この夏、57年振りに東京オリンピックが行われました。地球規模の新しいウイルスの流行によって1年遅れての開催でしたが、日本選手の目覚しい活躍もあり、大いに盛り上がりました。その開会式では、各国から集まったアスリートたちの入場行進の際、BGMとして、「DQ」「FF」「モンハン」などの日本発のゲームのテーマ音楽(全19曲)が流れ、世界中でSNSを中心に大きな話題となりました。「コロナ禍のオリンピック開会式」と「ゲーム音楽」、一見ミスマッチのようで意表を突かれましたが、「オープニング」「英雄」「災厄を救う」という共通項があり、マンガ風のデザインに彩られたステージに迎えられた選手たちは物語の主人公であり、疾病によって混乱に陥ったこの世に希望の光を灯す「勇者」になる、そんな演出になっていて、とても好感が持てました。

行進の冒頭を飾ったのは、かの有名な「ドラゴンクエスト」の“序曲:ロトのテーマ”(Ⅲより)。ドラクエは、1986年に発表された第1作を皮切りに、現在計11作にまで連なるコンピュータRPGの最高峰シリーズ作品ですが、皆さんは、その曲の作曲者が90歳の東大卒・レジェンドゲーマーだということをご存知でしょうか。

彼の名前は、すぎやまこういち氏。すぎやまさんは、幼い頃から音楽に親しみ、学生時代は、特にクラシックに傾倒していました。将来音楽家になりたかった彼は、当然、音楽大学への進学を希望しますが、「高い学費がとても払えない」「家にピアノがなくて弾けない」といった理由から、泣く泣く音大受験を諦め、仕方なく、東京大学・理科二類に入学し、作曲については独学で勉強しました。大学卒業後はフジテレビに入社し、ディレクターとして手腕を発揮すると同時に、作曲家としてヒット曲も量産しました。そんな彼がドラクエと出会ったのは、フリーになって活動していた50代半ばのことでした。新たなフィールドに飛び込んだ当初、年齢的な隔たりもあり、20代の若者中心のドラクエ制作スタッフとは結構ギクシャクしていたようですが、彼自身が筋金入りの無類のゲーム好きであったこともあり、次第に打ち解けていきました。

ドラクエの世界観が「中世ヨーロッパのファンタジーテイストの騎士物語」であったことに加え、ゲームという特性上、何百回聴いても飽きない“聴き減りしない音”の必要性を鑑みた結果、「クラシック音楽」をベースにすることを信条にして、35年もの間、彼は500曲以上に及ぶ楽曲をすべて一人で作っています。また、自らオーケストラを指揮して、“ドラクエコンサート”なるものを全国各地において定期的にライブで実施しています。ついには、2016年に、「世界最高齢(満84歳292日)のゲームミュージック作曲・編曲者」として、ギネスブック世界記録にも登録されました。

思えば、人生は、多くの課題や目標を抱えながら探求する、未知なる旅のようなものです。すぎやまさんは、ある対談で、「ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません。目の前の困難から逃げてはダメです。ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません。」と話していました。何でも新しいジャンルが好きで、常に新進気鋭の現役でありたいという「絶えず挑戦し続ける精神」が、多くの世代に愛される名作を産んだと言えるでしょう。

生ける伝説であったすぎやまさんが、9月30日に亡くなりました。
ドラクエⅡのエンディングである神曲「この道わが旅」をBGMに、
また新たな冒険の旅に…。
ふと、そんな気がしました。