舞台からいなくなってしまうところです。みなさんがテレビや映画などで見る、華やかな場面だけで生活しているのではなく、その裏には大変な苦労もあれば、そこだけで見せることが出来る本当の自分の姿があるのだと思います。

 よく、『メリハリをつけて行動しなさい』といわれます。それは、常に気を張って生活をしなさいということではなく、姿勢を正さなければならない場面ではしっかりと集中し、リラックスできる場面では、しっかり心とからだを休めましょうということです。

 特に小6、中3の受験学年の生徒にとっては、入試が近づくにつれ、気の張る場面の割合が大きくなってくると思います。これまで多くの受験生を見てきた先生が言えるのは、遊び上手な生徒ほど、土壇場の集中力があるということです。もちろん全員がそうであるとは言えません。ただ、2つの自分をコントロールできる人が、周りに影響されることなく、自分のやるべきことをやれるのではないでしょうか。

 すべての受験生にいえることですが、受験がゴールではありません。受験はハードルです。乗り越えた先には、必ず次のハードルがあります。全力を出し切っての受験ではなく、しっかりその先までを見据えて、メリハリのある勉強を続けていきましょう。

君たちは「ノミ」を知っているだろうか。大きいものでも数ミリ、下手すると見落としてしまうほどの大きさである。しかし跳躍力においては世界新記録保持者である。何しろ自分の身長の800倍も跳ぶのだから。

このノミを使って1つの実験が行われました。ノミが跳び出そうとすれば飛び出せるぐらいの高さのガラスの広口瓶にノミを入れ、上にガラス板でフタをしておく。ノミは逃げ出そうとして何度もジャンプ、そのたびにガラスのふたにぶつかります。数日するとフタを取ってもノミは跳び上がって逃げようとはしません。

次の実験はカマスという魚を使いました。中央をガラスで仕切った水槽の片方にカマスを入れ、もう片方にはえさをぶら下げておきます。カマスはエサを食べようとして何度もガラス板にぶつかります。そのうちにあきらめてガラス板をはずしても、エサを食べに行かずに餓死してしまいます。

人間はこんなことはないと思うでしょうが、実際に人間を使った実験や、実例があるそうです。1883年、オランダ。「3分の1の血液を失ったら死ぬ」ということをベッドに縛り付けた犯罪者に知らせておき、犯罪者の足の指をメスで切ります。そして足元の容器にはポタポタと音をたてて血液が落ちていきます。しばらくしてそばにいた医師が「まもなく3分の1になります。」それを聞いた犯罪者は静かに息を引き取りました。実は足には痛みだけを与え、血液の代わりに容器に水をたらして音を出していました。

また、アメリカのある鉄道会社では、社員が冷蔵庫の中で作業をしていましたが、外から扉を閉められ鍵を掛けられてしまいました。1日後にその社員が凍死しているのが発見されたそうです。しかし、冷蔵庫の電源は入っていなかったのです。

動物と人間の場合は少し状況が異なりますが、共通するのは「思い込み・あきらめ」が悲劇につながるということ。受験勉強もいよいよ本格化しますし、受験学年でなくても勉強が難しくなる時期です。「解けない・苦手」などの思い込みや、「どうせダメ・やってもムダ」とあきらめていませんか?

「学問のすゝめ」と言われたら、「福沢諭吉」とすぐに浮かびます。そう、あの1万円札の人ですね。
先生が初めて「福沢諭吉」について習ったのは小学校の頃でしたが、直後の小テストに出たので特に覚えています。
「学問のすゝめ」の有名なフレーズとして、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を強調して習いましたよね?
だから、先生は当時、と言っても実は最近まで、人類の平等を訴えた偉い人なんだと思っていました。素直な気持ちで。
しかし、少し前に突然気になったんです。平等を訴えることと、学問をすすめることに何のつながりがあるんだろう???
調べてみました。
そうしたら、その続きとして「と云えり」とあって、今風にいうと「言われている」になります。
あれ?伝聞?ちなみに、アメリカ独立宣言からの引用だそうです。
まぁ、そこからさらに続いて「実際は違って、貧富の差などがある→それはなぜか?→学問をしている人としていない人の違いだ→学問をしよう!」と、ちゃんと学問を勧めています。
ここまで知れば、タイトルにも納得がいきますよね?
ここまで来て先生は、もっと早く調べておけばよかったと思いました。そして、物事の表面だけしか見ていなかったんだと反省しました。
みんなにも、いままでは当たり前だと思って気にもしていなかったことや、気になったけど「まぁいいか」で済ませてしまっていることはありませんか?
勉強がいつの間にかただの作業になってはいませんか?
「なぜ?」を大切にしましょう。本来何かを新しく知るということは楽しいことです。
ただ、目の前のテストのために、または、受験のためにだけ勉強するのではもったいないと思います。
今勉強していることは、みんなの将来の幅を広げてくれます。そして、将来でもまた、みんなの幅を広げてくれます。
大人になっても勉強は続きます。常に自分を磨いていかないといけません。
より良い人材を社会は求めますからね。
だから、気になったら調べよう!どう調べていいかわからなければ先生に相談しましょう!
というわけで、これが先生の「学問のすゝめ」です。

みなさん、「古典芸能」というものを知っていますか。国語で学ぶ和歌や俳句、社会の歴史で語句として学ぶ能楽や歌舞伎などがそれに当たります。そういう言葉は知っているけれど、聴いたこと、観たことのある人は少ないと思います。先生の中学・高校の友人には地元では有名な能楽一家がいましたし、実家の近くには歌舞伎小屋様式で有名な劇場もあります。幼い頃から、先生の周りには「古典芸能」にふれる環境がありました。

そんな「古典芸能好き(?)」の先生が影響を受けた方の一人が、一度だけお会いしたことがある噺家(落語を演じる人)の故・桂枝雀さんです。枝雀さんの落語の話だけで何時間も語ってしまいそうなので、ここでは枝雀さんのよく言われていた「約束と想像」という言葉をみなさんに紹介したいと思います。

落語には、「座布団に座る」、「かぜとまんだら(扇子とてぬぐい)はこういうときに使う」という約束ごとがあります。また、聴く人、観る人の「想像力」がなければ、落語は成立しません。同じようにみなさんにも、能開生として、「日付とテーマを書く」、「赤線を引く」、「webテストに取り組む」など統一した約束があります。みなさんの一人一人の中には、「マーカーの色」、「ふせんの使い方」、「1週間の学習の流れ」といった工夫しながら作リ上げた勉強の約束があると思います。

では、勉強における「想像」とはどんなことがあるでしょうか。それは、今取り組んでいる勉強によって、自分がどうなっていくかをイメージすることです。「このノートまとめのおかげで来週の通常テストで満点をとれる」、「冬期講習会の小テストで1位を取る」、「合格発表を見てガッツポーズをする」、「医者になって苦しんでいる患者さんを助ける」など、近い未来から遠い未来までの自分を想像しながら勉強に取り組んでください。その「想像」がみなさんの勉強の「もうあとひと踏ん張り」に力を貸してくれるはずです。勉強における「約束と想像」を大切にして日々の学習に取り組んでいってほしいと思います。

昔のことばに『果報は寝て待て』というものがあります。『果報』とは努力した結果です。

つまり、やるべき事をやったら、結果がでるまで何もする事がない(寝て待つぐらいしかできない)という意味です。

君たちでいう結果というのは、テストの成績だったり、受験の合否だったり、部活の試合だったりすると思います。

しかし、ワンランク上を目指す君たちにはもう一つの言葉を知ってほしいと思います。

『果報は練って待て』

結果はもちろんよい結果を期待しますよね。

君たちにはよい結果を生むためにも、最大限の努力をしてほしい。なかなか結果でないと悩んでいる人もいるでしょう。悪い結果がでることを怖がってしまう人もいるでしょう。

大事なことは、結果を焦らず、精一杯の努力をし続けられるということです。
まじめに努力し続けている人にこそ、よい結果が出ると先生は思います。

そして、受験や試合などで力を発揮したら、結果を待つだけでなく、
次の目標を定めて、行動に移してほしいと思います。

あと数ヶ月で受験をむかえる人もいるでしょう。
合否を待っている間もただ待っているのではなく、次の目標を決めて行動してみましょう。

「水五訓」という言葉を聞いたことがありますか?
戦国時代、豊臣秀吉の知恵袋といわれた黒田官兵衛(黒田如水)の教えです。

一.自ら活動して他を動かしむるは水なり

二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり

三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

四.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
     雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)
     たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

水というものを通して、人間としての生き方を教えてくれる言葉です。

一が伝えたいことは、「率先垂範せよ」ということ。
水は自らが動くことで周りのものを動かし、運んでいきます。人間も、自らは何もしないままで、ああしろ、こうしろと言っても、誰も動くはずがありません。自ら模範を示すことによって周囲を牽引する人になってください。

二が伝えたいことは、「自ら考えて道を拓くことを心がけよ」ということ。
水はどんな環境の中でもその流れを止めることなく動いていきます。何か失敗をした時に、周りのせいにしていませんか?自ら考え、努力することで道を切り拓いていく人になってください。

三が伝えたいことは、「あきらめることからはなにも生まれない」ということ。
順調な水の流れもダムという壁によってさえぎられることもあります。そんな時は、その力を満々と内に蓄えます。蓄積された力があるからこそ、解放された時に巨大なエネルギーを発揮できるからです。困難に直面して、自分の可能性をあきらめてしまってはいけません。苦しい時もじっと耐えて努力を続けていけば、大きな力となってかえってきます。

四が伝えたいことは、「人を追いやることをせずに共に頑張ろう」ということ。
学校や社会にはさまざまな価値観を持つ人が集まっています。感覚、リズム、方法、価値観の合わない人を排除するのではなく、「長所をみつけてそれを生かす」ことをまず考えましょう。川は、脇から濁った水が注がれてきても、「入ってくるな」とか「出ていけ」とは言いません。さまざまな水を一つにまとめ、大きな目的に向かって集約してゆくような、そんな度量を持つ人になってください。

五が伝えたいことは、「常に自然の理(ことわり)にそって物事を考えよ」ということ。
水は温度の変化、器の形によって次々と自らの形を変えます。しかし、その本質は一切変化することがありません。我々人間もまた、変化に対応するのに常に柔軟でなければいけません。与えられた環境の中でいかにして最大の努力を行えるかが大切です。

これから先、色んな困難にぶつかり、迷うことや立ち止まることがあるでしょう。
そのときにはこの「水五訓」を思い出してみてください。
きっと、あなたの道標になってくれることでしょう。

先生の大好きなパンクロックグループ「THE BLUE HEARTS」の歌詞について話をしたいと思います。
1995年に解散をしているので君たちの中で名前を知っている人の方が少ないかもしれません。
ですが、名前は知らなくてもたくさんの曲が現在でもテレビでよく流れるので知っている人が多いという不思議なバンドです。

一番有名な曲、「リンダリンダ」って聞いたことがありますか??うーん、曲名も知らない人が多いかもしれませんね。
では、この曲のフレーズ「どーぶぅ ねーずみぃ みたいにー うーつーくーしーくーなーりーたい! しゃーしんーには 写らないー うーつーくしさーがあーるーかーらー・・・。リンダ♪リンダー♪リンダ♪リンダ♪リンダー♪」なら聞いたことがあるのではないでしょうか!? (※作詞・作曲 甲本ヒロト)

先生は「THE BLUE HEARTS」の曲は全部大好きなんですが、その中でもこのフレーズが一番心に響きます。
どぶねずみってどんな場所で生きているか皆知っていますよね。
そうです。汚いどぶの中です。
この曲を作った甲本ヒロトっていうボーカルが、聞いてくれる人達に何を伝えたかったのかを高校生だった先生は、先生なりに一生懸命考えました。

人が泥まみれになって必死でもがいて生きる姿は、どぶの中で生きているどぶねずみと同じように、写真で撮っても泥だらけの姿で美しくはないかもしれません。しかし、人が見ている所だけでカッコイイことを言ったり、したりするより、人が見ていても、見ていなくても泥臭く一生懸命頑張っている人の方がカッコよくて美しいんだ。だから他人からの目とかは気にするな!必死で努力する姿は美しく輝くんだ!
と「THE BLUE HEARTS」が先生に教えてくれた気がします。

皆はどう感じますか。今年の夏にはオリンピックがありました。選手達はメダルを獲得できてもできなくても光り輝いていましたね。4年間も人に見えない努力(写真には写らない美しさ)が選手達を輝かせたんだと思います。
「THE BLUE HEARTS」を知らない世代の君たちに先生が代わってこのメッセージを伝えておきます。