140811毎年8月14日が近づくと、必ず思い出すことがあります。
それは先生が初めて海外に行った時のことです。

先生は大学の留学プログラムを利用して20歳の8月14日にアメリカに行きました。アメリカは日本の国土の約26倍。国内は飛行機で移動するのが当たり前の国です。
先生が目指す大学はアメリカ中部にあり、成田空港を出発した後、一度アメリカのシカゴ・オヘア空港というところで飛行機を乗り換えなければいけませんでした。
シカゴのオヘア空港には次の飛行機が出発する3時間ほど前に到着していましたが、飛行機を降りると入国審査を待つ人たちで長蛇の列。入国審査を通過するのに2時間くらいかかりました。
待っている間も乗り換え時間のことばかり考えてしまい、不安で仕方がありませんでした。

結局、その先の税関を通過した時には次の飛行機の出発時間まで1時間をきっていたため、急いで次のゲートに向かいました。しかし、空港が広すぎて自分が次にどこへ向えばよいのかわかりません。まるで迷子になった気分で近くにいる人に自分のチケットを見せては道を聞き、空港内をぐるぐる歩き回りました。
出発ゲートに到着したときには予約していた飛行機は既に飛び立っていました。自分の無能さに嫌気が差し、飛行機のチケットも買いかえなければいけないな…と諦めつつ、航空会社の人に話をすると、即答で「次の便に乗るといいわよ!」と言われ、新しいチケットを手渡されました。何だかバスのチケットでも予約していた感覚でした。
さすが飛行機社会のアメリカだなと感心するとともに、経験がないとちょっとしたことでも悩んでしまうのだな…と感じました。

自分が行ったことがない場所へ行ったり初めてのことに挑戦すると、多少は焦ったり居心地が悪く感じたりします。しかし、新しい場所へ行けば必ず楽しいことや新しい出会いが待っています。多少の不安や居心地の悪さを理由に、心地よい場所に居つづけていても成長はありません。
人は経験を積むことによって心に余裕が生まれ、さらに行動的になれると思います。勇気を出し前に進まなければいつまでも弱い自分のままです。

若いうちに色々な経験を積んで、心に余裕を持った強い人になっていきたいですね。

140804一昨年、東北地方を襲った東日本大震災による甚大な被害を受けてから、原子力発電に対する考え方が大きく変わりました。
結論からいえば、まだ人類が手を出してはいけない領域だったのではないでしょうか。
現在では、原子力に変わる様々な発電方法【再生可能エネルギー】が検討されていますが、必要とされる電力を安定して供給できる手段はまだ確立できていないのが実情で、原発再稼動に向けて着々と準備が進んでいます。

おなじ原子力を使うのですが、まったく新しい研究も進んでいます。
『核分裂は制御できないが、核融合は制御できる』まったく発想の異なる、安全な原子力エネルギーがあるのです。九州地区のみなさんは実際に見学した人もいると思いますが、今注目を集めているのは『核融合プラズマ発電』です。
九州大学を見学した際には100年先のエネルギーだと聞いたのですが、2019年の運転開始を目標に、今年の1月に核融合実験装置の建設がスタートしました。この発電は核物質を必要としません。およそ150トンの海水から、日本の全人口が1年間に消費する電力を作り出すことができるのです。
莫大な予算や難しい技術など解決しなければならない課題はありますが、普通の海水から電力を得られる。これが実現したら、エネルギー問題は一気に解決です。

先生が子どものころ、一人ひとりが電話を持って通話したり、タブレット端末を見ながら授業を受けたりすることは、まったく考えられませんでした。こういった新しい道具や、先に話した新しい発電方法などは、何もない中から発想する力が不可欠だし、そういった人材がたくさん必要になります。

みなさんには勉強を通して、そういった力をつけていってほしいのです。世界中の多くの国で電力の心配がなくなる未来を想像したとき、なんだかワクワクしてきませんか。世界がひとつになって宇宙に飛び出す時代がくるかもしれません。

みなさんには、そういった新しい社会の中心にいてほしいと願うばかりです。

140728昨夜、家に帰ると庭の木にセミの幼虫を発見しました。

セミの脱殻ではなくセミの幼虫、そう動いているのです。羽化する前のセミの幼虫を見るのは先生も初めてで、30分ほど観察してしまいました。
セミの幼虫は一生懸命、上へ上へと登っていきます。まるで土の中での今までの生活を振り返るように一歩一歩ゆっくりと。

今朝、その幼虫は無事に脱殻になっていました。一晩かけて立派な成虫になったのでしょう。もしかすると今、先生の頭の上で鳴いているセミが、この脱殻の主かもしれないと考えると、なんだか嬉しくなってきました。

セミは種類によっては地下で17年間も生活します(アブラゼミは6年)。その間、長い口を木の根にさしこみ、道管より樹液を吸って成長します。もちろん安全な生活ではありません。地下といってもモグラ、ケラなどの天敵がいます。
中には菌類に冒されて死ぬ幼虫もいるそうです。そんな苦労を乗り越えて、ようやく日の当たる地上の世界に出てきても苦労は絶えません。成虫にもクモ、カマキリ、鳥などの天敵がいます。
しかも、寿命は残り1ヶ月(成虫期間は1・2週間ほどとよく聞きますが、これは成虫の飼育が難しくすぐ死んでしまうことからきた俗説です)。

この期間に子孫を残すために、オスのセミはパートナーとなるメスのセミを探します。1ヶ月以内に『お嫁さん』を見つける確率は何と60%。4割のオスのセミは子孫を残すことなく死んでしまいます。何とも辛い「人生」、いや「セミ生」ですね。

君たちをセミに例えると、今は幼虫期となります。学生時代を幼虫期とするならば、幼虫の期間はおよそ20年。そして、その後の人生は平均寿命で考えても60年以上あります。本当に幸せですね、その長い成虫期間(大人の期間)を充実した日々にするためには、やはり今が大切です。
何事にも本気で取り組み、しっかり成長していきましょう。

この夏休み、懸命に生きているセミに負けるな!

140722昨日(7月21日)は海の日でした。
いよいよ夏がやってきますね。

夏が来ると、先生が小学生の時に夏休み限定で通った水泳教室を思い出します。

その水泳教室は、昔からある水泳教室で、昔は海で行われていました。先生の時代は近所のプールで行われていました。「平泳ぎ」と「立ち泳ぎ」を教えてもらえます。
いくつか「級」があって、はじめは何泳ぎでもいいから25mおよぐこと、それができたら平泳ぎで100m、300m、500m、1000m。1000mまで泳げたらやっと立ち泳ぎを教えてもらえます。立ち泳ぎを教えてもらうプールはなんと水深2m。足がつきません。

教えてもらうといっても、手取り足取り教えてもらえるのは最初だけ。
あとはひたすら半日、泳ぎ続けます。

先生は最初25m泳げるのがやっとでした。
平泳ぎなんて、手と足がうまく動きません。

でも、泳ぎ方を教えてもらうのは最初だけなのです。
ですから見よう見まねで平泳ぎを覚え、ひたすら半日泳ぎながら力の抜き方、リズム、スピードを工夫し、体で覚えました。

100mまではなんとか進みました。次は300m。何度も300mに挑戦します。しかし、100m泳いだところで、とてつもない疲れと限界を感じ、足をついてしまいます。

ある日、「きつさをなんとか我慢して100mを越してみたらどうなるのか」そう思って、必死に手を、足を動かしました。何度も死ぬかと思いながら。150mを越したとき、ふっと手と足が軽くなりました。それから、一気に300m泳ぎました。

「ランナーズハイ」そんな言葉を聞いたことがありませんか。
まさにその瞬間だったと後になって思いました。
限界を越した瞬間、できるようになる。新しい自分に出会える。

夏期講習会が始まります。
目標やなりたい自分にたどり着くまでに、壁が訪れるかもしれません。

その時に、手を、頭を必死に動かしてみてください。必死に。

そうすれば、必ずできる自分にたどり着けます。

自分の力を信じて、頑張り抜く夏にしましょう!

140714「地震・雷・火事・親父」、昔から言われている4大怖いものです。どれも遭遇すると大きな被害を及ぼしたのでしょう。

昔の人は一般的な知識で説明や理解ができないこと、つまり不思議なことは恐ろしいことだったのです。その最たるものが地震と雷だったのでしょう。生きていくための基盤である大地が揺れる、地形が変わる、甚大な被害をもたらす、生命が脅かされる、世の中にこれほど怖いものはなかったにちがいありません。兵庫県や東北地方の地震被害の大きさは君たちも知っているとおりです。落雷自体はある一点に限られますが、夜中でも昼間のように明るくなる異常現象、この世のものとは思えぬ轟音、しかも結構長い時間ピカッ、ゴロゴロ、バリバリとそこらじゅうで言っているわけですから、たまりません。邪神・悪魔、あらゆる悪者が迫ってきていると考えたのでしょう。

さて、時が経てさまざまな不思議も科学的に説明できるようになりました。一部予報もできるようになりました。オヤジもずいぶん優しくなってきたようです。

君たちは毎日、家庭学習をし、週末にはティエラの教室に通ってきて勉強していますが、勉強と学力の間には何の「不思議」もありません。手を抜いたり、油断したりしていると間違いなく成績は下がっていきます。参考書で調べたり、ノート作りをする、問題を解く、これらが長時間であったり、多かったりすればきちんと学力はついていきます。

もちろん学習時間が「時間つぶし」では学力はつきません。かたちだけでなく、中身をいかに濃いものにしていくかが大切です。ゼミや講習会の教材、webテスト、さらに夏合宿など君たちの学力アップの道具はそろっています。目標があり、それを実現するための準備は整っている、であればもう「怖いもの」はありません。どんどん挑戦していきましょう。

梅雨のこの時期は雷を伴う大量の雨も降り不安定な気候です。体調に気をつけよう。地震は起こらないでほしい。火事はしっかり用心しよう。時々は恐ろしいオヤジ(オフクロでもいい)に出動を願って刺激してもらうのも良いかもしれない。

勉強に「不思議」はない。頑張りが良い結果を生む。これは昔から変わりません。

140707フレディ・ノック氏という冒険家を知っていますか。
彼は11歳から高所の綱渡りを始めました。 その後、スタントマンとして空中曲芸や曲芸バイクなどを披露するなど人々を驚かせてきました。彼が46歳の時、ドイツ最高峰のツークシュピッツェ山という標高2,962mの山に渡されたケーブルカーのロープ上を綱渡りするという無謀なチャレンジをしました。ロープの長さは995m。ロープの直径はわずか5cm。
山頂のため、いつ強風が吹くかわからない状況の中で、命綱もバランス棒もなしで挑戦したのです。彼は90分もの時間をかけてなんとか渡りきりました。

皆さんは綱渡りをしたことがありますか。
空中に張った1本の綱の上を歩く曲芸です。
綱渡りをする時は、普通は綱や足元の状態が気になり下を向いてしまいます。
しかし、下を向いたとたん恐怖で、足ががくがくと震えるようになり、すぐに落ちてしまうのです。綱渡りのコツは下を見ず、顔を上げ、前をしっかり見ることです。
たどり着きたい場所を見つめ、前に前にゆっくりでもいいので進んでいくのです。

人生も綱渡りに似ています。
下を向いて歩いていると、自然と悪いことを考えるようになります。
「失敗したらどうしよう、できなかったらどうしよう」など、悪いことを考えるようになります。下を向くから、考え方も下向きになるのです。
まずはしっかり顔を上げることから始めましましょう。
そして、まっすぐ前を向き、目標を見つめてゆっくりでも良いので次の一歩を踏み出していきましょう。

140630皆さん、7月7日は、何の日か知っていますか?そう『七夕』ですね。

七夕とは、「織り姫と彦星が1年に1度だけ出会うことができる日」というお話がある日ですね。一般的に知られているこの物語は、奈良時代に中国から伝わってきた神話と日本古来よりあるお話が結びついて出来たと言われています。

では、なぜ、「七夕」を「タナバタ」と呼ぶのでしょうか?
712年に作られた日本最古の歴史書である古事記には、「多那婆多(たなばた)」という言葉が、「織女(着物などを織る女性)」という意味で使われています。
昔は7月7日に着物などを織る女性が着物を織り技術の上達を願う乞巧奠(きこうでん)というお祭りが行われていて、そこで使われる織機が棚機(たなばた)と呼ばれていました。これが時代の移り変わりと共に、七夕へと変わっていったと言われています。

現在の形になって広まったのは、江戸時代に寺小屋(今でいうところの学校や塾のようなもの)の普及に伴って庶民にも広まるようになり、習字やそろばん、裁縫の上達を祈るようになりました。

こうして調べていくと、今の七夕の原型は、学業は、自分の仕事の技量の上達を願うことを祈るお祭りだったのです。

皆さんも、短冊に頑張りたいことを書いてみましょう。自分の目標は、紙に書くことにより、より強い目標へとなっていきます。紙に書くことにより、目標を達成するためのきっかけとなるのです。

もうすぐ、夏期講習会が始まります。能開の講習会では、自己新記録をめざす講習会となります。
自己新記録を達成しようとする皆さんにこの言葉を送ります。
『かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ、かつてない革新からは、かつてない飛躍が生まれるのです。』
この言葉は、パナソニックの創業者である松下幸之助(よく神様と言われている人です)の言葉です。意味は、「人は経験したことのないことを経験すると、その先には必ず大きな前進がある。自分の許容範囲を超えた事態が起きると、誰もが真剣に考え始め、持てる能力を最大限に活用して動き始める」です。
実は、そんな時こそ自分を一気に成長させるチャンスなのです。
皆さんが自己新記録を達成していくために迎える困難は、様々だと思います。困難を自ら経験し、飛躍するチャンスに、この夏をしっかり活用してください。

さぁ、自分の目標をしっかり紙に書いて、気合を入れてこの夏のスタートを切っていこう!!

140623世間はすっかりワールドカップ一色ですね。
日本代表は厳しい状況ですが、選手たちのがんばりに、先生は勇気をもらっています。 

今回のW杯はブラジルで開催されていますが、実は日本でも開催されたことを知っていますか?

日韓ワールドカップといって、2002年に開催されました。日本でW杯が開催されるということで、ある出場国が試合前の『合宿』を日本の和歌山で行いました。

『デンマーク』という国です。北海道の半分くらいの大きさの小さな国です。
デンマークが和歌山を選んだ理由、それは日本の真ん中くらいで空港(関空)に近いから・・・それだけの理由だったらしいです。

和歌山の人々は、スター選手も少なく、どんな国かよくわからないデンマークの練習を、野次馬感覚で見に行ったそうです。
最初は数百人・・・。しかし、人数が増えていき、1日で2000人・3000人とどんどん増えていきました。その背景には、デンマーク人がめちゃくちゃフレンドリーで、サインや写真はもちろん、子ども達とサッカー教室なども開き、練習を非公開にする国が多い中、日本人との交流を大事にしました。

日本の礼儀にも関心を見せ、食事の際に、手を合わせ『いただきます』と『ごちそうさま』を行ったそうです。選手の中でも率先して、『いただきます』を行った選手がいました。
その選手の名前はトマソンといいます。

トマソンはある日、地元の人たちとの握手会である少年と出会いました。
その少年は握手せずに、もじもじしています。そして一枚の紙をトマソンに見せました。

『ボクは小さいころに、病気にかかって口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです、頑張ってください』

突然トマソンは手話でその少年に話し始めました。少年もその母親も後ろに並んでいるたくさんの人たちも驚きました。実はトマソンには少年と同じように耳が不自由な姉がいたそうです。

手話で会話するうちに、トマソンは少年に約束をします。
『君が自分の人生をがんばれるように、試練を乗り越えられるように心から祈っています。そして、ボクは君のために必ず1点獲ります。』

そのやり取りをみて、その場にいた人たちは涙を流したそうです。

デンマークの結果はというと、ベッカム率いるイングランドに負けてしまいましたが、トマソンは1点どころか4得点の大活躍だったそうです。

デンマークの選手達は試合後、再び和歌山を訪れ、パーティを開いたそうです。
地元に人がたくさん参加するなか、トマソンはあの少年を見つけました。

トマソンは少年に言いました。
『君には試練が与えられている。それは神が決めた事であり、今からは変えられない。
神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスをくれるはずです。そのチャンスを逃さず、ゴールを決めてください。』

君たちにも、さまざまな試練があるはずです。そしていろんなチャンスが与えられています。それは、普段の生活の中にあるかもしれない、この能開に通っている事がチャンスなのかもしれない。また、講習会や合宿の中でチャンスをつかむことができるかもしれない。

そのチャンスをつかみ、試練を乗り切るために、決して中途半端で終わらず、ゴールを決めてください。そうすれば、さらに上へ進むための新しい道を見つけることができるでしょう。

140616先生は、一度安土城址を見に行ってみたいと思っています。できれば、今月にでも…。

安土城をつくった織田信長は人間的な魅力にあふれています。肖像画などを見ると、西洋風の甲冑を身に着けて、華やかな人というイメージですが、基本的には彼の人生は不安の中で生きた50年だったと思います。すべてを否定しながら、ひたすら走り続けた。その信長がつくった城ですから、安土城は、さぞ華やかな城だったのだろうと思います。

信長のすごさは、柔軟性ではないでしょうか。
天下統一まで“ほぼ”ノーミスで行った男、それが信長です。
それを可能にしたのは、彼の限りなくやわらかい頭脳だったのではないでしょうか。
よく言われることに、
「信長は桶狭間の戦いで小兵力で大兵力を破る奇跡をおこしたが、その後は同じ手を二度と使っていない」
普通の人であれば、一度成功したら味をしめるものですが、信長はそうしなかったのです。
また、信長は「楽市楽座」をおこなっていますよね。
たとえば、物価が上がって庶民が困っている。普通の武将は「物価を下げよ」としか言えません。物価は自由競争をさせれば下がります。しかし、武将はそんなことは知りません。信長は違います。これを知っていたのです。そして自由競争を実現させたのが楽市楽座です。

これからの日本には強い責任感と、統率力を持った魅力的なリーダーが必要と思います。リーダーは人を束ねていかなければなりません、そのためには相当な覚悟と人間力が必要です。

はじめに信長は不安の中で生きた50年だったと言いましたが、先生なりに言えば、不安の中でこそ、ものごとは成しえるのかもしれません。生きた心地がしない、ちょっと大げさですが。そんな毎日だからこそ、まったく新しい感性が生まれてくる。「つくる」という行為には、常に苦しみがともないます。

勉強も同じで、1学期に光はなかなか見えないかもしれませんが、それでも光は自分で探さないといけないと先生は思います。

週1回のゼミで競争心と緊張感、そこから生まれる信長のような大胆な発想を感じ取ってみなさん1学期から夏へ、そして2学期へと進んで行って下さい。応援しています。

140602いや~、暑い日が続いていて、季節はすっかり夏ですね。
外を歩いているとあまりの暑さにフラフラになってしまいます。
なるべく太陽の光を直接受けたくないので、信号を待つときも街路樹の陰で待っています。
そんなときに、ふと青々と茂った葉を見上げると、先日聞いた話を思い出しました。

「植物には芽・花・実・葉・穂がありますね。顔にも目・鼻・耳・歯・頬があります。
目と芽、鼻と花、耳と実(み)、歯と葉、頬と穂(ほ)。
漢字で書くと別々のように見えますが、
同じ音を持つ言葉で呼ばれているのは偶然でしょうか?」

う~ん、確かに言われてみれば人間の顔のパーツに使う言葉も、植物のパーツに使う言葉も同じ音を持つ言葉ですね。
言われるまで気づきもしませんでした。とても偶然とは思えませんねぇ。

「じつは、古代の日本語(『やまとことば』といいます)では、「め」「はな」「み」「は」「ほ」のそれぞれの組み合わせは同じ語源なんです。

例えば、鼻と花。
鼻は顔の真ん中に突き出ています。
花は植物の枝先の先端に咲きます。
はなは「端」とも書き、「最初」や「先端」を意味します。
「はなから」や「しょっぱな」という言葉は聞いたことがあると思います。

「からだ」の「から」は「幹」で、手足は「えだ」と呼んでいたそうです。
今のように「手」と「足」と分けて呼ぶようになったのは奈良時代のことです。

このように、遠いご先祖様は人間も植物も同じものだと考えていたんですね。
全ては同じ生命であると。」

ほほ~っ!
たしかに、漢字はあとから中国より伝わってきたものですから、もともと使っていた古代の日本語に当てはめていったから「め」が「目」と「芽」に別れたんですね。

この話を聞いて、昔の人は本当に自然とともに生きていたんだなと思いました。
自然と向き合い、自然を感じ、自然を想って生活していたのですね。

今の君たちに「自然と向き合え」「自然を感じろ」と言っても、「そんな暇なんて無いですよ!」と言うかも知れませんね。
たしかに、1学期も折り返し地点を過ぎ、ゼミの内容は学校のはるか先を進んでいます。
全く学習していないテーマを、参考書を片手に必死になって予習しているわけですから、時間もかかって当然です。
完璧にできなくて悔しい想いをしている人も多いかも知れません。
でも安心してください。
能開は「くり返し学習」ですから、これからの夏期講習会や2学期のゼミでもう一度同じテーマを学習していきます。
そうしてくり返すたびに、力が伸びていることが実感できるでしょう。
予習の時間も短くて済むようになります。
時間と心にも余裕が出てきます。そのときにはぜひ自然を感じて欲しいですね。

ちなみに「み」は2つあるから「耳(みみ)」、「ほ」も2つあるから「頬(ほほ)」と呼ぶそうです。
なるほど。たしかに「め」も小さい子には「御目々(おめめ)」と言いますね。