みなさんは、将来どんな職業につきたいですか?
ここで、2025年の小学生の「なりたい職業ランキング」を紹介します。
(第一生命保険株式会社・第36回第一生命『大人になったらなりたいもの』アンケートより)

【小学生・男子】
1位 会社員
2位 ユーチューバー/動画投稿者
3位 野球選手

【小学生・女子】
1位 パティシエ
2位 会社員
3位 美容師/ヘアメークアーティスト

男子の3位に野球選手が入ったのは、大谷翔平選手の活躍の影響でしょうか。
女子では、ほかにも漫画家・イラストレーターや医療系の職業などが人気を集めています。
ちなみに、中学生や高校生のランキングも公開されていますので、興味のある人は調べてみてください。

世の中には数えきれないほどの職業があります。
その中から「自分に合った職業」を見つけるために大切なことは、先生は「自己分析」と「情報収集」だと思います。

<自己分析>
・自分の「好きなこと」「得意なこと」「興味があること」を掘り下げて考えてみる。
・過去に「楽しい」「やりがいがある」と感じた経験や達成できたことを思い出す。

<情報収集>
・ネットで調べるだけではなく、気になる分野のボランティアやインターンシップに実際に挑戦する。
・憧れの職業に就いている人に話を聞いてみる。

ここで「でも、実際にどうやって体験したり話を聞いたりすればいいの?」という疑問が出てくると思います。
今は中学校で職業体験が行われることがあります。そのときにその職場を体験したり、働く人の話を聞くことができます。
もう少し将来のことが見えてくる大学生になれば、アルバイトを通じて学べる機会もたくさん出てくるはずです。

将来就く仕事は、みなさんの人生の大きな時間を占めるものです。
だからこそ、実際に現場を見て、足を運んで体験し、自分の目で確かめて調べる。
そうしたプロセスを通じて「本当に自分に合う仕事」を見つけてほしいと思います。
そして、そのために欠かせないのが「自分で分からないことを調べる力」です。
社会に出てからも一生必要になる力です。
まずは、日常の能開や学校の宿題をするときから、分からないことをすぐにネット検索するのではなく、辞書や参考書を使って調べる習慣を身につけていきましょう。

やる気は「後から」ついてくる!サボり癖を直す裏ワザ
食欲の秋、スポーツの秋、ゲームの秋、読書の秋、そして「自分をレベルアップさせる勉強の秋!」何か新しいことにチャレンジするのに最高の季節がやってきましたね。
夜の時間も増えて、「よし、今年は本気で頑張るぞ!」と思っている人も多いでしょう。
でも、こんな風に悩んでいませんか?
・「机に向かいたいけど、体が動かない…」
・「始めても、集中力が続かない」
安心してください。
それはあなたの意思が弱いからではありません。
勉強を始める「きっかけ」を知らないだけなんです。
今日は、やる気がゼロでも勉強を始められる、最強の脳の仕組みを紹介します。

脳を「だます」魔法のスイッチ!「作業興奮」とは?
みんなは「作業興奮」という言葉を知っていますか?
これは、「やる気」がなくても、とりあえず行動を始めると、脳が勝手に興奮し、自然と集中力や「もっとやりたい!」という意欲が湧いてくる仕組みのことです。
まるで自転車の最初のペダル一漕ぎのようなもの。
漕ぎ出すまでが大変ですが、一度動き出せばスムーズに進みますよね?
つまり、「やる気」は行動の【後に】生まれるんです!
この脳の仕組みを使えば、勉強はもちろん、部活のきつい練習にも前向きに取り組めるようになります。
この「作業興奮」を確実に起こすための、誰でもできるシンプルな3つのアクションを紹介します。

1. 【ゼロスタートOK】「最初の1ミリ」だけ動いてみる
完璧を目指すのはやめましょう。
まずは、「え、これだけでいいの?」と思うくらい、心理的な負担がゼロの超簡単な目標を設定します。
・「とりあえず、最初の1行だけノートに書いてみる」
・「たった5分だけこの問題に取り組んでみる」
・「カバンから教科書を出すだけ」
大切なのは、行動のハードルを極限まで下げること。
このごく小さな一歩が、脳の「側坐核」というやる気スイッチの司令塔を刺激し、興奮のきっかけを作ってくれます。

2. 【5秒カウントダウン】考える前に「GO!」
世界的講演家も使う「5秒ルール」は、サボり癖を断ち切る超強力な方法です。
「勉強しなきゃ」と思った瞬間に、「5・4・3・2・1・GO!」と心の中でカウントダウンし、考える間もなく行動に移すというシンプルなルールです。
人間は、行動すべきか5秒以上考えると、「今日は疲れているからやめよう」といったやらないための言い訳を考え始めてしまうからです。
言い訳が生まれる前に、体を動かせば勝ちです!

3. 【合図を決める】自分だけの「トリガー」を作る
「トリガー(引き金)」とは、作業開始の合図として習慣化した特定の行動のことです。
・「特定の(大好きな)音楽を聴き始めたら、勉強開始の合図」
・「愛用の文房具を机に出したら、作業スタート」
スポーツ選手が試合前にルーティンを行うように、自分だけの「トリガー」を決めて習慣化すれば、スムーズに勉強モードに入ることができます。

達成感を「ご褒美」でパワーアップ!
作業興奮が一度起こると、集中が進み、「できた!」という小さな成功体験が得られます。
この達成感は、脳内でドーパミンという「楽しい!」「もっと欲しい!」と感じる快感物質を分泌させ、学習意欲に変わります。
このサイクルを最強にするために、小さなゴールとご褒美を設定するのです。
・「この単元が終わったら、好きな動画を1本だけ見る」
・「問題集を10ページ終えたら、新しい文房具を一つ買う」など。
ポジティブな刺激(ご褒美)がドーパミンの分泌を促し、「勉強→達成感→ご褒美」のサイクルを繰り返すことで、勉強自体が楽しい行動として定着し、継続する力になるんです。
「作業興奮」は、根性だけに頼らず、脳の自然な仕組みを利用して、あなたを行動させる最強のツールです。
この原理を理解し、日常に取り入れれば、面倒に感じることも前向きに取り組めるようになりますよ!
さあ、今すぐ教科書に手を伸ばしましょう!5・4・3・2・1・GO!

勉強に疲れたら、甘いものが欲しくなりませんか?
ドーナツとコーヒー。
ちょっとした休憩には最高の組み合わせですよね。
でも、数学のある分野を研究している人にはドーナツとコーヒーカップの見分けがつかないんです。
「え? そんなばかな」と思いますよね。
先生もそう思います。
けれど、実際“トポロジー”という数学の分野では、細かい形の違いにはとらわれず「ちぎらず、くっつけず、変形しても変わらない」ものは同じものだと考えます。

つまりドーナツには真ん中に穴がひとつ。
コーヒーカップにも、取っ手の部分に穴がひとつ。
だからどちらも“穴がひとつの形”で同じと思うことができるのです。
ドーナツをぐにゃぐにゃに伸ばして取っ手をつければ、理論上はコーヒーカップになる。

このような物の見方は知らないとなかなかできませんよね。
ドーナツとコーヒーをみて「おいしそう」で終わっていたものが知識を得ることで、世界の見え方が変わります。
ただのドーナツが、数学の世界では立派な研究対象になる。
コーヒーカップを見て「おいしそう」だけじゃなく、「穴の数が同じだな」と思える。
それは、学んだからこそ見える景色なんです。

勉強するということはなにも「テストのため」や「点数のため」だけにするものではなくて、世界を“もっと深く見る力”を育てるものなのです。
学ぶことで、当たり前だったものが面白くなり、退屈だったことに意味が見えてきます。

新しいことを学ぶということは自分の知識の外側に出ていくことです。
それは旅行で初めて訪れた場所で見る物に驚いたり、感動したりすることに似ています。
行ったことのない所を旅行するように学ぶことを愉しんでみませんか。

RPG(ロールプレイングゲーム)をやったことがある人ならHPやMPという概念は理解しているかと思います。
一応、やったことがない人のために説明すると、
HP(ヒットポイント)とは体力のことで、HPが0になるとそのキャラは死んでしまいます。
MP(マジックポイント)とは気力のことで、MPが0になると魔法が使えなくなります。

実はゲームの世界だけでなく、私たちが生きる現実世界にも、目には見えませんがHPとMPが存在しています。
体育の時間や部活動で激しく運動すればHPは減りますし、重い病気や大きなケガでHPが0になれば死んでしまいます。
ではMPの方はどうでしょうか?
さすがに現実世界で魔法は使えませんが、私たちは生活の中で「意思の力」を消費しています。
「今日、何を着ていくか?」「朝、何を食べるか?」「何時から宿題をするか?」などなど、1日の中で数多くの決断を下していて、その決断を行うために「意思の力」を使っているのです。
習慣化されていることは、MPをほとんど使わずに活動できるのですが、習慣化されていないことを新しく実行しようとすると、大きくMPを消費します。
そして、人間にはMPを大きく消費することを避ける傾向があります。いわゆる「めんどくさい」という状態です。

「良い習慣を身につけたければ、それを開始するための時間を20秒短くする。」
「悪い習慣をなくしたければ、それを開始するための時間を20秒長くする。」

これらは「20秒ルール」と呼ばれています。
つまり、MPの消費を減らすことによって習慣化を促し、反対にMPの消費を増やすことによって習慣化を防ぐということです。
たとえば、「参考書を使って勉強すること」を習慣化したいと思っていても、
勉強中に参考書が近くになくて、本棚まで取りに行く必要があると、それが面倒くさくて、後回しにしてしまう…、なんてことありますよね?
しかし、参考書が勉強机の上に置いてあれば、手に取るまでの時間を20秒ほど短縮でき、それによって参考書を開きやすくなります。
結果的に、習慣化しやすいというわけです。
逆に、「勉強中についスマホを見てしまう」という習慣をやめたいと思ったときは、スマホの電源を切っておいたり、スマホを勉強する部屋とは別の部屋に置いたりすることで、それを開始するための時間を20秒ほど遅くすると「やっぱりやめておこう…」と思いやすくなり、その習慣を避けることができる、というわけです。

習慣化と非習慣化のどちらにも使える方法なので、ぜひ覚えておきましょう!

あなたは生きています。
これを読んでいるのだから当然です。
では「生きる」とは何でしょうか?

●今ここに存在すること? ⇒ ふでばこや家は生きていませんね?
●動いていること? ⇒ 雲や車は生きていませんね?

この問題は非常に深く、明確な答はおそらくありません。

「生きる」とは、生物学的には【自己再生・刺激への反応・子孫を残す】こととされています。
けがをしたら生命の力で治し、外からの刺激に対応し、次の世代の生命を生み出す、ということです。
車は壊れても自分で直すことはできず、古くなって新たな車を作り出すこともできないので、生きているとは言えないのですね。
※AI搭載のロボットが「自らを直し、新たなロボットを生成する」ことができれば、生命といえるかもしれませんが…

また、哲学的には、「生きる」とは「自己選択と自己形成」とされています。
難しい言葉が出てきましたが、言い換えると

●自分で考えた自分の意思を持つこと
●自分の考えにもとづいて行動すること
●自分に良い変化をもたらすこと

が「生きること」ではないか、ということです。
「悪い点数を望む人」はほぼいません。
なぜ「よい点数を取りたい」と考えるのか?
それは「自らを良くしたい」という本能的な望みがあるからではないでしょうか。
学習においても、習い事においても、『ただやればいい』のではないと思います。
まず『どうなりたいのかを考える』こと、そしてその考えたことに対して『どうすべきか考えて実際に行動する』ことが大切なのです。
そうすれば『自分に良い変化をもたらす』ことにつながっていくことでしょう。

自然界における生命は生まれたら必ず死ぬことが運命づけられています。
何のために生まれ、何のために死ぬのか。これも明確な答はありません。
やがて死ぬのであれば何かをしても意味がないという考え方もありますが、「何もせずにただ生きている」、そういう生き方を望みますか?

自分がどうなりたいか、秋の夜長にふと考えてみてはどうでしょうか。

皆さんアブローラーってわかりますか?
先生は膝コロって呼んでいます。
腹筋トレーニング用品です。
昔は1000円位で売っていました。
最近は2000円位ですかね。
先生も買って使ってみたのですが飽きてしまって最近では放置されています。
以前に筋トレ動画を観ていて感心したのが、ユーチューバーが言っていた
「このアブローラーには100万円の価値がある!」と言い切っていたことでした。
そのユーチューバーは見事な腹筋をしていてバキバキでした。
多分何回も繰り返してやり込んだのでしょう。
毎日使って自分に見返りをくれた存在として100万円の価値、その人にとっては何物にも代えがたい価値になったという意味だと思います。
それぐらい使い込めるものってあるでしょうか?
 
先生にも100万円どころかそれ以上の価値がある本があります。
音読を100回した英語の単語集(Z会の速読英単語)です。
今では使っていないのですがそれでももったいなくて捨てられません。
英文解釈で使った英語リーディング教本という本は同じ本を3回買っているので今使っているのが3代目です。
座右の書として今でも先生の机の上にあります。
他にも高校時代に使っていたたくさん書き込んだ紙辞書もあります。
これらの本はこれからも大切にしたいと思っています。

「繰り返しやることと続けること」が成績を上げるための最大のコツと言えます。
言うことは簡単ですが実際やる方は大変ですよね。
10冊を1回やるより1冊を10回やるつもりで・・と生徒によく言いますが本当は覚えるまでやってほしいということなのです。
覚えるまで本当に何回も繰り返した1冊は100万円以上の価値を持ち、多分君たちが大人になっても勇気を与え続けてくれる存在になると思います。
君たちが頑張ることで1000円や2000円のものが100万円以上の価値になり得ます。
教科書だろうが能開のテキストだろうがどれでもいいのです。
君たちがやることで価値が生まれます。
君たちにはそれだけの価値を生み出す可能性があることを覚えておいてください。

実は先生は、お休みの日は毎日のように「ドラえもん」を見ているんです。
なぜかって?2人の息子がず~っとテレビでドラえもんを流しているからです(笑)。
しかも同じやつを何回も見ます・・・。
おかげで、のび太くんとドラえもんのやり取りは完璧に覚えました。
でも最近、ふと思ったんです。のび太くんが困ったとき、ドラえもんがひみつ道具で助けてくれる。
実は今、私たちの世界にも「ドラえもん」のような存在が現れています。
それが「AI」、つまり人工知能です。

少し前まで、AIは映画の中だけの存在でした。
でも今では、写真を自動で整理してくれたり、翻訳してくれたり、文章を書いたり、絵を描いたりできます。
まさに「ひみつ道具」が現実になった感じです。

ここで大事な話をします。
これからの時代、テストで100点を取ることよりも、AIを上手に使えることの方が重要になるかもしれません。
AIは私たちの「最強の勉強パートナー」になってくれるからです。

数学の問題が分からないとき、AIに聞けば分かりやすく説明してくれます。
英語の作文では、AIが文法をチェックしてくれます。
AIを使えば、勉強がもっと楽しく、効率的になるのです。

でも、注意が必要です。
ドラえもんののび太くんを思い出してください。
ひみつ道具に頼りすぎて困ったことになる話がたくさんありますよね?
AIも同じです。

まず、AIの答えが必ず正しいとは限りません。「本当かな?」と疑問を持つことが大切です。
次に、AIに全部やってもらうと、自分で考える力が弱くなってしまいます。
AIは「手伝ってくれる友達」として使って、最終的には自分の頭で考えることが重要です。

最後に、AIが作った文章や絵を、自分が作ったものとして発表するのはよくありません。
AIを使ったときは、「AIの力を借りました」と正直に言うことが大切です。
実はこの文章も、先生がAIと一緒に作りました。
「小中学生に分かりやすく、AIについて話したい」とお願いしたところ、ドラえもんの例を提案してくれました。
まさに、AIとの上手な付き合い方の実例です。
みなさんもAIに頼ったときは、正直に言いましょうね。

みなさんは夏の合宿に参加しましたか。
先生は中学3年生の『高校受験合宿』に参加しました。
6泊7日という長期間の合宿でしたが、参加したみなさんは本当によくがんばっていたと思いますし、日々成長する姿を見て頼もしく感じました。
そんな能開(ティエラ)の中学生対象の合宿にはいくつか特徴があります。
その中でも、先生が大切だと感じるところを2つ、みなさんに紹介します。

①日程が長い
能開の中学生対象の合宿は基本的に4泊5日以上です。
なぜそんなに長い日程が必要なのか。
それは、短い日程では「本当の自分」を見せることが難しいからです。
人間は3日程度であれば「本当の自分」を抑えて過ごすことができます。
その「本当の自分」を出さずに終わってしまうと、せっかく合宿に行っても「本当の自分」に起こる変化を感じることができません。
6泊7日の高校受験合宿に参加したみなさんも、「お、本気になってきたな」と先生が感じたのは3日目くらいからでした。
もちろん、参加したみなさんは初日から一生懸命取り組んでいたとは思いますが、これが短い日程の合宿だったとしたら、変化を実感できないまま合宿を終えてしまった人もいたことでしょう。
実際に、合宿の感想文を読むと「はじめはついていくだけで精一杯だったけど、最後は勉強することが楽しくなってきた」という内容が多いです。

②班のみんなで協力する
合宿では「班活動」が必ず実施されます。
これは①とも関わってくることですが、自分と同じ境遇に置かれた仲間と「本当の自分」を見せ合うことで、「自分が今まで知らなかった自分」と出会うことができます。
「実はまだまだ頑張れる自分」「実は他の人のことを気にかけてあげられる自分」「勉強する意味に気づく自分」など、そこでは様々な自分に出会えます。
この「自分の知らない自分」は、日常生活ではなかなか気づくことができないものです。

この夏、合宿に参加できなかったみなさんも、来年は「自分の知らない自分」に出会いに行きませんか。

日本では2008年ごろに販売され始めたスマートフォン、いわゆるスマホは急速な進化と拡がりを見せ、今では世帯保有率が9割を超えています。
これは世界的に言えることで、たった10数年でスマホは我々の生活になくてはならない存在になっています。

その一方で、ブラジルやフィンランドでは小中学生のスマホ使用禁止、アメリカでも一部の州で14歳以下の子供のSNSの使用が禁止されています。
これは心無い大人に騙されたりする危険を避けるためであるとともに、スマホが子どもの成長を妨げる可能性があることがいろいろな研究からわかってきたためです。
今日はスマホの健康被害を紹介し、スマホとの付き合い方を考えてもらう機会にしたいと思います。

【スマホの問題点】
① 依存性が高い
スマホがもたらす新しい情報は私たちに好奇心となるほど、面白いなどの心地よさを与えてくれます。
また手軽にダウンロードできるゲームは我々を飽きさせず、適度な達成感を与えながら、時間を忘れて没頭させていきます。
その快感や達成感には中毒性があるようで、やがて、ちょっとした時間でもスマホを触るようになります。
最近のスマホゲームの多くは3分程度で決着がつくため、すき間時間でも十分、プレイできてしまいます。
またLineやInstagramなどでメッセージを送れば返信を期待して、スマホがどうしても気になります。
スマホがあるだけで注意力が奪われ集中力が低下する原因の一部です。
一方で、次から次へと脳に送られてくる情報に脳は処理速度が追いつきません。
その時、脳は考えることを止めてしまします。
逆に言えば、考えなくても情報を受け取ったり、ゲーム等を楽しんだりはできてしまうのです。
人は、ぼーっとする時間がとても大切です。
意外と良いアイデアはこのぼーっとした時間に生まれることが多いことは、皆さんも経験があると思います。
このボーっとする時間で脳は情報を整理し、必要なものを取り出しやすくしたり、これまでの情報と結び付けてアップデートしたりしているのです。

② 眼への負担
スマホ画面を見過ぎると、目を内側に寄せて長時間見ることになり、寄り目が固定化することでピントが合わなくなるそうです。
いまや世界の3割以上の人が近視になっているという話もあります。
特に若い頃の近視は年を取ってから失明のリスクにまで発展することがあるそうです。
ウィンドウズの生みの親であるビル・ゲイツ氏は強度の近視だったため、自分の子どもには14歳までスマホは持たせず、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは家庭でのデジタルテクノロジーに触れる時間を厳しく制限していたという話は有名です。

人はスマホという便利で人生を豊かにすることができるアイテムを手に入れました。
しかし、その反面、人として生きる大切な時間や、自分らしく生きることの楽しさを手放そうとしているようでなりません。
スマホはあくまでも道具であり、道具に翻弄される人間では不甲斐ないと思いませんか。

「人生最後に食べるとしたら?」

なんのために発せられるか意味不明な問いだが、そう問われたら答えは決まっている。
答えはカレーだ。
そんなわけで火曜はカレーライスの日と我が家では定まっているが、そのカレーはシェフ(妻)の気分で自由奔放に作られるため想像もつかないカレーがでてくる。
いつだったかひき肉と豆腐の餡かけカレーがでてきた。
明敏な諸君であれば察していただけると思うが、それは麻婆豆腐というものだ(カレー風味ではあるが)。
そう言いながら未知との遭遇を楽しんでいる(妻の名誉のためどれも美味しいことを申し添えておく)。
さて諸君、『カレーライスの唄』なる小説があることをご存知かな。
本作は1960年代の日本を舞台に会社を辞めた男がカレーライス屋を開くまでの奮闘を描いたものだ。
敗戦から十余年、若者の熱気と鬱屈とが交錯しながら、努力すれば成功するという未来を無邪気に信じられる幸福な時代の物語だ。
しかし、そこはそれ、60年も前の小説だ。
違和感のある表現もある。
女性が無条件でお茶くみをさせられたり、職場でタバコをふかしていたり、挙句の果てには飲酒運転をしていたりと令和ではまちがいなく炎上する描写ばかりだ。
こんな時代もあったのかと昔日に思いを馳せつつ読んでいると奇妙な表現に出会った。
それはこうだ。

「あの人、蛍光灯ね」

賢明なる諸君、あの人がどんな人かわかるだろうか。
令和を生きる我々には不可思議すぎる表現で、ほとんどの人が正確に意味をとらえることはできないだろう。

さて、そうなると当時の人々はこの言葉の意味が分かったのだろうかという疑問がもたげてくるが、そもそもこの小説は新聞に連載されており、不特定多数の読者が読むことを想定して書かれたはずだ。
であれば高度成長期に生きていた人であれば自明の表現と言えそうだ。
それにしてもたかだか60年ほどの間でまったく意味が通じなくなってしまった。
おそらく諸君の教室の電気は蛍光灯であろう。
勉学に勤しむ諸君を頭上から煌々と照らしたもう蛍光灯、いまだ健在なりとその眩い光は諸君に語りかけているはずだ。
そう、モノはわかるが意味がわからない。

そこでAI様におうかがいをたててみた。

「あの人、蛍光灯ね」という表現は、「反応が鈍い」「話の理解が遅い」「空気が読めない」 といったニュアンスで使われることがあります。
なぜ「蛍光灯」と表現されるのか。
これは、蛍光灯が点灯するまでのタイムラグに由来しています。
昔の蛍光灯の点灯方式、特に古いタイプの蛍光灯(グロースタータ式など)は、スイッチを入れてもすぐにパッと明るくならず、一瞬チカチカしたり、数秒経ってからようやく点灯したりする特徴がありました。
この「すぐに反応しない」「ワンテンポ遅れる」という特性が、人の理解力や反応の鈍さになぞらえられた結果、「蛍光灯」という比喩表現が生まれました。

なるほど。
たしかに我が思い出の中の蛍光灯は点灯するまでチカチカしてなかなかつかなかった。
いまの蛍光灯はスイッチオンですぐに明るくなるためこの比喩表現は忘れされてしまったというわけだ、などと感心していると、諸君、我らが蛍光灯は2027年をもって製造禁止とあるではないか。
なにやら蛍光灯に含まれる微量の水銀が環境に悪いという理由で世界的に製造禁止が取り決められたらしい。
おぉ、なんということよ、日本のみならずこの世から蛍光灯の存在が許されなくなるではないか。
想像したまえ。
いまから30年後の世界、きっと蛍光灯って何という会話がうら若き少年・少女たちの間で交わされているぞ。
我々の常識や知識なんてものはたかだか20~30年で風化してしまう移ろいやすいものということだ。
時々刻々変化の激しい世を生きる我々は常に知識をアップデートし、自らの知見を広げる努力を続けねばならぬというわけだ。

この四文字を胸に刻まれたし。

生涯勉強。