この時期、卒業・入学・就職など新たな旅立ちを多くの人が迎えます。
教室によっては、小学生・中学生・高校生・大学生のまさに16学年のおよそ4分の1の人たちがそういう時期にあたるでしょうか。

そんな春には、山口百恵さんの大ヒット曲、「いい日旅立ち」がふと流れてきます。
国鉄(JRの前の名前)の旅行誘致のキャンペーンソングとして作られ、JR西日本の新幹線のチャイムソングにもなっています。
そのせいか、日常と旅の切り替えのポイントのようで、旅の始まりのわくわくを感じたり、ちょっとした緊張感を覚えたり、日常に戻る振り返りになる曲です。
この曲のタイトルはキャンペーンソングのスポンサーであった「日本旅行」と「日立製作所」の会社の文字をとって、「日」「旅」「立」をパズルのように組み合わせて作ったそうです。
国鉄のキャンペーンは万博(前の大阪万博)閉幕1ヵ月後の1970年10月の鉄道の日から始まり、「ディスカバー・ジャパン(美しい日本と私)」から「日本を発見し、自分自身を再発見する」をコンセプトに、全国的に進められました。
この流れの中で、1978年にリリースされたこの曲に、「日本のどこかに私を待ってる人がいる」というフレーズがあります。
あれから50年近く立った今や、「世界のどこかに」待っている人がいる、と私たちを取り巻く世界は広がっているかもしれませんね。
旅に出る毎に、自ら新たな出発を迎え、見知らぬ土地で、自分の存在を確かめる、そういうことをくり返していくのです。

人生にも何回も旅立ちが訪れるでしょう。
何度も自分を確かめたり、再発見しながら、様々な旅立ちをくり返します。
旅立つためには準備がいります。生まれた小鳥が何度も準備をして飛び立つように、何回も転んだり、落ちたりしながら、旅立ちの時を迎えます。
人も同じです。
将来やってくるいい旅立ちのために、目標を立てて、はばたく準備を考える時として、この春は最適な時期ではないでしょうか。
受験を終えた人も、受験を終えた学年ではない人も、また一年先にやってくる次の学年で、いい旅立ちができるために準備を始めましょう。

皆さんはバレエを見たことがありますか?
舞台を観たことがなくても、写真や映像で一度は目にしたことがある人は多いのではないでしょうか。

まるで妖精やお姫様のようにフワフワと跳んだり、つま先でクルクルまわったりと、とても華やかな世界を見せてくれます。
そんな女性のバレエダンサーたちが履いている、つま先で立つためのシューズを「トゥシューズ」と呼びます。

実はこのトゥシューズは足の大きさだけで選ぶのではなく、足の形・幅・甲の高さ・硬さによって数百以上の種類の中から自分の足に合うものを探し出します。
そして購入後も、曲げたり叩いたり切ったりして、自分の足にぴったり合うよう整えていきます。
それでもいざ踊ってみると些細なズレを感じることがあり、違う種類のものを探したり加工の仕方を変えたりして、試行錯誤しながら自分の足に合うものを追求していきます。

大変な作業のように思えますが、一人ひとり足の形は違うからこそ、自分に合うものを見つける必要があります。
そうして完成したトゥシューズは、最高のパフォーマンスをするための大きな助けとなってくれるのです。

本来、自分にぴったり合うものというのは簡単に見つかるものではありません。
暗記の仕方一つとっても「自分に合う暗記法」というのは人によって異なるはずで、何度も書いて覚える人もいれば、声に出して覚える人、図やイメージで理解する人もいます。
どれが正解というわけではなく、自分に合うやり方を見つけることが大切です。

上手くいかなかった方法を振り返り、別のやり方を試してみる。
そうした試行錯誤の積み重ねの中で、少しずつ「自分に合う形」が見えてきます。

トゥシューズを自分の足に合わせていくように、勉強もまた自分に合う方法を時間を掛けて作り上げていくものです。
だからこそ、上手くいかない時でも焦る必要はありません。
試して、少し変えて、また試してみる。
その積み重ねが、やがて自分にぴったりの形をつくっていくのです。

中国では王朝が交代すると前代の歴史書が編纂されます。
有名なものでは【漢書】【後漢書】【魏志】などが教科書にも載っていますね。
それらの歴史書の記述をもとに、当時の社会情勢をうかがい知ることができます。
日本でも【古事記】【日本書紀】なるものが編纂されました。

この歴史書は、未来のために残す“記録”という役割だけではありません。
編纂する側の政治的な正当性をアピールする、ということも大きな目的であったようです。
前王朝がいかにして“徳”を失ったのか、そして当王朝が新たな“徳”を得てその前王朝の代わりに世の中を治めるに至ったのだ、という流れが書かれているわけですね。

ここで出てくる“徳”とは、いろいろな解釈があります。
儒教においては人徳や道徳と言われます。
知恵や技術、体力とは違うようです。
その言葉の定義を明確にすることはとても難しいのですが、考えられるのは、「中華」というとてつもなく広大な土地に暮らす数多くの人々が納得するモノであるということですから、それは言葉で簡単に置き換えられるものではないにしても、その人に無条件でついていこうと思わせるような人格や魅力なのだろうと思います。
ここでは、そのようにとらえておきましょうか。

さて、この“徳”たるものはどうやって備えられるのでしょう。
生まれたときに与えられる先天的なものもあるかもしれませんが、そうではありません。
それよりもむしろ自身の努力によって培われる後天的なものであるそうです。
確かに、その人柄に惚れて、「ついていこう!!」と思わせてくれる人っていますよね?
先生自身は、この“徳”は積み上げるものだと解釈しています。
例えば、道端にごみが落ちているとしましょう。
そこは通り道ではないので誰も見向きもしません。
が、ある人がそのごみを拾ってごみ箱に捨てるところを目撃したとしましょう。
そのある人には徳が積まれるわけです。
だって、その人がもしそのあと困っていたら助けようと思いますよね?
それが“徳”なんですよ。
損得を抜きにして他人から慕われる、そんな人が“徳”を積んでいる人なわけです。

皆さんが成長して大人になる以上、何らかのリーダーにならねばなりません。
その時に自身の方向性に賛同して協力してくれるかどうか、はそれまでに積み上げた“徳”によって決まります。
今は学力とともにこの“徳”もしっかりと積み上げていきましょう。
具体的に何をするかは気にしなくて良いです。
ただ、「徳を積む」と思うことで日々の行動に現れるはずですから。

みなさんは「マグネシウム」という物質名を聞くと、何が思い浮かぶでしょうか。
中学2年生の理科を勉強した人であれば、
「光と熱を発して激しく燃焼する」
「マグネシウムと酸素が3:2の質量比で化合する」
などでしょうか。
私も子供の頃は「こんなよくわからない物質のことを覚えて何が面白いのか」と思っていましたが、あることがきっかけでマグネシウムのことが大好きになりました。

10年ほど前、私はある理科実験のため、マグネシウムリボンに点火しました。
が、燃焼したマグネシウムの火の勢いが想像よりも強かったため、消火しようとして咄嗟に近くにあった水をかけました。
実はこれは、「絶対にやってはいけないこと」です。
水のかかったマグネシウムの火の勢いはより強くなり、あやうくテーブル上のものにまで延焼してしまう所でした。
マグネシウムには、酸素と強く結びつく性質があります。
これは、「水(H2O)からも酸素を奪って燃える」ほど強く結びつく性質です。
水(H2O)は酸素を奪われて、可燃性の気体である水素(H2)を生じます。
燃焼中のマグネシウムに水をかけて火の勢いが強まったのはこのためです。
マグネシウムは、防災法で第2類危険物(発火性の物質)に指定されています。
過去にはマグネシウムを取り扱う工場での火災に消防車が誤って放水した結果、大事故につながった例もあります。
身の回りのもので言えば、手持ち花火の中にはマグネシウムを含むものもあります。
このタイプの花火は、点火後にすぐ水に入れると、そのまま水中で燃え続けます。

理科実験であわや火事を起こすところでしたが、私はこれ以来マグネシウムが大好きになりました。
マグネシウムについて調べてみると、他にも「鉄やアルミニウムより軽く、強度に優れている」といった性質もあることが分かります。
「面白くない」と思うことでも、体験してみることで興味が生まれ、新たな知識の礎(いしずえ)になることもあります。
何事もチャレンジしていく気持ちは、いつまでも持ち続けていたいものです。

「数学ができる人は、もともと頭がいい人なんだ」
そう思っている人も多いかもしれません。
でも、数学は生まれつきの才能で決まるものではありません。
どれだけ向き合い、どれだけ考え続けてきたかで力がついていく学問です。

問題が解けないと、「自分には向いていないのかも…」と感じることがあります。
けれど、分からなかったり間違ったりすることは、学んでいる途中ではごく自然なことです。
最初からうまくいく人なんて誰もいません。
数学は、一度で理解できる力よりも、分からない状態から少しずつ前に進む力を大切にします。

数学が得意に見える人も、初めから何でも分かっていたわけではありません。
分からない問題に時間をかけ、考え直し、やり直しを繰り返しながら、考え方を身につけてきただけです。
違いがあるとすれば、才能ではなく、考えた時間の長さです。

数学には、すぐに答えが出ない場面がたくさんあります。
考えても分からず、途中で止まってしまうこともあります。
でも、その時間は無駄ではありません。考えて、間違えて、もう一度考える。
その繰り返しの中で、「あ、そういうことか」と分かる瞬間が必ずやってきます。
その経験が積み重なることで、前より少し難しい問題にも向かえるようになります。

また、数学を学ぶ中で身につく「粘り強く考える力」は、数学以外の勉強や、これから先の生活の中でも役に立ちます。
すぐに答えが出ないことに向き合う経験は、自分を支える大きな力になります。

今、数学が苦手だと感じていても、心配はいりません。できないのは、能力が足りないからではなく、まだ途中にいるだけです。
今日考えた一問、今日悩んだ時間は、目には見えなくても確実に力になっています。

数学は、頭の良さを競うためのものではありません。
続けて考えた人に、少しずつ応えてくれる学問です。

「白って200色あんねん」という言葉を聞いたことがありますよね。
では、みなさんは「紫色」と言われたら、どんな紫色を思い浮かべますか?
ひとくちに紫といっても、赤に近い紫もあれば、青に近い紫もあります。
私は紫色が大好きですが、特に赤みのある紫に強くひかれます。
高貴さや華やかさ、そして前向きなエネルギーを感じる色だからです。
けれども、ネットで「理想の紫」を見つけて注文しても、届いてみたら「これは青に近いな」と感じることも少なくありません。
紫は赤と青が混ざってできる色です。
ほんの少し配合が違うだけで、印象はまったく変わってしまいます。
だからこそ、自分の好きな紫を見つけるには、何度も試し、比べ、自分の感覚と向き合うことが必要になります。
色にこだわりがある人ならきっとわかってくれるはずです!

私は、このことは勉強にもよく似ていると思っています。
同じ塾に通い、同じ授業を受け、同じ時間勉強していても、成果の出方は一人ひとり違います。
それは、理解の仕方も、集中できる時間も、得意・不得意も、それぞれ違うからです。
「勉強」とひとまとめにするのではなく、「自分にはどんなやり方が合っているのか」を考えることが大切です。

成績を伸ばすために本当に必要なのは、量だけではありません。
自分を知り、自分に合った方法を探し続ける姿勢です。
うまくいかないときもあるでしょう。不安になることもあるでしょう。
でも、そのたびにやり方を見直し、工夫し、少しずつ積み重ねていく。
その過程こそが、みなさんの力になります。

紫色も、何度も色を重ねることで、より深く、美しくなります。
努力も同じです。
すぐに結果が見えなくても、重ねた分だけ確実に自分の中に残ります。
みなさん一人ひとりが、自分だけの「色」を大切にしながら、自分に合った学び方を見つけていってほしいと願っています。

数学の問題がまったくわからなかった。
返ってきたテストの点数が、親に見せられないくらいひどい。
最悪の気分。
誰にもよく似た経験があるんじゃないかな。
ただ結果そのものよりも、もっと大事なことがあるんだ。
それは同じ出来事なのに、その人の信念によって結末が大きく異なるということ。

楽観的な人は、失敗しても次回は成功できると考える。
やり方を変えれば、結果も変わるし、さらにいえば「努力で能力は変えられる」と信じているからだ。
悲観的な人は、失敗したのは自分の能力のせいで、それは今後も変わらないと考える。
できる人と自分を比べて、自信がなくなったり、やる気がなくなったりするかもしれない。
あなたはどちらのタイプかな。
(もちろん、楽観的な人でも悲観的になることもあるし、その逆もあるでしょう。)

楽観的な人は、新しい学習計画を立てるなり、誰かにアドバイスを求めるなり、希望を捨てず積極的に行動する。
行動するから、そこからいろいろ学ぶことができ(トライ&エラー)、結果的にどんどん勉強ができるようになる。
反対に悲観的な人は、次に成功する方法などあるはずがないと思い込み、問題を解決しようと「本気」で行動しない。
(君ができると信じていないと、脳はちゃんと手を抜くんだ。)
だから、なかなか勉強ができるようにならない。
理屈としては、すごく単純な話だね。
  
だから、意識的に「やればできる」と信じることが大切なんだ。
たとえば数学が苦手だとする。
「どうせムリだ」とネガティブな感情がわいてきたら、「今の自分には無理」でいい。
その代わり、半年後に「できる」ようになっていればいいと考えてみる。
そして、今やれることに集中して1つずつ片づける。
毎日30分努力をして、「半年後の自分」を信じるようにする。
時間が多くを解決してくれる。
乗り越えた先に「新しい自分」がまっているはずだ。
ぜひやってみてほしい。

皆さんは上杉鷹山(ようざん)という人物を知っていますか。
江戸時代の名君の一人で、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが「最も尊敬する政治家」に挙げた人物です。

鷹山は米沢藩(山形県米沢市)の第九代藩主となった人物で、彼が詠んだ「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という和歌はとても有名です。

「やればできる、やらなければできない。何事もできないのは、人がやろうとしないからだ。」というこの和歌は、家臣宛てに書かれた教訓の一節として後世に伝わりました。

上杉家は元々120万石だったものが、関ヶ原の戦いに敗れたことをきっかけに、15万石まで減ってしまいました。
その結果ひどい財政難に苦しみ、家臣の給料を減らし、領民に重税を課しても借金は増える一方でした。

そんな米沢藩の危機に登場したのが鷹山で、倹約や人材育成などの改革を始めます。
彼はそれまでの藩主の贅沢な生活を改め、衣服は木綿、食事は一汁一菜を続けたそうです。

また、倹約に合わせて凶作に備えた備蓄も行った結果、1783年の大飢饉では米沢藩だけが一人の餓死者も出さなかったと言われています。

彼が成し遂げたことは単なる改革ではなく、変革、まさに大変革だったと言えます。
領民を大切にした上で藩を建て直した鷹山。
彼が亡くなった翌年には、米沢藩の借金20万両(約200億円)はほぼ返済されたそうです。

この大変革は決して簡単なものではなく、「何としても領民を救う」という固い決意の元に成し遂げられました。
冒頭の和歌にはそんな鷹山の想いが込められていたのですね。

私は難しい問題に直面したとき、真っ先に「できない理由」を考え、逃げることを考えてしまいがちですが、鷹山の和歌にそんな弱気は微塵も感じられません。

不可能だと思えることを成し遂げて来た偉人たちに共通するのは、いつの世も「言い訳せずにやり切る固い決意」なのかもしれませんね。

今日は、皆さんのこれからの学校生活、そして人生において非常に重要になる 『2』 という数字についてお話しします。
中学、高校ともに3年間ずつあり、各学年で1年間を3学期に分けています。
(成績上は前期後期の2学期制の学校も多いかもしれませんが…)
普段の生活の中で、「1」が始まるときは意識したり、「1位」を目指すことはあっても、『2』という数字を意識することは少ないかもしれません。
しかし、実は勝負の分かれ道は、いつもこの「2」の中に隠れています。 2年生、2学期、2月、2ページ目…

1.「2番目・2回目」の踏ん張り
一つ目の 『2』 は、「2回目、2番目」の大切さです。
何か新しいことを始めた時、最初は誰でもやる気に満ち溢れています。
しかし、2日目、2週間目、あるいは2ヶ月目といった「2」がつくタイミングで、必ずと言っていいほど「中だるみ」や「飽き」がやってきます。
身近なところで言うと、新しいノートの1ページ目は意識してきれいに丁寧に書くけど、2ページ目以降になると….、雑になってしまっている。そんな経験ありませんか?

部活動でも勉強でも、一番苦しいのは「慣れてきたけれど、結果がまだ出ない」この2段階目です。
ここで「今日はいいか」と投げ出すか、「ここが踏ん張りどころだ」と自分を律するか。
この「2」の時期の過ごし方が、最終的な大きな差を生みます。

2.「あと2分・あと2回」の執念
二つ目の『2』は、「あと少し」の粘りです。
テスト勉強で「もう限界だ」と思った時の、あと2分。
筋トレや練習で「もう動けない」と思った時の、あと2回。
この「プラス2」が、皆さんの限界の壁を押し広げます。

勝負の世界では、能力の差は紙一重です。最後に競り勝つのは、周りが足を止めたところで、あと「2」だけ前に進める人です。
この小さな積み重ねが、本番での「自信」という揺るぎない力に変わります。

学校校生活は、2年生という学年も含め、まさに「2」の時期が中核をなします。
「2」は、地味で、苦しくて、目立たない数字かもしれませんが、「2こそ大事」という意識を持ってください。

現在の学年の生活も残り2ヶ月…、1年生にとってはこの2ヶ月の過ごし方が、要の学年である2年生のスタートを左右します。 
2年生にとっては、この「2年生」から「3年生」へと向かう今こそが、皆さんの学校生活を左右する最大の「勝負時」であると断言します。
また、3年生にとっては、「3月」を笑顔で迎えるために、この「2月」の過ごし方や取り組みが大きな意味を成します。

今日からの生活で、少し疲れたとき、諦めそうになったとき、「この『2』が勝負時だ」と思い出してみてください。
その一歩が、皆さんを誰も届かない高みへと連れて行ってくれるはずです。

今日も一日、自分の「2」に挑戦していきましょう。
すべては、「3」につなげるために。

大寒とは一年で最も寒さが厳しい時期を指し、今年は1月20日~2月3日の期間になります。
先生がこの文章を書いているとき外は雪が降っています。
先生も朝雪かきをしてから出勤しました。
そして、今週はもう一度大雪が降るそうです。
今週のゼミは開講できるのかな?

ところで、一年で最も寒さの厳しいこの時期ですが、大寒の次は立春という時期になります。
だから、厳しい寒さの中でも水面下では春の準備が始まっています。
近くに梅の木がある人はつぼみを見てください。
いつもより少し膨らんでいることに気づきますよ。
また土手や田んぼのあぜを歩いてみるとどこかで「ふきのとう」が顔を出しているかもしれません。
厳しい寒さの中で植物たちは春に向かって準備を始めています。

ひるがえって、これを人生に当てはめてみましょう。
人生にもつらい時期、大変な時期があるはずです。
心が寒くて、寒くて、しかたがない時期もあるでしょう。
先生もいろいろあって全てを投げ出したくなるときが何度も何度もありました。
でも、必ず春は訪れました。
どんなにつらいことがあっても一歩一歩前に進んでいると、春がきたときに季節があなたを迎えてくれます。

だから、土の中で寝ていたいと思っても、厳しい寒さの中で何をするかが大切ですね。