テストで良い点数を取りたい!入試本番で誰よりも高得点を取りたい!
そう願う皆さんなら、一度は「習ったことは、一度で覚えられたら良いのに・・・」と思うことでしょう。

 数年前、中学3年生だった先生も同じことを考えていました。特に社会の年号を覚えるのが苦手だった先生は、受験を前にしてとても苦労していました。ただ、重要な語句を覚えようとしてもなかなか覚えられません。たくさん書いても忘れるものは忘れてしまいます。このままでは、志望校に合格できない・・・

 そこで、先生は「ゴロ」で覚えることに挑戦しました。みんなが知っているゴロだけではなく、その事柄と関連する事件や出来事も一緒に覚えていきました。

例えば、日本の古代の外交といえば・・・
1 607年 遣隋使の派遣
ムレナしていく遣隋使
2 630年 遣唐使が始まる
→遣唐使はロミオさん
3 894年 遣唐使の廃止
ハクシに戻そう遣唐使

この3つが有名ですよね。そして、それに関連づけて・・・
*593年 聖徳太子が摂政となる
→聖徳太子はコックサン
*907年 唐の滅亡
→忘れてクレナと唐滅亡
という風に覚えていきました。少し違和感を感じている人もいるかもしれませんが、遣唐使の中にロミオさんはいませんし、聖徳太子はコックさんでもありません。
でも、そのように印象付けて覚えていくと、ちょっと頭の中に残りやすくなりますよね。記号のようにただ暗記するのではなく、自分の中で覚えやすいように工夫をしていくのです。そしてこれを何度もチェックしながら覚えようとすると、暗記することができます。

「暗記が苦手!」勝手に自分でそう思い込んでいませんか?工夫すれば、いくらでも覚えることが出来ます。
みなさんの覚えやすい、そしておもしろいゴロもぜひ教えてください!

日本語にいろいろな方言があるように、英語にも方言というものがあるのです。コックニーというものを知ってますか?イギリスの下町の、労働者階級の人たちが使っていた独特の訛りを持つ英語です。
例えば、「エイ」と発音するところを「アイ」と発音したり、my father(わたしの父)「マイ ファーザー」をme father「ミー ファーヴァー」と発音したり「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」を「ア・イ・ウ・エ・オ」と発音したりします。
有名なところでは、オードリー・ヘップバーンが演じる下町娘を上流社会で通用する女性に教育する「マイ・フェア・レディ」という映画にコックニーが出てきます。登場人物のヘンリー・ヒギンズ教授が、その下町娘に「エンリー・イギンズ」と呼ばれる場面があります。
また、サッカー選手として世界的に有名なデイビッド・ベッカム選手は、この訛りのため、インタビューが聞き取りにくいと批判され、品がないとまで非難されたことがあります。
かくいう先生も、地方から東京の大学に進学した際、方言が恥ずかしくてなかなか会話ができず、上京してすぐには友人ができませんでした。友ができても、方言は隠して生活していましたが、電話で実家と話をした後で、友人から「今何しゃべってたの?」と訊かれてショックを受けたこともありました。
「英語音声言語学」という授業で、コックニーというものを初めて知った時の担当の先生がおっしゃっていた言葉です。「世界にはいろいろな国があり、いろいろな人が存在し、いろいろな言語が話されています。その言語はいろいろな歴史と文化の中で生まれたものです。言語学者としての私の信念は、“すべての言語は美しい”。」その授業から、先生は方言を隠すことを辞めました。今でも心に残っている授業です。

寒い東北地方の方言にはとてもあたたかみがあります。九州の方言はなんだか勇ましい感じがしませんか。関西弁といっても大阪・京都・兵庫でも少しずつ違いがあるのを最近知りました。日本という国で、日本語の中にも様々な方言があり、それを知ることはとてもおもしろいことだと先生は思います。生まれ育った土地で身につけた独特な言語は、その人の個性です。
日本だけにとどまらず、世界中でもいろいろな人と触れ合い、いろいろな言語を知る=いろいろな文化を知ることは、国際社会ではかかせませんが、同時に自分の言語を知ってもらう=文化を知ってもらうことが大切なことです。皆さんには、互いを認め国や人種を超えたつながりをつくる本当の国際人になってもらいたいと願います。

十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩               
同じ一歩でも覚悟が違う
どこまで行く積もりか
目標が
その日その日を支配する

この言葉をよく噛み締めてみましょう!まさにその通りだとは思いませんか?
この言葉は、横浜高校野球部の監督として何度も同校を全国大会に導き、今は大リーグで活躍している松坂投手をはじめ、多くのプロ野球選手を育てた渡辺監督の座右の銘なのです。松坂投手自身もその影響を受けて自らの座右の銘にしているほどです。座右の銘は、自分の人生を狂わさない、言わば羅針盤の役割も果たしてくれます。何かあったときに思い返すだけで力が出てきますよ。

この言葉の持つ意味は深いものがあります。先生も感銘をうけました。君たちの目標や夢に置き換えて考えてみましょう。簡単に達成できるものよりも、さらに険しく高い目標を設定してその実現にむけた一歩を踏みだす。人間、気持ちの持ち方一つで全てが変わります。強い気持ちを持つ!という動作が大切なのです。諦めたその瞬間ゲームオーバーなのです。全てが終了してしまうのですよ。

高い目標を達成するまでには非常に苦しくなる時期が必ずあります。スランプに陥ってみたり、思いもしない妨げがあったり。そういったものに出くわした時は、決してひるまず、目標達成というゴールへ向けて着実に進んでいる自分が今そこにはいるのだということを自覚してください。そう考えるだけでも力が湧きますよね!

スポーツにおいてですが先生の体験を例に挙げると、高校生の時、河川敷で行われる校内耐寒マラソンで10kmを走った時のこと。自分の持ちタイムで走りきろうと思えば決してきつくはありません。しかし本番ではそうはできません。(先生は陸上部だったので順位とタイムのダブルノルマがあったのです!1つでも達成できなかったらどうなるか・・・今思い出してもゾッとします!)10kmといっても最初は流れに乗っていくので楽ですが、道中のポイントポイントでペースが上がると脱落組がでてきます。ここで一踏ん張りするかどうかで全てが決まります。7km地点を越えたあたりから9kmまでがヤマになります。ついていくだけで精一杯の状況なので一番苦しい時です。とにかく遅れはとらないということと、ただただ呼吸を整えることだけを考えていました。しかし、不思議なもので、あと1kmの看板が見えると今度は順位を意識しだします。前を1人ずつ抜いて1つでも順位をあげていくぞと気合をいれると、今まで一歩一歩歯を食いしばって走っていたのに、何故か足も軽くなりラストスパートを決める自分がそこにはいました。先生自身、短距離が専門だったので出来たのかもしれませんがあの時の快感はいまも忘れることができません。日頃の練習の成果が一番大切な時にだせたことは自信にもつながりました。

みなさんの日頃の勉強への取り組み方も一緒なのですよ。目の前のテストも大切ですが、その先にある大きな目標(自分の将来の夢)を実現させるためには何をするべきなのかを、いい機会なので今一度考えなおしてみましょう。十里の旅ではダメですよ!百里の旅の第一歩を踏みだす覚悟を決めて、日々の行動を起こしていきましょう!

君たちが持つ将来の大きな目標を実現させるために、全ての行動の一つ一つがその日その日を支配するものであって欲しいです。

皆さん、こんにちは。
今日は先生の高校生時代のお話しをしましょう。
今から12年前のことです。
先生の高校は男女共学の公立高校でしたが、男子が女子の2倍いるという変わった高校でした。
部活動も変わっていて、野球部やサッカー部、理科部や茶道部のほかに「応援団部」というのがありました。
普通「応援団」といえば、運動会の前に集められたりするものですよね。
先生の高校の応援団部は部活動が「応援」なのです。
しかもこの応援団部には、学校から直々にいくつかの特権が与えられていて、試合の応援に行くといえば
学校を休んで良かったり、休み時間やお弁当の時間などにはどの教室であっても自由に出入りすることができたのです。
その代わりに夏でも黒い学生服を着て帽子をかぶり、足は裸足。どこに居てもすぐに分かる格好です。

お弁当の時間になると、よく応援団の団員が4~5人ドカドカッといきなり教室に入ってくるんですよ。
そして何をするかというと、ゴミ箱はきちんと分けて捨てているかですとか、先生が授業に来られる前に黒板消しをきれいにしているかとか、教室の後の個人棚にきれいに入れているかとかをチェックして回るんです。
1人でもできていなければクラス全員の連帯責任になって、いきなり「全員集合っ!」と低い怖い声で叫ぶんです。
バツは何かというと・・・「校歌を歌うこと」。実は先生の学校の校歌は4番まであって、全部歌うのは大変なんですよ。全員が間違えなくなるまで、何度もくり返されるんです。それまでお昼ぬき。
担任の先生は、「わが校の伝統だからな」と言って笑って見ているんです。びっくりしましたね。

しかも、教室と教室の間は渡り廊下でつながれているんですが、ここでちょっとでも土足をすると、なぜかどこからともなく「こらーっ!土足すんなぁ!」と叫び声がするんです。朝や放課後になると屋上から見ているんですよ。そしてあとで屋上に呼び出されて・・・校歌を歌わせられるんです。
そのためか12年経った今でも4番まで歌えますよ。

先生も初めのうちは「何でこんな先輩達にここまで言われなければいけないんだぁ!」と反抗していました。
ところがある時、気付かされる出来事があったんです。
ある理由で遅れて学校に行ったときのことです。みんなが授業を受けている間に登校していきました。
門をくぐって進んでいくと、渡り廊下を何人かのおばちゃんがモップで掃除していたんです。
別のおばちゃんはゴミ箱を水で洗っていました。
よく見ると校内にある購買部でパンや文具を売っているおばちゃん達でした。
手伝いましょうか?というとバカタレ早く授業に行けと怒られました。あなたたちが勉強に集中できるようにきれいにしておくからしっかり勉強して来いと、たまにしか話したことがないおばちゃんに言われてしまいました。
そこで先生は「しまった、やられたな」と思ったんです。

おばちゃん達は先生たちが勉強に集中できるようにとやってくれて、それを応援団が支えている。しかも・・・校歌も覚えられる?まぁ、校歌はあまり関係ないけど、そうやって自分の後始末を誰かがやってくれてることに、自分のことばかりでそれまでは気付かなかったけど、支えられてると思うと平気で汚せないし、頑張らないといけないよなぁと思ってしまったんです。
そう、やられたんよ。

だから夏祭りが終わったあと、自販機の横のゴミ箱にいろんな食べカスが捨ててあるのを見ると悲しくなりますね。
誰かが後片付けをしているのに、何てこころないことをする奴らだ!と怒ってしまいます。
学校でもいるかもしれません。自分勝手な人は助けてあげたくなくなってきますよね。

結局誰かに支えられているんだけど普段はあまり気にかけていなんだよ。
君たちもお家の方やまわりの人に支えられているからここに居る。
今、着ている洋服も買ってもらっていなければ自分で縫って作るか葉っぱを着ておくしかないよね。

みんなもたくさんの人を支えたり支えられたりする人になって欲しいと思っています。
今日、キミは誰を支えられるかな?大きいことじゃなくていいと思うよ。
身の回りのプリントの切りかすに注意したり、消しゴムで消す時に隣の人に気をつかうだけでもかなり違ってくるよね。
何よりもやった自分が気持ちよく過ごせます。
特に長く能開に通っている人は、周りの人に教えてあげて!
教えてもらった人は恥ずかしがらずにお礼を言ってね!
そうやって支えて支えられて、この教室に居る全員で志望校合格や夢をかなえようよ。
みんなで支えあって、気持ちよく勉強できて、みんな成績が上がるって最高だよね!

え?先生たちは何をするかって?
もちろん先生たちは、・・みんなの応援団ですよ!
厳しくチェックしていくからしっかりついて来いよ!さぁ、今日のスタートです!

こんにちは、能開小野田教室の佐藤先生です。先生のふるさとは熊本県の阿蘇です。正確に言うと阿蘇外輪山の南側外にあります。阿蘇の中心には活火山の阿蘇山があります。阿蘇山はその規模世界一といわれるカルデラ火山です。現在標高1,592メートルの阿蘇山は本当は標高 6,000メートルくらいあったであろうと外輪山の規模から推測されています。外輪山の中には先月7月の集中豪雨で大きな被害にあった町がたくさんありま す。外輪山の中、つまり火口のまわりに位置しその周囲を外輪山が囲っているわけですから、大雨の時は水が外へ出て行くのにどうしても時間がかかります。さらに周囲の山々は火山灰で出来ているので雨水に弱い。土砂崩れ、鉄砲水となって水の流れを妨げてしまいました。今回の過去に経験のない集中豪雨はとても大きな被害を阿蘇に引き起こしてしまいました。先生のふるさとは外輪山の外です。まだ帰っていませんが、たぶん大丈夫。でも北側の外に住む人たちは、中の人たち同様やはり大きな被害を受けたようです。

そんなことがあった阿蘇にまた今年もあるものがやってきます。それは「☆フェスタ」です。正確に言うとスター フェスティバルです。毎年8月中旬、阿蘇南外輪山の裾野で行われます。全国から(本当ですよ)たくさんの人たちがこの日を楽しみにやってきます。一夜限り の☆フェスタですが、みんな寝袋持って大集合です。なぜかって?それは阿蘇外輪山の大草原に仰向けに大の字に寝そべって満天の夏の夜空を一晩中見るため です。

熊本県には阿蘇山より高い山はありません。ちなみに先ほども書きましたが、阿蘇の高さ(正確には阿蘇五岳で一番高い高岳)は1,592メートル“ひご くに=肥後国(熊本県の昔の呼び名)です。語呂合わせでなく本当なのですよ。だからまわりに障害物は何もありません。空気はめいっぱい澄みきっています。 最高の条件で夏の夜空を見ることが出来ます。特に素晴らしいのは“ミルキーウェイ”そう天の川です。とてもよく見えます。運がいいと流星群を一晩中見るこ とができますよ(ちょっと大げさ!)。流れ星があまりにもたくさん見られるのもどうかとは思いますがね。広い夜空を眺めていると、遠い星達を見ていると、 なんか遠くにある自分の将来、夢を追いかけたくなる気分になってきます。そしてそこからユメがどんどん広がっていきます。

突然、話は変わりますが、土佐 (いまの高知県)の坂本龍馬が毎日桂浜から太平洋を眺めながら「くよくよしてたらいかんぜよ、でっかいユメをもたにゃいかんぜよ」と思ったように、またそ れを「春風や闘志抱いて丘に立つ」と高浜虚子が俳句に詠んだように、さらに無限に広がる夏の夜空を眺めているときっと君にも大きな夢が広がってくるんじゃないかな。

今年の夏、ぜひ夏の夜空を見上げてごらん。するときっと、きみに何かが?!

いま生活していて「本当に便利な世の中になったなあ」と思うことがたくさんあります。遠くに離れていてもすぐに連絡がとれる携帯電話、今のように小型でポケットに入れて持ち運べるようなものではなく、まるでショルダーバックのようなものだったと知っていますか? 知りたい情報がすぐに手に入るインターネット。メールを使う人もいるかもしれませんが、手紙でやりとりすることが当たり前だった時代もあるわけです。今までできなかったことや、できたら便利だろうなと思うことが、どんどん可能になっていく。すごいことですね。

いきなり話は変わりますが、ちょうどこの時期は世間一般的に言う「お盆」と言われる時期ですね。お盆休み、盆踊りなどとよく使われます。
そもそも「お盆」とはどういう行事でしょうか。

一般的には8月13日から15日(関東では約1ヶ月早いところもありますが)において、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく成仏してくれるように、供養する期間のことです。各地の風習などもあり、その期間の行事は様々のですが、基本的には先祖の霊が帰ってくると考えられています。
よく考えてみると、「母の日」「父の日」「敬老の日」など、自分より先に生きている人たちを大切にしましょうという行事やイベントが、日本だけではなく世界中で様々な季節に行われています。

普段生活しているとあまり考えることはありませんが、こういった行事が世界中で大切にされているのも、「自分たちのご先祖さまがいなければ、私たちは存在していない」という、今まで生きてきた人たちを想う気持ちから生じているからだと思います。
最初に話した便利な世の中も、一番最初にそれを発明したり発見した人がいなければ、それらが世に出ることはなかったわけです。
考えてみれば、みんなのお父さんやお母さんであったりおじいちゃんおばあちゃん、もっともっと前のご先祖様がいなければ、先生はもちろん、皆さんもこうしてこの世に生をうけて、お互いがこの場で出会うことはなかったでしょう。そう考えると、いま自分の周りにいる人たちといることが「当たり前」ではなく、「実は結構すごいことなんじゃないか」と思いませんか。

今を生きるにあたって、今までの歴史を築いてくれた人たちに感謝する気持ち、忘れてはいけないですね。

「むか~しむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」で有名な日本昔話の代表作品「桃太郎」。この物語の主要な登場人物(?)を皆さんは知っていますね。もちろん「桃太郎」「猿」「雉(キジ)」「犬」ですが、この登場人物がなぜ「桃・猿・雉・犬」なのか疑問に思ったことはありますか。この理由には諸説あるのですが、その中の一つを紹介します。
では、その前にこの話をするための予備知識を書いておきます。
① 昔、日本では「十二支」で方向を表していました。

② 昔から、北東の方角(丑と寅の間なので艮(うしとら)という)を鬼門(鬼が出入りする方向)と言い、不吉な方向とされています。
③ 昔から桃には「邪気を祓う力」があるとされています。
この三つを頭に入れて読みながら考えてください。

さて、皆さんもご存じの通り「桃太郎」は鬼退治をする物語です。鬼は北東(艮)の方角からやってきますね。この鬼に対抗するために、反対の方角(南西)に目をやると、そこにいるのが未(ひつじ)と申(さる)なのです。そして、申の隣には酉(とり)、その隣には戌(いぬ)。もう分かりましたね。昔話の「桃太郎」に出てくる登場人物は、鬼に対抗するために「申」「酉」「戌」である必要があったのです。そして、さらには、桃太郎は「桃」である必要があり、「柿」や「瓜」ではだめだったのです。なぜなら、桃には「邪気を祓う力」があるからです。
どうでしょうか、こう考えると昔話の「桃太郎」がただの物語ではなく、ものすごく奥深い話に聞こえてくるでしょう。
このように、周りの何気ないモノに対して疑問を持つこと、そして、それを深めること、これができれば、おもしろいと思いませんか。勉強とは、本来こういうモノなのです。今、皆さんは講習会のまっただ中ですが、頑張って「ノートまとめ」をしていますね。このノートまとめ(参考書の利用)を、「疑問を持つこと」「深めること」のきっかけにしてみてください。きっと、今よりもさらに勉強が愉しくなりますよ!

梅雨も明け、本格的な夏がやってきました。日本で夏の風物詩といえば、高校野球。厳しい地区予選を勝ち抜いてきた高校球児たち、今年は甲子園でどんなドラマを見せてくれるのでしょうか。

高校野球は、よく筋書きのないドラマと言われています。今から紹介する夏の甲子園でのお話は51年前、たぶん君たちのお父さん、お母さんが生まれる前の出来事で、『空前絶後の大逆転劇』として、今も語り継がれている一戦です。

時は、1961年夏。夏は3回目の出場となる倉敷工と、この大会が春夏通じて初出場の報徳学園が1回戦で対戦しました。試合は9回まで0―0の投手戦で、そのまま延長戦に突入。そして迎えた11回に両チームが6点ずつを挙げ、追いついた報徳学園が12回に勝ち越し点を挙げ、奇跡のサヨナラ勝利を挙げたというものです。試合の経過をスコア表で表すと

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計算
倉敷工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 6
報徳学園 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 7

となります。

この試合のハイライトは、いうまでもなく11回です。11回表に相手のエースを打ち崩し、6点を挙げた倉敷工の監督は、ほぼ勝利を確信したそうです。その裏、報徳学園に反撃を許しますが、2死ながらも得点差が4点もあったため、これまで好投していたピッチャーを休ませるために降板させ、怪我から復帰した本来のエースをマウンドに送ったことに、それが表れています。一方、報徳学園の監督は、ほぼ負けを覚悟していました。「とにかく1点だけでも取ろう」と選手に激を飛ばしたそうです。常識的に考えて、10回まで1点も取れなかったのに、いきなりの6点差。完封負けだけでも免れたいという気持ちが、本音だったと思います。ところが、選手が予想以上の粘りで、ついに同点まで追いつきました。こうなるともう勝負ありです。12回裏のサヨナラ勝ちはもう必然の結果とも言えますね。

この奇跡ともいえる逆転劇は、報徳学園選手ひとりひとりに、1分1秒でも長く憧れの甲子園でプレーをしたいという想いと最後まであきらめないという強い気持ちが野球の神様に届いたからではないかと思っています。今から各教室で、夏期講習会が始まります。特に受験を控えている生徒は、この夏が勝負です。1分1秒を大切に、最後まであきらめないという強い気持ちで臨みましょう。そうすれば、勉強の神様が君たちに微笑みかけてくれるはずです。

今日できることを100として考えて、今日より0.2パーセントの改善を試みたとしましょう。次の日には100.2できるようになります。10日目には101.8とすこしできるようになります。これを続けていくと1年365日後には207.3になるのです。すごいですね、1年間に約2倍になりました。

この0.2パーセントの改善は前の日と比べると少し良くなることなら何でもいいのですよ。「挨拶の声を少し大きくする」「家の事を今より少し多く手伝う」「朝起きる時間を10分早くする」「嫌いな食べ物を一口食べるようになった。」など毎日少しずつできることでいいのです。できることは1年間で約2倍で、2年で約4倍、3年で約9倍になります。

皆さんの周りに、1年前はたいしたことなかったのに、今はすごくできるやつ、となっている人はいませんか?その人は地道な改善を毎日繰り返している人かもしれませんね。
皆さん、日々の生活の中にこの0.2パーセントの改善を取り入れてみませんか。ほんの少し昨日より今日、今日より明日の改善をしていくことで将来できることの幅が広がっていきますよ。必要なことは、続けること、早くスタートすることです。

みなさんは、「世界がもし100人の村だったら」という話を知っていますか

これは、2001年頃にインターネット上で広まって、世界的に流布した世界の人々の相互理解、相互受容を訴えかける文章のことです。
日本では、中野裕弓さんが翻訳した文章が最初だと言われています。その一部を紹介します。


もしも世界が100人の村ならば

もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
その村には・・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

(中略)

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています

(以下略) ※中野裕弓 原約 「もしも世界が100人の村ならば」より

全文はこちらから
http://www.romi-nakano.jp/100people/index.html


このお話は、そんな風に、今の世界を分かりやすく100人の村にたとえているのです。
一度読んでみてください。そして、考えてみてください。
自分は人よりも恵まれていると思いましたか?
そんなかわいそうな人がいるのかと思いましたか?
人それぞれいろいろな感想があると思います。
この話の重要なところは、1つの村であるところです。
決して別々の村ではない…。
我々は共存しているのです。
私たちは誰のために勉強しているのでしょうか?
自分のためですか?
親のためですか?
私たちは人のために何かをしたときに幸せを感じる生き物です。
他人のために勉強しましょう。
それは最後には自分に返ってきます。
今やっている勉強は人のためになる!
そう思うとなんだかやる気が出てきますね。