みなさんは「慣れる」という言葉を聞いてどんなイメージを持ちますか。また、みなさんはどんなもの、どんなことに慣れていますか。
 一つ目は、身の回りにある道具や持ち物などに「慣れる」ことが挙げられます。「慣れ親しむ」、「使い慣れる」、「肌慣れ」などという言葉があります。みなさんも「使い慣れた勉強道具」というものがあるはずです。「このシャーペンは手にしっくりする」や「この参考書はどこに何が書いているのかほとんど分かる」という経験のある人もいるはずです。道具や持ち物であれば、「自分のものになる」ということが、「慣れる」という意味になると思います。
 二つ目に、勉強すること、その勉強の内容に「慣れる」ことが挙げられます。「机に向かって集中することが身につく」、「この計算問題だと自然と手が動く」という受験生もたくさんいると思います。また、「慣れ親しんだ問題」を目にすると、安心して解答できます。「もの慣れた分野」、「習熟度別問題」などというような表現もあります。勉強面においては「できるようになる」ということが、「慣れる」という意味になります。
 「慣れる」という意味を英単語1つで表現することはできません。小学生には難しいとは思いますが、英熟語であれば、“be used to”や“be accustomed to”と表現することはできます。また、「習慣」を表わす英単語には、“custom”や“habit”があります。「慣れること」という意味は、英語でも日本語でも一言で表現することが難しいようです。
 表現すること以上に、道具や持ち物、勉強することや問題に、「慣れる」ことはとても難しいことです。「自分のものになる」、「できるようになる」ために、絶対に必要なものは「時間」です。何度も繰り返すこと、たくさんの時間をかけることなしに、「慣れる」ことはありえません。春休みには、次学年の学習の取り組みがスタートします。春休みは、たくさんの「時間」を費やすことができるはずです。その中で1つでも多く、「自分のもの」を見つけて、新学期にそなえていきましょう。

日本を代表するおとぎ話である「桃太郎」は皆さんよく知っていると思います。
実は「桃太郎」伝説は全国にあることを知っていますか?
その中でも香川県高松市に伝わる「桃太郎」のお話をします。
なぜこの話をするかというと、今、日本の考古学を大きく揺るがそうとしているある一人の人物にぶち当たるからです。
高松の「桃太郎」は桃から生まれてはきません。桃太郎は孝霊天皇という天皇の子(稚武彦命(わかたけひこのみこと))として登場します。桃太郎は自分のお姉さんのもとに行くために旅に出ます。その途中の高松できれいな女の人が川で洗濯をするところに出会い、一目ぼれします。そしてその女の人と結婚をして高松で暮らし始めます。
平和に暮らしている桃太郎の村に、海賊(=鬼)がやってきて悪さをします。そこで桃太郎は自分の仲間たちとともに海賊の本拠である女木島(めきじま)に海賊を退治しに出かけ、海賊の大将を倒します。その後鬼に奪われた財宝を持って村に戻ったのですが、海賊の残党が桃太郎に復しゅう戦を挑みに来るのです。それも退治した桃太郎は、奥さんとともに幸せに暮らしたということです(桃太郎が暮らしていたとされている地区は今「鬼無(きなし)」というそうです)。
以上が高松に伝わる桃太郎の伝説なのですが、最初にもいったとおり、この話には日本史の教科書を変えてしまうかもしれないある人物が出てきます。それは桃太郎のお姉さんです。
もしこの人が実在の人物なら、天皇家の系譜をたどると「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」という人物になります。この人のお墓は奈良にある箸墓(はしはか)古墳といわれています。
実はこの箸墓古墳、今考古学では「この墓は卑弥呼の墓なのではないか」といわれていて、非常に注目されているのです。実際に弥生時代中期ごろに作られたとされている銅の鏡が多く出土していて、卑弥呼のことが書かれている「魏志倭人伝」の内容によく似ているそうです。とすると、桃太郎は卑弥呼の弟ということになります。
このお話は伝説ですので、正しいかどうかはわかりませんが、どうですか?自分の知っているお話が歴史に深くかかわっているかもしれないということがわかると、面白く感じませんか?
このようにして、自分の知っている事柄をすこし調べてみるだけでも、多くの新しい発見があり、気づきがでてくるのです。そうやって歴史だけでなく、さまざまな学問は深まっていったのです。
特に歴史が苦手だと思っている皆さん。日本の歴史は本当に奥深く面白いのです。ぜひ、苦手という殻を捨てて、歴史に向き合ってみてください。

「勉強って何のためにするのだろう。誰のためにするのだろう。」と考えたことはありますか。
「勉強が好きで好きでたまらない!」という人はいますか。
「わ~い、勉強だ!勉強だ! やったあ!」と感じている人はいますか。

私が知っている限りでは、そのような人はいません。

「勉強はあなたの将来のため。だから我慢してやらなければならないのよ。」と家族の人から言われた記憶はありませんか。
確かにそう言えるかもしれません。
皆さんの中には、今はまだ自分の進みたい方向がはっきりしていない人がいるでしょう。
世の中の職業にどのようなものがあるか、よくわからない人もいるでしょう。
だから、将来のための勉強と言われても、なかなか理解できないかもしれません。

「勉強は何のためにするの」という問いに対して、あえて私は、
「社会にでて、周りの人のため、家族のため、そして自分のために、今は出来る勉強をやるのだよ」と答えたいと思います。

例えば、君たちのお父さんやお母さんのことを考えてみてください。
お父さんやお母さんは、仕事や家事を通じて社会の役に立ったり、皆さんの世話をしたりしています。
何も自分のためだけに仕事をしているわけではないはずです。
仕事を通じて周りの人のためになったり、君たちのために働いたりしているわけです。
そこには愛すべき、幸せになってほしい家族があるからです。
だから一生懸命働けるわけです。

“周りの人のためにする勉強”なら、少しは我慢して取り組めると思いませんか。

 国語を勉強する上で必ず勉強するのが「同音異義語」です。
入試にもよく出題される内容です。例えば「タイショウ」という言葉でも「対照・大正・対象・大将・対称・大笑・・」と様々な意味を持つ語句が存在します。
「大将が大勝し、大笑した。」駄洒落も同音異義語の言葉遊びです。
では、一番多い同音異義語は何でしょう?それは・・・
「コウショウ」という言葉で、なんと48語句もあります。どんな語句があるかは、自分で調べて見てください。

さて、先生が一番大切にしている同音異義語があります。「タイリョク」です。
タイリョクと聞いて、まず頭に浮かぶのは「体力」だと思います。
しかしもう一つ、「耐力」という言葉もあります。普段みんなが行っている勉強にはこの2つの「タイリョク」が必要です。

 まず、「体力」です。体力をつけるためには、運動・スポーツなど様々あります。そして普段の生活でも自然とついていきます。特に、みんなは成長期にあたるので、どんどんついていくでしょう。

 もう一つの「耐力」はどうでしょうか?本来の意味は、材料が耐えうる力のことを指しています。材料が耐える力は人の手によってつけられますが、先生が考える「耐力」は自分自身で耐える力をつけることです。
普段の生活の中で「耐力つけるぞ!」と思う人はほとんどいないと思います。そして、耐力をつけることは中々難しいのです。
 耐力をつけるために必要なことは我慢です。例えば、ずっと机に向かって勉強することも耐力をつけるための大事な一歩です。
 耐力がないと、厳しい環境に置かれたときに我慢ができなくなります。大人になってからつけようとしても、つけるのは大変です。だから、今のうちからつける必要があります。耐力がついたときに、人は成長していくと思います。
 
 「体力はあるけど耐力はないかもしれない。」と思った人は、「自分はタイリョクをつけよう。」と前向きに考えてください。
 
 これから先、様々なことがあると思います。2つの「タイリョク」を兼ね備えて、未来へ進んでいきましょう!

いよいよ受験シーズンの突入です。
入試前に、受験生に向け最後の言葉をかける機会が先生にもありますが、その時に必ず言うことが1つだけあります。

今日ここにみんながいて、受験ができるのは、みんなの周りにいるたくさんの人が、サポートをしてくれたからだよね。そういう人の存在を、決して忘れてほしくないのです。特にお父さんお母さんや兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、おうちの人。
一番近くで、みんなのことを心配しいろいろなサポートをしてくれたはず。
ぜひ、今日受験が終わって、家に帰ったら、「ありがとう」とお礼の言葉を言ってほしいと思います。

ありがとうの語源は、形容詞「有り難し(ありがたし)」が「ありがとう」となったといわれています。
「有り難し」は「あること」が「難い(かたい)」という意味で、本来は「めったにない」や「珍しくて貴重だ」という意味です。
鎌倉時代以降に仏教の影響で、仏様の慈悲などで貴重で得がたいものを自分は得ているというところから、宗教的な感謝の気持ちを言うようになり、江戸時代ごろから感謝の意味として一般に使われるようになった言葉だそうです。

受験というのはまさに人生に何度もない「有り難い」経験ですよね。
もっともっといえば、今あなたがここに存在していることも「有り難い」ことなのかもしれません。

合格・不合格という結果ももちろん大切です。
でも、最も大切なことは、受験までにどういう過ごし方をしてきたか。そして受験を通して周りの人に感謝の気持ちを持てたかどうかだろうと先生は考えています。

面と向かってなかなか「ありがとう」とは言いづらいもの。
言いづらかったら、家でお父さん・お母さんの背中に向かって、心の中で「ありがとう」といってもいいのではないでしょうか。

思いは必ずや、通じると思います。

がんばれ!受験生!

あるお百姓さんが、朝早く起きて畑を耕そうとしました。ところがトラクターの燃料が切れていたので、近くのガソリンスタンドへ買いに行きました。途中で、豚にえさをやっていないことを思い出して納屋にえさを取りに行きました。すると、保管しているジャガイモが発芽しているのを発見しました。これはいけないと、ジャガイモの芽を取っているうちに、暖炉の薪がなくなっていたことを思い出し薪小屋に足を運びました。薪を持って母屋に向かっていると、鶏の様子が変なことに気付きました。どうも病気にかかったらしく、応急処置をほどこして、薪を持って母屋にたどり着いた頃には日がとっぷり暮れていました。
 お百姓さんは「ヤレヤレ忙しい1日だった」と思いながら、一番大切な畑を耕すことができなったことに気付いたのは床に入ってからでした。

 1日の時間の使い方は、いろいろなものをトランクに詰めることに似ていると言われます。トランクに荷物を詰めるとき、何気なく詰めていると一番大切なものが入らなかったり、少しの量しか入らない場合がよくあります。そうならないためには、どうしても入れなければならないものを選び出し、順番を決めて詰めていく必要があります。これは1日のやるべきことについてもまったく同じことがあてはまります。

無駄の無い1日を過ごすために
① 1日にやるべきことを全部書き出す。
② 次に、どうしても今日やらなければならない重要なことを選び出す。
③ ②で選んだことを3つにしぼって、順位をつけて実行していく。

さて、君は今日、まず何をするべきか?

2010年が終わり、2011年が始まりました。2011年をどのような年にするのか。目標を立て、気持ちを新たにするのがお正月なのではないでしょうか。お正月には色々な『きまりごと』があります。その『きまりごと』は地域によって様々ですが、今日は先生の家のお正月のルールを紹介したいと思います。今は守っていないこともありますが、子供の頃は絶対に守らなければならないルールでした。

 元旦の朝は必ず午前中に起きなければいけません。そして、俗に言う一張羅(いっちょうら)つまり、持っている服の中で一番立派なものを着ます。その後、家族全員が、床の間に鏡餅(かがみもち)の飾ってある座敷に集合します。床の間の前に置かれたテーブルには、おせち料理が並べられていました。元旦の午前中には刃物(包丁)を使ってはならないルールがありますので、おせち料理は前日に準備されます。もちろん、お雑煮の材料も前日に切って用意してあります。ここからが『お正月』のはじまりです。まずは一家の大黒柱であるお父さんがお正月のあいさつをし、その後、御屠蘇(おとそ)を家族全員が順番に飲んでいきます。御屠蘇とは邪気をはらい寿命を延ばすとされる薬酒で、大中小三種の杯で飲みます。杯につぐときも3回で、飲むときも3口で飲むきまりでした。御屠蘇を飲んだあとは、おせち料理を食べるのですが、必ず全品食べることがルールです。これは、全ての料理に意味があるからです。例えば、「黒豆」はまめまめしく元気に働けるように、「数の子」は子宝と子孫繁栄を祈って、「えび」は背中が曲がるまで長生きすることを願っての料理です。おせち料理を食べた後には、お待ちかねのお年玉が待っていましたが、これはお正月の『きまりごと』ではなかったかもしれません。

 まだまだ、『きまりごと』は続きますが、特に印象に残っているのが「お風呂ルール」です。元旦はお風呂に入ってはいけません。「働かざる者、お風呂に入るべからず。」です。お風呂は2日の朝に入ります。また、2日の日は午前中のうちに「仕事」をしなければなりません。これが『仕事初め』ですね。子どもたちは(先生も含めて)勉強をしていました。ここで始めるからこそ、一年間、しっかりと勉強ができると教えられました。

 『一年の計は元旦にあり』皆さんはどんなお正月を過ごしましたか。お正月から勉強をスタートさせましたか。今からでも、まだ遅くはありません。満足いく1年間となるようにしましょう。

中学入試においては、いよいよ受験シーズンに突入しました。
 県立中の多くは適性検査、作文とあわせて面接試験がおこなわれます。入試1ヶ月前くらいから、本番さながらの面接練習を行います。そんな中でのワンシーンを紹介したいと思います。

 ある受験生に対して、「あなたは将来、どんな人になりたいですか?」という質問をしたところ、その生徒は、「まだはっきりとは決まっていませんが、誰かの役に立つ仕事がしたいです。」と答えました。さらに「たとえば、どんな仕事ですか?」とたずねると、「・・・」結局答えは返ってきませんでした。

 みなさんはどうでしょうか? 誰かの役に立つというのは簡単なことですが、具体的に答えるとなると難しいのかもしれませんね。ただ、みなさんのまわりには、直接会ってはいないけれど、みなさんと関わっている人がたくさんいます。たとえば、皆さんが使う文房具を作る人、さらには、鉛筆の材料となる木を切る人などもそうですよね。つまり社会で生きていく、あるいは職業に就くということは、それ自体が必ず誰かの役に立つことになるのです。

 面接試験の練習に戻りますが、誰かの役に立つことから始まるのではなく、自分の夢や目標から、自分の将来を考えることを始めてみませんか。その目標をかなえたときに喜んでくれる家族の笑顔や、その仕事によって、たくさんの人に幸せを与えられることが容易に想像できるならば、本当に自信をもって目指すことができる夢だと思います。

「うるう“秒”」って知ってる?皆さんは「うるう年」のことは知っていると思います。2月が29日間になる年が4年に1回やってきますよね。現在私たちが 使っているカレンダーは、地球が太陽を1周する日数(これを「公転周期」といいます。)を1年と決めていて、皆さんも知っているように、1年を日数に直す と365日になります。ところが、実際に計算するとこの公転周期は365日よりもちょっとだけ長いので、年が経つごとに少しずつずれていくのを調整するた めに「うるう年」が設けられています。
うるう年は「カレンダー」と「公転周期」とのずれから設けられているのですが、実は「時計」と「地球の自転」にも同じ様なずれがあるのです。

時計では地球が1回転する(自転)時間を1日と決めています。時計での1日は24時間です。秒に直すと86,400秒にな ります。地球も時計と同じ様に86,400秒で1回転しているのなら何の問題もないのですが、実際には地球の自転にかかる時間は一定ではありません。その ため、放っておくと時計の指す時刻と太陽の位置がだんだんおかしくなってきます。時計では夕方の5時なのに、太陽は東の空にあるなんてことも起こりかねま せん。それでは、この「時計」と「自転」のずれをどうやって調整しているのでしょうか。ここからが「うるう“秒”」の出番です。

大晦日がいつもより1秒長い年があります。つまり、12月31日の午後11時59分を1秒多くして61秒にするので す。(6月30日に実施する事もあるそうです。)うるう年のように定期的には設けられないのですが、最近では2008年の12月31日に実施されました。 いつからこの「うるう秒」がいつから始まったのかを調べてみると、そんなに昔のことではなく、記念すべき第1回は1972年だそうです。ちなみに、先ほど 「地球の自転は一定でない」といいましたが、自転が時計の1日よりも短くなることもあるようです。そのため1日を1秒短くするということも必要ですが (「負のうるう秒」というそうです。)、これは今まで一度も行われたことがないということです。

今年の大晦日はうるう秒ではないそうですが、何年か先の年末恒例の徹夜特訓のときに「うるう秒」が実施されたら、今年の受験生より「1秒だけ」多く勉強できることになりますね。

ある人がワシの卵を見つけました。
その人はそれがワシの卵とは知らず、ニワトリ小屋の巣の中に入れました。
メンドリ(ニワトリのお母さん)は他の卵と同じように扱って、まもなくワシの子が生まれました。
ワシの子は、自分はニワトリだと思い込み、ニワトリの真似をして暮らしていました。
ある日、ワシの子は空を見上げると大きな鳥が空を舞っているのに気づきました。
ワシの子がメンドリに「あれは何?」と尋ねると、メンドリは「ワシだよ。」と答えました。
ワシの子が「僕もあんなふうになりたいなぁ。」と言うと、メンドリは「それは無理だよ。お前はニワトリなんだから。」と答えました。ワシの子はうつむいて、「そうだよね。」とつぶやきました。
その後、ワシの子は大きくなっても自分がワシであることに気づかず、自分は飛べないと思い込んだまま、大空を舞うことなく一生を終えました。

このお話を読んで君はどう思いましたか?
大志を抱いて夢を実現したいという想いを持っていても、途中の困難に恐れを感じて「自分には夢を実現する能力がない」と思い込んでしまうことがありますが、それは違います。
大志を抱くということは、それを成し遂げることができる証しです!
君たちは大空を舞うことができるワシです。
自分で限界を作らず、自分の力を信じて最後までやり抜きましょう。
君たちが頑張っている1分、1秒の積み重ねは、たった一問の難しい問題で諦めてしまう程軽くはない!!(ガンバレ受験生!)