皆さんは、「なぜ勉強を頑張るのか?」と質問されたら何と答えますか?
おそらく、「学校のテストでいい点をとるため」「第1志望の高校や大学に合格するため」「将来、お医者さんになるため」など、「目標達成のため」と答える人が多いとも思います。あるいは「英語が好きだから」「数学(算数)で難しい問題を解けるとうれいしいから」といった勉強への興味関心を理由に上げる人もいるかもしれません。
では、「なぜ部活を頑張るのか?」と聞かれたら何と答えますか?
「将来、スポーツ選手や音楽家になるため」という人もいると思いますが、大抵の人は勉強と同じように、「同じ部活の皆と勝利したい」などの直近の目標を上げるか、「スポーツや音楽などが好きだから」という興味関心を理由に上げると思います。
もちろん、これらの答えに正解はありません。勉強にしても、部活にしても目標に向かって取り組むことは大切なことです。だだ、将来のある皆さんには是非、「勉強や部活を頑張る理由」についてもう1度、よく考えを欲しいと思います。

皆さんが生まれる前の1981年にアガデミー賞をとった「炎のランナー」という作品があります。
実話に基づいて作られた映画で、ハロルドとエリックの2人の青年がオリンピックに出るお話です。2人とも恵まれた才能があり、絶え間ない努力をすることで、オリンピック金メダルを取るという最高の結果を手に入れます。しかし、この2人の青年には大きな違いがありました。それは、2人がオリンピックで頑張る理由です。
ハロルドはユダヤ人系の血を引いていたため、幼い頃から差別や偏見を受けており、その鬱憤を晴らすために陸上に打ち込んでいました。そして、ハロルドは周りを見返すため、あるいは自分の名誉のために金メダルを取ろうとします。
それに対して、エリックにとって陸上を頑張ることは、周りに対する感謝の気持ちのあらわれであり、自分の信念を守ることでした。

結果的に2人はオリンピックで金メダルを取るという同じ結果を得ます。しかし、金メダルを取ったあとの2人の気持ちには大きな違いがありました。ハロルドは目標を達成し、周囲からも祝福されているにも関わらず、心の虚しさを感じます。それに対して、エリックには達成感からくる心の喜びを感じます。

皆さんこの2人の違いはどこからきたと思いますか?先生は2人の努力する動機に違いがあったと思います。自分自身の名誉や周囲に対する反骨心で努力したハロルドと、周囲に対する感謝の気持ちと自分の信念を貫いたエリックとの違いが最後に心の変化という形で表れたと思います。

話を元に戻しますが、皆さんに勉強や部活を頑張るにあたり、2つのことを考えて欲しいと思います。

1つ目は、周囲に対する感謝の気持ちです。どんなに自分が頑張っているつもりでも、人間一人では何にも出来ません。家族や学校の先生、塾の先生、友達などの支えがあって自分が頑張れるということを忘れないでください。
そして、2つ目は将来のある皆さんだからこそ、多くの人を幸せに出来るような夢を持って欲しいということです。「医師になって、多くの病気で困っている人を助けたい!」「原発に変わる環境に優しいエネルギーを開発したい!」「音楽を通して多くの人に喜びを与えたい!」そんな夢を持って、勉強を頑張ってくれる子どもたちがティエラからたくさん出てきて欲しいと思います。
最後になりますが、今までの自分の学習を振り返り、エリックのような達成感を得られる、そんな夏休みになることを先生は期待しています。

みなさんは、桑田真澄さんという人を知っていますか?もう引退してしまった人ですから、野球好きの人でも知っている人は少ないかもしれませんね。元プロ野球選手で、先生が小学生~高校生のころ、桑田さんは全国の野球少年にとってはスーパーヒーローだったのです。

どれくらいすごい人だったかというと、まず、高校1年生の夏の甲子園で、いきなり事実上の「エース」として、同じ1年生で「4番バッター」の清原選手とともに全国制覇。そしてその後も大活躍を続け、甲子園では、高校3年間で出られる5つの大会にすべて出場。そして優勝が2回、準優勝が2回、ベスト4が1回という、とんでもない結果を出した人です。個人としても、甲子園の勝利数は、戦後第1位。甲子園で打ったホームランの数は歴代第2位です。(歴代1位は清原選手)その後プロ野球に入り、巨人のエースとしても大活躍した人です。

そんなすごい人の高校時代のお話です。

桑田さんは、高校に入学し野球部に入ったのですが、最初に「無理だ」と思ったそうです。まわりはみんな体も大きいし、野球がうまい。自分は体も小さいし、結果も出ない。そこで、高校をやめることも考えたそうです。しかし、そこであきらめずに努力を続けたところ、どんどん結果が出るようになったのです。

ここまでは、よくある話ですね。「努力をすれば必ず結果は出る」というお話はみなさんもよく聞かされることでしょう。しかし、桑田さんの努力の話は少し違うのです。

高校生の桑田さんは2種類の努力をしました。ひとつは「表の努力」。これは、走ったり、腹筋をしたり、ピッチング練習をしたり・・・。つまり、野球がうまくなるための努力ですね。しかし、桑田さんは、もうひとつ、「裏の努力」をしたのです。

みんなよりも少しだけ早く起きて、1日10分、毎日寮のトイレ掃除をする。みんなより少しだけ早くグランドに行き、20本だけ草むしりをする。ろうかに落ちているゴミを拾う。大きな声であいさつをする。玄関の靴をそろえる。こういうことを3年間続けました。野球にまったく関係のない努力ですね。

しかし、この「裏の努力」を続けるうちに、不思議なことが起きてきました。桑田さんが打たれたときには、味方の正面に打球が飛んだり、味方がファインプレーをしてくれたり、自分が打った打球が風に押されてホームランになったり・・・。とにかく「運」が良くなっていったそうです。桑田さんによると、甲子園で打った6本のホームランも、ほとんどが「風」のおかげだということです。桑田さんは、決して「精神論」だけの人ではありません。日本の野球界でも屈指の「理論派」です。そんな人が言う言葉だけにとても興味深いですね。

さて、この話を聞いてみなさんはどう思いましたか?「そんなわけない」「運なんて信じられない」と思う人もいるでしょう。「1日10分ならやってみようかな?」「靴をそろえるくらいならやってみてもいいかな?」と思う人もいるでしょう。

でも、1日10分のことで運がよくなるのであればやってみる価値はあるのではないでしょうか。やってみて損はなさそうですね。いや、やってみたら、続けてみたら、きっといろんないいことがありますよ。

では最後に桑田さんの言葉で終わります。

「裏の努力に、技術は必要ありません」

平成3年9月28日早朝、津軽地方を襲った台風19号。
最大瞬間風速50メートルを越える強風で津軽地方全域にわたり大きな被害を残しました。

町のいたるところで電柱が倒れ、建物が損壊し、トタン屋根が飛んでしまうほどの強烈な台風でした。当時、連日のようにその凄まじい状況をテレビ中継していたのを思い出します。

青森、津軽地方といえばリンゴ。台風通過後に、リンゴ畑を見に行った農家の方々は、皆しばらく声も出ませんでした。収穫前のリンゴが木から落ち、あたり一面に敷き詰められている。9割がたのリンゴが出荷できなくなりました。そんな状況を見て、りんご生産に見切りをつけた人もいたそうです。落ちたリンゴを拾い集めながら、農家の方々は何を考えていたのでしょう。普通なら、どうしようもない状況に途方にくれ、ただただ悩むばかり。リンゴで生計を立てている農家にとっては死活問題です。

ところが、この危機的な状況をいとも簡単に切り抜ける打開策が若いリンゴ農園経営者の間から提案されました。50メートル以上の暴風にも耐えた落ちないりんごを、全国の神社で、受験生に縁起物として販売し、併せてりんご栽培の起死回生の一助にしようというアイデアが出されたのです。

まず、落ちないりんご販売実行委員会が組織されました。 受験シーズンに間に合わせるため、しばしば会議が開かれ、そして、『落ちないりんご』ができました。値段はおそらく落ちた分をカバーできるように通常よりは高く設定されていたのでしょう。

明治神宮(東京)、湯島神社(東京)、亀戸天神社(東京)、大国魂神社(東京)、谷保天満宮(東京)、鶴岡八幡宮(神奈川)、岩津天満宮(愛知)、熱田神宮(愛知)の、計8カ所で販売された『落ちないリンゴ』は瞬く間に完売し、リンゴ農園の経営は守られました。

『落ちないリンゴ』を提案した若手経営者は、ものすごいアイディアマンだったのでしょうか。そうではないのです。要は、“着眼点の違い”だけなのです。

「9割がたのリンゴが落ちてしまった」という“事実”に対して、散らばったリンゴを見て「どーしよー」とただ途方にくれた人と、落ちなかったリンゴを見て「どーしよー」と考えた人。このちょっとした視点の差が、経営を諦めた人と、『落ちないリンゴ』で成功した人との大きな差を生んだのです。人間って、基本的にはNegativeな方に目が向いてしまうものです。
大抵の人がそうだと思います。けれど、ちょっと考え方や視点を変えるだけで、大分違った結果を生むものです。だったら、Positiveに考えたほうがいいですよね。楽しく生きるために、日頃からPositive Thinkingの訓練をしましょう!

「バレエ」と聞くと何を思い浮かべるでしょう。
「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、柔らかい体、トゥシューズ・・・
きらびやかな美しいイメージがありますね。

先生の好きなバレリーナに、吉田都さんという方がいます。
吉田さんは9歳からバレエを習い始め、18歳で有名な国際コンクールで一番名誉ある賞を受賞しイギリスのバレエ学校へと留学します。踊ることが大好きで、レッスンが大好きな少女でした。
自信と希望を持って向かったイギリスで彼女を待っていたのは、楽しいことばかりではありませんでした。当時を振り返って、彼女は「鉛色の空の下を歩いているようだった。」と言っています。
一番の衝撃は日々のレッスンにありました。
「あなたは今、何を表現しているの?」
「あなたはどうなりたいの?」
先生からレッスンのたびにこの問いかけをされました。初めての問いかけでした。

毎日毎日問いかけられても、答えは出ません。周りの生徒たちは次から次へと答えていきます。自分だけ置いていかれているようで、日本に帰りたいという思いが強くなっていきました。

苦しい思いをしながらも、毎日答えを考えながら何ヶ月かが経ちます。
ある日、レッスン中に踊っている吉田さんの頭に、ふと「これを表現したい」「私はこうなりたい」という思いが浮かびました。毎日、自分でも問いかけながら答を探していたからでしょう。
「それからは、イギリスの重たい空の雲が晴れていくように、気持ちも晴れていった」
吉田さんがバレエ学校で才能を発揮し、ソリスト(バレエの中心となる役柄)に選ばれ始めたのもその頃です。

「あなたは何を表現したいの?」
「あなたはどうなりたいの?」

この問いかけに、あなたならどう答えますか?

もし今答えられなくとも、その答えを見つけたときが、
あなたの力を発揮できるチャンスになるかもしれません。

皆さんは家事労働をしていますか?
家事労働は単なる「お手伝い」ではありません。「家の仕事の分担」です。お米を研ぐとか茶碗を洗うとかお風呂掃除とか、家で誰かがしなければならない仕事を請け負うことです。お手伝いならしてもしなくても生活は成り立っていきますが、家事労働としての役割はしないとたちまち生活に支障をきたすのです。例えば、お米研ぎが遅れると家族の夕飯が遅れるといった具合です。

こういった役割がある人は、家事をやらなくてはならない時刻になったらさっさと取り掛からなければなりません。外で遊んでいても時間になったら引き上げなければなりませんし、ゲームに夢中であっても中断しなければなりません。そこにはスイッチの切り替えが必要なのです。だから毎日、責任のある家事を分担されている人は、このスイッチの切り替えができるようになっていきます。手早くきちんと家事を済ませてからまた自分のしたいことをします。自然に集中力や俊敏性も備わってきます。こういう人は勉強もてきぱきしていけるようになります。併せて、家事労働を通じて親の苦労もわかる人になります。また、自分も家庭生活を支える上でなくてはならない一員なのだという誇りも生まれます。人の立場の分かる人にもなっていきます。
これは「見える学力、見えない学力」(著者:岸本裕史)という本にあった話です。岸本裕史先生は陰山英男先生が有名にされた「百ます計算」を考案された方です。

勉強を言い訳にして家のお手伝いから逃れている人はいませんか?
勉強時間の質を高めるのは集中力です。家の役にも立ち集中力も身につけられる良い生活習慣を身につけてください。

3月11日に発生した東日本大震災から3ヶ月が過ぎました。今回の震災により被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。
また、このたび『復興の種』では、全国の皆さんから温かいメッセージと多くの支援をいただきました。ありがとうございました。
少しずつ復興の足音は聞こえてきましたが、元の状態に戻るには、まだまだ長い時間がかかります。今後も復興に向けて皆で協力していかねばなりませんし、今回の震災から皆さんには多くのことを学んで欲しいと思います。

今回の震災から一つ皆さんに紹介したい記事があります。

ある新聞記者の方が、宮城県石巻市のある小学校を取材していたときのことです。この小学校は校舎1階が津波にのまれながら避難所となっており、ある日、男性タレントや女性歌手が慰問に訪れました。「本物だ!」とサインをもらおうとした子どもたちは、案内役の人に「時間が限られているのでできない」と拒まれました。
一人の女の子はがっかりした表情を見せたそうですが、恥ずかしそうに「サインして」とその記者の方に近づいてきました。「有名人じゃない」と説明しても「いいの、集めるのが好きだから」と、真新しいドラえもんの表紙のノートを差し出しました。きっと支援物資でもらったのでしょう。パラパラめくってみると、どのページも真っ白でした。記者の方は恥ずかしそうに1ページ目にサインされたそうです。「大事にする。」顔を赤らめながら少女は言いました。

「いいもの、見せてあげる。」別の日、校庭で4年生になる別の女の子は、和紙でできた花柄の小箱から金色の2つのピンバッジを取り出しました。
「アメリカの人が私と弟と友達にくれたの。『日本中で3人しか持っていないから自慢できるよ』って。」行方不明になられた方の捜索やがれき撤去のために学校周辺に来ていたアメリカ軍の一人から帰り際に贈られたそうです。
「弟のも持ち歩いているの。ずっとなくさないようにね。」がれきから見つけたという小箱に、大事そうにバッジをしまいました。

「地震でたくさんのものを失いました。大切な人、おうち、思い出の品。でも相手を思いやる優しい心、大切な気持ちはなくなりません。」

つらいときにお互いで支えあう優しい気持ち。
その気持ちを最近感じた人もいるでしょう。しかし、まだその温かい気持ちをよく分からない人でも必ずそのありがたさを実感できる日がきっと来るはずです。
ぜひ、この夏は合宿や講習会を通して多くの人と交流を深めるなかで、お互いに支えあう心を学んでください。

先生は金沢本校の中3Vクラス(難関クラス)で社会を教えています。実は今でこそ社会を教えていますが、私が小学生のとき、社会という科目が嫌いで嫌いでたまりませんでした。社会の授業はほとんど聞かず、社会のノートに落書きをする毎日でした。それが今では「社会の先生」なのですから、人はどこでどう大きく変化するかわからないものです。

私の大きな変化は、小学5年生のときの休み時間でした。その時、クラスの中ではやっていたのが「どれだけたくさん暗記ができるか」という競争でした。皆さんも経験がありませんか?小学5年生のときに「円周率をどれだけたくさん覚えられるか」などを競ったことが。

ただ先生はちょっとだけ ひねくれてましたね。

「みんなが覚えている円周率なんかで競ってもおもしろくない。どうせなら、みんなが覚えられないようなものを覚えてやろう」という、意味不明な闘志がわいていたのです。そこで覚えようと思ったものが「歴代の天皇の名前」でした。初代は神武天皇から始まり、綏靖→安寧→懿徳・・・と続くわけですが、その125代まである天皇の名前を、漢字も含めて全て暗記しました。

その知識ははっきりいってほとんど役に立ちません。強いて言えば「高校の古典」と「百人一首」のときぐらいでしょうか、覚えていて良かったと実感できたのは。間違いなく高校入試や大学入試では全く必要のない知識です。入試だけを考えれば確かに「無駄な知識」かもしれません。ただその「無駄な知識」を身につけるためにやった様々な動作は、今の自分にプラスになっています。

○チラシの裏を使ってひたすら書きまくった
○書いても覚えられなかったので、声に出して読んでみた
○似たような名前をグループごとにまとめ、順番にしばられない方法で覚えた

…など、いろんなことを試しました。途中で「くだらない。もうやめてしまおう」と思ったこともありましたが、一方で「途中でやめるのは悔しい」という思いもありました。そういった思いが駆け巡る中で、様々な工夫をしました。また目標としていた人数まで覚えられたときの大きな達成感もありました。そして何よりも、最終的に125名を覚えたときには、社会という科目が好きになっていたのです。
これらは「学ぼう」と思って身につくものではありません。気がついたら身についていたものです。

人はどこで大きく変わるか誰にもわかりません。入試に必要な知識を身につけることも大切です。
一方で、入試には直接関係ないものであっても、それを「最後までやりぬくこと」は立派な勉強であり、自分に新たな力を与えてくれる機会だと思うのです。

身体を動かしていなくても、算数や数学の問題を前に格闘したあと、「あ~お腹がすいた~」という経験をしたことが皆さんあると思います。受験生なら夜中の勉強の後の夜食が楽しみ♪という人も多いかもしれませんね。

実は「頭を使うとお腹が減る」ということには、ちゃんとした理由があるんです。

皆さんの頭の中にある「脳」は、体重のおよそ2%の重さがあります。たったそれだけの重さにも関わらず、脳で使われるエネルギーは身体全体の20%もあるのです。つまり脳は体の他の部分の10倍のエネルギーを使っているのです。「頭を使うとお腹が減る」のは、気のせいなんかではなく、ホントのことです。

脳で使われるエネルギー源はブドウ糖(グルコース)だけです。ほかの体の細胞のようにいろんな成分を燃料として使うと、燃えカスとして細胞に負担がかかる物質ができてしまう。でも、グルコースを燃焼させると水と二酸化炭素しかできません。ほかのものは一切できません。とってもクリーンなエネルギー減なのです。

なぜ「頭を使うとお腹が減る」のかというと、脳の中にセンサーがあって、このグルコースの濃度を感知しています。頭を使うとグルコースが減っていきます。もしも極端に低下してしまうと、脳の神経細胞はエネルギー不足でどんどん死んでしまい、危険な状態になります。こんなことにならないように、グルコースの濃度がある程度下がってくると、「お腹がへった~」というSOS信号を出すのです。脳を守るためのしくみが働いているんですね。

勉強を頑張って、お腹が空いたと感じたら、それはいっぱい頭を使ったという証拠。よし、今日は腹ペコになるくらい勉強するぞ!というのも面白いかもしれませんね。もちろん、すぐにエネルギー切れになっては困りますから、しっかり食べてから勉強した方がよさそうですよ。

新年度のゼミが始まって1ヶ月半。能開福井本校では、第1回目のゼミで「将来の夢や志望校」など、子どもたちが今、どんな夢・憧れを持っているのかをアンケート調査しました。このアンケートをもとに、親・子・先生による三者面談が5月中も継続して行われています。

小学3・4年生でも、半数近くの会員が自分の夢について書いています。ましてや小学5・6年生や中学生にいたっては、約8割近くの会員が夢の職業(憧れの職業)を書いています。
いろいろある職業の中でも一番人気は…。「医師」のようです。

三者面談で、「なぜ医師になりたいのかな?」という質問を投げかける私。やはり、「困っている人を助けてあげたいから。」という返答が多い中、「ドラマで医師の活躍するドラマがあって、それで憧れて。」という回答もあったりします。実際に医師をされている保護者の方に最近のドラマについてその信憑性(現実の医療現場に近いのか)を尋ねたところ、案外信憑性が高い(医療現場に近い)らしいので驚いています。

さて、高度な専門性と豊かな人間性を必要とされる医師。社会的にもそのステータスは高く、相当の高い学力を身に付けていかねば医師にはなれない現実。今回ご紹介したいのは、医師としてご活躍されている方で、へき地診療所から医療現場をスタートされた方の福井新聞に掲載されたエッセイ(随想)です。

医師免許取得後3年目で赴任を命じられた先は、医師は自分一人だけのへき地診療所。「不安」と「不満」が入り混じる中、様々な症状を抱えて来診される患者さん。その多くは高齢者。その中に、難治性湿疹を治すために通ってこられたおばあちゃんがおられました。

処方した私の薬では治らず、皮膚科に通ってそれを治された後で「先生、今度からこの薬を出すといいよ。」と教えてくれたおばあちゃん。私のような若造を医師として頼りにしてくれたり、育ててくれたりする村の人々と接していくうちに「この人たちのために自分は何ができるのか」と考え始めました。さらに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。

~(中略)~

実は一度、非典型的な症状の肩こりを呈したクモ膜下出血を見逃してしまった経験が私にはあります。患者さんの親戚の方は、誤診で気落ちする私を責めるどころか慰めてくれました。「一生懸命やってもうまくいかないことは誰にでもある。先生、こういうことはお互い様だよ。」…私にとって生涯忘れられない言葉となりました。幸いにもこの患者さんは全く後遺症のない状態で退院し、今でもお元気です。自分自身が大きな病気を患って2ヶ月間仕事を休んだ間も、村の人々からのたくさんのお見舞いや激励をいただいたりしました。

若い頃は自分が地域を支えているつもりでした。ところが、様々な恥ずかしい経験・体験などを通じて、それでも許していただいたりしていた自分を省みると、実は地域に育てられ、地域に支えられてきたことに感謝する気持ちでいっぱいの自分がここに存在しているのです。

「失敗は成功のもと」ということわざがありますが、十代の若いみんなの失敗は、周りの先輩たちや大人たちが受け止めてくれ、またいろいろと助言してくれるものです。見知らぬ世界(非日常の生活空間)に飛び込んでいろいろな人と交わる中で、対立・葛藤することも当然あるでしょう。そういった経験を積んで、みんなはたくましい人間へと成長していくのです。この夏、勉強にスポーツにボランティア活動に大いにチャレンジしましょう!

自転車競技の一つに「ダウンヒル」があります。

夏場のスキー場など、急斜面の荒れ地につくられたテクニカルなコースを高速でいかに速く走破するかという単純な競技です。

はじめてダウンヒルの大会に出場したときのことです。たいした練習もせず、ひどく軽い気持ちで出場した大会でした。それなのに、とにかく緊張したことを覚えています。自転車はマウンテンバイク、前後のサスペンションは当たり前で、肘・肩・胸・脊椎を保護するプロテクターにフルフェイスヘルメット、口にはマウスピース、手にはグローブをはめます。ダウンヒルの大会では通常は一人ずつスタートしタイムを計測していきます。スタート地点には「スタート台」があります。スタート台は一段高く、この場所から岩や木の根っこでゴツゴツしたコースを見渡すことができます。

心の中では「どうせ速く走れやしない」「誰も期待していない」と思っても、順番が近づくにつれ緊張感はどんどん高まっていきます。スタート地点の人が背中をたたいてスタート。練習とは比べものにならない緊張感からまったく思うようにレースをすることが出来ませんでした。

練習でできないことはもちろん本番では出来ないけれど、練習でできていることも本番では出来ませんでした。

ほんの数分の「勝負」ですが、自分が「いける」「できる」という強い気持ちで挑めなかったことが残念で仕方ありませんでした。原因はもちろん練習不足です。

さて、みなさんも「勝負」をしなければいけない場面があります。それは部活の大会、学校のテスト、受験、検定試験、もしくはクラスの前での発表なんかもそうかもしれません。どれだけ軽い気持ちで挑んだとしても、必ず緊張します。強い気持ちで「勝負」するためには「練習すること」と「練習する方法を考えること」です。どちらも積み重ねが大切です。その積み重ねが緊張感をおさえ、自信を与えてくれます。自分に自信を与えてくれるのは自分自身です。

そして「勝負」の日は自分では決められません。ある日突然決まります。部活の大会や学校のテストがそうだと思います。ですから文句を言わず、「勝負」の日が決まったらすぐに行動です。

その日から練習あるのみです。