スポーツの世界では「敏捷性(びんしょうせい)」という言葉があるのを皆さんはご存知ですか?
英語では” agility”(アジリティー)という言い方をしますが、どれだけ素早く動けるかということですね。
どんなスポーツでも、基礎トレーニングとしてフットワークの軽さというのを大事にしているかと思います。
機敏に動けることで、ボールや相手の動きに反応できる力を身に付けることが必要ですよね。

高校に行くと、理科ではなく「物理」として勉強していきますが、物体に働くエネルギーは、「エネルギー=質量×速度」という公式が成立するようです。
どんなに小さな質量のものでも、速度が速ければ速いほどぶつかったときに生じるエネルギーは大きいという計算式になります。

勉強や仕事に関してもスピード感を持つことは重要だと私は感じています。
早めに対応すれば解決できるトラブルや、難しい単元でも早めに取り組むことで解決の糸口になることもあります。
早めから取り組めば、今は小さい力かもしれないものが、大きなパワーを生むかもしれませんね!

4月に入り、新年度を迎えました。
みなさんは新しい学校、新しいクラス、新しい友達などさまざまな新しいことに触れる機会が多い時期だと思います。

みなさんの中には新年度に向けて「新しい目標」を立てた人も多いのではないでしょうか。
「志望校に合格したい」「英語が得意になりたい」「部活でレギュラーを取りたい」など目標は人それぞれだと思います。
目標を自分の心の中に秘めながら達成に向けて努力することもすばらしいことですが、ぜひその目標を言葉にしてみましょう。
目標を言葉にすることで「やらなければいけない」という意識によって目標の達成率が高まったり、目標を聞いた周りの人たちが目標の達成に向けて助けてくれる可能性が高まるなどの効果があると言われています。
ぜひ活用してみてください。

もし「自分の立てた目標が高すぎて、笑われたらどうしよう」、「目標を口に出すのは恥ずかしい」「目標を口に出して達成できなかったらどうしよう」などと不安に思う人は「自分と同じ目標を持っている友達」、「目標を達成したときに褒めてもらいたい人」、「自分の目標を応援してもらいたい人」など相手を選んで伝えてみましょう。
どうしても思い付かないときは能開の先生に聞いてもらいましょう。
みなさんの周りの能開の先生はみなさんが目標を達成するための大きな力になってくれるはずです。

ぜひみなさんが立てた目標を言葉にして叶えていきましょう。

先日、懐かしい卒業生に偶然再会しました。(仮にAさんとしましょう。)
Aさんはすでに社会人になっており、彼女が能開に通っていたのは、彼女が中高生の頃ですから、10年以上前になります。顔を見れば面影があり、どれだけ過去でも卒業生のエピソードは走馬灯のように蘇るものです。
人違いだったらどーしよう。とも思いながら声をかけるとやはりそうでした。
そのAさんに関して少し紹介します。
彼女には中学生の頃から、保育士になるという夢がありました。
高2までは、保育士になる為に短大に行くんだと考えていました。
コツコツ学習をする努力家で、その頃の先生たちは、将来の可能性を広げる為に4年生大学に進学することを以前から提案していました。
大学入試に向けての勉強がより本格化する高2の夏、4年生大学の優位性、また有名大学に進学するとどのような優位性があるかを説き、そして本人も将来について考えた上で、ある日、幼児教育で有名なA大学を目指したいと決意しました。
そして受験勉強の末に、志望大学に進学をし、幼稚園の先生になりました。

彼女は来月から、カンボジアに教育支援のボランティアに行くそうです。
きっかけは大学時代に受けた講義や留学経験から、視野を大きく広げて自分の本当にしたいことを見つけられたから。
もし彼女が、そのまま短大に進学していたら?海外で仕事をする選択はなかったかもしれません。
もし彼女が、自分の将来に悩んでいなかったら?本当に自分のしたいことに出会えていなかったかもしれません。

高2の夏の葛藤があったからこそ、Aさんは今、本当に自分のしたいことに出会えたのだと思います。

そんな卒業生に再会し、なんだか温かい気持ちになりました。

みなさんは、将来したいことはありますか?
今具体的に将来の夢がなくとも、これから出会えると思います。

その為に、自分自身のことを分析してみるのもいいですね。
・好きなことは何か?
・得意なことは何か?苦手なことは何か?
・憧れは何か?
・場合によっては、なりたくない自分から考えてみてもいいでしょう。
・興味のあることを調べてみる、行動してみる。

夢を叶えるだけでなく、将来の自分探しの為にも大学進学があります。
どんな大学に進学したいか、どんな学部を選択するか、今一度自分自身の将来について考える時間を取ってみて下さい。
「その為に今があるんだ」と考えると、みなさんの原動力になるはずです。
今を頑張る本当の意味がわかるはず。
人生は一度きりです。
自分の将来についてじっくり考え、未来設計図ノートに自由に描いてみて下さい。

みんなの中には、いろんなスポーツの経験を持っている人がいると思います。
先生も若いころは、野球をしていました。
バッティングにおいては、いろいろな練習をしてレベルアップを図り試合に臨むわけですが、その中でも一番重要だといえるのが「素振り」です。
やみくもにバッティング練習をしたり、やたらと筋トレをしても、バッティング技術は上がりません。
「素振り」をすることで、自分の理想とするフォームの形が定まり、いざ試合となったときにその形が再現できるのです。
地味でしんどい練習ですが、ほとんどのプロ野球選手がその重要性を述べています。
毎日の積み重ねこそが、まさに本番で花開く典型だといえますね。

ところで、勉強も同じことがいえませんか。
例えば、漢字や英単語の練習、計算ドリル、たくさんの問題演習など、これらの地味な学習を経て模試での安定感、ひいては入試本番での合格に繋がるのですね。
さぁ、今ここから、目の前の「勉強・素振り」に真剣に取り組んでいきませんか。

先生はお風呂が好きだ。
みんなはどうだ?
お風呂が嫌いという人の割合が一番高くなるのは10代の世代らしい。
つまり君たちはあまりお風呂に好意的ではないかもしれない。
しかし、聞いてくれ。

まずお風呂が日本人の文化として根付いたのは江戸時代。
木材の加工技術の進歩、人口爆発によるインフラの統制、潜在的な水/木/温泉の資源の豊かさを背景に、銭湯は庶民の社交場として、また癒しの場としてその社会的価値を確固たるものとした。

先生の理想の銭湯はこうだ。
まずは屋内の湯舟、
源泉と普通の湯(これを真湯という)がほしい。
肌が弱い人もいるからだ。
そして泉質、ここは塩化物泉を推す。(海に近い温泉は塩化物泉になりやすいよ)
熱い塩化物泉、ぬるい塩化物泉、適温の真湯の3つの湯舟にしよう。
洗い場には隣同士を隔てる壁は用意しない。
銭湯本来の社交の場という本質を捨ててはならないと思うからだ。
桶は木製といきたいところだが、ここはケロリンの黄色の桶。
壁面は下部がタイル仕上げ、上部から天井はヒノキの大木で梁を通す。
ここはメンテナンス性よりもお客さんの没入感を優先する。
この銭湯の顔だ。
露天(屋外)は構えないストロングスタイル。
脱衣場は多目的トイレから赤ちゃんの着替え台まで、痒いところに手が届く機能をフルインストール。
床材は竹を使用、竹敷の清潔な空間で日常との切り替えを行う。
番台では入浴券のほかに、コーヒー牛乳やこの銭湯のオリジナルグッズが販売してある。
当然だがキャッシュレスには対応していない。
そんなものを導入するぐらいなら設備投資を行う。
こどもが自分でお金を払うという機会も奪いたくない。
下駄箱は木製の大きな鍵。
お客さんが最初と最後に触れるものだ。自然由来のものを使いたい。
きれいすぎることはない暖簾をかき分けお客さんは日常へと帰っていく。

どうだ?
先生は本気で考えてみた。
まぁ本当のことを言えば銭湯に行くたび毎回考えているが。
ここで伝えたいのは銭湯うんぬんの話ではない。
みんなも本当に好きなことや好きなものの“最高のイメージ”を持ってみてくれ。
すると不思議なことに、どこかの段階でその世界に“他人”が入り込んでくる。
お風呂:お客さん
食べもの:誰が/誰と食べる
スポーツ:競争相手
そして自分のことと同じかそれ以上にその他者のことを考えるようになる。
自分の理想を実現するためには“イメージですら”他者との関りを無視できないのだ。

勉強という分野ではどうだ?
誰かに勝ちたい。それだけだろうか?
もし勉強を通して誰かと関わるのであれば、
それは君の努力する背中が誰かを変えること、
そして勉強できる環境に感謝を忘れないこと。
きっとそういうことだろう。

周囲も巻き込んではじめて理想は実現する。
ならば、まず自分のできることに熱中しよう。
そしてその輪を広げていこう。

この時期、卒業・入学・就職など新たな旅立ちを多くの人が迎えます。
教室によっては、小学生・中学生・高校生・大学生のまさに16学年のおよそ4分の1の人たちがそういう時期にあたるでしょうか。

そんな春には、山口百恵さんの大ヒット曲、「いい日旅立ち」がふと流れてきます。
国鉄(JRの前の名前)の旅行誘致のキャンペーンソングとして作られ、JR西日本の新幹線のチャイムソングにもなっています。
そのせいか、日常と旅の切り替えのポイントのようで、旅の始まりのわくわくを感じたり、ちょっとした緊張感を覚えたり、日常に戻る振り返りになる曲です。
この曲のタイトルはキャンペーンソングのスポンサーであった「日本旅行」と「日立製作所」の会社の文字をとって、「日」「旅」「立」をパズルのように組み合わせて作ったそうです。
国鉄のキャンペーンは万博(前の大阪万博)閉幕1ヵ月後の1970年10月の鉄道の日から始まり、「ディスカバー・ジャパン(美しい日本と私)」から「日本を発見し、自分自身を再発見する」をコンセプトに、全国的に進められました。
この流れの中で、1978年にリリースされたこの曲に、「日本のどこかに私を待ってる人がいる」というフレーズがあります。
あれから50年近く立った今や、「世界のどこかに」待っている人がいる、と私たちを取り巻く世界は広がっているかもしれませんね。
旅に出る毎に、自ら新たな出発を迎え、見知らぬ土地で、自分の存在を確かめる、そういうことをくり返していくのです。

人生にも何回も旅立ちが訪れるでしょう。
何度も自分を確かめたり、再発見しながら、様々な旅立ちをくり返します。
旅立つためには準備がいります。生まれた小鳥が何度も準備をして飛び立つように、何回も転んだり、落ちたりしながら、旅立ちの時を迎えます。
人も同じです。
将来やってくるいい旅立ちのために、目標を立てて、はばたく準備を考える時として、この春は最適な時期ではないでしょうか。
受験を終えた人も、受験を終えた学年ではない人も、また一年先にやってくる次の学年で、いい旅立ちができるために準備を始めましょう。

皆さんはバレエを見たことがありますか?
舞台を観たことがなくても、写真や映像で一度は目にしたことがある人は多いのではないでしょうか。

まるで妖精やお姫様のようにフワフワと跳んだり、つま先でクルクルまわったりと、とても華やかな世界を見せてくれます。
そんな女性のバレエダンサーたちが履いている、つま先で立つためのシューズを「トゥシューズ」と呼びます。

実はこのトゥシューズは足の大きさだけで選ぶのではなく、足の形・幅・甲の高さ・硬さによって数百以上の種類の中から自分の足に合うものを探し出します。
そして購入後も、曲げたり叩いたり切ったりして、自分の足にぴったり合うよう整えていきます。
それでもいざ踊ってみると些細なズレを感じることがあり、違う種類のものを探したり加工の仕方を変えたりして、試行錯誤しながら自分の足に合うものを追求していきます。

大変な作業のように思えますが、一人ひとり足の形は違うからこそ、自分に合うものを見つける必要があります。
そうして完成したトゥシューズは、最高のパフォーマンスをするための大きな助けとなってくれるのです。

本来、自分にぴったり合うものというのは簡単に見つかるものではありません。
暗記の仕方一つとっても「自分に合う暗記法」というのは人によって異なるはずで、何度も書いて覚える人もいれば、声に出して覚える人、図やイメージで理解する人もいます。
どれが正解というわけではなく、自分に合うやり方を見つけることが大切です。

上手くいかなかった方法を振り返り、別のやり方を試してみる。
そうした試行錯誤の積み重ねの中で、少しずつ「自分に合う形」が見えてきます。

トゥシューズを自分の足に合わせていくように、勉強もまた自分に合う方法を時間を掛けて作り上げていくものです。
だからこそ、上手くいかない時でも焦る必要はありません。
試して、少し変えて、また試してみる。
その積み重ねが、やがて自分にぴったりの形をつくっていくのです。

中国では王朝が交代すると前代の歴史書が編纂されます。
有名なものでは【漢書】【後漢書】【魏志】などが教科書にも載っていますね。
それらの歴史書の記述をもとに、当時の社会情勢をうかがい知ることができます。
日本でも【古事記】【日本書紀】なるものが編纂されました。

この歴史書は、未来のために残す“記録”という役割だけではありません。
編纂する側の政治的な正当性をアピールする、ということも大きな目的であったようです。
前王朝がいかにして“徳”を失ったのか、そして当王朝が新たな“徳”を得てその前王朝の代わりに世の中を治めるに至ったのだ、という流れが書かれているわけですね。

ここで出てくる“徳”とは、いろいろな解釈があります。
儒教においては人徳や道徳と言われます。
知恵や技術、体力とは違うようです。
その言葉の定義を明確にすることはとても難しいのですが、考えられるのは、「中華」というとてつもなく広大な土地に暮らす数多くの人々が納得するモノであるということですから、それは言葉で簡単に置き換えられるものではないにしても、その人に無条件でついていこうと思わせるような人格や魅力なのだろうと思います。
ここでは、そのようにとらえておきましょうか。

さて、この“徳”たるものはどうやって備えられるのでしょう。
生まれたときに与えられる先天的なものもあるかもしれませんが、そうではありません。
それよりもむしろ自身の努力によって培われる後天的なものであるそうです。
確かに、その人柄に惚れて、「ついていこう!!」と思わせてくれる人っていますよね?
先生自身は、この“徳”は積み上げるものだと解釈しています。
例えば、道端にごみが落ちているとしましょう。
そこは通り道ではないので誰も見向きもしません。
が、ある人がそのごみを拾ってごみ箱に捨てるところを目撃したとしましょう。
そのある人には徳が積まれるわけです。
だって、その人がもしそのあと困っていたら助けようと思いますよね?
それが“徳”なんですよ。
損得を抜きにして他人から慕われる、そんな人が“徳”を積んでいる人なわけです。

皆さんが成長して大人になる以上、何らかのリーダーにならねばなりません。
その時に自身の方向性に賛同して協力してくれるかどうか、はそれまでに積み上げた“徳”によって決まります。
今は学力とともにこの“徳”もしっかりと積み上げていきましょう。
具体的に何をするかは気にしなくて良いです。
ただ、「徳を積む」と思うことで日々の行動に現れるはずですから。

みなさんは「マグネシウム」という物質名を聞くと、何が思い浮かぶでしょうか。
中学2年生の理科を勉強した人であれば、
「光と熱を発して激しく燃焼する」
「マグネシウムと酸素が3:2の質量比で化合する」
などでしょうか。
私も子供の頃は「こんなよくわからない物質のことを覚えて何が面白いのか」と思っていましたが、あることがきっかけでマグネシウムのことが大好きになりました。

10年ほど前、私はある理科実験のため、マグネシウムリボンに点火しました。
が、燃焼したマグネシウムの火の勢いが想像よりも強かったため、消火しようとして咄嗟に近くにあった水をかけました。
実はこれは、「絶対にやってはいけないこと」です。
水のかかったマグネシウムの火の勢いはより強くなり、あやうくテーブル上のものにまで延焼してしまう所でした。
マグネシウムには、酸素と強く結びつく性質があります。
これは、「水(H2O)からも酸素を奪って燃える」ほど強く結びつく性質です。
水(H2O)は酸素を奪われて、可燃性の気体である水素(H2)を生じます。
燃焼中のマグネシウムに水をかけて火の勢いが強まったのはこのためです。
マグネシウムは、防災法で第2類危険物(発火性の物質)に指定されています。
過去にはマグネシウムを取り扱う工場での火災に消防車が誤って放水した結果、大事故につながった例もあります。
身の回りのもので言えば、手持ち花火の中にはマグネシウムを含むものもあります。
このタイプの花火は、点火後にすぐ水に入れると、そのまま水中で燃え続けます。

理科実験であわや火事を起こすところでしたが、私はこれ以来マグネシウムが大好きになりました。
マグネシウムについて調べてみると、他にも「鉄やアルミニウムより軽く、強度に優れている」といった性質もあることが分かります。
「面白くない」と思うことでも、体験してみることで興味が生まれ、新たな知識の礎(いしずえ)になることもあります。
何事もチャレンジしていく気持ちは、いつまでも持ち続けていたいものです。

「数学ができる人は、もともと頭がいい人なんだ」
そう思っている人も多いかもしれません。
でも、数学は生まれつきの才能で決まるものではありません。
どれだけ向き合い、どれだけ考え続けてきたかで力がついていく学問です。

問題が解けないと、「自分には向いていないのかも…」と感じることがあります。
けれど、分からなかったり間違ったりすることは、学んでいる途中ではごく自然なことです。
最初からうまくいく人なんて誰もいません。
数学は、一度で理解できる力よりも、分からない状態から少しずつ前に進む力を大切にします。

数学が得意に見える人も、初めから何でも分かっていたわけではありません。
分からない問題に時間をかけ、考え直し、やり直しを繰り返しながら、考え方を身につけてきただけです。
違いがあるとすれば、才能ではなく、考えた時間の長さです。

数学には、すぐに答えが出ない場面がたくさんあります。
考えても分からず、途中で止まってしまうこともあります。
でも、その時間は無駄ではありません。考えて、間違えて、もう一度考える。
その繰り返しの中で、「あ、そういうことか」と分かる瞬間が必ずやってきます。
その経験が積み重なることで、前より少し難しい問題にも向かえるようになります。

また、数学を学ぶ中で身につく「粘り強く考える力」は、数学以外の勉強や、これから先の生活の中でも役に立ちます。
すぐに答えが出ないことに向き合う経験は、自分を支える大きな力になります。

今、数学が苦手だと感じていても、心配はいりません。できないのは、能力が足りないからではなく、まだ途中にいるだけです。
今日考えた一問、今日悩んだ時間は、目には見えなくても確実に力になっています。

数学は、頭の良さを競うためのものではありません。
続けて考えた人に、少しずつ応えてくれる学問です。