実は先生は、お休みの日は毎日のように「ドラえもん」を見ているんです。
なぜかって?2人の息子がず~っとテレビでドラえもんを流しているからです(笑)。
しかも同じやつを何回も見ます・・・。
おかげで、のび太くんとドラえもんのやり取りは完璧に覚えました。
でも最近、ふと思ったんです。のび太くんが困ったとき、ドラえもんがひみつ道具で助けてくれる。
実は今、私たちの世界にも「ドラえもん」のような存在が現れています。
それが「AI」、つまり人工知能です。

少し前まで、AIは映画の中だけの存在でした。
でも今では、写真を自動で整理してくれたり、翻訳してくれたり、文章を書いたり、絵を描いたりできます。
まさに「ひみつ道具」が現実になった感じです。

ここで大事な話をします。
これからの時代、テストで100点を取ることよりも、AIを上手に使えることの方が重要になるかもしれません。
AIは私たちの「最強の勉強パートナー」になってくれるからです。

数学の問題が分からないとき、AIに聞けば分かりやすく説明してくれます。
英語の作文では、AIが文法をチェックしてくれます。
AIを使えば、勉強がもっと楽しく、効率的になるのです。

でも、注意が必要です。
ドラえもんののび太くんを思い出してください。
ひみつ道具に頼りすぎて困ったことになる話がたくさんありますよね?
AIも同じです。

まず、AIの答えが必ず正しいとは限りません。「本当かな?」と疑問を持つことが大切です。
次に、AIに全部やってもらうと、自分で考える力が弱くなってしまいます。
AIは「手伝ってくれる友達」として使って、最終的には自分の頭で考えることが重要です。

最後に、AIが作った文章や絵を、自分が作ったものとして発表するのはよくありません。
AIを使ったときは、「AIの力を借りました」と正直に言うことが大切です。
実はこの文章も、先生がAIと一緒に作りました。
「小中学生に分かりやすく、AIについて話したい」とお願いしたところ、ドラえもんの例を提案してくれました。
まさに、AIとの上手な付き合い方の実例です。
みなさんもAIに頼ったときは、正直に言いましょうね。

みなさんは夏の合宿に参加しましたか。
先生は中学3年生の『高校受験合宿』に参加しました。
6泊7日という長期間の合宿でしたが、参加したみなさんは本当によくがんばっていたと思いますし、日々成長する姿を見て頼もしく感じました。
そんな能開(ティエラ)の中学生対象の合宿にはいくつか特徴があります。
その中でも、先生が大切だと感じるところを2つ、みなさんに紹介します。

①日程が長い
能開の中学生対象の合宿は基本的に4泊5日以上です。
なぜそんなに長い日程が必要なのか。
それは、短い日程では「本当の自分」を見せることが難しいからです。
人間は3日程度であれば「本当の自分」を抑えて過ごすことができます。
その「本当の自分」を出さずに終わってしまうと、せっかく合宿に行っても「本当の自分」に起こる変化を感じることができません。
6泊7日の高校受験合宿に参加したみなさんも、「お、本気になってきたな」と先生が感じたのは3日目くらいからでした。
もちろん、参加したみなさんは初日から一生懸命取り組んでいたとは思いますが、これが短い日程の合宿だったとしたら、変化を実感できないまま合宿を終えてしまった人もいたことでしょう。
実際に、合宿の感想文を読むと「はじめはついていくだけで精一杯だったけど、最後は勉強することが楽しくなってきた」という内容が多いです。

②班のみんなで協力する
合宿では「班活動」が必ず実施されます。
これは①とも関わってくることですが、自分と同じ境遇に置かれた仲間と「本当の自分」を見せ合うことで、「自分が今まで知らなかった自分」と出会うことができます。
「実はまだまだ頑張れる自分」「実は他の人のことを気にかけてあげられる自分」「勉強する意味に気づく自分」など、そこでは様々な自分に出会えます。
この「自分の知らない自分」は、日常生活ではなかなか気づくことができないものです。

この夏、合宿に参加できなかったみなさんも、来年は「自分の知らない自分」に出会いに行きませんか。

日本では2008年ごろに販売され始めたスマートフォン、いわゆるスマホは急速な進化と拡がりを見せ、今では世帯保有率が9割を超えています。
これは世界的に言えることで、たった10数年でスマホは我々の生活になくてはならない存在になっています。

その一方で、ブラジルやフィンランドでは小中学生のスマホ使用禁止、アメリカでも一部の州で14歳以下の子供のSNSの使用が禁止されています。
これは心無い大人に騙されたりする危険を避けるためであるとともに、スマホが子どもの成長を妨げる可能性があることがいろいろな研究からわかってきたためです。
今日はスマホの健康被害を紹介し、スマホとの付き合い方を考えてもらう機会にしたいと思います。

【スマホの問題点】
① 依存性が高い
スマホがもたらす新しい情報は私たちに好奇心となるほど、面白いなどの心地よさを与えてくれます。
また手軽にダウンロードできるゲームは我々を飽きさせず、適度な達成感を与えながら、時間を忘れて没頭させていきます。
その快感や達成感には中毒性があるようで、やがて、ちょっとした時間でもスマホを触るようになります。
最近のスマホゲームの多くは3分程度で決着がつくため、すき間時間でも十分、プレイできてしまいます。
またLineやInstagramなどでメッセージを送れば返信を期待して、スマホがどうしても気になります。
スマホがあるだけで注意力が奪われ集中力が低下する原因の一部です。
一方で、次から次へと脳に送られてくる情報に脳は処理速度が追いつきません。
その時、脳は考えることを止めてしまします。
逆に言えば、考えなくても情報を受け取ったり、ゲーム等を楽しんだりはできてしまうのです。
人は、ぼーっとする時間がとても大切です。
意外と良いアイデアはこのぼーっとした時間に生まれることが多いことは、皆さんも経験があると思います。
このボーっとする時間で脳は情報を整理し、必要なものを取り出しやすくしたり、これまでの情報と結び付けてアップデートしたりしているのです。

② 眼への負担
スマホ画面を見過ぎると、目を内側に寄せて長時間見ることになり、寄り目が固定化することでピントが合わなくなるそうです。
いまや世界の3割以上の人が近視になっているという話もあります。
特に若い頃の近視は年を取ってから失明のリスクにまで発展することがあるそうです。
ウィンドウズの生みの親であるビル・ゲイツ氏は強度の近視だったため、自分の子どもには14歳までスマホは持たせず、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは家庭でのデジタルテクノロジーに触れる時間を厳しく制限していたという話は有名です。

人はスマホという便利で人生を豊かにすることができるアイテムを手に入れました。
しかし、その反面、人として生きる大切な時間や、自分らしく生きることの楽しさを手放そうとしているようでなりません。
スマホはあくまでも道具であり、道具に翻弄される人間では不甲斐ないと思いませんか。

「人生最後に食べるとしたら?」

なんのために発せられるか意味不明な問いだが、そう問われたら答えは決まっている。
答えはカレーだ。
そんなわけで火曜はカレーライスの日と我が家では定まっているが、そのカレーはシェフ(妻)の気分で自由奔放に作られるため想像もつかないカレーがでてくる。
いつだったかひき肉と豆腐の餡かけカレーがでてきた。
明敏な諸君であれば察していただけると思うが、それは麻婆豆腐というものだ(カレー風味ではあるが)。
そう言いながら未知との遭遇を楽しんでいる(妻の名誉のためどれも美味しいことを申し添えておく)。
さて諸君、『カレーライスの唄』なる小説があることをご存知かな。
本作は1960年代の日本を舞台に会社を辞めた男がカレーライス屋を開くまでの奮闘を描いたものだ。
敗戦から十余年、若者の熱気と鬱屈とが交錯しながら、努力すれば成功するという未来を無邪気に信じられる幸福な時代の物語だ。
しかし、そこはそれ、60年も前の小説だ。
違和感のある表現もある。
女性が無条件でお茶くみをさせられたり、職場でタバコをふかしていたり、挙句の果てには飲酒運転をしていたりと令和ではまちがいなく炎上する描写ばかりだ。
こんな時代もあったのかと昔日に思いを馳せつつ読んでいると奇妙な表現に出会った。
それはこうだ。

「あの人、蛍光灯ね」

賢明なる諸君、あの人がどんな人かわかるだろうか。
令和を生きる我々には不可思議すぎる表現で、ほとんどの人が正確に意味をとらえることはできないだろう。

さて、そうなると当時の人々はこの言葉の意味が分かったのだろうかという疑問がもたげてくるが、そもそもこの小説は新聞に連載されており、不特定多数の読者が読むことを想定して書かれたはずだ。
であれば高度成長期に生きていた人であれば自明の表現と言えそうだ。
それにしてもたかだか60年ほどの間でまったく意味が通じなくなってしまった。
おそらく諸君の教室の電気は蛍光灯であろう。
勉学に勤しむ諸君を頭上から煌々と照らしたもう蛍光灯、いまだ健在なりとその眩い光は諸君に語りかけているはずだ。
そう、モノはわかるが意味がわからない。

そこでAI様におうかがいをたててみた。

「あの人、蛍光灯ね」という表現は、「反応が鈍い」「話の理解が遅い」「空気が読めない」 といったニュアンスで使われることがあります。
なぜ「蛍光灯」と表現されるのか。
これは、蛍光灯が点灯するまでのタイムラグに由来しています。
昔の蛍光灯の点灯方式、特に古いタイプの蛍光灯(グロースタータ式など)は、スイッチを入れてもすぐにパッと明るくならず、一瞬チカチカしたり、数秒経ってからようやく点灯したりする特徴がありました。
この「すぐに反応しない」「ワンテンポ遅れる」という特性が、人の理解力や反応の鈍さになぞらえられた結果、「蛍光灯」という比喩表現が生まれました。

なるほど。
たしかに我が思い出の中の蛍光灯は点灯するまでチカチカしてなかなかつかなかった。
いまの蛍光灯はスイッチオンですぐに明るくなるためこの比喩表現は忘れされてしまったというわけだ、などと感心していると、諸君、我らが蛍光灯は2027年をもって製造禁止とあるではないか。
なにやら蛍光灯に含まれる微量の水銀が環境に悪いという理由で世界的に製造禁止が取り決められたらしい。
おぉ、なんということよ、日本のみならずこの世から蛍光灯の存在が許されなくなるではないか。
想像したまえ。
いまから30年後の世界、きっと蛍光灯って何という会話がうら若き少年・少女たちの間で交わされているぞ。
我々の常識や知識なんてものはたかだか20~30年で風化してしまう移ろいやすいものということだ。
時々刻々変化の激しい世を生きる我々は常に知識をアップデートし、自らの知見を広げる努力を続けねばならぬというわけだ。

この四文字を胸に刻まれたし。

生涯勉強。

まずは、次の計算をしてみてください。
   8÷2×2
正解は――もちろん8です。2と答えた人はいませんよね?

では、次の問題。
   8÷2(2+2)

1問目の考え方を当てはめると
   8÷2(2+2)
  =8÷2×4
となり答えは16。

一方で、
   8÷2(2+2)
  =8÷(2×4)
と解釈すれば答えは1になります。

日本人の多くは16と答えるらしいですが、どちらが正しいのか。
結論は、「どっちも正しい」らしいです。
というか、どっちにもとれるあいまいな出題が悪いという結論でした。

白にも黒にもとれる発言ってありますよね。
あいまいなことを言うと大問題になるってことでしょう。
自分の意思を持って明快に話をしていきましょう。

さて「クラスの中に自分と同じ誕生日の人がいる確率」はどれぐらいだと思いますか?
これは人数によって変わります。
※ここから少し計算の式が出てきますが、まだ習っていない人は「式は飛ばして数字だけ見てもOK」です。

・23人なら約6%
・30人なら約8%
・40人なら約10% 
となります。
計算式は、 1-(364/365)^n で求められます。

今は、「自分と同じ」ことに注目しましたが、今度は「クラスに同じ誕生日のペアができる確率」を考えてみましょう。

計算式はちょっと面倒になりますが、
  1-〖364/365×363/365×…×(365-(n-1))/365〗^
で計算できます。
計算すると
・23人なら50.7%
・30人なら70.6%
・40人なら89.1%
です。
23人いれば半分の確率で同じ誕生日のペアができるということです。

以前、ティエラの合宿で実際に確かめをしていました。
35人くらいればかなりの確率でペアができます。
ペアができるとその場に居合わせた生徒は大盛り上がり。
50人くらいいたときは、クラスの右半分と左半分でそれぞれペアを作ったり、ある時は
な、なんとトリプルってこともありました。

もう少しシンプルな実験もできます。
「クラスで各自が26文字のアルファベットから1文字を選ぶ」という場合――
同じアルファベットを選ぶ人がいる確率は、
・7人のクラス→ペアができる確率58%
・11人のクラス→ペアができる確率86%
意外に高い確率だと思いませんか?

実験してみると、「外し続けることの難しさ」を実感できるはずです。
7人目には半分の確率でかぶり、11人目まで外し続けるのはかなりの難しさです。
クラスの友だちと実際にやってみてください。

宝くじも同じ。
「当たるわけないから買わない」けど、「買わなきゃ当たらない」。
確率の世界は、思っている以上に奥深いのです。

一部英語を含む以下の3つの文章を読んでください。
<1>こどもの頃、クリスマスには<Santa Claus>に会うのを楽しみにしていました
<2>大きな話ではなく、もっと深刻で重要な問題を<close up>して討論しよう
<3>家にノートを忘れてきてしまったからきみの<loose leaf>を一枚くれないか
   ※もう少し前の世代の方用→昔のJKはみんな<loose socks>を履いていたよ
さて<1>~<3>の<Claus><close ><loose>3つの英語のなかでひとつだけ発音が違うものがあります。どれでしょうか。

先生はこれまでに中3の生徒たちに何世代にも渡ってこの質問をしてきましたが、どの世代においてもその8割以上の人が<1>と答えました。そしてそのほとんどがカタカナ語の発音である「<サンタクロー><クローアップ><ルーリーフ/ルーソックス>だから<1>が仲間はずれ!」と答えました。みなさんはどうでしょう。そして正解は?
はい、正解はその<1>です。正解だった人たち、よくできました。

が、おそらくほとんどの人はその答へのたどりつき方に問題があります。日本語(カタカナ語)では
<サンタクロース><クローズアップ><ルーズリーフ><ルーズソックス>ですが、英語の発音をあえてカタカナで書くと
<サンタクローズ><クロースアップ><ルースリーフ><ルースソックス>と、カタカナ語として定着したものと英語では「ス」と「ズ」の音がそれぞれ逆なのです。言ってしまえば<1>と答えたこれまでのその8割の人たちや多くのみなさんは「間違っているけれど、問題に対する正解には結果的にたどりついた」だけで、不正解のようなものですね。

普段のゼミでもテストでも講習会のテキストやプリントの問題でも何でもそうですが、上の例は◯つけと解き直し/やり直しをするときの重要なヒントと捉えてください。みなさんは✓がついて不正解だったものの解き直しはしても、◯がついたものを解き直したりすることはほとんどないでしょう。「宿題をがんばっているのに結果が出ない」と困っている人こそ、これからはまず
「なんとなく書いたらたまたま正解だった」
「迷って選んだ選択肢が正解だった」
などは、たとえ◯であっても✓がついたものとして、要するに「不正解と同じ扱い」にしてそれも解き直しをしましょう。これはまず絶対に!

そしてさらに上を目指すなら、解答を見て◯をつけて良い気分になるだけではなく、正解の中にも上の問題の例のように「わかっていると思い込んでいる」という見かけ上の◯も潜んでいることがあると気づけるように
「解説をしっかり読みこんで理解する」
「自分でも調べて確かめてみる」
「それでも疑問に思うことがあれば先生に質問をして解決する」
をして向上していきましょう。この文にしても第二段落で読むのをやめていたら、正しい/新しい知識を得ることなく「正解だった」で終わる残念な人になるところでした。本当の意味で向上したいのであれば、今後は「疑問を持つ」どころか「疑ってかかる」という姿勢さえも持って突き詰めて取り組んでみましょう。たくさんの問題に出会い、そしてそれにとどまらず注意深く目を向けたり耳を傾けることで「ん?」と思う瞬間にたくさん出会って、それをとことん突き詰めてください。どんどん拡がっていきますよ!

「あの人ってナルシストだよね。」に「いや、ナルシシストだよ。」と返したり、「間違わないようにシュミレーションしとけよ。」と言われて「あんたこそしっかりシミュレーションして間違わないようにね。」と言い返したりするといろいろな意味で怪訝な顔をされるくらい、定着してしまったカタカナ語は気をつけないと間違っていることに気づかないことも多いものです(気づけましたよね?)。このようなカタカナ語に限らず、様々な場面で「深い勉強/追究」をして、たくさんの「?」との出会いを大切にすることで本物の力と正しい方法を身につけ、合格というハッピーエンドを迎えましょう!いや、ハッピーエンディングを迎えましょう!

先生が小学生の頃の夏休みといえば、「夏休み帳」(学校からの宿題)そして「ラジオ体操」でした。
毎朝6時30分に近くの神社へ集まり、ラジオから流れる音楽、かけ声とともに皆で体操をし、終わるとそのまま友達と神社に残って「おにごっこ」や「かくれんぼ」「まるじゅう」などをして遊んでいました。
当時は今ほど暑くはなく、また大きな木が生い茂った神社の境内はむしろ涼しく、楽しい時間を過ごしていました。
その後、家に帰ると夏休み帳が待っていましたが・・・。

ラジオ体操は1928年(昭和3年)に、日本国民の健康保持促進を目的として始められました。
ちなみに当時の日本人の平均寿命は45歳くらいだったそうです。
また、皆さんがよく知っているラジオ体操「第1」や「第2」ができたのは1951年(昭和26年)頃で、それ以前は別のプログラムでした。
たった3分ほどの体操ですが、朝にすると全身に血液がめぐり、寝ていた体や脳を目覚めさせる効果があり、骨や関節、筋肉をバランスよく動かすことができ、体にも大変良いとのこと。
まとめると、ラジオ体操には、
・ 全身運動による体力、持久力向上
・ 脂肪燃焼
・ 骨粗しょう症予防
・ 自律神経を整える
・ ダイエット効果
・ 気分転換
などの効果があるそうです。

夏休みこそ、ラジオ体操です。
夏休みの間は学校もありませんし、外は暑いからといって家から出ない生活が続くかもしれません。
毎朝決まった時間に体操をして、それを毎日続けることで起床時間など生活リズムが整い、体調も崩しにくくなります。
何より毎日取り組むことで自信もつきます。

今では、皆で集まるラジオ体操は夏休み始めの1週間くらいしかないと聞きます。
しかし、終わりが本当の始まりです。
その後も自宅で毎日続けられるといいですね。
ラジオ(インターネットでも聴けます)があれば、家の中でもできますから。

続けることで自信がつく、力がつくという意味では、毎日の学習もそうです。
学校の宿題が終わっても、そして講習会が終わっても、強化したいところは毎日少しずつでも続け、夏休みが終わる40日後それがどうなっているかを考えるととても楽しみですね。

(夏休みを40日間とすると)「×40」は魅力的です。何事も継続は力なり、です。

こんにちは皆さん、毎日寝苦しい日が続いてますね。先生も冷房を惜しげもなく使うようにしています。
室内熱中症のニュースはたまに流れてきますよね?
部屋の中にいてもこまめに水分を取らないと駄目ですよ?

さて、皆さんはぐっすり眠るために何か工夫をしていますか?
先生は色々試してみて、『羊のいらない枕+アイマスク』で寝るようにしています。
ちなみにこの枕、1.5万円するんですよ。
枕ごときにそんなにお金を使うなんてと思うかもしれませんが、毎日6時間睡眠だとして、1日の1/4の時間に使用している道具だと考えれば、寝具にいいものを選ぶことは大事なことなのかもしれません。
(ちなみに先生の場合、一番お金をかけるべきは、残りの3/4の時間を一緒に過ごす眼鏡だと思います)

そういえば、生物は寝ている状態が正常で、起きている状態が特別だ、という話を読んだことがあります。
脳を持たない植物やクラゲでも睡眠状態になることが確認されたそうで、『脳が疲れたから睡眠をとる必要がある』という説が揺らいでいるとか。
外部からの刺激に鈍くなる『睡眠状態』はすべての動物・植物にみられるのに、刺激に敏感に反応する『覚醒状態』になるのは一部の動物のみというのは、睡眠状態こそが標準で、『覚醒状態』が特別なことなのでは、という話です。
つまり、元々の動物が起きている理由は、気持ちよく寝るための準備を整えるためだという説です。
面白い話だとは思いますが、君たちはどう思いますか?

寝るためだけに起きている?
そんなわけないじゃないですか。
私たちは夢を叶えるために起きているんです。
だからこそ人間に生まれたことは素敵なんです。
起きては夢を叶え、寝てはいい夢を見る。
人生を二倍楽しむためにも勉強も睡眠も頑張りましょう!

じめじめとした梅雨が明けはじめ、からっと乾いた熱風が吹きはじめていますね。
今年は例年に比べてかなり早い梅雨明けのようです。夏が長くなる年になりそうです。

「鷹乃学習」というタイトル読めましたか。
「たかのがくしゅう」ではなく、「たかすなわちわざをならう」と読みます。
みなさんの中には二十四節気という季節を表す言葉を聞いたことがあるひともいるでしょう。二十四節気とは1年間を季節や気候の区分によって24個にわけたものです。
例えば「春分」や「秋分」、「立夏」、「冬至」などは有名なものです。
この二十四節気をさらに細かく区分したものを「七十二候」といいます。
二十四節気をさらに5日ずつ程度に分けたものです。

今年は7/7~7/21が二十四節気の「小暑」で、七十二候では7/7~7/11頃を「温風至(あつかぜいたる)」、7/12~7/16頃を「蓮始開(はすはじめてひらく)」、7/17~7/21頃を「鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)」と名づけられています。
「温風至」はその文字のまま、梅雨明けを知らせる南からの温かい、あつい風が吹く頃。「蓮始開」は池の水面に蓮の花が咲き始めるころ。
そして「鷹乃学習」は春に孵化した鷹の雛が一人前の鷹になるために、飛び方や獲物の狩り方を学習する頃という意味です。

忙しいみなさんのことですから、「気がついたら春が終わっていて、夏が来ていた。」という状態だと思います。
先生たちはみなさんよりもっともっとすごいスピードで1年が過ぎていきます。
「この前除雪をしていたのに……」と夏に思い、「この前までひどい暑さだったのに」と秋の終わりに思います。
国語の授業の中で「俳句」の授業がありますね。
その中で必ず「季語」の話が出てきます。
先生が授業をするたびに、昔のひとたちの季節に対する高い意識よりも、今のひとたちの季節に対する低い意識を痛感します。暑ければ冷房をつけ。
寒ければ暖房をつけ。
空飛ぶ鷹を見ることなく頭をたれて手元の画面をみる。

地球環境の変化に伴い、春と秋がすこしずつ短くなっていき、日本の四季が二季(冬と夏)だけになってしまうという話も出ているようです。
先生が国語の先生だからか、環境の変化よりもむしろ日本人の自然観の低下を恐れています。
昔のひとたちは今のひとたちよりも気候に、動物に、植物に、天文に敏感でした。
昔のひとたちは確かにそこにあった絶妙な季節感を言葉で表しています。
四季がまだ残っている今を生きる私たちも「春が来たことに気づく」、「夏の暑さの程度を楽しむ」という自然観を持つことが、そして季節を楽しみまた季節を惜しむ一歩につながるのではないでしょうか。
まずは二十四節気や七十二候、季語を通じて季節を楽しんでいきましょう。

土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)の季節もやってきます。
熱中症に注意して「夏を味方に、自分を超える」そんな夏を迎えに行きましょう。

「小学生」「中学生」「大学生」っていうのに、「高学生」ではなく「高校生」なのはなぜなのでしょうか?

皆さんは「ノーベル賞」を知っていると思います。
実はこのノーベル賞のパロディとして「イグノーベル賞」というものが存在します。
この賞は人々を笑わせながら、その一方でいろいろと考えさせられる研究に対して贈られるものです。
先生はこの賞の授賞式をいつも動画で見ています。
とにかく研究のテーマが面白い。

◎床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだときの摩擦の大きさ
◎ヘリウムガスを使うとワニのうなり声も高くなる
◎多くの哺乳類は、お尻から呼吸する能力をもっている

実にくだらないが、それらが持つ意外な意味や科学的面白さを教えてくれる。
「どうしてそこに着眼できるのか?」不思議でならない。
またこの賞では、日本人が18年連続受賞しているのもまた面白いし、大学教授や民間の研究機関の研究員などが真面目に研究しているというところも面白い。

「探究」とは、物事の本来の姿やあり方を探り、その物事を明らかにすることである。
高校などでは、生徒が自分で課題を設定し、情報収集・整理・分析をおこない、周囲と協働しながら課題解決に向かう学習が広くおこなわれている。
またそのような生徒自ら課題解決に向かう姿勢・考えを評価する大学入試も多く取り入れられている。
決まった内容を暗記したり、解き方を覚えて復元したりするような勉強も大切だが、狭い枠にとらわれずに、自分が疑問に思ったこと・関心あることを掘り下げる勉強も大切である。
先生は、それこそ「予習・ノートまとめ」って探究だと思う。
未知の分野・単元に対して、知ることの喜び・さらに生まれる発見・それに伴う疑問などを深めてみることができるのが予習であり、探究だと思う。
えっ?なぜ「高学生」ではなく「高校生」なのかだって??
そこに疑問を感じたのであれば、まずは調べてみよう。
それが探究の第一歩なのです。