じめじめとした梅雨が明けはじめ、からっと乾いた熱風が吹きはじめていますね。
今年は例年に比べてかなり早い梅雨明けのようです。夏が長くなる年になりそうです。

「鷹乃学習」というタイトル読めましたか。
「たかのがくしゅう」ではなく、「たかすなわちわざをならう」と読みます。
みなさんの中には二十四節気という季節を表す言葉を聞いたことがあるひともいるでしょう。二十四節気とは1年間を季節や気候の区分によって24個にわけたものです。
例えば「春分」や「秋分」、「立夏」、「冬至」などは有名なものです。
この二十四節気をさらに細かく区分したものを「七十二候」といいます。
二十四節気をさらに5日ずつ程度に分けたものです。

今年は7/7~7/21が二十四節気の「小暑」で、七十二候では7/7~7/11頃を「温風至(あつかぜいたる)」、7/12~7/16頃を「蓮始開(はすはじめてひらく)」、7/17~7/21頃を「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」と名づけられています。
「温風至」はその文字のまま、梅雨明けを知らせる南からの温かい、あつい風が吹く頃。「蓮始開」は池の水面に蓮の花が咲き始めるころ。
そして「鷹乃学習」は春に孵化した鷹の雛が一人前の鷹になるために、飛び方や獲物の狩り方を学習する頃という意味です。

忙しいみなさんのことですから、「気がついたら春が終わっていて、夏が来ていた。」という状態だと思います。
先生たちはみなさんよりもっともっとすごいスピードで1年が過ぎていきます。
「この前除雪をしていたのに……」と夏に思い、「この前までひどい暑さだったのに」と秋の終わりに思います。
国語の授業の中で「俳句」の授業がありますね。
その中で必ず「季語」の話が出てきます。
先生が授業をするたびに、昔のひとたちの季節に対する高い意識よりも、今のひとたちの季節に対する低い意識を痛感します。暑ければ冷房をつけ。
寒ければ暖房をつけ。
空飛ぶ鷹を見ることなく頭をたれて手元の画面をみる。

地球環境の変化に伴い、春と秋がすこしずつ短くなっていき、日本の四季が二季(冬と夏)だけになってしまうという話も出ているようです。
先生が国語の先生だからか、環境の変化よりもむしろ日本人の自然観の低下を恐れています。
昔のひとたちは今のひとたちよりも気候に、動物に、植物に、天文に敏感でした。
昔のひとたちは確かにそこにあった絶妙な季節感を言葉で表しています。
四季がまだ残っている今を生きる私たちも「春が来たことに気づく」、「夏の暑さの程度を楽しむ」という自然観を持つことが、そして季節を楽しみまた季節を惜しむ一歩につながるのではないでしょうか。
まずは二十四節気や七十二候、季語を通じて季節を楽しんでいきましょう。

土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)の季節もやってきます。
熱中症に注意して「夏を味方に、自分を超える」そんな夏を迎えに行きましょう。

「小学生」「中学生」「大学生」っていうのに、「高学生」ではなく「高校生」なのはなぜなのでしょうか?

皆さんは「ノーベル賞」を知っていると思います。
実はこのノーベル賞のパロディとして「イグノーベル賞」というものが存在します。
この賞は人々を笑わせながら、その一方でいろいろと考えさせられる研究に対して贈られるものです。
先生はこの賞の授賞式をいつも動画で見ています。
とにかく研究のテーマが面白い。

◎床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだときの摩擦の大きさ
◎ヘリウムガスを使うとワニのうなり声も高くなる
◎多くの哺乳類は、お尻から呼吸する能力をもっている

実にくだらないが、それらが持つ意外な意味や科学的面白さを教えてくれる。
「どうしてそこに着眼できるのか?」不思議でならない。
またこの賞では、日本人が18年連続受賞しているのもまた面白いし、大学教授や民間の研究機関の研究員などが真面目に研究しているというところも面白い。

「探究」とは、物事の本来の姿やあり方を探り、その物事を明らかにすることである。
高校などでは、生徒が自分で課題を設定し、情報収集・整理・分析をおこない、周囲と協働しながら課題解決に向かう学習が広くおこなわれている。
またそのような生徒自ら課題解決に向かう姿勢・考えを評価する大学入試も多く取り入れられている。
決まった内容を暗記したり、解き方を覚えて復元したりするような勉強も大切だが、狭い枠にとらわれずに、自分が疑問に思ったこと・関心あることを掘り下げる勉強も大切である。
先生は、それこそ「予習・ノートまとめ」って探究だと思う。
未知の分野・単元に対して、知ることの喜び・さらに生まれる発見・それに伴う疑問などを深めてみることができるのが予習であり、探究だと思う。
えっ?なぜ「高学生」ではなく「高校生」なのかだって??
そこに疑問を感じたのであれば、まずは調べてみよう。
それが探究の第一歩なのです。

「すー、はー」
「いいよ、完璧ですね。あと3回やりましょう。」
「はい~!」
最近筋トレを始めました。

年齢とともにお腹周りの年輪が大きな重りとなってきたからです。
もっともさらにまずい理由として定期検診で毎回肝臓について要精密検査といただくからです。
お酒も喫煙も全く無縁なのに。
運動をせよと促されました。
脂肪肝と調べるとまずいことになるかもしれないと焦っています。

初めは散歩から始めましたが全く効果を感じませんでした。
いや、むしろ体重が増えていました。
がんばったご褒美と自分を甘やかしてしまうからです。

それではとジムに通うことにしました。
ジムでおこなったのはまずは自分を知ることでした。
体重や体脂肪に加え体の各部位の筋肉量が分かる装置で測りました。
筋肉量が割と多いことが分かり、すこし嬉しくなりました。
トレーナーさんが「この筋肉量いいですね。」と言ってくれたものだから「サッカーやっていたんで」と聞かれてもいないのに答えました。
その自分の半分の年齢位のトレーナーさんに今回の目的を聞かれました。
「体重を落としたくて」と答えると「そうですか、じゃあ肩を鍛えましょう。」と提案されました。
お腹周りの話になるかと思って聞いていると「そのお腹が目立たないようにするには肩です。」とのこと。
話し聞いているのかな?と思いつつ素直に「はい」と答えて取り組みました。

まだ期間は長くありませんが習慣として続けられています。
それは鏡の前で少し体型が変わってきた(のかもしれない)と感じられているからです。
トレーナーさんの言うとおりです。
いまはまだ体重は変わっていませんが…、未来の自分を楽しみにしています。

学習と同じではないでしょうか。
動機があり、自己分析し、対策を練って、取り組む。初めは自己流よりも学ぶのがよいのではないでしょうか。
成長を楽しみ取り組めるとなおよいと思います。

学びは素直に「はい」と言ってみるが肝だろう。

道ばたに落ちている石ころ。
普段は気にも留めず、通り過ぎてしまうような、なんてことのないものです。
でも、それって本当に“ただの石ころ”なんでしょうか?

見る人によっては、まったく違うものに見えていることがあります。
たとえば、猟師の人。
私たちが何も考えずに見ている石ころや木を見て、
「この土地は栄養の少ない石灰岩質かも」
「ってことは昔は海だったのかな」
「ってことは、この辺りにはこんな動物がいるかもな」
と、どんどん読み取っていくそうです。
同じ景色でも、知識や経験があると見え方がまるで変わるんですね。

知識には、そんなふうに世界の見え方をガラッと変えてくれる力があります。
これは特別な人だけの話じゃなくて、私たちの身近な生活にも当てはまります。

たとえば、先生は子どものころから野球が大好きで、今でもよくプロ野球を観ています。
選手の特徴や戦術をある程度知っているので、
「あの選手はここで変化球を投げるかも」
「この場面で選手交代かな」
とブツブツ言いながら楽しんでいます(さすがに迷惑なので、ひとりで観るようにしています)。

一方で、サッカーはあまり詳しくありません。
解説の人が
「中盤でのフォーメーション変更が…」
「オフサイドトラップが…」
と言っても、正直よくわかりません。

でも知識がなくても
「今のシュート、すごかった!」
「この選手、ドリブルめちゃくちゃ速いな」
くらいのことは感じられるので、だからこそ世界中でサッカーが人気なんだなあ、と勝手に思っています(サッカー好きの人、ごめんなさい)。

ちょっと話がそれましたが、要するに、知識があると、物ごとがより深く、そしてもっと楽しく見えてくるということです。
「勉強なんて、何の役に立つの?」と思うときがあるかもしれません。
でも、学ぶことは、世界を見るための“新しいメガネ”を手に入れるようなもの。
同じものが、違って見えるようになる。それが、学ぶことの本当のおもしろさなんです。

今日も、知らないことや不思議に思うことに出会うかもしれません。
そんなとき、「ふーん」で終わらせずに、ちょっと立ち止まって調べてみてください。
明日から、世界の見え方が少し変わっているかもしれませんよ。

スキー場に行くと必ず「今日が初めて」という人がいる。
先生は滑れるから「滑り方を教えてほしい」とよく言われます。
だから実際にやってみせながらこう説明します。

「スキーをハの字に開いて体重を前にかける。後ろ体重は危ないからね。絶対に前。それからひざの内側に力を入れると止まる。わかる?」

そうするとみんなこう言うのです。
「わかった。やってみる」と実際に滑ってみる。
ここで、言われたとおりのことができる人はどれくらいいるのだろう。
そう、一人もいないのです。
つまり、わかっているけどできない。 
 
「わかる」と「できる」の間には必ず反復練習という経験が必要なのです。
スキーだけでなく、他のどんなことだって同じ。
試しに自分が得意なこと、ピアノを弾くとかサッカーのリフティングとか、とにかく自分はもうできるということを、まだできない友達に説明してみよう。
わかってもらうことはできても、はじめから自分と同じようにできる人はいないから。

勉強も同じなのです。
勉強の説明を聞いて「わかる」。
でも、それを聞いてわかったからといって「できる」かどうかは別問題。
もっと言うと、わかってもできないのが普通なのです。
だから大事にしなければならないのは、「わかったこと」を「できるようにすること」
勉強するときはこのことを絶対に忘れないで欲しい。
「わかるまで続ける」ではなく、「自分の力でできるまで何度でも続ける」
そういう「しつこさ」が大切なのです。
しつこい人は嫌われそうだって?
とんでもない。
人生の成功者は、みんな誰よりもしつこいんだよ!

みなさんの周りでこんな話がでたことありませんか?目玉焼きを食べる時は何をかけて食べるのか。
ちなみに先生は小さい頃からずっと醤油です。

人によっては
・ソース
・塩コショウ
・ケチャップ
・何もかけない

と色々な意見がありますよね。

この討論、先生は大学生の時に中華料理屋の待ち時間に友だちとしていました。
話は盛り上がり、先生はその勢いで「じゃあロールキャベツには何をかける!?」と友だちに聞きました。
ちなみにこの時点で既に違和感を持っている人がいるんじゃないでしょうか。

実は先生の家のロールキャベツは、皆がお家で食べるロールキャベツとは違うんです。
先生の家ではキャベツの中に牛肉を入れて巻いてそれを蒸して完成なんです。
もちろん味はついていないので、ケチャップやマヨネーズやケチャマヨや醤油マヨをかけて食べます。
だから友だちに「何をかける?」と質問をしました。

一般的なロールキャベツは、キャベツの中身はひき肉で、トマト缶で煮たりコンソメで煮たりするようですね。
先生は大学生の時に初めて知りビックリしました。
そんなロールキャベツを食べたことがなかったので、「美味しいのかなぁ」と疑っていましたが、食べてみてビックリ!とっても美味しかったです。

みなさんも自分が当たり前に思っていたことが、みんなと違っていたことありませんか?
食事以外でも生活だと朝のルーティンワークの順番やお風呂でどこから洗うか、人付き合いであれば物事に関する考え方などなど。
でもそれはどちらが良いとか悪いとかはありません。
人それぞれですよね。

これからみなさんが大人になるに向けて色々な人と出会います。
そして一緒に学習したり遊んだり働いたり…。自分と同じ生活感や考え方の人はたくさんいる訳ではありません。
気をつけるのは自分と違うからと言って相手を否定しないことです。
まずは「へ~そうなんだ~」と受け入れてみましょう。
すると新たな関係が生まれて新しいことを発見することもできます。

あと1か月ほどで夏休みです!
夏休みには日ごろ経験ができないことが色々とできますね。
一人で何かをすることも良いですが、色々な人と関わりながら発見ができる合宿だったり体験講座だったりに参加して、今の自分が知らない世界を楽しんでください!
最初は嫌だったとしても、やってみると楽しいことは山ほどありますよ。

あ、ちなみに社会人になってからの先生のロールキャベツは、キャベツの中身は牛肉で、トマト缶にコンソメを入れて煮ています!

この年になると、体調は昔ほどすぐに回復してくれない。
特に私の場合は首に違和感を抱えていることから、右肩の痛みに常に悩まされている。このままでは良くないことはわかってはいるが、なかなか完璧に改善するのも難しく、症状の緩和のために定期的に通院をしている状況だ。

ある日、突然痛みが大きくなったことがある。
我慢が出来ないほどの痛みだ。
いつもの病院は予約が必要なため、すぐに対応してもらうのが難しい。
そこで、以前評判が良いと聞いた近くの接骨院へ症状緩和のために訪れてみた。

入ってすぐ、その医院長の方に「ちょっとここに座って、膝を合わせてみて」と言われその通りにすると、なんと右足の膝が左の膝と比べ短くなっているのだ。
どうやら、骨盤のゆがみや筋肉の収縮でそのような状況になったそうだ。

改善に向けた処置はとんでもないものだった。
プロレス技の「片エビ固め」のように足を上げられ、大きな痛みが襲ってくる。
痛いと言うと、「大丈夫、恨んでないから」と優しく言われるのみで、技は継続される。
そして凝り固まった肩を強く押され、更なる痛みが襲ってくる。
痛いと言うと返ってくる言葉は「大丈夫、恨んでないから」。
その後、表情筋も硬くなっているねと言われた直後に視界が布のようなものでふさがれ、顔の右側に激痛が走る。
痛みで悶えていると、返ってくる言葉は・・・。

そのような痛みに耐えた後、びっくりするくらい体が楽になり、さらに短くなった足は元に戻っているのである。
それからは普段から姿勢に気を付け、定期的に自分の足が短くなっていないかチェックするようになったし、そのせいかはわからないが若干症状が軽くなったように感じている。

改めて、自分自身に改善すべき箇所が見つかった後は、少しでも良くしようと意識することが大切で、その意識が行動につながり、成果につながるのだと思った。

新しい学年にも慣れてきたころかと思います。
ところで、新しい学年を迎える際に「今年の目標」を決めましたか。
受験を迎える学年の人は志望校を決めたという人もいるのではないかと思います。
しかし、まだ「目標」を特に決めず(決められずに)にいる人がいるかもしれません。
そんな人たちに、目標を決めることがなぜ大切なのかを話します。

目標とは、例えて言うなら「たどり着こうとする目的地」です。
どこへ向かえばよいかもわからないまま目的地も決めずに歩き始めてもゴールにたどり着くはずがありません。
なぜなら、ゴールが決まっていないのですから。
行動を起こす場合も同じであり、目標がないままでは、何をやっても正しいのか間違っているのかさえもわからないでしょう。
こうなったら自分からは動き出せず、周りからの指図を待つだけの受け身姿勢になってしまい、自身の個性を発揮することも困難です。
ところが、いくら小さくてもきちんと自分で目標設定するだけでその状況は一変します。
目標に到達するまでの道筋を自分自身で考え、個性を発揮しながら進むことができるようになるからです。

宿題に取り組むにも「何のためにするのかをしっかりと考え目標を持って取り組む」という積極的にするのと、「宿題が出されたからする」という受け身的にするのではその学習効果が大きく違ってきます。
つまり、目標を決めるということは、そこに到達するまでの道筋も考えるということになるのです。
ゼミでノート評価の高い人は赤線の横が充実していたり、テスト直しに工夫がみられたり、解答解説をただノートに切り貼りするだけでなくプリントにアンダーラインが引かれていたり書き込みがされていたりと活用ができています。
ここにどのように勉強を進めるかの道筋が見えている人とみえていない人の差があるように感じます。

新しい学年に慣れてきた今の時期だからこそ、今年度の目標を今一度見直し、充実した1年にしてほしいと思います。

先日、高校時代の友人と会いました。何をしようかと話したところ、最近太り気味だから運動をしよう、ということになりそれぞれの得意?な運動を楽しんできました。

友人は幼いころから野球をしていましたのでバッティングセンターを提案し、先生は最近ようやくゴルフのボールがまっすぐ飛ぶようになったのでゴルフの練習場を提案しました。
結果、先ずは野球、その後ゴルフと両方をすることにしました。
この若々しい考えが筋肉痛という最悪な結果になったことは言うまでもありません(笑)。

先ずはバッティングセンターで野球のバッティングです。
マシンがいろいろあり、球速を選べました。
95キロ、110キロ、125キロ、135キロまでありました。
高校生くらいの背の高い男子3人が談笑しながら135キロを楽しそうにバンバン打ち返しています。
先生はマシンからのボールの球速が早すぎてあっけにとられました。
よって、先生は95キロです。
それでもなかなか打てない・・・。
1ゲーム20球がマシンから飛んでくるのですが、半分あたれば良い方でした。
しかし、先生の友人は125キロを打ち返し、見事ホームランの板に当てました。
周囲からも「すごい!」と言われていて格好よかったです。

気を良くした友人とすでに腕が痛い先生はゴルフの練習場に移動して、ゴルフボールを打ちました。
残念ながらホームラン王はゴルフでは残念な結果でした。
125キロで飛んでくる野球ボールを打ち返している人が、目の前に置いて動かないゴルフボールをまっすぐ打てないのです。
同じように体を回してスイングしてボールを打つ競技なのに全く違います。
先生の打つゴルフボールはホームランとは言いませんが、まっすぐ遠くに飛ばせます。
お互いに打ち方を教えあい、結果として楽しい運動時間をすごすことはできました。

似て非なるものとは「ちょっと見たかぎりでは似ているが、実際は全く違うこと」という意味のことわざです。
似ていると思っていたのですが、お互いに教えあっているときに、体の回し方や力の入れ方など違う部分がたくさんあることに気が付きました。良い経験ができたので、やってみて本当に良かったです。

さて、これは勉強にも言えます。
毎日勉強していても学校のテスト前、オープン模試の前、入試前など時期やスケジュール、あるいは得意科目、不得意科目など一言に勉強といっても様々です。
困ったときは周囲の友人とお互いに教え合い、時にはヒントをもらっても良いのではないでしょうか?
みんなと同じようにやっていても、友人の言葉から気が付くことがあるかもしれません。

皆さんは日本人で初めてエベレストに登頂した人を知っていますか。
それは、植村直己さんという登山家・冒険家です。
兵庫県出身の植村さんは高校まで豊岡で過ごし、東京の大学へ進みました。
そこで山岳部に入部するのですが、最初の登山合宿で体力が続かずに動けなくなり、とても悔しい想いをしたそうです。

植村さんは登山の経験や知識が少なく、山からころころと転がって落ちるので、先輩からは「どんぐり」と呼ばれていました。
そこで1年で100日以上を山で過ごすほどトレーニングを積み、体力と技術を身につけることができました。

その後、植村さんはアメリカやヨーロッパを放浪しながら、世界の山々を目標に定めて登山を続けました。
そして日本の登山隊がエベレストに挑戦することになった時、植村さんも参加することになりました。
最初はサポート役として荷揚げやルート設営の仕事をしていたのですが、植村さんの抜群の体力や一生懸命にチームを支える姿勢を隊長が認め、最終アタック隊員の一人に選ばれたのです。

エベレストの挑戦はとても過酷な登山でした。
なんとか頂上へ残り10メートルまで来た時、先頭を歩いていた植村さんはもう一人の隊員に「先に登ってください」と言い、初登頂の名誉を譲ろうとしました。
結局は二人で一緒に登頂したのですが、謙虚で努力を惜しまない植村さんの人柄を感じさせる行動ですね。

私が高校生の時、学園祭の講演に植村さんがやってきました。
緊張で汗をかきながらも一生懸命に語ってくれたことを覚えています。
植村さんが話したのは、冒険というチャレンジには、念入りな準備、慎重な判断、そして挑戦する勇気が必要だということでした。

世の中の人が驚くような凄いことでも、その背景には、コツコツと努力を積み上げていること、時に迷ったり立ち止まることがあっても、少しずつ目標へ進んでいくこと、そう言った姿勢が大切だと、植村さんは教えてくれたと思います。

5月の末にはEXオープン模試が実施されます。
皆さんがそれぞれの目標にチャレンジする機会として、ぜひEXオープン模試を活用してください。