先生は、歴史が好きなこともあり、
「もしも、タイムマシンがあったらどの時代に行くか」
なんてことをよく考えます。

縄文時代に行って打ち上げ花火を打ち上げたら人々は腰を抜かすだろうなとか、弥生時代に行って卑弥呼とDSのマリオカートで対戦したいなとか、平安時代に行って上空のヘリコプターから遣唐使に向けて手を振りながら通過したいなとか、考えればキリがありません。

みなさんは、どの時代に行って何を見たいですか。

実は、この問いかけをある教室の小学生にしてみました。
もしも、一つだけ行ける時間があったならばと聞いてみました。

~未来に行って宝くじの当たりの番号をメモしてくる~
~小1の自分に会って、「もっと算数を勉強しろ!」とおどしてくる~
~20歳になっている自分が美人かどうか確かめてくる~
~50歳まで生きているかどうかを確かめてくる~

なかなかおもしろい(くだらない?)ことを書いている人が多い中、先生がとても印象に残った回答がありました。

~去年死んだじいちゃんに会いたい~

一度、過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。もちろん、じいちゃんに会うことはできません。
いろいろなものが不平等であったとしても、時間だけはすべての人にとって平等に過ぎ去っていきます。
時間だけがすべての人に平等であるといってもいいでしょう。

勉強時間の合計が多いとか少ないとか、計画をたてて勉強時間を守れとか、そういうことだけではなく、一度きりの人生の中で「今日一日」という時間を誰と共に、何をして過ごすかを決める人は、自分自身に他なりません。

特に受験生のみなさんはこのような考え方を大切にして、サポートしてくれる家族や周囲の人への感謝を忘れずにいてほしいと思います。

2学期の授業が始まりましたが、ここからは進度が速くなり、また難しい単元も増える時期です。1学期と同じ感覚でやると結構大変かもしれませんので要注意ですよ。そして難しくなってくるこれから気をつけてほしいことがあります。特にいつも「しっかり」「まじめに」やっている人こそ。

学年が上にいくほど、ちょっとやったらわかる、そしてできるようになることはだんだんと少なくなっていきます。小学校までと同じやり方で、中学校の勉強はできません。中学校と同じやり方で、高校の勉強はできません。すこしずつ「進化」させていかなければなりません。

また、小学校のうちは学校のテストで100点を取ることはそれほど難しくはありませんが、中学校で100点、特に全教科で毎回100点を取ることは非常に難しくなります。それが高校に行くとなおさらです。同じ期間のうちに以前の数倍、数十倍の内容をこなさないといけませんし、理解をしないといけません。

その上で気をつけておきたいこと。それは、はじめのその時に「わからない」「できない」ということを決しておそれない、ということです。「しっかり」「まじめに」やりたい人ほど、できないとついついその場でできるまでやろうとします。しかし、宿題やテストには締め切りや制限時間というタイムリミットがあります。制限時間の中でできないと、あせりますし心も乱れていきます。

そういう時にはリラックスしなさい、とまではいいませんが、決して「わからない」ということをおそれないでください。いつもの自分にもどって、落ち着くためにも。

生まれたてから子ども時代までは、だれでもたくさんのことをおぼえ、身につけます。それはわからない、できないことをおそれていないから、自然に身につけていけるのです。気をつけないと人は年を取るごとに、自然に物事を身につけることができなくなっていきます。知らない、わからないのがこわくなっていくから、知ったふり、わかったふりすらしてしまうのです。だから、学べなくなっていくのです。

学び方の一つの方法として「8割原則」という考え方があります。すべて理解できなくても、その内容がだいたいわかれば次に進め、またはとりあえず使ってみなさいという考え方です。といっても80%できればそれでほうっとおきなさいというわけでなく、あとでもう一度学んでそれを10割、100%にしなさいということです。

寝かせたまま次に進んでおいて、あとで振り返ると分かるようになることもありますし、ある程度まで進んで、その単元の全体像がつかめると、以前からわからなかったこともわかるようになることもあります。場合によっては6割、4割理解から始めてもいいかもしれません。

とりあえずやってみる。できないからしない、のではなく。そうしているうちに少しずつつかみかけていく。そしてあとで何度も何度も繰り返す。これが本当にあとで力になる勉強法なのです。

みなさんは、自分の髪の毛が自分の手に刺さったことがありますか?

私にはこの現象がたまにあります。髪の毛を切った直後に起こることが多いです。
髪すきバサミで切ったときにできる枝毛が、手を頭に近づけた時に刺さるようです。
最初に刺さったときは、とても不思議なできごとだったので、本当に驚きました。
でも、その後はたまに起こることなので、驚きや焦りはだんだん薄れておりました。

ある日の昼間、右の親指の先の腹の真ん中に髪の毛が刺さりました。
またかと思っただけで、抜くのを後回しにしてしまいました。
その日の夜のことです。大好きな木製のパズルを作るのに、
ボンドをつけた木と木を接着させようとギュッと手で押した瞬間でした。
「うゎー、いたっ!」親指に激痛が。
そうです。昼間に抜くことを後回しにした長さ2mmほどの髪の毛が、
そのまま垂直に親指の内部に入り込んだのでしまったのです。
摘んで抜こうと毛抜きやピンセットで何度も試みましたが、全く歯が立たずなかなか抜けません。
つい先ほどまでとっても楽しかった時間が、髪の毛1本と格闘する最悪の時間になってしまったのです。
けっきょく、さらに深く入り込んだ髪の毛を、痛い思いをしながら針で掘り出すことに‥。
「たった2mmの髪の毛」をようやく親指から取り出せたのは、針を使い始めてから2時間後のことでした。

簡単にできることを、それを後回しにしたがために、とても苦労することがあります。
何事も早めに実行するなど、ちょうど良い機会を見失わないことが大切ですね。

「タイミング」‥ある物事をするのに最も適した瞬間。
これからその瞬間はたくさん訪れます。後に回してタイミングを逸しないようにしましょう。

ある所に少年(名前はPくん)がいました。両親が教師、祖父も教師、親戚にも教師ばかり。。。という教師一家に生まれたPくんは、自分も教師になるのが当たり前のことだと思っていました。
そんなPくんでしたが、中学生くらいになると隠し持っていた天邪鬼な性格に火が点いてしまったのか、「教師になるのが当然と思われるのは癪だから」ということを理由に「俺は先生にだけは絶対にならない」と両親を含む家族に宣言してしまいました。

時が過ぎて大学生になったPくんは「自分はいったい何をしたいのだろう」「何をするべきなのだろう」と悩んでいました。そんな頃、

『‘何をするべきか、何をしたらいいのかわからない’ということは、発想を転換すれば‘何でもできるあらゆる可能性を持っている’ということだ』

という言葉に出逢いました。目標がないことにちょっと焦りを感じていたPくんでしたが、
「これといった目標がない」ということは逆に言えば「何にだってなれる」
ということを教えてくれるこの言葉に彼はいたく感動し、前向きにあらゆる選択肢を考えてみるようになり、様々なことにチャレンジしました。凝り固まった考えから開放された彼は、少年の頃に絶対にならないと言ったはずの‘塾の先生’にもチャレンジしてみました。そしてその後Pくんは20年以上、塾の先生を続けることになり、今も現役で塾の先生をしています。

P先生が「絶対にならない」とまで言い切ったはずの教師という仕事をずっと続けている理由は何でしょうか。なぜ彼はこの仕事がそんなに好きなのでしょうか。たくさんある理由のうちのひとつは「生徒の笑顔を見ると幸せを感じるから」だそうです。生徒たちの笑顔を見ると、どんな疲れも仕事の辛さも吹き飛んでしまい、いつも元気な自分になれるそうです。
[わからなかった問題がわかった!という時の笑顔]
[がんばったら点が上がった!という笑顔]
[志望校に合格した!という涙混じりの笑顔]
笑顔にも多くの種類がありますが、彼の心に最も響き、この仕事をしていることに喜びを感じる笑顔は
[泣き顔から立ち直り、「がんばる」と再び立ち上がる時の笑顔]
だそうです。そんな尊い場面に立ち会えるのが教師という仕事です。この生徒のこういう笑顔を見たいと願い、それを実現する-この魅力に取りつかれたP先生は生涯現役の先生でいたいそうです。

先生もP先生と同じです。キミたちが見せてくれる笑顔に、キミたちからの感謝の言葉に、キミたちが必死にがんばっている姿に、キミたちが困難を乗り越えて立ち上がる姿に元気をもらっています。
キミたちの家族だってきっと同じです。キミたちを支えて応援してくれている家族の方には、笑顔・感謝の言葉・がんばる姿・立ち上がる姿をしっかりと伝わる形で表現してください。

キミたちと出逢えたこと、共にがんばることでできることに感謝し、ここで改めて宣言します。
「絶対に諦めない!」「絶対に妥協しない!」「キミたちを全力でずっと応援し続ける!」
最高の笑顔を見るために。。。

いよいよ8月も下旬に入り、皆さん充実した日々を送っていることだと思います。
夏休みは、お祭りや旅行など、勉強以外にもいろんなことが目白押しです。となれば、皆さんまずやりたいこと、楽しいことから始め、面倒くさいこと、宿題や勉強に対して後ろ向きになってしまいがちです。
そこで皆さんに、これからの勉強に望む上で、持ってほしい気持ちについて話をしたいと思います。

まず、簡単なテストをします。
今、皆さんは、クタクタになってお家に帰ってきました。早速、冷蔵庫に自分の大好きな飲み物を取りに行きます。自分の大好きな飲み物がそこにはあります。それを取り出すと、コップには大好きな飲み物がちょうど半分入っていました。
さて、皆さんはそれを見て、
「もう半分しか入っていない」と考えるか、「まだ半分も入っている」と考えるか。
まず決めてみてください。どうでしたか?

実はこのテストは、その人がポジティヴかネガティヴかの性格をみる心理テストなのです。もちろん「もう」と考えた人はネガティヴ。「まだ」と考えた人はポジティヴです。
断っておきますが、ネガティヴが全て悪いというわけではありません。ネガティヴは言うなれば慎重派。最悪のことを想定して物事を考えることの出来る人です。
ただし、勉強に関しては、ぜひ皆さんポジティヴな気持ちを持って臨んでほしいのです。

このことは勉強をしていて、壁にぶち当たった時に力を発揮します。
難しい問題が出てきた時、「もう」だめだ、と諦めて、全く手をつけずに終わるか。
「まだ」考えてみよう。出来ないまでも最後まで考え尽くせるか。
その違いです。

講習会で出される問題も出来る問題ばかりではありません。時には今の自分では、決して解けない問題もあるでしょう。
でも考えてみてください。講習会では、その難しい問題が解けるようになるんですよ?
むしろ出来ない問題が出てきたら、「僕」は「私」は、講習会中にこれが出来るようになるんだ。と、前向きに立ち向かって欲しいのです。

皆さんが大きく成長する夏。最高の講習会にしていきましょう!

先生は落語が好きです。話がたくさんあり、また、落語家によって得意としている持ちネタが違います。ネタという言葉は、お鮨でも使います。「たね(種)」が正しいのですが、逆さにして洒落(しゃれ)た言葉です。じゃあ、洒落の語源は・・・なんて、つなげて調べていくと楽しいです。あっそうそう、洒落の「洒」は「酉」ではなく「西」です。

語源を調べていくと、ことわざ、四字熟語などは中国の昔の話に由来しているものが多く、今度は中国の歴史や登場人物に思いをはせ、三国志が、孔子が・・とか、調べていきます。

当然、日本に由来したものも多いです。例えば「日本刀」。実は、先生はこれまた大好きです。何本か持っています。あっと、数え方を間違えました。刀は、「ほん」ではなく、「ふり」です。芥川龍之介は「振り」と泉鏡花は「口」と書きました。美術館・博物館に行くと「口」で書かれています。でも、読み方は「ふり」です。

数口のうちの1口は山城守藤原国清が作った刀です。日本刀は銘が彫られているものが多く、作者や一派がわかります。例えば、「左(さ)」と彫られていていれば左文字という一派が作った刀です。左のなかで有名なものは、桶狭間の戦いのときに今川義元が所持していた刀があります。義元は負け、織田信長が戦利品として持つことになりました。そして「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀」「織田尾張守信長」と銘を加えました。そして、本能寺の変の後、豊臣秀吉、徳川家康と渡っていきました。まさに、歴史の証人です。先生の持っている国清の刀は、朝廷から山城守をいただき、刀に菊の紋章を入れることを許された人が作ったものです。菊で有名な刀となると新撰組の沖田総司の菊一文字です。しかし、実際は一文字派に菊を入れたものは確認されておらず、あったとしても、その当時もかなり高値で買えません。この話は、『司馬遼太郎』の『新選組血風録』から広まった話で、沖田総司は国清を所持していたというのが通説です。

話がそれました。好きな話をしていると止まりませんね。

刀をもとにしている言葉では、
「元の鞘(さや)におさまる」
鞘は刀にあわせて作ります。ちがう鞘では合いません。
「反りが合わない」
鞘と刀の反りがあわず入らないことです。
「焼きがまわる」
刀に焼入れをする際に失敗し、切れない刀になることです。
「付け焼き刃」
切れない刀に鋼の刃を付け足した、間に合わせの刃のことです。
「鎬(しのぎ)をけずる」
刀は、刃で刃を受けそうですが、本来は「しのぎ」で受けます。そうしないと、すぐに刃がかけます。
「切羽つまる」
切羽とは、柄と鞘に添える板金。つまると、刀が抜けなくなります。
「土壇場」
これは、刀ではありませんが、戦国の世、罪人などを 処刑する場所のこと。
「相槌(あいづち)をうつ」
鍛錬で師匠の打つ槌に合わせて弟子が槌を入れることです。
・・・ほかにもたくさんあります。

じゃぁ、刀はどうやって作るのかなと調べていくと、これは、理科の世界です。鉄にもいろいろな種類があり、火の入れ方、冷まし方で、違う性質をもったものが出来て・・・むずかしくなってきましたね。しかし、調べている人にとっては、おもしろくてしかたがないのです。

まずは自分で調べてみてください。知力というパワーがつきます。そして興味を持ってください。パワーが2倍になります。さらに、好きになってください。パワーが3倍になります。つなげて調べられるようになればパワー10倍です。嫌いだ、苦手だと決めて避けているのは自分です。わからなければ調べてみることから始めましょう。そうすると、新しい世界が広がってきますよ。知るということは楽しいことなのです。

そうそう、先生、最初に落語の話を少ししました。落語の世界では、本題入る始めの話を「まくら」といいます。なぜ、「まくら」と言うのかというと・・・・・・。

そうですね。う~ん。もっと話したいですが、ここらで朝礼を終わっておきましょう。
眠くなるといけませんから。

みなさんがふだん使っている「日本語」は本当に正しいですか?間違った使い方をして、損をしているかも知れませんよ。また、日本人として深い知識を身につけてほしいのも事実です。欧米の人も「日本語」はとても難しいとよく言います。今回は、その「日本語」のお話です。

①重ね言葉
テレビでインタビューを受けている人が「あとで後悔しないように頑張りました」と言っているのを聞いたことはありませんか。わかりますよね。後悔の「後」は「あとで」という意味ですから、あえて「あとで」をつける必要はありません。また、受験生が年末になって「最後の追い込みをかけます」と言うのを耳にすることがあります。これも、「追い込み」が最後の力を振り絞ることですから、「最後の」は不要なのです。その他、「電車が発車する」「真っ赤に赤面する」なども仲間です。さあ、重ね言葉の最後は「元旦の朝は早起きして初日の出を見に行った」です。どこがおかしいかわかりましたか?「元旦」というのは「元日」の朝のことです。したがって、「朝」がいらなかったわけです。

②賀寿の常識
「賀寿」というのは長寿のお祝いのことです。もっとも有名なのは六十歳の「還暦」でしょうね。六十歳になって生まれた年と同じ干支(えと)に還るということから「還暦」になったのです。次が七十歳の「古希」です。そして、七十七歳の「喜寿」。「喜」の草書体は 七 となり七十七と読めそうですね。次は八十歳の「傘寿」です。これも「傘」の草書体「仐」が八十と読めます。ここまでくると、次の八十八歳を「米寿」と呼ぶのはわかりますよね。そして、九十九歳の「白寿」、百八歳の「茶寿」、百十一歳の「皇寿」と続きます。

このように日本語は、難しい言語ですが美しく、奥深い言語であることも事実。日本人であるみなさんが、この美しい「日本語」を正しく使いこなし世界に広めてくれるとうれしいです。

先日、サッカー女子日本代表、通称「なでしこJapan」がワールドカップで優勝し世界一になりました。東日本大震災以来、暗いニュースが続く中で元気をもらった人も多いのではないでしょうか。

試合は延長戦の末「PK戦」で日本が勝利しました。試合を見た人は手に汗握りキッカーとキーパーの攻防を見守ったことでしょう。

「PK戦」で世界一が決まった試合はいくつかあります。

1994年にアメリカで行なわれたワールドカップもその一つです。決勝戦はブラジル対イタリアでした。

PK戦でブラジルが3人決め、イタリアの選手が外せばブラジルの優勝が決まってしまうという大切な場面。蹴るのは「イタリアの至宝」と呼ばれたロベルト・バッジョ選手でした。

世界一が決まる大事な、大事な一本。しかし、バッジョの蹴ったボールは無情にもゴールの枠を上に外れ、ブラジルの優勝が決まります。

PKを外したバッジョはこんなことばを残したといいます。

PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」

バッジョのことばの裏には、きっと、こんな考えがあったのでしょう。

失敗するのは恥ずかしいことではない、むしろ、失敗を恐れてボールを蹴らない、チャレンジしないことの方が、恥ずべきことであると。

失敗は行動をおこしたものにしかできません。

さあ、夏が来ました。失敗を恐れずぶつかっていく夏にしませんか?

皆さんは、「なぜ勉強を頑張るのか?」と質問されたら何と答えますか?
おそらく、「学校のテストでいい点をとるため」「第1志望の高校や大学に合格するため」「将来、お医者さんになるため」など、「目標達成のため」と答える人が多いとも思います。あるいは「英語が好きだから」「数学(算数)で難しい問題を解けるとうれいしいから」といった勉強への興味関心を理由に上げる人もいるかもしれません。
では、「なぜ部活を頑張るのか?」と聞かれたら何と答えますか?
「将来、スポーツ選手や音楽家になるため」という人もいると思いますが、大抵の人は勉強と同じように、「同じ部活の皆と勝利したい」などの直近の目標を上げるか、「スポーツや音楽などが好きだから」という興味関心を理由に上げると思います。
もちろん、これらの答えに正解はありません。勉強にしても、部活にしても目標に向かって取り組むことは大切なことです。だだ、将来のある皆さんには是非、「勉強や部活を頑張る理由」についてもう1度、よく考えを欲しいと思います。

皆さんが生まれる前の1981年にアガデミー賞をとった「炎のランナー」という作品があります。
実話に基づいて作られた映画で、ハロルドとエリックの2人の青年がオリンピックに出るお話です。2人とも恵まれた才能があり、絶え間ない努力をすることで、オリンピック金メダルを取るという最高の結果を手に入れます。しかし、この2人の青年には大きな違いがありました。それは、2人がオリンピックで頑張る理由です。
ハロルドはユダヤ人系の血を引いていたため、幼い頃から差別や偏見を受けており、その鬱憤を晴らすために陸上に打ち込んでいました。そして、ハロルドは周りを見返すため、あるいは自分の名誉のために金メダルを取ろうとします。
それに対して、エリックにとって陸上を頑張ることは、周りに対する感謝の気持ちのあらわれであり、自分の信念を守ることでした。

結果的に2人はオリンピックで金メダルを取るという同じ結果を得ます。しかし、金メダルを取ったあとの2人の気持ちには大きな違いがありました。ハロルドは目標を達成し、周囲からも祝福されているにも関わらず、心の虚しさを感じます。それに対して、エリックには達成感からくる心の喜びを感じます。

皆さんこの2人の違いはどこからきたと思いますか?先生は2人の努力する動機に違いがあったと思います。自分自身の名誉や周囲に対する反骨心で努力したハロルドと、周囲に対する感謝の気持ちと自分の信念を貫いたエリックとの違いが最後に心の変化という形で表れたと思います。

話を元に戻しますが、皆さんに勉強や部活を頑張るにあたり、2つのことを考えて欲しいと思います。

1つ目は、周囲に対する感謝の気持ちです。どんなに自分が頑張っているつもりでも、人間一人では何にも出来ません。家族や学校の先生、塾の先生、友達などの支えがあって自分が頑張れるということを忘れないでください。
そして、2つ目は将来のある皆さんだからこそ、多くの人を幸せに出来るような夢を持って欲しいということです。「医師になって、多くの病気で困っている人を助けたい!」「原発に変わる環境に優しいエネルギーを開発したい!」「音楽を通して多くの人に喜びを与えたい!」そんな夢を持って、勉強を頑張ってくれる子どもたちがティエラからたくさん出てきて欲しいと思います。
最後になりますが、今までの自分の学習を振り返り、エリックのような達成感を得られる、そんな夏休みになることを先生は期待しています。

みなさんは、桑田真澄さんという人を知っていますか?もう引退してしまった人ですから、野球好きの人でも知っている人は少ないかもしれませんね。元プロ野球選手で、先生が小学生~高校生のころ、桑田さんは全国の野球少年にとってはスーパーヒーローだったのです。

どれくらいすごい人だったかというと、まず、高校1年生の夏の甲子園で、いきなり事実上の「エース」として、同じ1年生で「4番バッター」の清原選手とともに全国制覇。そしてその後も大活躍を続け、甲子園では、高校3年間で出られる5つの大会にすべて出場。そして優勝が2回、準優勝が2回、ベスト4が1回という、とんでもない結果を出した人です。個人としても、甲子園の勝利数は、戦後第1位。甲子園で打ったホームランの数は歴代第2位です。(歴代1位は清原選手)その後プロ野球に入り、巨人のエースとしても大活躍した人です。

そんなすごい人の高校時代のお話です。

桑田さんは、高校に入学し野球部に入ったのですが、最初に「無理だ」と思ったそうです。まわりはみんな体も大きいし、野球がうまい。自分は体も小さいし、結果も出ない。そこで、高校をやめることも考えたそうです。しかし、そこであきらめずに努力を続けたところ、どんどん結果が出るようになったのです。

ここまでは、よくある話ですね。「努力をすれば必ず結果は出る」というお話はみなさんもよく聞かされることでしょう。しかし、桑田さんの努力の話は少し違うのです。

高校生の桑田さんは2種類の努力をしました。ひとつは「表の努力」。これは、走ったり、腹筋をしたり、ピッチング練習をしたり・・・。つまり、野球がうまくなるための努力ですね。しかし、桑田さんは、もうひとつ、「裏の努力」をしたのです。

みんなよりも少しだけ早く起きて、1日10分、毎日寮のトイレ掃除をする。みんなより少しだけ早くグランドに行き、20本だけ草むしりをする。ろうかに落ちているゴミを拾う。大きな声であいさつをする。玄関の靴をそろえる。こういうことを3年間続けました。野球にまったく関係のない努力ですね。

しかし、この「裏の努力」を続けるうちに、不思議なことが起きてきました。桑田さんが打たれたときには、味方の正面に打球が飛んだり、味方がファインプレーをしてくれたり、自分が打った打球が風に押されてホームランになったり・・・。とにかく「運」が良くなっていったそうです。桑田さんによると、甲子園で打った6本のホームランも、ほとんどが「風」のおかげだということです。桑田さんは、決して「精神論」だけの人ではありません。日本の野球界でも屈指の「理論派」です。そんな人が言う言葉だけにとても興味深いですね。

さて、この話を聞いてみなさんはどう思いましたか?「そんなわけない」「運なんて信じられない」と思う人もいるでしょう。「1日10分ならやってみようかな?」「靴をそろえるくらいならやってみてもいいかな?」と思う人もいるでしょう。

でも、1日10分のことで運がよくなるのであればやってみる価値はあるのではないでしょうか。やってみて損はなさそうですね。いや、やってみたら、続けてみたら、きっといろんないいことがありますよ。

では最後に桑田さんの言葉で終わります。

「裏の努力に、技術は必要ありません」