まずは、次の計算をしてみてください。
   8÷2×2
正解は――もちろん8です。2と答えた人はいませんよね?

では、次の問題。
   8÷2(2+2)

1問目の考え方を当てはめると
   8÷2(2+2)
  =8÷2×4
となり答えは16。

一方で、
   8÷2(2+2)
  =8÷(2×4)
と解釈すれば答えは1になります。

日本人の多くは16と答えるらしいですが、どちらが正しいのか。
結論は、「どっちも正しい」らしいです。
というか、どっちにもとれるあいまいな出題が悪いという結論でした。

白にも黒にもとれる発言ってありますよね。
あいまいなことを言うと大問題になるってことでしょう。
自分の意思を持って明快に話をしていきましょう。

さて「クラスの中に自分と同じ誕生日の人がいる確率」はどれぐらいだと思いますか?
これは人数によって変わります。
※ここから少し計算の式が出てきますが、まだ習っていない人は「式は飛ばして数字だけ見てもOK」です。

・23人なら約6%
・30人なら約8%
・40人なら約10% 
となります。
計算式は、 1-(364/365)^n で求められます。

今は、「自分と同じ」ことに注目しましたが、今度は「クラスに同じ誕生日のペアができる確率」を考えてみましょう。

計算式はちょっと面倒になりますが、
  1-〖364/365×363/365×…×(365-(n-1))/365〗^
で計算できます。
計算すると
・23人なら50.7%
・30人なら70.6%
・40人なら89.1%
です。
23人いれば半分の確率で同じ誕生日のペアができるということです。

以前、ティエラの合宿で実際に確かめをしていました。
35人くらいればかなりの確率でペアができます。
ペアができるとその場に居合わせた生徒は大盛り上がり。
50人くらいいたときは、クラスの右半分と左半分でそれぞれペアを作ったり、ある時は
な、なんとトリプルってこともありました。

もう少しシンプルな実験もできます。
「クラスで各自が26文字のアルファベットから1文字を選ぶ」という場合――
同じアルファベットを選ぶ人がいる確率は、
・7人のクラス→ペアができる確率58%
・11人のクラス→ペアができる確率86%
意外に高い確率だと思いませんか?

実験してみると、「外し続けることの難しさ」を実感できるはずです。
7人目には半分の確率でかぶり、11人目まで外し続けるのはかなりの難しさです。
クラスの友だちと実際にやってみてください。

宝くじも同じ。
「当たるわけないから買わない」けど、「買わなきゃ当たらない」。
確率の世界は、思っている以上に奥深いのです。

一部英語を含む以下の3つの文章を読んでください。
<1>こどもの頃、クリスマスには<Santa Claus>に会うのを楽しみにしていました
<2>大きな話ではなく、もっと深刻で重要な問題を<close up>して討論しよう
<3>家にノートを忘れてきてしまったからきみの<loose leaf>を一枚くれないか
   ※もう少し前の世代の方用→昔のJKはみんな<loose socks>を履いていたよ
さて<1>~<3>の<Claus><close ><loose>3つの英語のなかでひとつだけ発音が違うものがあります。どれでしょうか。

先生はこれまでに中3の生徒たちに何世代にも渡ってこの質問をしてきましたが、どの世代においてもその8割以上の人が<1>と答えました。そしてそのほとんどがカタカナ語の発音である「<サンタクロー><クローアップ><ルーリーフ/ルーソックス>だから<1>が仲間はずれ!」と答えました。みなさんはどうでしょう。そして正解は?
はい、正解はその<1>です。正解だった人たち、よくできました。

が、おそらくほとんどの人はその答へのたどりつき方に問題があります。日本語(カタカナ語)では
<サンタクロース><クローズアップ><ルーズリーフ><ルーズソックス>ですが、英語の発音をあえてカタカナで書くと
<サンタクローズ><クロースアップ><ルースリーフ><ルースソックス>と、カタカナ語として定着したものと英語では「ス」と「ズ」の音がそれぞれ逆なのです。言ってしまえば<1>と答えたこれまでのその8割の人たちや多くのみなさんは「間違っているけれど、問題に対する正解には結果的にたどりついた」だけで、不正解のようなものですね。

普段のゼミでもテストでも講習会のテキストやプリントの問題でも何でもそうですが、上の例は◯つけと解き直し/やり直しをするときの重要なヒントと捉えてください。みなさんは✓がついて不正解だったものの解き直しはしても、◯がついたものを解き直したりすることはほとんどないでしょう。「宿題をがんばっているのに結果が出ない」と困っている人こそ、これからはまず
「なんとなく書いたらたまたま正解だった」
「迷って選んだ選択肢が正解だった」
などは、たとえ◯であっても✓がついたものとして、要するに「不正解と同じ扱い」にしてそれも解き直しをしましょう。これはまず絶対に!

そしてさらに上を目指すなら、解答を見て◯をつけて良い気分になるだけではなく、正解の中にも上の問題の例のように「わかっていると思い込んでいる」という見かけ上の◯も潜んでいることがあると気づけるように
「解説をしっかり読みこんで理解する」
「自分でも調べて確かめてみる」
「それでも疑問に思うことがあれば先生に質問をして解決する」
をして向上していきましょう。この文にしても第二段落で読むのをやめていたら、正しい/新しい知識を得ることなく「正解だった」で終わる残念な人になるところでした。本当の意味で向上したいのであれば、今後は「疑問を持つ」どころか「疑ってかかる」という姿勢さえも持って突き詰めて取り組んでみましょう。たくさんの問題に出会い、そしてそれにとどまらず注意深く目を向けたり耳を傾けることで「ん?」と思う瞬間にたくさん出会って、それをとことん突き詰めてください。どんどん拡がっていきますよ!

「あの人ってナルシストだよね。」に「いや、ナルシシストだよ。」と返したり、「間違わないようにシュミレーションしとけよ。」と言われて「あんたこそしっかりシミュレーションして間違わないようにね。」と言い返したりするといろいろな意味で怪訝な顔をされるくらい、定着してしまったカタカナ語は気をつけないと間違っていることに気づかないことも多いものです(気づけましたよね?)。このようなカタカナ語に限らず、様々な場面で「深い勉強/追究」をして、たくさんの「?」との出会いを大切にすることで本物の力と正しい方法を身につけ、合格というハッピーエンドを迎えましょう!いや、ハッピーエンディングを迎えましょう!

先生が小学生の頃の夏休みといえば、「夏休み帳」(学校からの宿題)そして「ラジオ体操」でした。
毎朝6時30分に近くの神社へ集まり、ラジオから流れる音楽、かけ声とともに皆で体操をし、終わるとそのまま友達と神社に残って「おにごっこ」や「かくれんぼ」「まるじゅう」などをして遊んでいました。
当時は今ほど暑くはなく、また大きな木が生い茂った神社の境内はむしろ涼しく、楽しい時間を過ごしていました。
その後、家に帰ると夏休み帳が待っていましたが・・・。

ラジオ体操は1928年(昭和3年)に、日本国民の健康保持促進を目的として始められました。
ちなみに当時の日本人の平均寿命は45歳くらいだったそうです。
また、皆さんがよく知っているラジオ体操「第1」や「第2」ができたのは1951年(昭和26年)頃で、それ以前は別のプログラムでした。
たった3分ほどの体操ですが、朝にすると全身に血液がめぐり、寝ていた体や脳を目覚めさせる効果があり、骨や関節、筋肉をバランスよく動かすことができ、体にも大変良いとのこと。
まとめると、ラジオ体操には、
・ 全身運動による体力、持久力向上
・ 脂肪燃焼
・ 骨粗しょう症予防
・ 自律神経を整える
・ ダイエット効果
・ 気分転換
などの効果があるそうです。

夏休みこそ、ラジオ体操です。
夏休みの間は学校もありませんし、外は暑いからといって家から出ない生活が続くかもしれません。
毎朝決まった時間に体操をして、それを毎日続けることで起床時間など生活リズムが整い、体調も崩しにくくなります。
何より毎日取り組むことで自信もつきます。

今では、皆で集まるラジオ体操は夏休み始めの1週間くらいしかないと聞きます。
しかし、終わりが本当の始まりです。
その後も自宅で毎日続けられるといいですね。
ラジオ(インターネットでも聴けます)があれば、家の中でもできますから。

続けることで自信がつく、力がつくという意味では、毎日の学習もそうです。
学校の宿題が終わっても、そして講習会が終わっても、強化したいところは毎日少しずつでも続け、夏休みが終わる40日後それがどうなっているかを考えるととても楽しみですね。

(夏休みを40日間とすると)「×40」は魅力的です。何事も継続は力なり、です。

こんにちは皆さん、毎日寝苦しい日が続いてますね。先生も冷房を惜しげもなく使うようにしています。
室内熱中症のニュースはたまに流れてきますよね?
部屋の中にいてもこまめに水分を取らないと駄目ですよ?

さて、皆さんはぐっすり眠るために何か工夫をしていますか?
先生は色々試してみて、『羊のいらない枕+アイマスク』で寝るようにしています。
ちなみにこの枕、1.5万円するんですよ。
枕ごときにそんなにお金を使うなんてと思うかもしれませんが、毎日6時間睡眠だとして、1日の1/4の時間に使用している道具だと考えれば、寝具にいいものを選ぶことは大事なことなのかもしれません。
(ちなみに先生の場合、一番お金をかけるべきは、残りの3/4の時間を一緒に過ごす眼鏡だと思います)

そういえば、生物は寝ている状態が正常で、起きている状態が特別だ、という話を読んだことがあります。
脳を持たない植物やクラゲでも睡眠状態になることが確認されたそうで、『脳が疲れたから睡眠をとる必要がある』という説が揺らいでいるとか。
外部からの刺激に鈍くなる『睡眠状態』はすべての動物・植物にみられるのに、刺激に敏感に反応する『覚醒状態』になるのは一部の動物のみというのは、睡眠状態こそが標準で、『覚醒状態』が特別なことなのでは、という話です。
つまり、元々の動物が起きている理由は、気持ちよく寝るための準備を整えるためだという説です。
面白い話だとは思いますが、君たちはどう思いますか?

寝るためだけに起きている?
そんなわけないじゃないですか。
私たちは夢を叶えるために起きているんです。
だからこそ人間に生まれたことは素敵なんです。
起きては夢を叶え、寝てはいい夢を見る。
人生を二倍楽しむためにも勉強も睡眠も頑張りましょう!

じめじめとした梅雨が明けはじめ、からっと乾いた熱風が吹きはじめていますね。
今年は例年に比べてかなり早い梅雨明けのようです。夏が長くなる年になりそうです。

「鷹乃学習」というタイトル読めましたか。
「たかのがくしゅう」ではなく、「たかすなわちわざをならう」と読みます。
みなさんの中には二十四節気という季節を表す言葉を聞いたことがあるひともいるでしょう。二十四節気とは1年間を季節や気候の区分によって24個にわけたものです。
例えば「春分」や「秋分」、「立夏」、「冬至」などは有名なものです。
この二十四節気をさらに細かく区分したものを「七十二候」といいます。
二十四節気をさらに5日ずつ程度に分けたものです。

今年は7/7~7/21が二十四節気の「小暑」で、七十二候では7/7~7/11頃を「温風至(あつかぜいたる)」、7/12~7/16頃を「蓮始開(はすはじめてひらく)」、7/17~7/21頃を「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」と名づけられています。
「温風至」はその文字のまま、梅雨明けを知らせる南からの温かい、あつい風が吹く頃。「蓮始開」は池の水面に蓮の花が咲き始めるころ。
そして「鷹乃学習」は春に孵化した鷹の雛が一人前の鷹になるために、飛び方や獲物の狩り方を学習する頃という意味です。

忙しいみなさんのことですから、「気がついたら春が終わっていて、夏が来ていた。」という状態だと思います。
先生たちはみなさんよりもっともっとすごいスピードで1年が過ぎていきます。
「この前除雪をしていたのに……」と夏に思い、「この前までひどい暑さだったのに」と秋の終わりに思います。
国語の授業の中で「俳句」の授業がありますね。
その中で必ず「季語」の話が出てきます。
先生が授業をするたびに、昔のひとたちの季節に対する高い意識よりも、今のひとたちの季節に対する低い意識を痛感します。暑ければ冷房をつけ。
寒ければ暖房をつけ。
空飛ぶ鷹を見ることなく頭をたれて手元の画面をみる。

地球環境の変化に伴い、春と秋がすこしずつ短くなっていき、日本の四季が二季(冬と夏)だけになってしまうという話も出ているようです。
先生が国語の先生だからか、環境の変化よりもむしろ日本人の自然観の低下を恐れています。
昔のひとたちは今のひとたちよりも気候に、動物に、植物に、天文に敏感でした。
昔のひとたちは確かにそこにあった絶妙な季節感を言葉で表しています。
四季がまだ残っている今を生きる私たちも「春が来たことに気づく」、「夏の暑さの程度を楽しむ」という自然観を持つことが、そして季節を楽しみまた季節を惜しむ一歩につながるのではないでしょうか。
まずは二十四節気や七十二候、季語を通じて季節を楽しんでいきましょう。

土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)の季節もやってきます。
熱中症に注意して「夏を味方に、自分を超える」そんな夏を迎えに行きましょう。

「小学生」「中学生」「大学生」っていうのに、「高学生」ではなく「高校生」なのはなぜなのでしょうか?

皆さんは「ノーベル賞」を知っていると思います。
実はこのノーベル賞のパロディとして「イグノーベル賞」というものが存在します。
この賞は人々を笑わせながら、その一方でいろいろと考えさせられる研究に対して贈られるものです。
先生はこの賞の授賞式をいつも動画で見ています。
とにかく研究のテーマが面白い。

◎床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだときの摩擦の大きさ
◎ヘリウムガスを使うとワニのうなり声も高くなる
◎多くの哺乳類は、お尻から呼吸する能力をもっている

実にくだらないが、それらが持つ意外な意味や科学的面白さを教えてくれる。
「どうしてそこに着眼できるのか?」不思議でならない。
またこの賞では、日本人が18年連続受賞しているのもまた面白いし、大学教授や民間の研究機関の研究員などが真面目に研究しているというところも面白い。

「探究」とは、物事の本来の姿やあり方を探り、その物事を明らかにすることである。
高校などでは、生徒が自分で課題を設定し、情報収集・整理・分析をおこない、周囲と協働しながら課題解決に向かう学習が広くおこなわれている。
またそのような生徒自ら課題解決に向かう姿勢・考えを評価する大学入試も多く取り入れられている。
決まった内容を暗記したり、解き方を覚えて復元したりするような勉強も大切だが、狭い枠にとらわれずに、自分が疑問に思ったこと・関心あることを掘り下げる勉強も大切である。
先生は、それこそ「予習・ノートまとめ」って探究だと思う。
未知の分野・単元に対して、知ることの喜び・さらに生まれる発見・それに伴う疑問などを深めてみることができるのが予習であり、探究だと思う。
えっ?なぜ「高学生」ではなく「高校生」なのかだって??
そこに疑問を感じたのであれば、まずは調べてみよう。
それが探究の第一歩なのです。

「すー、はー」
「いいよ、完璧ですね。あと3回やりましょう。」
「はい~!」
最近筋トレを始めました。

年齢とともにお腹周りの年輪が大きな重りとなってきたからです。
もっともさらにまずい理由として定期検診で毎回肝臓について要精密検査といただくからです。
お酒も喫煙も全く無縁なのに。
運動をせよと促されました。
脂肪肝と調べるとまずいことになるかもしれないと焦っています。

初めは散歩から始めましたが全く効果を感じませんでした。
いや、むしろ体重が増えていました。
がんばったご褒美と自分を甘やかしてしまうからです。

それではとジムに通うことにしました。
ジムでおこなったのはまずは自分を知ることでした。
体重や体脂肪に加え体の各部位の筋肉量が分かる装置で測りました。
筋肉量が割と多いことが分かり、すこし嬉しくなりました。
トレーナーさんが「この筋肉量いいですね。」と言ってくれたものだから「サッカーやっていたんで」と聞かれてもいないのに答えました。
その自分の半分の年齢位のトレーナーさんに今回の目的を聞かれました。
「体重を落としたくて」と答えると「そうですか、じゃあ肩を鍛えましょう。」と提案されました。
お腹周りの話になるかと思って聞いていると「そのお腹が目立たないようにするには肩です。」とのこと。
話し聞いているのかな?と思いつつ素直に「はい」と答えて取り組みました。

まだ期間は長くありませんが習慣として続けられています。
それは鏡の前で少し体型が変わってきた(のかもしれない)と感じられているからです。
トレーナーさんの言うとおりです。
いまはまだ体重は変わっていませんが…、未来の自分を楽しみにしています。

学習と同じではないでしょうか。
動機があり、自己分析し、対策を練って、取り組む。初めは自己流よりも学ぶのがよいのではないでしょうか。
成長を楽しみ取り組めるとなおよいと思います。

学びは素直に「はい」と言ってみるが肝だろう。

道ばたに落ちている石ころ。
普段は気にも留めず、通り過ぎてしまうような、なんてことのないものです。
でも、それって本当に“ただの石ころ”なんでしょうか?

見る人によっては、まったく違うものに見えていることがあります。
たとえば、猟師の人。
私たちが何も考えずに見ている石ころや木を見て、
「この土地は栄養の少ない石灰岩質かも」
「ってことは昔は海だったのかな」
「ってことは、この辺りにはこんな動物がいるかもな」
と、どんどん読み取っていくそうです。
同じ景色でも、知識や経験があると見え方がまるで変わるんですね。

知識には、そんなふうに世界の見え方をガラッと変えてくれる力があります。
これは特別な人だけの話じゃなくて、私たちの身近な生活にも当てはまります。

たとえば、先生は子どものころから野球が大好きで、今でもよくプロ野球を観ています。
選手の特徴や戦術をある程度知っているので、
「あの選手はここで変化球を投げるかも」
「この場面で選手交代かな」
とブツブツ言いながら楽しんでいます(さすがに迷惑なので、ひとりで観るようにしています)。

一方で、サッカーはあまり詳しくありません。
解説の人が
「中盤でのフォーメーション変更が…」
「オフサイドトラップが…」
と言っても、正直よくわかりません。

でも知識がなくても
「今のシュート、すごかった!」
「この選手、ドリブルめちゃくちゃ速いな」
くらいのことは感じられるので、だからこそ世界中でサッカーが人気なんだなあ、と勝手に思っています(サッカー好きの人、ごめんなさい)。

ちょっと話がそれましたが、要するに、知識があると、物ごとがより深く、そしてもっと楽しく見えてくるということです。
「勉強なんて、何の役に立つの?」と思うときがあるかもしれません。
でも、学ぶことは、世界を見るための“新しいメガネ”を手に入れるようなもの。
同じものが、違って見えるようになる。それが、学ぶことの本当のおもしろさなんです。

今日も、知らないことや不思議に思うことに出会うかもしれません。
そんなとき、「ふーん」で終わらせずに、ちょっと立ち止まって調べてみてください。
明日から、世界の見え方が少し変わっているかもしれませんよ。

スキー場に行くと必ず「今日が初めて」という人がいる。
先生は滑れるから「滑り方を教えてほしい」とよく言われます。
だから実際にやってみせながらこう説明します。

「スキーをハの字に開いて体重を前にかける。後ろ体重は危ないからね。絶対に前。それからひざの内側に力を入れると止まる。わかる?」

そうするとみんなこう言うのです。
「わかった。やってみる」と実際に滑ってみる。
ここで、言われたとおりのことができる人はどれくらいいるのだろう。
そう、一人もいないのです。
つまり、わかっているけどできない。 
 
「わかる」と「できる」の間には必ず反復練習という経験が必要なのです。
スキーだけでなく、他のどんなことだって同じ。
試しに自分が得意なこと、ピアノを弾くとかサッカーのリフティングとか、とにかく自分はもうできるということを、まだできない友達に説明してみよう。
わかってもらうことはできても、はじめから自分と同じようにできる人はいないから。

勉強も同じなのです。
勉強の説明を聞いて「わかる」。
でも、それを聞いてわかったからといって「できる」かどうかは別問題。
もっと言うと、わかってもできないのが普通なのです。
だから大事にしなければならないのは、「わかったこと」を「できるようにすること」
勉強するときはこのことを絶対に忘れないで欲しい。
「わかるまで続ける」ではなく、「自分の力でできるまで何度でも続ける」
そういう「しつこさ」が大切なのです。
しつこい人は嫌われそうだって?
とんでもない。
人生の成功者は、みんな誰よりもしつこいんだよ!

みなさんの周りでこんな話がでたことありませんか?目玉焼きを食べる時は何をかけて食べるのか。
ちなみに先生は小さい頃からずっと醤油です。

人によっては
・ソース
・塩コショウ
・ケチャップ
・何もかけない

と色々な意見がありますよね。

この討論、先生は大学生の時に中華料理屋の待ち時間に友だちとしていました。
話は盛り上がり、先生はその勢いで「じゃあロールキャベツには何をかける!?」と友だちに聞きました。
ちなみにこの時点で既に違和感を持っている人がいるんじゃないでしょうか。

実は先生の家のロールキャベツは、皆がお家で食べるロールキャベツとは違うんです。
先生の家ではキャベツの中に牛肉を入れて巻いてそれを蒸して完成なんです。
もちろん味はついていないので、ケチャップやマヨネーズやケチャマヨや醤油マヨをかけて食べます。
だから友だちに「何をかける?」と質問をしました。

一般的なロールキャベツは、キャベツの中身はひき肉で、トマト缶で煮たりコンソメで煮たりするようですね。
先生は大学生の時に初めて知りビックリしました。
そんなロールキャベツを食べたことがなかったので、「美味しいのかなぁ」と疑っていましたが、食べてみてビックリ!とっても美味しかったです。

みなさんも自分が当たり前に思っていたことが、みんなと違っていたことありませんか?
食事以外でも生活だと朝のルーティンワークの順番やお風呂でどこから洗うか、人付き合いであれば物事に関する考え方などなど。
でもそれはどちらが良いとか悪いとかはありません。
人それぞれですよね。

これからみなさんが大人になるに向けて色々な人と出会います。
そして一緒に学習したり遊んだり働いたり…。自分と同じ生活感や考え方の人はたくさんいる訳ではありません。
気をつけるのは自分と違うからと言って相手を否定しないことです。
まずは「へ~そうなんだ~」と受け入れてみましょう。
すると新たな関係が生まれて新しいことを発見することもできます。

あと1か月ほどで夏休みです!
夏休みには日ごろ経験ができないことが色々とできますね。
一人で何かをすることも良いですが、色々な人と関わりながら発見ができる合宿だったり体験講座だったりに参加して、今の自分が知らない世界を楽しんでください!
最初は嫌だったとしても、やってみると楽しいことは山ほどありますよ。

あ、ちなみに社会人になってからの先生のロールキャベツは、キャベツの中身は牛肉で、トマト缶にコンソメを入れて煮ています!