家の前などで、コンクリートから雑草が生えてきているのをよく見かけます。
硬いコンクリートを突破して生えてきたのですが、微力でもじっくり時間をかけるからこそ、雑草はコンクリートを突き破ることが出来るのです。
微力こそ、遠くまで行く秘訣です。
100cmずつ進む人は挫折します。
1cmずつ進む人は成し遂げます。
大切なのはスピードではありません。
ゆっくりと進む“歩み続ける”ことが大切です。
「止」まるのが「少」と書いて「歩」むです。
家の前などで、コンクリートから雑草が生えてきているのをよく見かけます。
硬いコンクリートを突破して生えてきたのですが、微力でもじっくり時間をかけるからこそ、雑草はコンクリートを突き破ることが出来るのです。
微力こそ、遠くまで行く秘訣です。
100cmずつ進む人は挫折します。
1cmずつ進む人は成し遂げます。
大切なのはスピードではありません。
ゆっくりと進む“歩み続ける”ことが大切です。
「止」まるのが「少」と書いて「歩」むです。
南アフリカでのワールドカップも、いよいよ終盤。残念ながら、ベスト16に終わった日本チームも、素晴らしいチームワークを世界に見せて大健闘でした。日本が唯一敗れたオランダの話をします。
オランダには、ある伝説的な選手がいます。名前はヨハン・クライフと言います。彼は現役時代、「クライフターン」と呼ばれる独自のフェイントで相手チームを翻弄し、ジャンピングボレーシュートを見事に決めたりして「空飛ぶオランダ人」というニックネームでたくさんの活躍をしたサッカー選手です。世界最高峰のサッカー選手として「BIG4」と呼ばれる選手の中の一人です。(ペレ、ベッケンバウアー、クライフ、マラドーナ)
クライフ選手は、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)という年に一度選ばれる世界最高選手に三度も選ばれたり、ワールドカップにオランダ代表として出場したりしました。地位や名誉をほしいままにしました。しかし、彼がサッカーの中で唯一手に入れる事ができなかったものがあります。それは『ワールドカップ』です。彼は、ワールドカップで優勝できませんでした。彼は当時のオランダ代表にこう言っていました。
『美しく敗れる事を恥と思うな。無様(ぶざま)に勝つ事を恥と思え。』
君たちに伝えたい事があります。クライフ選手は、勝つ事にこだわるのでなく、美しさにこだわりました。しかし、先生はこう思います。どんなに優れていても、勝ちにこだわる者にしか勝利はないという事です。目指す過程はどんなに泥くさくてもいい。どんなに挫折(ざせつ)してもいい。でもどんなに優れていても最後まで自分の目標を貫き通し、諦めずにチャレンジして目標を必ず勝ち取る事にこだわる人になってほしいと思います。
世界中がワールドカップに注目する中、日本対デンマーク戦では、夜中に起きて本田選手のゴールを見ました。得意の無回転のシュートが見事に決まって先取点。3点目はもっとすごかったですね。ゴール直前で、自分でシュートできたにもかかわらず、となりの岡崎選手にパス、岡崎選手もえらいよね。これを見事にゴール。「こんな日本チームは見たことない!」、素晴らしい活躍でした。
本田選手の試合後のインタビューもかっこいい。
「もっといけると思っていたから満足していない」というのも「プロ」を感じさせるすごい言葉でしたね。
小学生の頃、おじさんに「練習の後に記録しないとうまくはならないよ」と言われた本田選手は、それ以来ずっと「練習日誌」を書き続けたそうです。「今日の練習でよかったこと」や「課題となるところ」「がんばったところ」「コーチに注意されたこと」など、欠かさず記録したそうです。こういう話は、本田選手以外にも聞いたことありますよね。たぶん、大リーグのイチロー選手もそうだったと思います。
私たちは、毎日色々なことを思って生活しています。瞬間、瞬間に。「あの花はきれいだ」とか「明日の日曜日は、どこに行こうかな」とか。でも、思うことはできても、「考える」ことが苦手だなあと思っている人は少なくありません。その証拠に「最近の学生は考えることがうまくできない学生が多い」となげいている大学の先生も少なくないからです。
そこで提案です。考えることが苦手な人は、まず書いてみることです。「思った」ことを「書いてみる」。はじめは「メモ」でもよいのです。箇条書きに思った事を書いてみる。そして、さらに文章にして「書く」ことをする。「書き始める」と「思う」が「考える」に変わります。つまり、「書く」ということは「きちんと思う」ことなのです。本田選手はこのことを長い間続けたのです。
大人も子どもも、多くの人は、この「きちんと」ができないでいます。
今日は、「書く」という行為が、君たちが思っている以上に、「威力」のあることだということを書きたかったのです。だから、書いて、書いて、書きまくれ!!
先週の日曜日、私が住んでいる町内会の廃品回収がありました。たくさんの廃品が回収場所に集められ、私はその仕分けをする係りだったのですが、「なんでこんな物が?」という物が置かれていました。
それは、使い終わったノートでした。
十二、三冊のノートが紐にしばられた状態で置かれていたのです。思わず手にとって見ると、表紙に書いてあったであろう名前は消されていましたが、教科名などはそのまま残されている状態でした。紐でしばってあったので、中を見ることはできませんでしたが、外見から判断するとそれなりに使い込まれたノートのようでした。時期的に前の学年のノートを処分したといったところでしょうか。私はすごく悲しい気持ちになりました。
ノートと言えば、忘れられない生徒がいます。
すごく真面目で熱心な女子生徒で、志望校は地域のトップ校でした。学校の成績でもティエラの模試などでも、まず合格は間違いないだろうという生徒でした。そんな生徒だったのですが、さすがに入試本番の二・三日前は極度に緊張し、なかなか勉強が手につかず、どうしたらいいか相談されたりもしました。
ところが、入試前日の最終授業での姿は二・三日前とは見違えるようで、すごく自信に溢れていました。不思議に思って理由を聞いてみると、ある事によって、すごく自信と勇気を持てたということでした。
その生徒は中一の春にティエラに入り、三年間一生懸命ティエラで勉強してきました。そして、ティエラで使った数十冊のノートを三年間きちんと置いていました。不安で仕方なかった入試直前に、その生徒はその百冊近いノートを一冊ずつ、自分の部屋の床の上に丁寧に積み上げていきました。中一の最初の頃のノートはまだまだ勉強のやり方が充分身に付いてなかった事をあらわすかのように、買ったときよりも少し膨らんでいるぐらいだったけど、学期や学年が進んでいくとノートはどんどん分厚くなっていきました。
中三の二学期からの「公立模試用のノート」なんて、問題用紙も解答用紙も解説プリントも全部ノートに貼ったので、倍以上に膨らんでいました。
「百戦錬磨のノート」もかなり…。最初はそんなに高くなるとは思わなかったのに、積み上げるのに苦労するぐらいの高さになりました。最後の一冊を一番上に置いた時に見えたもの、それは、自分の身長と同じくらいの高さのノートでした。勇気が湧いてきました。
「自分は三年間、これだけの努力をしてきたんだ。自信を持って、入試に臨もう!」と。
その生徒は見事にトップ校に合格し、三年後の大学入試においても第一志望校に合格しました。
きっと東進での三年間でも自信と勇気をくれるノートを作り続けることができたのだと思います。
みなさんはどうですか? ノートを大切にしていますか?
ノートはあなたに自信と勇気をくれますか?
最近、痛切に感じることがあります。
それは「言葉が届かない」ってことです。
毎週の「朝礼や終礼」、さらには「授業中」に、先生たちはどんなことを考えながら皆さんに向かって話をしていると思いますか。
「今日はどんな話をしようかな。」「どうやったら、皆に伝わるかな。」
貴重な時間を割いて話をするわけですから、事前の準備は絶対に怠りません。時と場合によれば、1週間も、さらには1ヶ月も前から、その日、君たちに伝えたいことを必死に考えている時だってあります。ゼミのない日でも、街中でふっと見かけた光景に感じたことを、「よし!次のゼミで話すぞ!」なんて、四六時中、話題を探しているくらいです。
いざ話をしているときは「伝えたい」「届けたい」という気持ちが、あれこれ言葉を生み出してくれる。むしろ、先生たちが考えていることはたったひとつ。「誰が、一生懸命聞いていて、誰が聞いている“ふり”をしているのかな」ということが頭を過ぎります。
普段はどちらかと言うと、朝礼や終礼、授業など、「集団の中のひとり」として話を聞く場面が圧倒的に多いですよね。しかし、どんな時も先生たちは「ひとりひとり」に伝えたいと思って話をしています。しかし、聞く側からすれば「自分には関係ない」と思っている、いや、意識して「聞こう」としない人が増えているのかな、と思えてなりません。
「KY(空気を読めない)」という言葉をよく耳にします。
この言葉が流行りだしたのも、必然的のように感じています。つまりは「相手が何を言おうとしているのか」を理解しよう、つかもうとしない人が増えてきた。理解デキナイというよりも、理解シヨウとしない姿勢が、周囲の状況を読み取れない、相手の心を読み取れない状況を生み、その結果、空気を読めない人が増えてきたのかもしれません。
「以心伝心」という言葉があります。「考えていることが、言葉を使わないでも互いにわかること」「言わぬが花」「みなまで言うな」「行間を読む」など、様々な表現で言い換えられますが、これは日本が昔から大切にしてきたひとつの「文化」です。
学生時代は、教科学習とテストの点数で、「頭のいい人」といった優劣がつけられがちです。しかし、大人になればこの「空気を読む力」もあわせて求められます。思いやりのある人、周囲からの信頼を勝ち取れる人というのは、総じて空気が読める人です。
「ティエラ」には「空気の教育」という言葉があります。
ティエラのゼミは、単に教科学習をするだけではなく、この「空気を読む力」養う“特別な”場所です。校舎に入ってから、出るまで、全てが勉強なのです。
朝礼や終礼、授業中、テスト中、更には、休み時間や先生や友達と話をしている時、面談しているときや先生からの激励電話まで、ゼミには、皆さんが「成長」するためのチャンス、きっかけがたくさんあります。
まずは、次回のゼミから常に「先生は、どんなメッセージを伝えたいのだろう?」と、意識してみてください。
きっと、今までとは違った収穫があるはずです。何より、「空気の読める人」に、一歩近づくはずです。
「蚤」(のみ)という漢字は、「かきたくなるかゆい虫」という意味があるそうです。
なんだか名前を聞いただけでもかゆくなりそうですね。
ウィキペディアには「節足動物門昆虫網ノミ科に属する外部寄生昆虫」とあります。
「寄生昆虫」、つまり、自分で生活しないで人間や犬や猫、鳥などの体表に寄生して、その血をすって生活している昆虫なんだ。
今ふうに言えば、「パラサイト」、日本風に言えば「居候」(いそうろう)だ。二酸化炭素を感知して寄生する主人をさがして、そこにこっそりとすみつく。寄生主が死んだら別の主人を探して移動する。体長が0.9ミリ以下という小さなノミの、なんとも、しぶとい生き方がほほえましくもあります。
人間に寄生する昆虫として「のみ」と同じくらい有名なものに「しらみ」がいます。今はどちらも日常の話題に登場しなくなりましたが、「のみとしらみ」ほど、昔から人間に親しいものはありません。衛生状態が今よりも悪い時代は、日常の身近なところに「のみとしらみ」がいました。それでも、このふたり(?)は、人間にとってはずいぶんと違う印象で見られています。
しらみは「柔らかく、しめりがちで鈍い動きで、陰性」、のみは「固く、元気に飛び跳ねて、陽性」といった感じでしょうか。だから、人間に受けが良いのは「のみ」のほうです。そういえば、「のみの夫婦」とか「のみの心臓」とかいった言葉もあります。「のみの市」「のみのサーカス」というのもあります。
20世紀の初めまで「のみのサーカス」は実際にあって、人前で芸をするノミがいたそうです。
円錐の紙をのみにかぶせて、跳ねるのみがそれを動かして、観客にはのみが踊っているように見えるのだそうです。
また、こんな話もあります。のみをガラスの容器の中にいれふたをする、するとのみはジャンプする。何度も何度もジャンプするが、ふたを超えた高さまでは飛べない。やがて、ふたをとっても、のみはふたのところまでしか飛べなくなってしまう。「自分はこの高さまでしか飛べない」と思って(?)しまうのだそうだ。
教訓。
「人間ものみのサーカスのように、自分はこの程度だと決めつけてはいけない」
「人間は、自分で自分の限界を決めてしまったらそこで成長は止まる」
君たちの中にも、「自分はこの程度だ」と、自分で勝手にきめつけて、努力することをあきらめてしまった人はいませんか。
のみしらみ 馬の尿する 枕もと(芭蕉)
よい日やら のみが跳ねるぞ 踊るぞや(一茶)
「2010年の合格体験記」ができました。目標に向けて努力を続けた君たちの先輩たちの声です。だから、表紙に「TIERRA‘S VOICE」(ティエラの声)という名前をつけました。中には、体験した者にしか表現できない力強い宝石のような言葉が満ちています。「受験」という困難な時間の中を不屈の闘志を持って駆け抜けた先輩たちの声に、ぜひ、耳を済ませてみてください。これからの君たちに、大きなヒントと勇気を与えてくれるはずです。
先輩たちの声を拾っていくと、受験を勝ち抜いた先輩たちに共通していることが二つあることに気づきます。一つは、目標を早く決めること。そして、もう一つは、受験勉強を早くスタートすること。これだけです。な〜んだ、そんなことかと思う人もいるかもしれませんね。でも、このことがなかなかできないのです。
受験合宿での先生たちの言葉に元気をもらって奮起した先輩たちは少なくありませんが、去年、飯綱高原で行われた高校受験準備合宿で土井先生は、中学1・2年生に「受験はピストルの鳴らないマラソンのようだ」と語りかけました。志望校を早く決め、受験勉強をスタートさせることの大切さを最終日に話しかけたのです。受験は、運動会の百メートル競走のように、「そろそろ受験ですよ〜」「みんな位置についてください」「よ〜い、ドン」と、全員によびかけ、スタートの合図のピストルを鳴らしてはくれません。受験のスタートのピストルを鳴らすのはだれか。それは自分しかいません。
受験では、早い時期に心に決めた「意中の中学」、「意中の高校」、つまり、第一志望校が決まっていなければなりません。「大学受験は高一の春が天王山」という言葉も、そのことの大切さを表現した言葉です。そろそろ夏。ここにも有名な言葉があります。「夏を制する者が受験を制する」です。長い夏休みをきちんと計画的に充実させた者が「受験」を制することができるのです。
竹はしなやかで強い植物です。
大きくなるにつれて、たくさんの「節」をつくって成長していくからです。
一つ一つの節目が竹を強くしています。
人間も竹と同じように「節」をつくって成長していくのではないでしょうか。
その証拠に「節目」ということばがあります。物事の区切りの事を言います。
小学生の時代、中学生の時代、 高校生の時代、大学生の時代、社会人の時代、壮年期の時代、 老年期の時代。その区切られた時間の中で一つの事を成し遂げて 「節目」をつくり、次へと大きく成長していくのです。
五月晴れの空に鯉のぼりが風に泳いで、木々の緑がいよいよ濃くなる気持ちのいい季節です。そんな季節に今年も、たくさんの会社で「入社式」が行われました。社会人としての第一歩を踏み出して、ひとりひとりの新入社員が社会人としての責任、企業人としての責任、社会的責任を背負う第一歩の日。社長さんから激励の言葉が贈られます。そんな中、ある社長の言葉が印象に残りました。それは「自分の人生を切り開いていける人間になってほしい」という言葉です。ユニクロの柳井社長の言葉です。とてもいい言葉ですね。
社会人になるということは、親の世話にならないで一人で飯を食うことができることだと思います。そして、社会の一員として未来の日本、あるいは未来の世界をつくることに参加するということです。やがてひとりの社会人となる日のために君たちの今があります。では、社会人になるためには何が必要か。『社会人に必要なことを3つあげてください』という面白いアンケートをある生命保険会社が行っています。多くの大人が社会人としてこんなものが必要だよ、と答えたものが次の十項目です。(多い順)
【1位 協調性があること 2位 素直であること 3位 向上心があること 4位 我慢強いこと 5位 頭の回転が速いこと 6位 環境に適応するのが早いこと 7位 仕事に情熱があること 8位 臨機応変であること 9位 空気が読めること 10位 精神的にタフであること】(ライフネット生命保険/2009より)このアンケート結果をみなさんはどう思いますか。
人間の「能力」には二つのものがあると言われています。一つは「ability」(アビリティ)、もう一つは「competence」(コンピテンス)です。どちらも「能力」という意味なのですが違います。
アビリティとは、「成績がよい」「英語が話せる」「資格をもっている」パソコンができる」といった能力。勉強や学習を通して習得できる能力。自分ひとりでも発揮できることから、「個人的能力」と言ってよいでしょう。それに対して「コンピテンス」とは、「コミュニケーション力」「リーダーシップ」「協調性」「向上心」「社会常識」「積極性」といった能力。さまざまな経験や体験を通して身につけることができる能力。他人との関わりの中で習得され、発揮される能力であることから「社会的能力」とよぶことができます。
どちらも生きていく上でかかせない能力なのですが、アビリティが比較的習得しやすいのに比べて、コンピテンスのほうが習得するのが難しいことがわかります。それはコンピテンスが、さまざまな体験を積み重ねて習得していく能力で、長い時間が必要だからです。そして、「おやっ」と気づくことがもうひとつあります。それは、前の「社会人に必要なもの3つのアンケート」に出てきたベスト10のほとんとんが「コンピテンス」に属していることに気がつきます。
ティエラの会員なら誰もが参加してほしい夏の合宿は、この「コンピテンスの育成」を大きな目的として実施しています。「さまざまな経験や体験を通して身につけることができる能力。他人との関わりの中で習得され、発揮される能力」を合宿の場で身につけてほしいのです。他人と交わり、他人と積極的に関わることで、他人にもまれながら、他人に学び、他人に鍛えられて自分を強くしていく。そうした、社会人になるために必要なものが「合宿」にはあります。
自分で持ち物を準備して住み慣れた居心地のよい家を出るところからスタートする合宿。親と子が離れ離れとなり、互いが「親離れ」「子離れ」をする。自然と一つになったり、海外の家庭を体験したり、いつもと違う勉強空間の中に自分を置いたり、違う仲間と違う場所で寝食を共にしながら自分を感じる体験。心と身体と視野の開拓。
合宿は不自由な空間です。なぜなら、居心地のよいいつもの住み慣れた家を出て、知らない他人と一緒に生活を共に過ごすからです。好きなときに好きなものを食べ、好きな時間に寝るといった自分のペースだけではだめで、協力しあい、時にはがまんすることも必要です。ストレスに耐え、予測しないことにも出くわします。それでも、仲間と共に何かをする喜びや、これまで体験したことがない感動や喜びに涙を流すこともあるでしょう。「合宿が自分を大きく成長させてくれた」と多くの先輩が語り伝えてくれています。そうした合宿だからこそ、「コンピテンス」を身につけることができるのです。
この夏の合言葉は「コンピテンスに挑戦!」
教室によって今春の合格者が貼り出されているところもありますが、よく見ると最近では女子生徒の名前で「●子」という名前が少なくなっていて「●子」を探すのに苦労しますね。
中国の孟子や荘子を含めて賢者には「子」がついていました。そのルーツで中国から流れてきて平安時代の日本では貴族の女性に「子」がついていることが多かったように聞いています。
だから「●子」はその昔は高貴な名前だったように思われます。
時代の流れもあるのでしょうが、「●子」の名前を見つけるとほっとします。なぜか??理由は読みやすいからです。
先生が人生のなかでどうしても読めなくて、後で感心した名前があります。
それは「不思議」ちゃんでした。女子の名前ですよ。
皆さんは読めますか??案外ユーモアのある名前です。
誰が名付けたのか知りたいくらい後でなるほどと思える名前です。
答えは言いません。考えてください。
どんな人生を歩んでいるのか分かりませんが、何事にも疑問を持ち続ける人になっているのでしょうか。
名は体を表すとも言われますが、多分、常に疑問を持って生きて欲しいとの願いが込められてつけられたのではないでしょうか。名前は両親からもらった人生最初のプレゼントですよ。君たちは大切にしていますか。傷つけるようなことはしていませんか!両親がこれからの人生を生き抜くために付けてくれた大事な名前通りに生きていますか?
案外、気にもしなくてこれまで生きてきた生徒が多いのではないですか?
今、教室に名前が「観未加」という生徒がいますが、この生徒も読めませんでした。多分、読める人はいないでしょう。両親はどんな思いを持って名前を付けられたのか興味があります。
君たちも一度、両親に名前の由来を聞いて両親の思いを聞く時間を作ることも大切ではないでしょうか。
改めて自分自身に自信を持てるようになる気がするのではないでしょうか。将来の日本を背負っていける名前があるのかも知れませんね。
友達の名前にも興味を持つきっかけになり、会話も弾むこともあるでしょう。
知られざる友達の名前の由来に出会えることを楽しみに!!
頭が良くなりたい。賢くなりたい。と皆さんは思っていますね。ではどうすれば頭が良くなり賢くなるんでしょうか?
人間の体は細胞で出来ています。その数は50兆個〜60兆個、とてつもない数です。頭 (脳)にはどれくらいの細胞があるかわかりますか、数千億個と言われています。体の細胞は一つ一つが独立して存在していますが、脳の細胞(神経細胞というのですが)はいくつかの細胞とつながっています。このつながり神経回路が大切なわけです。
人は体の成長とともに脳も成長します、といっても脳の場合は細胞の数が増えるわけではありません。子どもも大人も同じくらいです。では脳の成長とは?一つ一つの細胞のつながりが有効につながっていくかどうかなんです。自分にとって不必要な情報はこのつながりの中から消去されます。(これが覚えられない、思い出せないということなんです。)神経細胞のつながりは、記憶しようとしたり、考えたり、思考したり、すればするほど強化されます。このことが脳を成長させます。
テストで、ちゃんと勉強したはずのことが思い出せず、「ここまで出ているのに!」という悔しい思いをした経験は、皆さんもあるでしょう。覚えた情報をうまく思いだせなかったわけです。つまり、忘れたわけです。忘れないための基本は、何回も書くことです。書いて、書いて、書いて、・・・。
問題を解いたり、本を読んだりしているとき、「脳」はフル回転しています。頭の中でいろいろと想像しているので「脳」のあちこちを刺激しています。このときまさに「脳」は成長しています。テレビやゲームは一方的に情報を受け取るもので、思考を停止させます。
どうしても覚えられないと嘆いている君にちょっとアドバイス。勉強したものが記憶できるのは眠る前に学習したことだそうです。知っていましたか? 記憶と眠りには密接な関係があります。皆さんは夢を見たことありますよね。あの夢も記憶のひとつなんです。新しい知識を身につけるためには、覚えたその日に6時間以上眠ることが必要だそうです。眠っている間に大脳の中でしっかり保存されます。
眠る前の2時間から眠るまで、特に就寝直前の15分は眠っている間に記憶できる最良の時間だそうです。寝る前にテレビをみる、ゲームをする、などということは脳を鍛える上では最悪ですよね。
考えたり、覚えたり、脳は使えば使うほど成長します。使わなければ退化してしまいます。特に10代の小学生、中学生の間が最も脳が成長する時です。くれぐれも脳の細胞(神経細胞)を孤立させないようにしてあげてください。