141020皆さんこんにちは。
先日の台風では進路の予想や各地の状況がリアルタイムで分かり、早めの対策がとれたそうです。
今はパソコンだけでなくスマホやタブレットなども出回って、ネットでいろいろなものごとを見ることができます。便利になりましたね・・・。
ネットにある動画もすごいですね。「ハプニング映像」や「かわいい動物の寝顔」など、少し前まではテレビで特集がある時ぐらいしか見られなかったものが、ネットでは映像で出回っています。
ドラマや映画も検索するとたくさん出てくる。どんどん見ていくと時間を忘れてしまうなどの悪い影響もでます。
今は、ネットで買い物もできますね。ユニクロの服もお店に行かなくてもぴったりのサイズを見つけられたり、なんとメガネまでもお店に行かなくても買えるらしい。

そして、見たり買ったりした人がコメントをするんだね。「いいね!」だけでなく感想などを書いて、別の人がそれを参考にして、また見たり買ったりする。

ただ先生は、あのコメントを見ていて、時々「ん?」と思うときがあります。
確かに参考になる感想もあるけど、「おもしろくない」とか「見て損した」とか、自分勝手だなぁと思うコメントもけっこうあります。

先生はそういうコメントを見て「ちょっと待てよ~」と思うんです。
「見ようとか買おうって決めたのは自分でしょ?」と思うのですよ。
自分で決めたのに、物や他人のせいにしているんじゃないの?と感じるんですね。
中には「二度と見ない・・・」なんて書いてある時もあって、神様にでもなったの?という感じですよね。

ある学者さんによると、テレビやネットの普及にともなって、こんな人が増えてきたそうです。
「自分の意見は言うくせに、人の話しを聞かない人」
「面白そうな話しには加わってくるが、まじめな話しになるとどこかに逃げていく人」
原因の1つには、「便利さ」があるそうです。
先生もそう思います。

簡単に見れたり、簡単に買えたりする。そんな簡単に手に入ったものだから大事にしないんです。
いつでも話せたり、入力したら教えてもらえたり、四六時中メールができたり。
便利で困らないから、自分勝手になってしまうんです。

今、中3や小6の受験生は入試問題と戦っています。
時間制限があり、何が出るか分からない、色んなテーマが混じりあった入試レベルの問題。
「あと1点」を手に入れるのがすごく難しいんですよね。

時間がたっぷりあって、分からないところは誰かに聞けて、思い出せないときはヒントをもらえて、簡単に点数が取れたらどんなに楽なことか・・・。

でも、よ~く考えてごらん。
簡単に手に入った1点は、大事にできないんです。
自分の中に残らないから、次出てきたらまた間違えるんですよ。
苦労して、きつい想いをして手に入れた1点だから大事にできる。
ずっと残っていくんですね。自分の中に残っていくから、点数が伸びていくんですよ。

さぁ、楽をしていろんなものが手に入る便利な時代。
こんなに便利で、いいんですか?
楽しいことだけやって、自分勝手に言いたいことだけ言って、あとは知らな~い。
そんな人だと思われて、いいんですか?
1つ1つを大事にして、自分の中に残していく。そんな1日にしましょう!

141014「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」などのアニメ映画で有名な宮崎駿さんのことは、皆さんも知っていると思います。
宮崎さんは「風立ちぬ」を作った後に、惜しまれながらも引退を発表しましたね。

その宮崎さんが実写映画を作っていたことを、知っているでしょうか。映画の名前は「柳川掘割物語」(1987年)といいます。『火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』の高畑勲さんが監督をつとめ、宮崎さんは製作責任者として関わりました。

柳川掘割物語は一人の男の信念の物語です。今から30年ほど前の日本が高度成長期に、福岡県の柳川市で水路(掘割)の埋め立て問題が起こりました。水質汚染や不法投棄で水路がゴミだめになって悪臭を放ち、大量の蚊が発生していました。そのため住民からこんな水路はいらないから埋め立ててしまおうという声がでたのです。

大勢の人がそれに賛成しました。悪臭の元がなくなって水路が道路になれば、住民の生活も便利になります。しかしそれに反対したのが、広松さんという市役所の係長でした。

昔から柳川の人々は町中に水路をめぐらし、そこに川の水や雨水を流すことで、農業用水や生活用水として利用してきました。少ない水を大切に使い、自然と共存してきたのです。しかし、高度成長と共に人々は忙しくなり、水路とのつきあいを忘れ、川や水路を守るという手間を怠ってしまったのです。

係長の広松さんは、水路の埋め立てに反対し、市長に直訴しました。そして住民の協力が必要だと考え、水路の大切さを町内会で訴えました。2年間で100回以上です。さらに自らが先頭にたって、ドブ川となった水路を掃除したのです。その真剣な姿を見た住民も次第に協力し始め、一緒に水路を掃除するようになり、ゴミも捨てなくなりました。水路は少しずつ昔の美しい姿を取り戻し、人々は再び水路と共に生きるようになったのです。埋め立て計画は中止されました。

たとえ大勢の人に反対されたとしても、自分の強い信念に基づくものであれば、広松さんのようにそれを貫くのも大切な生き方です。もちろんそのためには、周囲の人を説得するための深い思慮や熱意、行動力が必要です。信念を持つことの大切さと難しさを、皆さんも一度考えてみてはどうでしょうか。

141006残すところ今年もあと3ヶ月となってきました。
よく言われることですが、「あと3ヶ月」と書きましたが、「まだ3ヶ月もある」と考えることもできます。しかし、受験生の人に限らず、やるべきことがたくさんあると感じている人ほど、「あと3ヶ月しかない」と悩んでしまいがちですよね。
そういう人に、是非、知ってもらいたい考え方があります。

その考え方は、「論語」という書物に出てきます。
昔、中国に孔子という偉い人がいました。この書物は、その孔子と高弟の言葉や行いを、その弟子たちが記録したものといわれています。
「論語」という書物に出てきます、と言いましたが、先生も、論語自体は読んだことがありません。色々な本で読みかじっただけです。すばらしい教訓がたくさん詰まった論語ですが、今日はその中の一つを紹介したいと思います。

孔子の弟子に司馬牛と子夏いう人がいました。あるとき司馬牛が「他の人には兄弟がいるのに自分にはいない」と悩んでいました。すると、子夏は「死ぬも生きるも、富むも貴きも、すべて天命によるもので、人力ではどうにもならない。君に兄弟がいないのも天命だろう」と言いました。
この話が伝えているのは、「悩んでもどうしようもないことは悩まない」ということだそうです。

2学期が始まり、1ヶ月が過ぎました。今年も残り3ヶ月。悩んでもどうにもならないことは悩まない。すごく単純ですが大事なことですよね。2500年も前のこのような話が残っているのも、やはり人間、分かっていても悩んでしまう、ということでもあるのでしょう。
また、悩んで解決できることは、必死に悩むこと自体が、その人の力になります。悩みの深さは精神の深さ、人間的成長につながる、とも言われてもます。くり返しになりますが「悩んでもどうしようもないことは悩まない」ということが大切なのです。

やるべきことがあるのに「今年もあと3ヶ月」と悩んでいる人。また、様々な悩みを抱えている人。その悩みは、悩んで解決できることなのか。それとも、悩んでも解決できないことなのか。考えてみると意外と頭がすっきりとしてがんばれるかもしれません。

是非、試してみてください。

140929夏が過ぎ、あっという間に10月を迎えようとしていますね。
10月を英語ではOctober(オクトーバー)といいますが、これに似た英単語を皆さんは知っていますか?
octopus(オクトパス)、日本語では『タコ』のことです。
この二つに共通する部分は“oct”これはヨーロッパで昔使われていた「ラテン語」という言語で『8』を表す言葉です。
Octopusは8本の足という意味で、タコを示します。イメージしやすいですね。

では、なぜOctoberが8月ではなく10月なのでしょうか。

そもそも10月=Octoberはローマの暦に由来します。

ローマの暦には1月2月がなく、現在でいう3月が1年の始まりだったのです。
3月から数えていくと10月は8番目、それで「8番目の月」=“October”とあらわすようになりました。

同じように9月は「7番目の月」=“September”、11月は「9番目の月」=“November”
12月は「10番目の月」=“December”と表します。ちなみに「~番目の月」という名称がついているのは9月~12月で、1~8月は神様の名前や皇帝の名前などが由来となっています。

「1年が3月から始まる」というとなんだかしっくりこないかもしれませんが、日本でも学校などの新学年は4月から始まりますよね。似たような感覚と思ってください。

また、1年が3月から始まるからこそ、2月だけほかの月に比べて短いことや、閏年には2月に1日加えることも納得できますね。

“October”という単語ひとつでも、いろいろと知識は広がります。知識を広げることで、そこにまた新しい発見が生まれてきます。当たり前のことや、何気ないものを掘り下げることにより知識は広がります。勉強の秋、これまで以上に深い勉強をし、知識を広げていきましょう。

140922今年の夏は、たくさん雨が降りました。
雨のせいでみなさんの夏休みの予定が変わってしまったことも多かったでしょう。日本全国でも雨に悩まされたニュースがたくさんありました。
先生が子供だったころ、雨が降って遠足など楽しみにしている時に「雨なんか降ってほしくないなぁ。」なんて文句を言うと、「自分たちが毎日食べているお米や野菜は雨がないと育たない。作物を育てて生活をしている人にとって、雨は大切なものなのだから、そんなばち当たりことは言っちゃいけない。」と、おばあちゃんに怒られたものです。
 “鬼雨”と“喜雨”という言葉があります。どちらも「きう」と読みますが、鬼のしわざかと思えるような激しい大雨、長い日照りの後でようやく降った恵みの雨、というまったく正反対の意味を持つ言葉です。

日本はそれほど大きい国ではないにもかかわらず、季節ごとに、また土地ごとに様々な雨が降ります。昔から日本には雨を表す言葉がたくさんあります。
例えばおなじみの“梅雨”。「ばいう」とも「つゆ」とも読みますが、六月から七月にかけて降る長い雨を表す言葉は中国、朝鮮半島の一部と日本にしかないのです。

さらに日本では、
初夏に降り若葉からしたたる“青梅雨”「あおつゆ」、
激しく降ってはサッと止む“男梅雨”「おとこつゆ」、
しとしと長い“女梅雨”「おんなつゆ」、
集中豪雨となる“荒梅雨”「あらつゆ・あれつゆ」、
ほとんど降らない“空梅雨”「からつゆ」
など、いろんな表現があります。

“時雨”「しぐれ」は秋から冬にかけて降ったり止んだりを繰り返す雨のことですが、
朝方に降ったり止んだり“朝時雨”「あさしぐれ」、
北風とともにやってくる“北時雨”「きたしぐれ」、
京都の北山の風物詩“北山時雨”「きたやましぐれ」、
冬の紅い花が咲く頃に降る“山茶花時雨”「さざんかしぐれ」
など、風情ある呼び名が多くあります。

他にも四季折々に“五月雨”、“村雨”、“霧雨”、“氷雨”、“私雨”、“洒涙雨”などがありますが、みなさん全て読めますか? “神立”、“銀竹”、“狐の嫁入り”、“桜ちらし”、“山茶花ちらし”、“麦喰らい”、“大根ずり”、“なごの小便”など、雨という字を使わない雨の呼び方もたくさんあります。どんな雨かは是非調べてみてください。
また、“雨降って地固まる”、“晴耕雨読”など雨にまつわることわざや熟語・慣用句も国語の授業でたくさん学んできました。
最近知ったのですが、“桜雨”という苗字の人が存在するそうです。なんだか風流な名前ですね。

このように日本にはたくさんの雨の言葉があるのはなぜでしょうか。
日本人は長いあいだ、雨に悩まされながらも雨に恵みを受け、雨ととともに生きてきました。だからこそ日本人は、どこの国の人よりも雨の恐ろしさを知り、雨のありがたさを知っているのだと先生は思います。日本人ほど雨が好きな国民はいないのではないでしょうか。

みなさんも今度雨が降った時には、この雨はなんていう名の雨かな?どんな名前をつけようかな?など、雨に思いを巡らせて見てください。今まで憂鬱だった雨の日が、なんだか愉しくなるかもしれません。

140916みなさんは、言葉の意味を調べるときに国語辞書を使っていると思います。先生も先日、辞書である言葉の意味を調べました。
その際、調べた言葉と同じページにあった別の言葉の解説に驚かされました!
思わず辞書の名前を確認すると「新明解国語辞典」。インターネットで調べてみると国語辞書の中でも、言葉の意味や使い方に独特の表現を用いているということで有名な辞書でした。

いくつか個性的な解説を他の辞書(「大辞林」)と比較してみます。

「はまぐり【蛤】」
(大辞林)マルスダレガイ科の二枚貝。内湾の砂泥地にすみ、殻は丸みのある三角形で、殻長8センチくらい。
(新明解)遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。
⇒辞書に味の感想が書いてあるとは、とてもめずらしい。また、人によって普通は違うのではないでしょうか。先生にとっての普通の貝は「あさり」です。

「れんあい【恋愛】」
(大辞林)男女が恋いしたうこと。また、その感情。
(新明解) 特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
⇒とっても情熱的に表現されていることに驚きです。

「ぼんじん【凡人】」
(大辞林)普通の人。
(新明解)自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。
⇒自らを高める努力を怠ってはいけないと、戒められた気分になります。

辞書にのっている言葉は、辞書なので決して間違った意味ではありません。しかし、独特の解釈が非常に興味深いですね。このおもしろさに惹かれ、先生は、今では気になる言葉をすぐに探すようになりました。

ところでみなさんは、現在、学校の宿題や能開の勉強が、ただの「こなすための勉強」になっていませんか?能開の宿題はちょっぴり量も多いため、その気持ちもわかります。
しかし、参考書を見比べてみたり、調べた単語の近くの単語に寄り道してみたり、資料集の端っこに載っている実験や写真を確認することの方が、ずっと記憶に残るものです。

10月にはオープン模試も開催され、中3生は公立模試もスタートします。毎週のゼミの宿題で「本物の力」をつけていくためにも、勉強の道草をしてみませんか。

140908長かった夏休みもあっという間に終わりましたね。
今年の夏休みはどうでしたか?よいものにできたでしょうか?

ちょっと遅いですが、夏といえば…。いろいろ思い浮かべますが、先生は真っ先に「海」を思い浮かべます。
だから毎年必ずすることがあります。それは「ふるさとの海に入る」ことです。

先生のふるさとは、瀬戸内海の小さな島です。周りは海に囲まれていたので、海は当たり前にあるものでした。
小、中学生のころは、それこそ毎日泳ぎに行っていました。みなさんがプールに行くようなものです。潮の満ち干きによって1日に泳げる時間が決まっていました。だいたい3~4時間くらいなのですが、それを中心に1日の生活の予定が決まっていました。
時間になると「命札」というかまぼこ板に自分の名前や連絡先を書いたものを手ににぎりしめて、海まで走っていきました。海まで走ると2~3分で着きます。天気だろうが、雨が降ろうが平気で泳いでいました。
高校は隣の島まで船で通いました。授業中、窓の外に目をやると、海が見えました。毎日の生活の中にいつも「海」が普通にありました。

今はふるさとを離れているので年に1回か2回くらいしか帰れませんが、それでも毎年海に入ります。
能開の先生をし始めてからは7月8月は忙しいので、いつも夏休みの最後に、少しだけでもふるさとに帰るようにしています。つかの間の夏休みです。シーズンではないので海には誰もいません。それでもふるさとにもどって、海を見て、足だけでも海に入ります。さすがに今は泳ぎませんけどね。

海をぼーっとながめていると、いろいろな思いが頭をめぐっていきます。
楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、くやしかったこと…。
一通り考えると、不思議なことに「よし、やるぞ!」という気持ちになります。変わっているかもしれませんが、先生の1年間はここに区切れ目があります。そして、「よし、またがんばるぞ!」という気持ちになります。

夏休み、よくみなさんはがんばりましたね。ここからが本当の勝負です。
でも、ずっとがんばり続けるって、すごく大変なことですよね。切り替えってものすごく大切です。学期のスタートは切り替えのチャンスですよ。みなさんはどんなことをすれば気持ちが切り替わりますか?

もしかしたら海を見ると気持ちが切り替わるかもしれませんよ。

140901皆さんは音楽が好きですか?
先生はクラシック音楽がとても大好きです。

「クラシック」といえば、非常に堅苦しくて、聞いていて眠くなる…を思う人がいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。「クラシック」と呼ばれる音楽が作られた当時にしてみれば、私たちが考える「流行歌」と大して変わらない位置づけだったんですよ。
だから、「クラシック」と呼ばれる音楽は、当時の流行やメッセージがふんだんに盛り込まれているんです。その中の一つを紹介しようと思います。

先生のお気に入りの曲の一つに「序曲1812年」という曲があります。作曲者はピョートル・チャイコフスキー。「くるみ割り人形」などを作った人として非常に有名です。
しかしこの曲は、クラシック音楽の中でも非常に珍しいことですが、通常楽器としては扱われないものを楽器として使われていることで知られています。
何だと思いますか?それは「大砲」です。なんで?と思うかもしれませんが、実はその理由はタイトルからもわかります。

1812年という年は、フランス史上最大の英雄であるナポレオンがロシア遠征を行って、大損害を出して撤退する年です。ロシアでは、今でもロシア遠征を「祖国戦争」と呼び、誇りに思っています。
この年は、ヨーロッパ史においても非常に重要な年です。当時無敵だと思われていたナポレオン率いるフランス軍がロシア軍に大敗したという事実は、ナポレオンのことを快く思っていないヨーロッパ各国に勇気付けることになり、後のナポレオンの滅亡へと繋がっていくきっかけとなったからです。

さて、「序曲1812年」は、フランス軍がロシアに攻めてくる様子や、ロシア軍がフランス軍をやっつける光景を表現しています。その最大の盛り上がりを見せる部分で「大砲」の出番がやってきます。「大砲」を用いることで、ロシア軍がフランス軍をやっつけたことを強調しているわけです。

チャイコフスキーはこの曲の作曲をとても嫌がりました。彼は友達への手紙の中にも、「この作品を愛情もって作ってはいない」といっているくらいです。それでも、彼は短期間でこの曲を完成させて発表しています。するとロシア国内で大反響を巻き起こし、世に知られる曲となりました。ただし、この曲はフランス国内ではほとんど演奏されることはありません。だって「フランスが負けた」ことを表現している曲なのですから。

先生が君たちに伝えたいことは、「芸術作品」として世に残っているものには、それぞれの背景があり、作曲者の思いや意志が込められているということです。

「読み取る」ということは、単に「国語の問題で正確に答えを出す」というだけではありません。なぜそういう結論に至ったのかということを掘り下げて考えることこそ、真の「読み取り」なのです。
皆さんにはいろんな本に接して欲しいと思います。いろんな情報に接して欲しいと思います。その中で、いろんなことがわかってきます。ぜひいろんなものに接してください。いろんなことを体験してみてください。

皆さんには、多様なものの考え方やものの見方を持って欲しい、そう先生は願っています。

140825こんにちは。夏休みももう終わろうとしていますが、自由研究などは進んでいますか?
さて、今日は「メビウスの輪」について話をします。
知らない人のために簡単に説明しておくと、長方形の細長い紙を180度ねじって、両端を貼り合わせたものです。数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスが発見し、その名前の由来になりました。
この輪には、表と裏がありません。つないだ輪の外側をずっとなぞっていくと、いつの間にか裏側になっています。最近では見なくなりましたが、カセットテープなどに利用されてきました。
 
この「メビウスの輪」ですが、不思議がいっぱいなんです。
みなさんは、この輪の中心(輪の幅のちょうど真ん中)をはさみで切っていくとどうなると思いますか?180度のひねりをつけずに、つなげた長方形の輪であれば2つの輪に分かれますね。メビウスの輪の場合は、ちょうど切り終わると、元の輪の倍の大きさの輪が1つできます。
さらに、メビウスの輪の幅の3分の1のところを切り続けていくとどうなるのでしょうか?1周した段階では、180度ひねっていますので、切れ目がずれます。そして更に1周切り進めて行くと、ちょうどきり終わります。さて、どうなるでしょう。
実は2つの輪ができます。1つは元のメビウスの輪と同じ大きさの輪。もう1つは元の輪の倍の大きさの輪です。しかもこの2つの輪は交差して繋がっているんですね。
他にもねじりを360度、540度としてみたり、切り始める位置を変えたりして、いろいろと実験することができます。

さて、みなさんどうですか?上の結果は想像できましたか?

私たちは何気なく暮らしている中で、自分の今までの経験から「限界」を作ってしまいがちですが、思ったことと違う結果になることもあります。

「こんなことはできない。」「やらなくてもわかる。」

果たして本当でしょうか?
今まで大きな世界で成功してきた人の多くは口をそろえて「やったか、やらなかっただけの違いだ。」と言っていますね。皆さんには自分でも気付いていない大きな力があります。誰しもにあります。
だからこそ、先ずは「やってみる。」ことに大きな価値があり、その先には自分の想像もしえない「達成感」が待っていることでしょう。

2次講習会が行われているところも多いかと思いますが、宿題の多さを嘆く前に、まずはやってみる。問題が難しくて、難しいと愚痴をこぼす前に参考書を開いてみる。そういったことの積み重ねた結果、講習会が終わる頃には、誰のものでもない、とっておきの自分専用の参考書が出来上がっているはずです。

「自分に限界はない!」といった意気込みで残り少ない夏を精一杯、乗り切ってください。

140818先日、高校のときの同窓会があり、久しぶりに地元の友達と会ってきました。
これは、そのときに友達から聞いた、ある人のお話です。

その人には中学生の娘さんがいます。その子は幼いときに病気を患い、車イスがないと生活が出来ないのです。
ある日、病院に行ったときのことです。普通であればお父さんがいつも送り迎えをしてくれるのですが、その日は出張だったので、仕方なくバスで行ったそうです。その帰りでの出来事。

その日のバスは、座れないほどではないのですが、乗客が多かったそうです。娘さんは、当然車イスでしたから優先席のほうへ行き、座席に移動したのです。
車イスから移ったり車イスをたたんだりするので時間がかかるのですが、その間バスは停まって待ってくれていました。そして、お母さんは車イスがありますから、人の邪魔にならないように出来るだけ端に寄って立っていました。

いざバスが動き出すと、後ろのほうに座っている女性二人組のお客さんから、次のような会話が聞こえてきたそうです。
「迷惑よねえ。こっちも急いでいるのに。」
「ホント。車で行けばいいのにさ。じゃなかったらタクシーがあるのに。」
「まわりの迷惑を考えないのかしら。」
お母さんも申し訳なく思っているのです。バスに乗るときに、わざわざ「すみません」と皆に言って乗っているのですから。

しかし、容赦のない言葉に娘さんもその場に居づらくなり、
「お母さん、降りよう。」と涙目で訴えてきたそうです。
お母さんも、悔しさと悲しさで居づらくなり、次で降りようと降車ボタンを押そうとしました。
すると、バスは信号待ちでもないのに停車し車内放送が入りました。
「お客さん、申し訳ないんだがここで降りてください。」と。

その親子は、
「本当にすみません。今すぐ降ります。」といい、降りる準備を始めたのですが、
「いやいや、お母さんたちではないですよ。その後ろのお二方です。人に迷惑をかけるような方のご乗車はご遠慮いただいています。ここで降りてください。」
二人の女性客は、何かと言い返したのですが、運転手さんはガンとして聞き入れず、結果として女性客二人はその親子をにらみつけながら降りていったそうです。

親子が目的地で降りるときには、周りのお客さんが手伝ってくれたそうです。
親子は何度もお礼を言いましたが、運転手さんは、
「嫌な思いをさせて申し訳ありませんでした。お大事にね。」
と逆に謝られたそうです。
二人は感謝の気持ちでいっぱいで、涙がでてきたそうです。

この話しを聞いたとき、先生は「この運転手さんスゴイ!」と思ったのと同時に、「自分に出来るだろうか?」と深く考えさせられました。頭ではわかっていても行動にまで起こす勇気はないかもしれないなと、反省しました。
今の世の中、逆ギレされて自分に被害が及ぶこともありますから、一概には言えないかもしれません。しかし、皆さんにはこの運転手さんのように、弱者の立場になって物事を考え、勇気をもって行動できる大人になって欲しい、と思っています。