「平等」「公平」「公正」。よく似ていますが、少しずつ意味が違います。
この3つの考え方は、みんなが楽しく生活するためにとても大事です。
それぞれがどう違うのか、そして、どんな場面で役に立つのかを紹介したいと思います。

例えば、背の高さが違う3人(背の高い子、中くらいの子、背の低い子)がサッカーの試合を見ようとしています。
グラウンドの手前には壁があり、背の高い子は見えますが、中くらいの子と背の低い子は、壁が邪魔で試合を見ることができません。

「平等」とは、みんなを同じように扱うことなので、3人に同じ高さの踏み台を一つずつ渡します。
しかし、そもそも背の高い子には踏み台が必要ありません。
中くらいの子は試合が見えるようになりますが、背が低い子はまだ見えません。
同じものを渡しても、全員が同じように楽しめるとは限りません。

「公平」とは、一人ひとりの状況に合わせて手助けすることです。
背の高い子には踏み台を渡さず、中くらいの子には一つ、背の低い子には二つ渡します。
渡す数が違うので、「平等」ではありませんが、3人とも試合を見ることができるようになります。
「みんなが同じように楽しめる」ための工夫と言えますね。

「公正」とは、困る原因になっている決まりや環境を見直すことです。
例えば、視界を遮っている「壁」を取り除くことが「公正」です。
そうすれば、背の高さに関係なく、踏み台を使わなくても、みんなが試合を楽しめるようになります。

どれが一番正しいということではありません。
そのときの状況や一人ひとりの違いを考えながら、みんなが納得できる方法を考えることが大切です。

何かを決めるときには、平等の視点から「みんな同じでいいのかな?」、公平の視点から「一人ひとりに合わせたほうがいいのかな?」、公正の視点から「困る原因になっている決まりや環境を見直せないかな?」と、少し立ち止まって考えてみませんか?

「自分は困っていないから大丈夫」ではなく、「困っている人はいないかな?」と周りに目を向けてください。
その思いやりが、誰もが笑顔で過ごせる世界に繋がります。

今年のシルバーウィークは5連休。
いつもより長いお休みでしたね。
みなさんは、どんなふうに過ごしましたか。

私は、これまで後回しにしていた家の掃除や手入れをしていました。
そこで、少しハッとすることがありました。

長年使って古くなった庭の扉に、ハケでペンキを塗っていたときのこと。
塗ったところが少しずつきれいになっていき、気持ちよく作業を進めていました。
ところが、下のほうを塗ろうとしゃがんだ時、さっきまできれいに見えていた扉に、
塗り残しがあることに気がつきました。
立っているときは、まったく気がつきませんでした。

また、窓のシャッターを掃除していたときのこと。
かなりきれいになったと満足していたら、下から見ていた娘に、
「ここの下、すごい汚れてるから拭いたほうがいいよ」
と言われ、しゃがんで見てみると想像以上の汚れがガッツリ残っていました。

立っていると「きれい」。
しゃがむと「汚い」。

同じものを見ているはずなのに、見る位置が少し変わるだけで違って見えるのです。
考えてみれば、塗り残しも汚れも、突然現れたわけではありません。
最初からそこにあったのに、自分が立っていた場所からは見えていなかっただけです。

これは、ペンキ塗りや掃除だけの話ではないのかもしれません。
私たちは普段、自分のいる場所や、これまでの経験を通して、ものごとを見ています。
だから無意識のうちに、自分から見えているものが「全部」だと思ってしまうことがあります。

そんなときは、ほんの少しだけ場所や角度を変えてみる。
しゃがんで見たり、遠くから見たり、
反対側から見たり、誰かの目を借りてみたり。
すると同じものの中に、今まで気づかなかったものが見えてくるかもしれません。

今度「これで大丈夫」と思ったときは、一度立ち止まり違う角度から眺めてみようと思います。

皆さんは行き詰ったときやしんどいなと感じたとき、どうやってリフレッシュしていますか?
先生は映画、ドラマを観る、本を読むです。
これはいいですよ。
簡単に現実逃避できるから(笑)。
その中で最近読んだ本、漫画ですが紹介したいと思います。

それは「RIOT」。
主人公は、普通の高校生。
そして、彼の友人です。
この2人は、いわゆる「何でもできる高校生」というわけではありません。
特別な才能があるわけでもない。最初から大きな夢を持っているわけでもない。
でも、この2人には一つ共通しているものがあります。
それは、「自分たちがおもしろいと思ったことを、本気でやってみる」ということです。
2人は、紙の雑誌に興味を持ち、「だったら、自分たちでも作ってみよう」と動き始めます。
最初は、本当に小さなことです。
自分たちがおもしろいと思ったものを集める。
考える。
作る。
人に見せる。
それだけです。

でも、2人が本気で楽しそうに取り組んでいると、少しずつ周りの人たちが変わっていきます。
「なんか面白そう」
「自分もやってみたい」
「ちょっと手伝ってみようかな」
そんなふうに、少しずつ人が集まってくる。
そして、一人の「やってみよう」が、
二人、三人と広がっていきます。

一生懸命になるということは、尊いことだと感じました。
誰かの心を動かすことでもある。

クラスの中に、毎日一生懸命勉強している人がいる。
その人を見て、「そこまでやるんだ」「自分ももう少しやらないと」と思う人が出てくる。
逆に、自分が一生懸命やっている姿を見て、友達が頑張り始める。

自分の一生懸命は、自分だけのものではない。
誰かに影響を与えるのです。
だから、これから受験に向かっていく皆さんに、一つ覚えておいてほしいことがあります。
「自分一人が頑張ったところで、何が変わるんだろう」と思うことがあるかもしれません。
でも、そんなことはありません。
結果がすぐに出なくてもいい。
周りに認めてもらえなくてもいい。
まず、自分が本気で取り組む。
その姿を見て、誰かが動き始めるかもしれない。
友達かもしれない。
後輩かもしれない。
家族かもしれない。
そして、その一人の頑張りが、また別の誰かの頑張りにつながっていく。
先生たちもそうです。
皆さんの一生懸命にいつも感化され、元気を、やる気をもらっています。

「一人の一生懸命が、誰かの一生懸命を生む。」のです。

ぜひ時間があれば「RIOT」を読んでみてください。
受験生は合格後にね。
合格後の楽しみがまた一つ増えましたね。

みなさん、秋になってきましたね。
夏の暑さは通り過ぎて、冬の気配がしてきました。

世間ではよく「~の秋」といってテーマを決めたがります。
みなさんはどうでしょう、何の秋でしょうか?
ちょっと恥ずかしいですが先生の秋を紹介しましょう。

先生の秋は「小説を書く人になる秋」です。
読む事は大好きなんですけど、書いたことはもちろん一度もありません。
最近、「小説書けるかもしれないな、、、」と思う時があります。
理由は全くありません。
根拠のない自信というやつだけです。

言いながらまだ全く書いてないから
頭の中で文を考えると、とんでもない難しさに直面します。
もう挫折しそうです汗
最初は芥川賞目指せる!って思ってたんですけど。

しかし、いい事もありました。
何気なく歩くいつもの道、見慣れた風景や風や雨などの自然をどう文章に表現したらいいか?を考えてしまいます。
風景描写はとても大切です。
また、話しているときに接続詞か接続助詞のどちらを使う方がいいか、とか
特に国語の授業をするとなったら、ただの文章題じゃなくて見え方が変わってきました。
どうやって書いているのか、構成も探ってみたり。
小説文じゃなくても論説文での具体例の書き方や詩の表現技法などの文章を書くための技術を追えることによってより国語が楽しくなってきました。

新しい事を始めると新しい技術や知識を得られるだけではなくて、
ものの見方や考え方が変わったりして思いがけず他の事にいい影響が出たりするものなんですね。
何かにチャレンジするために必要なのはまずやってみること、です。
そこには資格も才能も道具もなくていいですね、「根拠のない自信」だけあればいい。
よかったらみなさんも何か楽しい事を見つけてください。

先生には、春、夏、冬の講習会のタイミングで、ある楽しみがあります。
それは、卒業生との「再会」です。

卒業後、日本各地へ羽ばたいていった生徒たち。
北は北海道から南は九州まで、それぞれの場所で頑張っています。
そんな卒業生たちが、先生の校舎を「自分たちの故郷」のように思ってくれているのでしょうか。
実家への帰省に合わせて、今でも教室へ顔を出してくれるのです。

この夏も、東京、横浜、富山、広島、鳥取から懐かしい卒業生たちが帰ってきてくれました。
その中の一人、横浜から帰省してくれた卒業生は、夏期講習会の終礼の時間を使って、自分自身の経験や今取り組んでいることを後輩の生徒たちに語ってくれました。

現在、彼は大学の起業部に所属し、仲間たちとコンサルティング企業を立ち上げ、関東の大学間の垣根を越えて活動しています。
社会でチャレンジすることへの可能性を楽しそうに、時には厳しい言葉も交えながら語る先輩の話に、生徒たちは希望に満ちた表情で耳を傾けていました。
若者たちが希望を抱き、大海原へと漕ぎ出していく。
その姿に、私たち大人はどう向き合っていくのか。
そして、先生自身がこの能開で受け取ってきた「人と人とのつながり」を、どのように次の世代へつないでいくのか。
改めて考えさせられる時間でもありました。

また、富山から帰省した卒業生も、実家にいられるのはわずか2日間。
それでも貴重な時間を後輩たちのために使い、医学部で学ぶ中で感じている葛藤や、「命」と向き合うことについて、わかりやすく語ってくれました。
会ったことも、顔を見たこともない先輩の話を、何の抵抗もなく受け入れ、真剣に耳を傾ける現在の生徒たち。
その姿を見ていると、とても頼もしく、彼らの未来に大きな可能性を感じました。
同時に、その未来へとバトンをつないでいくことの責任の重さも感じました。

過去、現在、そして未来の生徒たちへ。
先生は、いつもこんな話をしています。
「中学入試、高校入試、大学入試で合格させることが先生のゴールじゃない」
大人になったみんなが、「なりたい自分になれた。今、幸せだよ」と言ってくれること。
それが、先生の本当のゴールだと思っています。

そのゴールに向かって、先生はこれからも戦い続けます。
みなさんも、自分の未来を信じて。
愉しみながら、一緒に戦っていきましょう。

9月に入って「月見〇〇」の商品をよく見かけるようになりましたね。
そこでふと気づいてしまいました。
先生、実は本当の「お月見」ってしたことないかも・・・?

そもそもお月見って何をすればいいんでしょう?

節分(2月)は豆をまいて、豆を食べて、最近では恵方巻も食べて、無病息災を願う日。
桃の節句(3月)はおひなさま飾って、雛あられ食べて、女の子の成長と幸せを願う日。
端午の節句(5月)はこいのぼりや兜を飾って、柏餅食べて、男の子の成長と幸せを願う日。
なんだか食べてばかりです。
七夕(7月)は短冊に願い事を書いて笹につけますね。
では、お月見は・・・
お月様を見ればOK!!
なんて、まさかそんなわけない・・・よね?

調べてみると、どうやらお月見は「美しい月を眺めながら、お団子などをお供えして、秋の収穫に感謝し、これからの豊作をお願いする日」なんだって。
お月様がもっとも美しいという十五夜がお月見の日です。
今年の十五夜は9月25日!!
十五夜なのに25日!
さらに9月の満月は27日!(25日はぎりぎり満月ではないんです)
不思議がいっぱいです。ぜひ調べてみてください!

他にも、伝統的なお月見には「三月見」というものがあるらしい
お供えのお団子の数には意味があるらしい

まだまだ知らないことがいっぱいです。

皆さんは何の科目が好きですか。
先生は歴史を勉強している時が一番楽しいです。
歴史上の偉人たちが実際にこの世界で生きていたことに、不思議さや壮大さを感じます。

今日は皆さんに紹介したい歴史上の人物がいます。
「懐良親王(かねよししんのう/1329年~1383年)」です。
懐良親王は後醍醐天皇の息子であり、南朝の征西大将軍として九州に派遣され、九州における南朝勢力の中心人物となりました。
また、外交力にも長けていました。

明の洪武帝(こうぶてい)は九州の太宰府に何度も使節を派遣し、勅書をもって日本に朝貢するよう要求します。
その内容は「もし明に朝貢しないのであれば、戦争に備えなさい」と、日本を脅して朝貢を強要するものでした。
朝貢するということは、「臣下に下る」という意味です。
これは侵略どうこう以前に、懐良親王にとって、日本人としてのプライドが許さなかったのでしょう。
この勅書は12年もの間に渡りました。

いよいよ我慢が出来なくなった親王は、洪武帝に書簡(返信のお手紙)を送りました。
その内容は、中国古典や儒家の教えを用いたものでした。

「『足るを知る』という老子の教えがあるのに、なぜまだ他国を従わせようとするのか。私たちは孔子・孟子の教えだけでなく兵法もよく知っている。戦うことになっても簡単には負けない。私たちはこれまで争いを避け、和を結ぶことを最善としてきたが、もし戦えば、明が必ず勝てるとは限らない。負ければ、むしろ明の恥になるのではないか。」
(現代語訳、部分要約)

洪武帝はこの内容に憤慨しましたが、蒙古(元)の先例により兵を日本へ送らなかったといいます。

「彼を知り己を知れば百戦危うべからず」という有名な一文があります。
敵を知り自分を知っていれば、百回戦っても負けることはない、という意味です。
この書簡から、相手のことを熟知して戦うことの重要性を学ぶことができます。

皆さん、まずは己を知りましょう。
そして敵を知るのです。
必ず勝機は見えてきます。

みなさんは、ミツバチの「分蜂(ぶんぽう)」という現象を見たことがあるでしょうか。
一つの巣に新しい女王バチが生まれるとき、それまでの女王バチが、群れの半分ほどのはたらきバチを引き連れて新しい家を探す旅に出る、いわばミツバチの「お引越し」のことです。
先日、先生はこの大変珍しい瞬間に、思いがけず立ち会うことができました。
ある日のこと、出かけようと玄関の扉を開けた瞬間、目の前に無数のミツバチが空を舞っていました。
異様な光景に驚き、慌てて扉を閉めて窓から外を覗くと、庭中を飛び交うハチの数はみるみるうちに増えていきます。

「異常気象のせいで大発生したの?」
「すぐに駆除業者を呼ばなきゃ…」
と、先生の頭の中は完全にパニック状態でした。

しかし、恐る恐る観察を続けていると、庭の木の枝に、無数のミツバチがぎゅっと身を寄せ合い、まるでラグビーボールのような大きな塊を作っていたのです。
一見すると少し怖く見える光景ですが、実はこれ、はたらきバチたちがみんなで体を張って、中央にいる大切な女王バチを守っている姿だったのです。
誰かを攻撃するためではなく、みんなで力を合わせて新しい未来へ進もうとする、優しくて強い行動。その本当の理由を知ったとき、先生はとても感動しました。
先生は大人ですが、この歳になっても「分蜂」という自然の神秘を目の当たりにしたのは、生まれて初めてのことでした。
それくらい、一生に一度出会えるかどうかの珍しい瞬間だったのです。

私たちは、毎日たくさんのことを見て、聞いて、過ごしています。
でも、世界にはまだまだ、先生たち大人も知らない「不思議」や「感動」が、宝探しのようにたくさん隠れています。
最初は「怖い」「なんだろう?」と思ったことでも、一歩踏み込んでその理由や仕組みを知ると、世界がパッと輝いて見えるようになります。
これこそが、何かを「学ぶ楽しさ」であり、「知る喜び」です。
ぜひ、毎日の生活の中で「どうしてかな?」「もっと知りたいな!」というワクワクする気持ちを、大切に育てていってくださいね。
因みに、この無数のはたらきバチたちは、2時間ほどすると、またみんなで一斉に次の新天地へと飛び立っていきました。

「自分で選んでいる」と思っていること、本当に自分自身で決めていますか?

例えば、コンビニでレジの横にある商品を、つい買ってしまったことはありませんか?

また、定食屋で「人気No.1」や「店長おすすめ」と書いてあるメニューを注文した経験がある人もいるでしょう。

実は、こうした行動は「自分の意志だけ」で決まっているわけではありません。
私たちは、知らない間に周りの環境に大きく影響を受けています。

この考え方を「ナッジ理論」と言います。
ナッジとは英語で「ひじで軽くつつく」という意味で、命令や強制ではなく、人が自然と良い行動を選択できるように後押しする工夫のことです。

例えば、階段にピアノの鍵盤が描かれていると、エスカレーターよりも階段を使う人が増えたり、男子トイレの小便器にハエのシールを貼ることで、的を狙う人が増え、トイレの汚れが減ったりすることが知られています。
人は小さなきっかけだけで、行動が変わることがあるのです。

では、このナッジ理論を勉強に取り入れることはできるでしょうか?

答えは「できます」。

「家に帰ったら勉強しよう」と思っていても、机の上にスマホがあれば、ついつい手が伸びてしまいます。
でも、スマホを目につかない所に入れておくだけで、その誘惑はぐっと減ります。

反対に、机の上には教科書や参考書を予め開いておく、勉強を始める時間を決めて予めタイマーをセットしておく。
こうした小さな工夫も、自分自身のナッジです。

勉強で結果を出す人は、意志が特別強い人とは限りません。
勉強しやすい環境を作るのが上手な人です。

今日から自分に一つナッジを仕掛けてみてください。
その小さな工夫が毎日の行動を変え、やがて大きな差となります。

夏休みも残り一か月を切りました。
終わった時に「もっとやっておけば」と後悔するのか、「頑張って良かった」と思えるかは、今日の小さな選択から始まります。

ぜひ、この夏、自分にとって最高のナッジを作ってみてください。

皆さんは飛行機に乗ったことはありますか?
先生は去年のゴールデンウイークに家族、親戚と一緒に沖縄に行きました。
実は先生は高所恐怖症ですが、あそこまで高く飛ぶともう気にならなくなりますね。

さて、飛行機が初めて世界に登場したのが今から約120年前。
いわゆる大型旅客機が誕生してから約65年。
飛行機の歴史は、事故の歴史でもあります。
日本でいえば、1985年の日本航空123便御巣鷹山(おすたかやま)墜落事故が有名ですね。
2年前の1月に羽田空港で衝突事故が起きたのも記憶に新しいところです。

この航空事故ですが、実は車の交通事故などと大きな違いがあることを皆さんご存知でしょうか?
例えば自動車で交通事故を起こした場合、基本的にはドライバーは警察の取り調べを受けますね。
場合によっては「過失運転致死傷罪」などの罪にとわれることもあります。
ところが航空事故の場合、世界中ほとんどの国で、「パイロットや整備士などの関係者に、原則として刑事罰を科さない」という決まりがあります。
「非懲罰(ちょうばつ)的アプローチ」というそうです。
いったいなぜ、そんなシステムを取っているのでしょうか?

日本の「運輸安全委員会」の指針で、こんなことが書かれています。

<仕事とヒューマンエラー(ミスのこと)>
• 仕事はヒューマンエラーとの戦いでもある
• 人間は誰でもエラーをすることがある
• エラーを少なくすることはできるが、ゼロにすることはできない
• エラーはコントロールすることができる
• ヒューマンエラー対策は「あってはならない」ではなく「ありうる」を前提に
• ヒューマンエラーに起因する事故防止策の策定には自発的報告制度が有効

<国際民間航空条約第13附属書>
当該附属書は「原因探求主義」「非懲罰」の理念を示している。
「責任追及」が優先されると、関係者が事実を語らなくなり、航空の安全を阻害する恐れがあるという考え方である。

つまりこういうことです。
・事故調査の目的は「責任の追及」でなく「原因の究明」である。
・ミスは誰にでも起こるものだが、責任追及が優先されると、関係者が罰を恐れて事実を話さなくなり、原因が判明しなくなる。
・原因を究明することで、「次に事故が起こらない」ことを優先することを大切にする。

先生はこの話を知って、勉強と同じだと思いました。
成績の上がらない人にありがちな行動、心理として、「×になるのをいやがる」というものがあります。
×になるのを見るのが嫌で答えを映して○にする。
×になった問題を解きなおすのでなく、とにかくひたすら問題をこなしていく…。
これでは、「なぜミスをしたのか?」がわからないので、結局同じミスを繰り返してしまう。
だから、成績が上がらない。

ミスは恥ずかしいものでなく、誰にでも起こりうる。
そこから目を背けず、「なぜミスをしたのか?」「次にミスをしないためには?」をしっかり考え、改善することで力がつき、成長する。
だからこそ。
間違えた問題を徹底して解きなおそう。
テストは実施後すぐに解きなおそう。
ミスを隠さず、しっかり向き合おう。
その一つ一つの積み重ねが、皆さんの血となり肉となります。
日々の勉強で、しっかり向き合っていきましょう。