平成3年9月28日早朝、津軽地方を襲った台風19号。
最大瞬間風速50メートルを越える強風で津軽地方全域にわたり大きな被害を残しました。

町のいたるところで電柱が倒れ、建物が損壊し、トタン屋根が飛んでしまうほどの強烈な台風でした。当時、連日のようにその凄まじい状況をテレビ中継していたのを思い出します。

青森、津軽地方といえばリンゴ。台風通過後に、リンゴ畑を見に行った農家の方々は、皆しばらく声も出ませんでした。収穫前のリンゴが木から落ち、あたり一面に敷き詰められている。9割がたのリンゴが出荷できなくなりました。そんな状況を見て、りんご生産に見切りをつけた人もいたそうです。落ちたリンゴを拾い集めながら、農家の方々は何を考えていたのでしょう。普通なら、どうしようもない状況に途方にくれ、ただただ悩むばかり。リンゴで生計を立てている農家にとっては死活問題です。

ところが、この危機的な状況をいとも簡単に切り抜ける打開策が若いリンゴ農園経営者の間から提案されました。50メートル以上の暴風にも耐えた落ちないりんごを、全国の神社で、受験生に縁起物として販売し、併せてりんご栽培の起死回生の一助にしようというアイデアが出されたのです。

まず、落ちないりんご販売実行委員会が組織されました。 受験シーズンに間に合わせるため、しばしば会議が開かれ、そして、『落ちないりんご』ができました。値段はおそらく落ちた分をカバーできるように通常よりは高く設定されていたのでしょう。

明治神宮(東京)、湯島神社(東京)、亀戸天神社(東京)、大国魂神社(東京)、谷保天満宮(東京)、鶴岡八幡宮(神奈川)、岩津天満宮(愛知)、熱田神宮(愛知)の、計8カ所で販売された『落ちないリンゴ』は瞬く間に完売し、リンゴ農園の経営は守られました。

『落ちないリンゴ』を提案した若手経営者は、ものすごいアイディアマンだったのでしょうか。そうではないのです。要は、“着眼点の違い”だけなのです。

「9割がたのリンゴが落ちてしまった」という“事実”に対して、散らばったリンゴを見て「どーしよー」とただ途方にくれた人と、落ちなかったリンゴを見て「どーしよー」と考えた人。このちょっとした視点の差が、経営を諦めた人と、『落ちないリンゴ』で成功した人との大きな差を生んだのです。人間って、基本的にはNegativeな方に目が向いてしまうものです。
大抵の人がそうだと思います。けれど、ちょっと考え方や視点を変えるだけで、大分違った結果を生むものです。だったら、Positiveに考えたほうがいいですよね。楽しく生きるために、日頃からPositive Thinkingの訓練をしましょう!

「バレエ」と聞くと何を思い浮かべるでしょう。
「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、柔らかい体、トゥシューズ・・・
きらびやかな美しいイメージがありますね。

先生の好きなバレリーナに、吉田都さんという方がいます。
吉田さんは9歳からバレエを習い始め、18歳で有名な国際コンクールで一番名誉ある賞を受賞しイギリスのバレエ学校へと留学します。踊ることが大好きで、レッスンが大好きな少女でした。
自信と希望を持って向かったイギリスで彼女を待っていたのは、楽しいことばかりではありませんでした。当時を振り返って、彼女は「鉛色の空の下を歩いているようだった。」と言っています。
一番の衝撃は日々のレッスンにありました。
「あなたは今、何を表現しているの?」
「あなたはどうなりたいの?」
先生からレッスンのたびにこの問いかけをされました。初めての問いかけでした。

毎日毎日問いかけられても、答えは出ません。周りの生徒たちは次から次へと答えていきます。自分だけ置いていかれているようで、日本に帰りたいという思いが強くなっていきました。

苦しい思いをしながらも、毎日答えを考えながら何ヶ月かが経ちます。
ある日、レッスン中に踊っている吉田さんの頭に、ふと「これを表現したい」「私はこうなりたい」という思いが浮かびました。毎日、自分でも問いかけながら答を探していたからでしょう。
「それからは、イギリスの重たい空の雲が晴れていくように、気持ちも晴れていった」
吉田さんがバレエ学校で才能を発揮し、ソリスト(バレエの中心となる役柄)に選ばれ始めたのもその頃です。

「あなたは何を表現したいの?」
「あなたはどうなりたいの?」

この問いかけに、あなたならどう答えますか?

もし今答えられなくとも、その答えを見つけたときが、
あなたの力を発揮できるチャンスになるかもしれません。

皆さんは家事労働をしていますか?
家事労働は単なる「お手伝い」ではありません。「家の仕事の分担」です。お米を研ぐとか茶碗を洗うとかお風呂掃除とか、家で誰かがしなければならない仕事を請け負うことです。お手伝いならしてもしなくても生活は成り立っていきますが、家事労働としての役割はしないとたちまち生活に支障をきたすのです。例えば、お米研ぎが遅れると家族の夕飯が遅れるといった具合です。

こういった役割がある人は、家事をやらなくてはならない時刻になったらさっさと取り掛からなければなりません。外で遊んでいても時間になったら引き上げなければなりませんし、ゲームに夢中であっても中断しなければなりません。そこにはスイッチの切り替えが必要なのです。だから毎日、責任のある家事を分担されている人は、このスイッチの切り替えができるようになっていきます。手早くきちんと家事を済ませてからまた自分のしたいことをします。自然に集中力や俊敏性も備わってきます。こういう人は勉強もてきぱきしていけるようになります。併せて、家事労働を通じて親の苦労もわかる人になります。また、自分も家庭生活を支える上でなくてはならない一員なのだという誇りも生まれます。人の立場の分かる人にもなっていきます。
これは「見える学力、見えない学力」(著者:岸本裕史)という本にあった話です。岸本裕史先生は陰山英男先生が有名にされた「百ます計算」を考案された方です。

勉強を言い訳にして家のお手伝いから逃れている人はいませんか?
勉強時間の質を高めるのは集中力です。家の役にも立ち集中力も身につけられる良い生活習慣を身につけてください。

3月11日に発生した東日本大震災から3ヶ月が過ぎました。今回の震災により被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。
また、このたび『復興の種』では、全国の皆さんから温かいメッセージと多くの支援をいただきました。ありがとうございました。
少しずつ復興の足音は聞こえてきましたが、元の状態に戻るには、まだまだ長い時間がかかります。今後も復興に向けて皆で協力していかねばなりませんし、今回の震災から皆さんには多くのことを学んで欲しいと思います。

今回の震災から一つ皆さんに紹介したい記事があります。

ある新聞記者の方が、宮城県石巻市のある小学校を取材していたときのことです。この小学校は校舎1階が津波にのまれながら避難所となっており、ある日、男性タレントや女性歌手が慰問に訪れました。「本物だ!」とサインをもらおうとした子どもたちは、案内役の人に「時間が限られているのでできない」と拒まれました。
一人の女の子はがっかりした表情を見せたそうですが、恥ずかしそうに「サインして」とその記者の方に近づいてきました。「有名人じゃない」と説明しても「いいの、集めるのが好きだから」と、真新しいドラえもんの表紙のノートを差し出しました。きっと支援物資でもらったのでしょう。パラパラめくってみると、どのページも真っ白でした。記者の方は恥ずかしそうに1ページ目にサインされたそうです。「大事にする。」顔を赤らめながら少女は言いました。

「いいもの、見せてあげる。」別の日、校庭で4年生になる別の女の子は、和紙でできた花柄の小箱から金色の2つのピンバッジを取り出しました。
「アメリカの人が私と弟と友達にくれたの。『日本中で3人しか持っていないから自慢できるよ』って。」行方不明になられた方の捜索やがれき撤去のために学校周辺に来ていたアメリカ軍の一人から帰り際に贈られたそうです。
「弟のも持ち歩いているの。ずっとなくさないようにね。」がれきから見つけたという小箱に、大事そうにバッジをしまいました。

「地震でたくさんのものを失いました。大切な人、おうち、思い出の品。でも相手を思いやる優しい心、大切な気持ちはなくなりません。」

つらいときにお互いで支えあう優しい気持ち。
その気持ちを最近感じた人もいるでしょう。しかし、まだその温かい気持ちをよく分からない人でも必ずそのありがたさを実感できる日がきっと来るはずです。
ぜひ、この夏は合宿や講習会を通して多くの人と交流を深めるなかで、お互いに支えあう心を学んでください。

先生は金沢本校の中3Vクラス(難関クラス)で社会を教えています。実は今でこそ社会を教えていますが、私が小学生のとき、社会という科目が嫌いで嫌いでたまりませんでした。社会の授業はほとんど聞かず、社会のノートに落書きをする毎日でした。それが今では「社会の先生」なのですから、人はどこでどう大きく変化するかわからないものです。

私の大きな変化は、小学5年生のときの休み時間でした。その時、クラスの中ではやっていたのが「どれだけたくさん暗記ができるか」という競争でした。皆さんも経験がありませんか?小学5年生のときに「円周率をどれだけたくさん覚えられるか」などを競ったことが。

ただ先生はちょっとだけ ひねくれてましたね。

「みんなが覚えている円周率なんかで競ってもおもしろくない。どうせなら、みんなが覚えられないようなものを覚えてやろう」という、意味不明な闘志がわいていたのです。そこで覚えようと思ったものが「歴代の天皇の名前」でした。初代は神武天皇から始まり、綏靖→安寧→懿徳・・・と続くわけですが、その125代まである天皇の名前を、漢字も含めて全て暗記しました。

その知識ははっきりいってほとんど役に立ちません。強いて言えば「高校の古典」と「百人一首」のときぐらいでしょうか、覚えていて良かったと実感できたのは。間違いなく高校入試や大学入試では全く必要のない知識です。入試だけを考えれば確かに「無駄な知識」かもしれません。ただその「無駄な知識」を身につけるためにやった様々な動作は、今の自分にプラスになっています。

○チラシの裏を使ってひたすら書きまくった
○書いても覚えられなかったので、声に出して読んでみた
○似たような名前をグループごとにまとめ、順番にしばられない方法で覚えた

…など、いろんなことを試しました。途中で「くだらない。もうやめてしまおう」と思ったこともありましたが、一方で「途中でやめるのは悔しい」という思いもありました。そういった思いが駆け巡る中で、様々な工夫をしました。また目標としていた人数まで覚えられたときの大きな達成感もありました。そして何よりも、最終的に125名を覚えたときには、社会という科目が好きになっていたのです。
これらは「学ぼう」と思って身につくものではありません。気がついたら身についていたものです。

人はどこで大きく変わるか誰にもわかりません。入試に必要な知識を身につけることも大切です。
一方で、入試には直接関係ないものであっても、それを「最後までやりぬくこと」は立派な勉強であり、自分に新たな力を与えてくれる機会だと思うのです。

身体を動かしていなくても、算数や数学の問題を前に格闘したあと、「あ~お腹がすいた~」という経験をしたことが皆さんあると思います。受験生なら夜中の勉強の後の夜食が楽しみ♪という人も多いかもしれませんね。

実は「頭を使うとお腹が減る」ということには、ちゃんとした理由があるんです。

皆さんの頭の中にある「脳」は、体重のおよそ2%の重さがあります。たったそれだけの重さにも関わらず、脳で使われるエネルギーは身体全体の20%もあるのです。つまり脳は体の他の部分の10倍のエネルギーを使っているのです。「頭を使うとお腹が減る」のは、気のせいなんかではなく、ホントのことです。

脳で使われるエネルギー源はブドウ糖(グルコース)だけです。ほかの体の細胞のようにいろんな成分を燃料として使うと、燃えカスとして細胞に負担がかかる物質ができてしまう。でも、グルコースを燃焼させると水と二酸化炭素しかできません。ほかのものは一切できません。とってもクリーンなエネルギー減なのです。

なぜ「頭を使うとお腹が減る」のかというと、脳の中にセンサーがあって、このグルコースの濃度を感知しています。頭を使うとグルコースが減っていきます。もしも極端に低下してしまうと、脳の神経細胞はエネルギー不足でどんどん死んでしまい、危険な状態になります。こんなことにならないように、グルコースの濃度がある程度下がってくると、「お腹がへった~」というSOS信号を出すのです。脳を守るためのしくみが働いているんですね。

勉強を頑張って、お腹が空いたと感じたら、それはいっぱい頭を使ったという証拠。よし、今日は腹ペコになるくらい勉強するぞ!というのも面白いかもしれませんね。もちろん、すぐにエネルギー切れになっては困りますから、しっかり食べてから勉強した方がよさそうですよ。

新年度のゼミが始まって1ヶ月半。能開福井本校では、第1回目のゼミで「将来の夢や志望校」など、子どもたちが今、どんな夢・憧れを持っているのかをアンケート調査しました。このアンケートをもとに、親・子・先生による三者面談が5月中も継続して行われています。

小学3・4年生でも、半数近くの会員が自分の夢について書いています。ましてや小学5・6年生や中学生にいたっては、約8割近くの会員が夢の職業(憧れの職業)を書いています。
いろいろある職業の中でも一番人気は…。「医師」のようです。

三者面談で、「なぜ医師になりたいのかな?」という質問を投げかける私。やはり、「困っている人を助けてあげたいから。」という返答が多い中、「ドラマで医師の活躍するドラマがあって、それで憧れて。」という回答もあったりします。実際に医師をされている保護者の方に最近のドラマについてその信憑性(現実の医療現場に近いのか)を尋ねたところ、案外信憑性が高い(医療現場に近い)らしいので驚いています。

さて、高度な専門性と豊かな人間性を必要とされる医師。社会的にもそのステータスは高く、相当の高い学力を身に付けていかねば医師にはなれない現実。今回ご紹介したいのは、医師としてご活躍されている方で、へき地診療所から医療現場をスタートされた方の福井新聞に掲載されたエッセイ(随想)です。

医師免許取得後3年目で赴任を命じられた先は、医師は自分一人だけのへき地診療所。「不安」と「不満」が入り混じる中、様々な症状を抱えて来診される患者さん。その多くは高齢者。その中に、難治性湿疹を治すために通ってこられたおばあちゃんがおられました。

処方した私の薬では治らず、皮膚科に通ってそれを治された後で「先生、今度からこの薬を出すといいよ。」と教えてくれたおばあちゃん。私のような若造を医師として頼りにしてくれたり、育ててくれたりする村の人々と接していくうちに「この人たちのために自分は何ができるのか」と考え始めました。さらに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。

~(中略)~

実は一度、非典型的な症状の肩こりを呈したクモ膜下出血を見逃してしまった経験が私にはあります。患者さんの親戚の方は、誤診で気落ちする私を責めるどころか慰めてくれました。「一生懸命やってもうまくいかないことは誰にでもある。先生、こういうことはお互い様だよ。」…私にとって生涯忘れられない言葉となりました。幸いにもこの患者さんは全く後遺症のない状態で退院し、今でもお元気です。自分自身が大きな病気を患って2ヶ月間仕事を休んだ間も、村の人々からのたくさんのお見舞いや激励をいただいたりしました。

若い頃は自分が地域を支えているつもりでした。ところが、様々な恥ずかしい経験・体験などを通じて、それでも許していただいたりしていた自分を省みると、実は地域に育てられ、地域に支えられてきたことに感謝する気持ちでいっぱいの自分がここに存在しているのです。

「失敗は成功のもと」ということわざがありますが、十代の若いみんなの失敗は、周りの先輩たちや大人たちが受け止めてくれ、またいろいろと助言してくれるものです。見知らぬ世界(非日常の生活空間)に飛び込んでいろいろな人と交わる中で、対立・葛藤することも当然あるでしょう。そういった経験を積んで、みんなはたくましい人間へと成長していくのです。この夏、勉強にスポーツにボランティア活動に大いにチャレンジしましょう!

自転車競技の一つに「ダウンヒル」があります。

夏場のスキー場など、急斜面の荒れ地につくられたテクニカルなコースを高速でいかに速く走破するかという単純な競技です。

はじめてダウンヒルの大会に出場したときのことです。たいした練習もせず、ひどく軽い気持ちで出場した大会でした。それなのに、とにかく緊張したことを覚えています。自転車はマウンテンバイク、前後のサスペンションは当たり前で、肘・肩・胸・脊椎を保護するプロテクターにフルフェイスヘルメット、口にはマウスピース、手にはグローブをはめます。ダウンヒルの大会では通常は一人ずつスタートしタイムを計測していきます。スタート地点には「スタート台」があります。スタート台は一段高く、この場所から岩や木の根っこでゴツゴツしたコースを見渡すことができます。

心の中では「どうせ速く走れやしない」「誰も期待していない」と思っても、順番が近づくにつれ緊張感はどんどん高まっていきます。スタート地点の人が背中をたたいてスタート。練習とは比べものにならない緊張感からまったく思うようにレースをすることが出来ませんでした。

練習でできないことはもちろん本番では出来ないけれど、練習でできていることも本番では出来ませんでした。

ほんの数分の「勝負」ですが、自分が「いける」「できる」という強い気持ちで挑めなかったことが残念で仕方ありませんでした。原因はもちろん練習不足です。

さて、みなさんも「勝負」をしなければいけない場面があります。それは部活の大会、学校のテスト、受験、検定試験、もしくはクラスの前での発表なんかもそうかもしれません。どれだけ軽い気持ちで挑んだとしても、必ず緊張します。強い気持ちで「勝負」するためには「練習すること」と「練習する方法を考えること」です。どちらも積み重ねが大切です。その積み重ねが緊張感をおさえ、自信を与えてくれます。自分に自信を与えてくれるのは自分自身です。

そして「勝負」の日は自分では決められません。ある日突然決まります。部活の大会や学校のテストがそうだと思います。ですから文句を言わず、「勝負」の日が決まったらすぐに行動です。

その日から練習あるのみです。

受験生にとって、志望校を決めることはとても大切なことです。
志望校とは、合格して『本当に行きたい高校』のことです。
今の自分の力で行けると高校を必ずしも志望校とは言いません。
志望校は、自分の一生の『母校』になる高校であり、『人生の宝』になります。

志望校の『志』とは、『士』の『心』と書きます。
『士』とは、『サムライ』のことを意味します。手を広げ命がけで人を守る姿です。
『志』とは『サムライの心』を意味します。

では、『サムライ』の『心』とはどんな心でしょうか?

江戸時代の日本では、男子は15歳前後に元服し、社会的に一人前に認められると同時に、いつでも主君の為に『命を捧げる覚悟』をしました。
もちろん現代ではそういうことはしませんが、15歳という年齢はまさに受験生であり、君たちの事ではないかと先生はいつも思っています。
高校受験は単なる『合格』や『不合格』ではなく、自分の一生に関わるとても大切な『儀式』でもあることも意識して欲しいのです。

福井の生んだ幕末の志士『橋本左内』(安政の大獄で、藩主松平春嶽を守って処刑された)は、15歳にして今の『藤島高校』の前身である『明道館』の校長代理を務め、藩内の師弟の教育指導を行い、その著書『啓発録』(15歳で書き上げた)の最初に、〔大事を成し遂げるにあたって、『第一に稚心去るべし』〕と言い切っています。

受験生にとって、大事とは『志望校に合格し、母校とする』ことです。
その受験生が、大事を成し遂げようとするときに、

・だらだらTVばかり見ていて、いいのですか
・漫画ばかり見ていて、いいのですか
・ゲームばかりしていて、いいのですか
・部活ばかりに明け暮れて、いいのですか
・言われないと勉強しない、でいいのですか

受験生として、『志望校合格』にむけて、好きなことややりたいことばかりする『稚心』を『断つ』ことが絶対に必要です。

『断つ』ということは、『覚悟』がなければできません。
君達には『覚悟』を持って欲しいのです。

その『覚悟』は『高校受験合宿』に参加することでさらに確かなものとなります。
受験生にとって夏休みは【夏を制するものは受験を制す】といわれるように受験の天王山です。今から夏の『高校受験合宿』参加するという『覚悟』を決め、好きなことを『断つ』という受験勉強のスタートをきってください。

『高校受験合宿』に参加した経験が、受験勉強がもっとも厳しくなるⅡ期以降の『心の支え』になってくれるのです。

 東日本が巨大地震に襲われてから、約一ヶ月半が過ぎました。時は巡(めぐ)って、風薫る爽(さわ)やかな季節となりました。例年なら、人々の身も心も爽やかになる季節です。

 しかし、今年ばかりは、どことなく重いものがあるようです。日本全体が重い空気に包まれているように感じます。
 『復興( ふっこう) の種』という掛け声のもとに、多くのティエラ生から「義援金」や「がんばりポイント」の寄贈がありました。今も続いています。また、「激励メッセージや作文」の呼びかけにも気持ちよく協力してくれました。
 日本社会に「自粛」という空気も広がっています。確かに自粛も不可欠です。
 けれども、まだ他にできることはないかと、先生は考えました。それは、長期的展望にたった『復興』ということです。つまり、君たち一人一人が、自立したたくましい大人(社会人)になっていくということです。それは、『今を一生懸命生きる』ということから始まると思います。
 この春の講習会で、小六国語の確認テストから下記の問題文に出逢(であ)いました。少々長くなりますが、しっかり読んでみてください。

 「植物は、どこでも好きなところに勝手に生えているとみなさんは思うかもしれませんが、実はきびしい気候条件、土壌( どじょう) 条件、生物的な条件にたえて芽を出します。芽を出したとたんに次の社会的な規制に直面します。まわりの植物と競争し、おたがい我慢( がまん) しながら、共生していくのです。生物社会は競争を通してのみ発展します。どうかすべての競争を拒否( きょひ) しないでいただきたい。
 きびしい競争相手は、反対側からみるとしばしば共存(きょうぞん)者でもあるのです。そして我慢のできない生き物はこの地球上では一時も生きていけませ ん。生物社会の共生とは仲良しクラブではありません。少々苦手ないやな相手であっても、少し我慢しながらともに生きていく。競争、我慢、共生のきびしい社 会的なおきてと、置かれた環境(かんきょう) 要因(よういん) に規定されながら、それぞれの植物は生きているのです。」
——-宮脇 昭 著「森は地球のたからもの3 森の未来」より

 宮脇さんは横浜国立大の名誉教授であり、環境界のノーベル賞とも言われている『ブループラネット賞』を受賞された方でもあります。その言葉には説得力があると思いませんか。
 『競争、我慢、共存・共生のきびしい社会的おきて』の中で生きているのは、私たち、生物である人間も同じです。
 子ども時代というのは、より良き大人(社会人)になるための訓練の時です。ある日、突然大人になる訳ではありません。長い年月の、その一日一日のすべて が関連していると言っても過言ではありません。ただ、日常の暮らしの中では、ついつい忘れてしまうことでもあるのです。『非日常世界』の中でこそ、忘れて しまっていたことに気付き、その重要性を再認識できるのです。私たちは、だからこそ、時にはその『非日常世界』に身を置く必要があるのです。

 ティエラが呼びかける『合宿教育』とは、まさにその『非日常世界』の舞台ではないでしょうか。
 「困難にたじろがない ひとりで勉強できる子に」という教育理念を根っこに、感動・感激、夢中、おもしろさ、楽しさといったすべてを含んだドラマの主人公となって、『競争、我慢、共存・共生』を学んでいくのです。
 班で競い、個人で競いながら、「一人はみんなのために みんなは一人のために」とは何なのかということを学んでいってほしいのです。
 人生における貴重な財産となる『思い出』とともに、必ずや君たちの未来に活かされていくものと信じて疑いません。

 「こんなに楽しいもんやったら、もっと早くから参加しとったらよかった。来年は、もう来られへんわ。」
と言った、二年前の小学練成合宿に参加した小六の女の子の声を、先生は今も忘れません。