141104いよいよ11月に突入。今年も後、2ヶ月ですね。
先生は11月になると思い出す人がいます。と言っても歴史上の人物で話をしたことも無い人なのですが。

その人物との出会いは先生が高校1年生の頃です。
先生が通っていた高校の国語の先生が授業中にすすめてくれた本を手にしたことがきっかけでした。
その本の名前は「竜馬がゆく」というタイトルで、君たちもよく知っている坂本竜馬の生涯を描いた小説です。
※著者は既に亡くなっていますが、司馬遼太郎という人で、歴史小説の第一人者と言われた人です。(歴史小説を読むなら超おすすめ!)

この小説に出会ってから先生は今でもずっと坂本竜馬の大ファンで、11月はその竜馬の誕生日なのです。また、竜馬は志半ばで誰かに暗殺された(犯人は色々な説がある)のですが、偶然の一致なのか、それもまた11月15日。なので、竜馬おたくの先生は毎年11月になると竜馬を思い出し、既に10回は読み直している小説をまた読み直したり、昨年は長崎県にある竜馬ゆかりの亀山社中(日本初の株式会社の様な会社)を訪れたりしてしまいます。
今年こそは高知県にある竜馬が生まれた家を見て、竜馬の銅像がたっている桂ヶ浜に行き、当時竜馬が見たであろう景色を同じ様に見たい!と企んでいます。

先生の企みはさておき、本とは竜馬の様な歴史上の人物に出会うことが出来たり、行ったことが無い場所に行ったり出来る、ドラえもんのタイムマシンやどこでもドアに似ていますね。※ドラえもんのあったらいいな道具ランキング断トツ1位はどこでもドア。
本に出会うことはその道具を手に入れるチャンス!
これから出会う本たちが君たちの生涯の友の一人であり、生涯の先生の一人であるかもしれません。

是非、秋の夜長に読書をおすすめします。

141027みなさんは、宝塚歌劇団が最初に行った劇が何か知っていますか?

宝塚歌劇団は兵庫県の宝塚市にあり、歌舞伎が男性だけの舞台なのに対して、出演者は女性だけで、華やかで美しい舞台が魅力のとても有名な歌劇団です。宝塚歌劇団出身の女優さんも多く、見たことはなくても、名前を聞いたことはあるのではないですか?
その華やかな舞台で最初に行った劇は、なんと「桃太郎」だそうです。

先日、テレビでたまたま宝塚歌劇団に関する番組がありました。先生は、特に宝塚歌劇団に興味はなかったのですが、見ているうちに興味深い話を聞きました。

もともとは、お客の来なかった室内プールにフタをして作った簡単な舞台に、女性だけで桃太郎を題材した『ドンブラコ』という劇から歌劇団がスタートしたなど、今からはとても想像できないエピソードに「へー」と思いながら見ていました。

中でも、先生が「ええっ!?」とびっくりしたのがすると、宝塚歌劇団に伝わる「ブスの25箇条」という言葉です。宝塚歌劇団には「清く、正しく、美しく」という言葉がぴったりのイメージを持っていたからです。
でもよく聞くと、これは人の内面がブスにならないように注意を促す内容になっていて、何よりも人間として内面磨きが重要であることをつたえるものでした。

その宝塚に伝わる「ブスの25箇条」の内容はこれです。

1 笑顔がない
2 お礼を言わない
3 おいしいと言わない
4 目が輝いていない
5 精気がない
6 いつも口がへの字の形をしている
7 自信がない
8 希望や信念がない
9 自分がブスであることを知らない
10 声が小さくいじけている
11 自分が最も正しいと信じ込んでいる
12 グチをこぼす
13 他人をうらむ
14 責任転嫁がうまい
15 いつも周囲が悪いと思っている
16 他人に嫉妬する
17 他人につくさない
18 他人を信じない
19 謙虚さがなく傲慢(ごうまん)である
20 人のアドバイスや忠告を受け入れない
21 なんでもないことに傷つく
22 悲観的に物事を考える
23 問題意識を持っていない
24 存在自体が周囲を暗くする
25 人生においても仕事においても意欲がない

宝塚の稽古場にいつのまにか貼られていたこの「ブスの25箇条」はいったい誰がいつ書いたのかわからない伝説の教えなのだそうです。
どうでしょうか?
これを聞いて、先生も自分のことを反省…。
君たちはどうですか?
できていない部分があれば、少しずつでも変えていけば、自分も、周りの反応も変わってくると思います。
能開で学んでいる君たちには、勉強だけでなく、内面も魅力的な人になってほしいと思います。

141020皆さんこんにちは。
先日の台風では進路の予想や各地の状況がリアルタイムで分かり、早めの対策がとれたそうです。
今はパソコンだけでなくスマホやタブレットなども出回って、ネットでいろいろなものごとを見ることができます。便利になりましたね・・・。
ネットにある動画もすごいですね。「ハプニング映像」や「かわいい動物の寝顔」など、少し前まではテレビで特集がある時ぐらいしか見られなかったものが、ネットでは映像で出回っています。
ドラマや映画も検索するとたくさん出てくる。どんどん見ていくと時間を忘れてしまうなどの悪い影響もでます。
今は、ネットで買い物もできますね。ユニクロの服もお店に行かなくてもぴったりのサイズを見つけられたり、なんとメガネまでもお店に行かなくても買えるらしい。

そして、見たり買ったりした人がコメントをするんだね。「いいね!」だけでなく感想などを書いて、別の人がそれを参考にして、また見たり買ったりする。

ただ先生は、あのコメントを見ていて、時々「ん?」と思うときがあります。
確かに参考になる感想もあるけど、「おもしろくない」とか「見て損した」とか、自分勝手だなぁと思うコメントもけっこうあります。

先生はそういうコメントを見て「ちょっと待てよ~」と思うんです。
「見ようとか買おうって決めたのは自分でしょ?」と思うのですよ。
自分で決めたのに、物や他人のせいにしているんじゃないの?と感じるんですね。
中には「二度と見ない・・・」なんて書いてある時もあって、神様にでもなったの?という感じですよね。

ある学者さんによると、テレビやネットの普及にともなって、こんな人が増えてきたそうです。
「自分の意見は言うくせに、人の話しを聞かない人」
「面白そうな話しには加わってくるが、まじめな話しになるとどこかに逃げていく人」
原因の1つには、「便利さ」があるそうです。
先生もそう思います。

簡単に見れたり、簡単に買えたりする。そんな簡単に手に入ったものだから大事にしないんです。
いつでも話せたり、入力したら教えてもらえたり、四六時中メールができたり。
便利で困らないから、自分勝手になってしまうんです。

今、中3や小6の受験生は入試問題と戦っています。
時間制限があり、何が出るか分からない、色んなテーマが混じりあった入試レベルの問題。
「あと1点」を手に入れるのがすごく難しいんですよね。

時間がたっぷりあって、分からないところは誰かに聞けて、思い出せないときはヒントをもらえて、簡単に点数が取れたらどんなに楽なことか・・・。

でも、よ~く考えてごらん。
簡単に手に入った1点は、大事にできないんです。
自分の中に残らないから、次出てきたらまた間違えるんですよ。
苦労して、きつい想いをして手に入れた1点だから大事にできる。
ずっと残っていくんですね。自分の中に残っていくから、点数が伸びていくんですよ。

さぁ、楽をしていろんなものが手に入る便利な時代。
こんなに便利で、いいんですか?
楽しいことだけやって、自分勝手に言いたいことだけ言って、あとは知らな~い。
そんな人だと思われて、いいんですか?
1つ1つを大事にして、自分の中に残していく。そんな1日にしましょう!

141014「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」などのアニメ映画で有名な宮崎駿さんのことは、皆さんも知っていると思います。
宮崎さんは「風立ちぬ」を作った後に、惜しまれながらも引退を発表しましたね。

その宮崎さんが実写映画を作っていたことを、知っているでしょうか。映画の名前は「柳川掘割物語」(1987年)といいます。『火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』の高畑勲さんが監督をつとめ、宮崎さんは製作責任者として関わりました。

柳川掘割物語は一人の男の信念の物語です。今から30年ほど前の日本が高度成長期に、福岡県の柳川市で水路(掘割)の埋め立て問題が起こりました。水質汚染や不法投棄で水路がゴミだめになって悪臭を放ち、大量の蚊が発生していました。そのため住民からこんな水路はいらないから埋め立ててしまおうという声がでたのです。

大勢の人がそれに賛成しました。悪臭の元がなくなって水路が道路になれば、住民の生活も便利になります。しかしそれに反対したのが、広松さんという市役所の係長でした。

昔から柳川の人々は町中に水路をめぐらし、そこに川の水や雨水を流すことで、農業用水や生活用水として利用してきました。少ない水を大切に使い、自然と共存してきたのです。しかし、高度成長と共に人々は忙しくなり、水路とのつきあいを忘れ、川や水路を守るという手間を怠ってしまったのです。

係長の広松さんは、水路の埋め立てに反対し、市長に直訴しました。そして住民の協力が必要だと考え、水路の大切さを町内会で訴えました。2年間で100回以上です。さらに自らが先頭にたって、ドブ川となった水路を掃除したのです。その真剣な姿を見た住民も次第に協力し始め、一緒に水路を掃除するようになり、ゴミも捨てなくなりました。水路は少しずつ昔の美しい姿を取り戻し、人々は再び水路と共に生きるようになったのです。埋め立て計画は中止されました。

たとえ大勢の人に反対されたとしても、自分の強い信念に基づくものであれば、広松さんのようにそれを貫くのも大切な生き方です。もちろんそのためには、周囲の人を説得するための深い思慮や熱意、行動力が必要です。信念を持つことの大切さと難しさを、皆さんも一度考えてみてはどうでしょうか。

141006残すところ今年もあと3ヶ月となってきました。
よく言われることですが、「あと3ヶ月」と書きましたが、「まだ3ヶ月もある」と考えることもできます。しかし、受験生の人に限らず、やるべきことがたくさんあると感じている人ほど、「あと3ヶ月しかない」と悩んでしまいがちですよね。
そういう人に、是非、知ってもらいたい考え方があります。

その考え方は、「論語」という書物に出てきます。
昔、中国に孔子という偉い人がいました。この書物は、その孔子と高弟の言葉や行いを、その弟子たちが記録したものといわれています。
「論語」という書物に出てきます、と言いましたが、先生も、論語自体は読んだことがありません。色々な本で読みかじっただけです。すばらしい教訓がたくさん詰まった論語ですが、今日はその中の一つを紹介したいと思います。

孔子の弟子に司馬牛と子夏いう人がいました。あるとき司馬牛が「他の人には兄弟がいるのに自分にはいない」と悩んでいました。すると、子夏は「死ぬも生きるも、富むも貴きも、すべて天命によるもので、人力ではどうにもならない。君に兄弟がいないのも天命だろう」と言いました。
この話が伝えているのは、「悩んでもどうしようもないことは悩まない」ということだそうです。

2学期が始まり、1ヶ月が過ぎました。今年も残り3ヶ月。悩んでもどうにもならないことは悩まない。すごく単純ですが大事なことですよね。2500年も前のこのような話が残っているのも、やはり人間、分かっていても悩んでしまう、ということでもあるのでしょう。
また、悩んで解決できることは、必死に悩むこと自体が、その人の力になります。悩みの深さは精神の深さ、人間的成長につながる、とも言われてもます。くり返しになりますが「悩んでもどうしようもないことは悩まない」ということが大切なのです。

やるべきことがあるのに「今年もあと3ヶ月」と悩んでいる人。また、様々な悩みを抱えている人。その悩みは、悩んで解決できることなのか。それとも、悩んでも解決できないことなのか。考えてみると意外と頭がすっきりとしてがんばれるかもしれません。

是非、試してみてください。

140929夏が過ぎ、あっという間に10月を迎えようとしていますね。
10月を英語ではOctober(オクトーバー)といいますが、これに似た英単語を皆さんは知っていますか?
octopus(オクトパス)、日本語では『タコ』のことです。
この二つに共通する部分は“oct”これはヨーロッパで昔使われていた「ラテン語」という言語で『8』を表す言葉です。
Octopusは8本の足という意味で、タコを示します。イメージしやすいですね。

では、なぜOctoberが8月ではなく10月なのでしょうか。

そもそも10月=Octoberはローマの暦に由来します。

ローマの暦には1月2月がなく、現在でいう3月が1年の始まりだったのです。
3月から数えていくと10月は8番目、それで「8番目の月」=“October”とあらわすようになりました。

同じように9月は「7番目の月」=“September”、11月は「9番目の月」=“November”
12月は「10番目の月」=“December”と表します。ちなみに「~番目の月」という名称がついているのは9月~12月で、1~8月は神様の名前や皇帝の名前などが由来となっています。

「1年が3月から始まる」というとなんだかしっくりこないかもしれませんが、日本でも学校などの新学年は4月から始まりますよね。似たような感覚と思ってください。

また、1年が3月から始まるからこそ、2月だけほかの月に比べて短いことや、閏年には2月に1日加えることも納得できますね。

“October”という単語ひとつでも、いろいろと知識は広がります。知識を広げることで、そこにまた新しい発見が生まれてきます。当たり前のことや、何気ないものを掘り下げることにより知識は広がります。勉強の秋、これまで以上に深い勉強をし、知識を広げていきましょう。

140922今年の夏は、たくさん雨が降りました。
雨のせいでみなさんの夏休みの予定が変わってしまったことも多かったでしょう。日本全国でも雨に悩まされたニュースがたくさんありました。
先生が子供だったころ、雨が降って遠足など楽しみにしている時に「雨なんか降ってほしくないなぁ。」なんて文句を言うと、「自分たちが毎日食べているお米や野菜は雨がないと育たない。作物を育てて生活をしている人にとって、雨は大切なものなのだから、そんなばち当たりことは言っちゃいけない。」と、おばあちゃんに怒られたものです。
 “鬼雨”と“喜雨”という言葉があります。どちらも「きう」と読みますが、鬼のしわざかと思えるような激しい大雨、長い日照りの後でようやく降った恵みの雨、というまったく正反対の意味を持つ言葉です。

日本はそれほど大きい国ではないにもかかわらず、季節ごとに、また土地ごとに様々な雨が降ります。昔から日本には雨を表す言葉がたくさんあります。
例えばおなじみの“梅雨”。「ばいう」とも「つゆ」とも読みますが、六月から七月にかけて降る長い雨を表す言葉は中国、朝鮮半島の一部と日本にしかないのです。

さらに日本では、
初夏に降り若葉からしたたる“青梅雨”「あおつゆ」、
激しく降ってはサッと止む“男梅雨”「おとこつゆ」、
しとしと長い“女梅雨”「おんなつゆ」、
集中豪雨となる“荒梅雨”「あらつゆ・あれつゆ」、
ほとんど降らない“空梅雨”「からつゆ」
など、いろんな表現があります。

“時雨”「しぐれ」は秋から冬にかけて降ったり止んだりを繰り返す雨のことですが、
朝方に降ったり止んだり“朝時雨”「あさしぐれ」、
北風とともにやってくる“北時雨”「きたしぐれ」、
京都の北山の風物詩“北山時雨”「きたやましぐれ」、
冬の紅い花が咲く頃に降る“山茶花時雨”「さざんかしぐれ」
など、風情ある呼び名が多くあります。

他にも四季折々に“五月雨”、“村雨”、“霧雨”、“氷雨”、“私雨”、“洒涙雨”などがありますが、みなさん全て読めますか? “神立”、“銀竹”、“狐の嫁入り”、“桜ちらし”、“山茶花ちらし”、“麦喰らい”、“大根ずり”、“なごの小便”など、雨という字を使わない雨の呼び方もたくさんあります。どんな雨かは是非調べてみてください。
また、“雨降って地固まる”、“晴耕雨読”など雨にまつわることわざや熟語・慣用句も国語の授業でたくさん学んできました。
最近知ったのですが、“桜雨”という苗字の人が存在するそうです。なんだか風流な名前ですね。

このように日本にはたくさんの雨の言葉があるのはなぜでしょうか。
日本人は長いあいだ、雨に悩まされながらも雨に恵みを受け、雨ととともに生きてきました。だからこそ日本人は、どこの国の人よりも雨の恐ろしさを知り、雨のありがたさを知っているのだと先生は思います。日本人ほど雨が好きな国民はいないのではないでしょうか。

みなさんも今度雨が降った時には、この雨はなんていう名の雨かな?どんな名前をつけようかな?など、雨に思いを巡らせて見てください。今まで憂鬱だった雨の日が、なんだか愉しくなるかもしれません。

140916みなさんは、言葉の意味を調べるときに国語辞書を使っていると思います。先生も先日、辞書である言葉の意味を調べました。
その際、調べた言葉と同じページにあった別の言葉の解説に驚かされました!
思わず辞書の名前を確認すると「新明解国語辞典」。インターネットで調べてみると国語辞書の中でも、言葉の意味や使い方に独特の表現を用いているということで有名な辞書でした。

いくつか個性的な解説を他の辞書(「大辞林」)と比較してみます。

「はまぐり【蛤】」
(大辞林)マルスダレガイ科の二枚貝。内湾の砂泥地にすみ、殻は丸みのある三角形で、殻長8センチくらい。
(新明解)遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。
⇒辞書に味の感想が書いてあるとは、とてもめずらしい。また、人によって普通は違うのではないでしょうか。先生にとっての普通の貝は「あさり」です。

「れんあい【恋愛】」
(大辞林)男女が恋いしたうこと。また、その感情。
(新明解) 特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
⇒とっても情熱的に表現されていることに驚きです。

「ぼんじん【凡人】」
(大辞林)普通の人。
(新明解)自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。
⇒自らを高める努力を怠ってはいけないと、戒められた気分になります。

辞書にのっている言葉は、辞書なので決して間違った意味ではありません。しかし、独特の解釈が非常に興味深いですね。このおもしろさに惹かれ、先生は、今では気になる言葉をすぐに探すようになりました。

ところでみなさんは、現在、学校の宿題や能開の勉強が、ただの「こなすための勉強」になっていませんか?能開の宿題はちょっぴり量も多いため、その気持ちもわかります。
しかし、参考書を見比べてみたり、調べた単語の近くの単語に寄り道してみたり、資料集の端っこに載っている実験や写真を確認することの方が、ずっと記憶に残るものです。

10月にはオープン模試も開催され、中3生は公立模試もスタートします。毎週のゼミの宿題で「本物の力」をつけていくためにも、勉強の道草をしてみませんか。

140908長かった夏休みもあっという間に終わりましたね。
今年の夏休みはどうでしたか?よいものにできたでしょうか?

ちょっと遅いですが、夏といえば…。いろいろ思い浮かべますが、先生は真っ先に「海」を思い浮かべます。
だから毎年必ずすることがあります。それは「ふるさとの海に入る」ことです。

先生のふるさとは、瀬戸内海の小さな島です。周りは海に囲まれていたので、海は当たり前にあるものでした。
小、中学生のころは、それこそ毎日泳ぎに行っていました。みなさんがプールに行くようなものです。潮の満ち干きによって1日に泳げる時間が決まっていました。だいたい3~4時間くらいなのですが、それを中心に1日の生活の予定が決まっていました。
時間になると「命札」というかまぼこ板に自分の名前や連絡先を書いたものを手ににぎりしめて、海まで走っていきました。海まで走ると2~3分で着きます。天気だろうが、雨が降ろうが平気で泳いでいました。
高校は隣の島まで船で通いました。授業中、窓の外に目をやると、海が見えました。毎日の生活の中にいつも「海」が普通にありました。

今はふるさとを離れているので年に1回か2回くらいしか帰れませんが、それでも毎年海に入ります。
能開の先生をし始めてからは7月8月は忙しいので、いつも夏休みの最後に、少しだけでもふるさとに帰るようにしています。つかの間の夏休みです。シーズンではないので海には誰もいません。それでもふるさとにもどって、海を見て、足だけでも海に入ります。さすがに今は泳ぎませんけどね。

海をぼーっとながめていると、いろいろな思いが頭をめぐっていきます。
楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、くやしかったこと…。
一通り考えると、不思議なことに「よし、やるぞ!」という気持ちになります。変わっているかもしれませんが、先生の1年間はここに区切れ目があります。そして、「よし、またがんばるぞ!」という気持ちになります。

夏休み、よくみなさんはがんばりましたね。ここからが本当の勝負です。
でも、ずっとがんばり続けるって、すごく大変なことですよね。切り替えってものすごく大切です。学期のスタートは切り替えのチャンスですよ。みなさんはどんなことをすれば気持ちが切り替わりますか?

もしかしたら海を見ると気持ちが切り替わるかもしれませんよ。

140901皆さんは音楽が好きですか?
先生はクラシック音楽がとても大好きです。

「クラシック」といえば、非常に堅苦しくて、聞いていて眠くなる…を思う人がいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。「クラシック」と呼ばれる音楽が作られた当時にしてみれば、私たちが考える「流行歌」と大して変わらない位置づけだったんですよ。
だから、「クラシック」と呼ばれる音楽は、当時の流行やメッセージがふんだんに盛り込まれているんです。その中の一つを紹介しようと思います。

先生のお気に入りの曲の一つに「序曲1812年」という曲があります。作曲者はピョートル・チャイコフスキー。「くるみ割り人形」などを作った人として非常に有名です。
しかしこの曲は、クラシック音楽の中でも非常に珍しいことですが、通常楽器としては扱われないものを楽器として使われていることで知られています。
何だと思いますか?それは「大砲」です。なんで?と思うかもしれませんが、実はその理由はタイトルからもわかります。

1812年という年は、フランス史上最大の英雄であるナポレオンがロシア遠征を行って、大損害を出して撤退する年です。ロシアでは、今でもロシア遠征を「祖国戦争」と呼び、誇りに思っています。
この年は、ヨーロッパ史においても非常に重要な年です。当時無敵だと思われていたナポレオン率いるフランス軍がロシア軍に大敗したという事実は、ナポレオンのことを快く思っていないヨーロッパ各国に勇気付けることになり、後のナポレオンの滅亡へと繋がっていくきっかけとなったからです。

さて、「序曲1812年」は、フランス軍がロシアに攻めてくる様子や、ロシア軍がフランス軍をやっつける光景を表現しています。その最大の盛り上がりを見せる部分で「大砲」の出番がやってきます。「大砲」を用いることで、ロシア軍がフランス軍をやっつけたことを強調しているわけです。

チャイコフスキーはこの曲の作曲をとても嫌がりました。彼は友達への手紙の中にも、「この作品を愛情もって作ってはいない」といっているくらいです。それでも、彼は短期間でこの曲を完成させて発表しています。するとロシア国内で大反響を巻き起こし、世に知られる曲となりました。ただし、この曲はフランス国内ではほとんど演奏されることはありません。だって「フランスが負けた」ことを表現している曲なのですから。

先生が君たちに伝えたいことは、「芸術作品」として世に残っているものには、それぞれの背景があり、作曲者の思いや意志が込められているということです。

「読み取る」ということは、単に「国語の問題で正確に答えを出す」というだけではありません。なぜそういう結論に至ったのかということを掘り下げて考えることこそ、真の「読み取り」なのです。
皆さんにはいろんな本に接して欲しいと思います。いろんな情報に接して欲しいと思います。その中で、いろんなことがわかってきます。ぜひいろんなものに接してください。いろんなことを体験してみてください。

皆さんには、多様なものの考え方やものの見方を持って欲しい、そう先生は願っています。