150518先週末は母の日でした。お小遣いでカーネーションをプレゼントしたりたくさんお手伝いを頑張ったりした人も多いでしょうね。
母の日に比べて父の日が盛り上がりに欠ける気がするのは、先生が父性であることのやっかみですかね。せっかくですから、今日は先生のお父さんのお話に付き合ってもらいましょう。

私の父は、今右半身が完全に麻痺していて寝たきりです。言葉も話せません。おそらく私を見ても自分の息子だとは認識できていないと思います。
実は11年前の4月、脳内出血になり突然仕事場で倒れたのです。

慌てて車に乗せ病院に運びました。覚悟をしてくださいと言われ、手術室に入ったのが病院に着いて2時間後。時計は18時を指していました。そこから待合室でただ父の無事を祈るだけの長い時間。父が手術室から出てきたのは夜2時を過ぎていました。

お医者様が私たち家族を呼び出して告げられました。
「脳の出血が止まりません。もしお望みならばもう1度手術をします。ただ、確実には止められないと思います。私たちはできる限りのことをしますのでいつでも声をかけてください。」

話し合って様子を見ることになったのですが、夜が明けた頃 病院の中庭に缶コーヒーを片手にたたずんでおられるお医者様の姿が目にとまりました。
その背中に思わず深々と頭を下げたのを、昨日のことのように覚えています。

結局父は元通りの元気な姿に戻れませんでしたが、今一生懸命生きています。歩けないので太ももも私の腕よりも細く今にも折れそうで、以前の屈強な父の姿を思い出すと思わず涙が出そうになります。

でも、お医者様に父の命を助けていただいてよかったと思っています。お医者様は夕方まで外来の診察をしながら夕方から父の手術に入り、また翌日も外来の対応をされていました。でも、疲れたなんて一言も言わずに、本当に夜通し私の父を見守ってくださったことは一生忘れません。

お医者様に救っていただいた命です。私はこれしか親孝行は出来ないなと思いながら、たまに介護の方と一緒に父をお風呂に入れます。私が息子だとは、決して気づいてはくれないけれど。

孝行したいときに親はなし、という言葉があります。せめて父が私のことを息子と認識できるうちに、好きだった晩酌くらい付き合って話をすべきだったな、と思います。

みなさんは父の日、どんな「プレゼント」をしますか。高価な物でなくてもお父さんに感謝の気持ちを伝える言葉のプレゼントだけで、きっとお父さんは喜ばれますよ。
そして出来れば、私の父を救ってくださったお医者様のように、自分を犠牲にしてでも相手の立場に立った思いやりをもった人に育ってくれたら、お父さんは涙を流すくらい喜ばれるはずです。

お金では買えない「プレゼント」は、きっとお父さんの心を豊かに満たすに違いありません。