こんにちは、能開小野田教室の佐藤先生です。先生のふるさとは熊本県の阿蘇です。正確に言うと阿蘇外輪山の南側外にあります。阿蘇の中心には活火山の阿蘇山があります。阿蘇山はその規模世界一といわれるカルデラ火山です。現在標高1,592メートルの阿蘇山は本当は標高 6,000メートルくらいあったであろうと外輪山の規模から推測されています。外輪山の中には先月7月の集中豪雨で大きな被害にあった町がたくさんありま す。外輪山の中、つまり火口のまわりに位置しその周囲を外輪山が囲っているわけですから、大雨の時は水が外へ出て行くのにどうしても時間がかかります。さらに周囲の山々は火山灰で出来ているので雨水に弱い。土砂崩れ、鉄砲水となって水の流れを妨げてしまいました。今回の過去に経験のない集中豪雨はとても大きな被害を阿蘇に引き起こしてしまいました。先生のふるさとは外輪山の外です。まだ帰っていませんが、たぶん大丈夫。でも北側の外に住む人たちは、中の人たち同様やはり大きな被害を受けたようです。

そんなことがあった阿蘇にまた今年もあるものがやってきます。それは「☆フェスタ」です。正確に言うとスター フェスティバルです。毎年8月中旬、阿蘇南外輪山の裾野で行われます。全国から(本当ですよ)たくさんの人たちがこの日を楽しみにやってきます。一夜限り の☆フェスタですが、みんな寝袋持って大集合です。なぜかって?それは阿蘇外輪山の大草原に仰向けに大の字に寝そべって満天の夏の夜空を一晩中見るため です。

熊本県には阿蘇山より高い山はありません。ちなみに先ほども書きましたが、阿蘇の高さ(正確には阿蘇五岳で一番高い高岳)は1,592メートル“ひご くに=肥後国(熊本県の昔の呼び名)です。語呂合わせでなく本当なのですよ。だからまわりに障害物は何もありません。空気はめいっぱい澄みきっています。 最高の条件で夏の夜空を見ることが出来ます。特に素晴らしいのは“ミルキーウェイ”そう天の川です。とてもよく見えます。運がいいと流星群を一晩中見るこ とができますよ(ちょっと大げさ!)。流れ星があまりにもたくさん見られるのもどうかとは思いますがね。広い夜空を眺めていると、遠い星達を見ていると、 なんか遠くにある自分の将来、夢を追いかけたくなる気分になってきます。そしてそこからユメがどんどん広がっていきます。

突然、話は変わりますが、土佐 (いまの高知県)の坂本龍馬が毎日桂浜から太平洋を眺めながら「くよくよしてたらいかんぜよ、でっかいユメをもたにゃいかんぜよ」と思ったように、またそ れを「春風や闘志抱いて丘に立つ」と高浜虚子が俳句に詠んだように、さらに無限に広がる夏の夜空を眺めているときっと君にも大きな夢が広がってくるんじゃないかな。

今年の夏、ぜひ夏の夜空を見上げてごらん。するときっと、きみに何かが?!

いま生活していて「本当に便利な世の中になったなあ」と思うことがたくさんあります。遠くに離れていてもすぐに連絡がとれる携帯電話、今のように小型でポケットに入れて持ち運べるようなものではなく、まるでショルダーバックのようなものだったと知っていますか? 知りたい情報がすぐに手に入るインターネット。メールを使う人もいるかもしれませんが、手紙でやりとりすることが当たり前だった時代もあるわけです。今までできなかったことや、できたら便利だろうなと思うことが、どんどん可能になっていく。すごいことですね。

いきなり話は変わりますが、ちょうどこの時期は世間一般的に言う「お盆」と言われる時期ですね。お盆休み、盆踊りなどとよく使われます。
そもそも「お盆」とはどういう行事でしょうか。

一般的には8月13日から15日(関東では約1ヶ月早いところもありますが)において、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく成仏してくれるように、供養する期間のことです。各地の風習などもあり、その期間の行事は様々のですが、基本的には先祖の霊が帰ってくると考えられています。
よく考えてみると、「母の日」「父の日」「敬老の日」など、自分より先に生きている人たちを大切にしましょうという行事やイベントが、日本だけではなく世界中で様々な季節に行われています。

普段生活しているとあまり考えることはありませんが、こういった行事が世界中で大切にされているのも、「自分たちのご先祖さまがいなければ、私たちは存在していない」という、今まで生きてきた人たちを想う気持ちから生じているからだと思います。
最初に話した便利な世の中も、一番最初にそれを発明したり発見した人がいなければ、それらが世に出ることはなかったわけです。
考えてみれば、みんなのお父さんやお母さんであったりおじいちゃんおばあちゃん、もっともっと前のご先祖様がいなければ、先生はもちろん、皆さんもこうしてこの世に生をうけて、お互いがこの場で出会うことはなかったでしょう。そう考えると、いま自分の周りにいる人たちといることが「当たり前」ではなく、「実は結構すごいことなんじゃないか」と思いませんか。

今を生きるにあたって、今までの歴史を築いてくれた人たちに感謝する気持ち、忘れてはいけないですね。

「むか~しむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」で有名な日本昔話の代表作品「桃太郎」。この物語の主要な登場人物(?)を皆さんは知っていますね。もちろん「桃太郎」「猿」「雉(キジ)」「犬」ですが、この登場人物がなぜ「桃・猿・雉・犬」なのか疑問に思ったことはありますか。この理由には諸説あるのですが、その中の一つを紹介します。
では、その前にこの話をするための予備知識を書いておきます。
① 昔、日本では「十二支」で方向を表していました。

② 昔から、北東の方角(丑と寅の間なので艮(うしとら)という)を鬼門(鬼が出入りする方向)と言い、不吉な方向とされています。
③ 昔から桃には「邪気を祓う力」があるとされています。
この三つを頭に入れて読みながら考えてください。

さて、皆さんもご存じの通り「桃太郎」は鬼退治をする物語です。鬼は北東(艮)の方角からやってきますね。この鬼に対抗するために、反対の方角(南西)に目をやると、そこにいるのが未(ひつじ)と申(さる)なのです。そして、申の隣には酉(とり)、その隣には戌(いぬ)。もう分かりましたね。昔話の「桃太郎」に出てくる登場人物は、鬼に対抗するために「申」「酉」「戌」である必要があったのです。そして、さらには、桃太郎は「桃」である必要があり、「柿」や「瓜」ではだめだったのです。なぜなら、桃には「邪気を祓う力」があるからです。
どうでしょうか、こう考えると昔話の「桃太郎」がただの物語ではなく、ものすごく奥深い話に聞こえてくるでしょう。
このように、周りの何気ないモノに対して疑問を持つこと、そして、それを深めること、これができれば、おもしろいと思いませんか。勉強とは、本来こういうモノなのです。今、皆さんは講習会のまっただ中ですが、頑張って「ノートまとめ」をしていますね。このノートまとめ(参考書の利用)を、「疑問を持つこと」「深めること」のきっかけにしてみてください。きっと、今よりもさらに勉強が愉しくなりますよ!

梅雨も明け、本格的な夏がやってきました。日本で夏の風物詩といえば、高校野球。厳しい地区予選を勝ち抜いてきた高校球児たち、今年は甲子園でどんなドラマを見せてくれるのでしょうか。

高校野球は、よく筋書きのないドラマと言われています。今から紹介する夏の甲子園でのお話は51年前、たぶん君たちのお父さん、お母さんが生まれる前の出来事で、『空前絶後の大逆転劇』として、今も語り継がれている一戦です。

時は、1961年夏。夏は3回目の出場となる倉敷工と、この大会が春夏通じて初出場の報徳学園が1回戦で対戦しました。試合は9回まで0―0の投手戦で、そのまま延長戦に突入。そして迎えた11回に両チームが6点ずつを挙げ、追いついた報徳学園が12回に勝ち越し点を挙げ、奇跡のサヨナラ勝利を挙げたというものです。試合の経過をスコア表で表すと

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計算
倉敷工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 6
報徳学園 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 7

となります。

この試合のハイライトは、いうまでもなく11回です。11回表に相手のエースを打ち崩し、6点を挙げた倉敷工の監督は、ほぼ勝利を確信したそうです。その裏、報徳学園に反撃を許しますが、2死ながらも得点差が4点もあったため、これまで好投していたピッチャーを休ませるために降板させ、怪我から復帰した本来のエースをマウンドに送ったことに、それが表れています。一方、報徳学園の監督は、ほぼ負けを覚悟していました。「とにかく1点だけでも取ろう」と選手に激を飛ばしたそうです。常識的に考えて、10回まで1点も取れなかったのに、いきなりの6点差。完封負けだけでも免れたいという気持ちが、本音だったと思います。ところが、選手が予想以上の粘りで、ついに同点まで追いつきました。こうなるともう勝負ありです。12回裏のサヨナラ勝ちはもう必然の結果とも言えますね。

この奇跡ともいえる逆転劇は、報徳学園選手ひとりひとりに、1分1秒でも長く憧れの甲子園でプレーをしたいという想いと最後まであきらめないという強い気持ちが野球の神様に届いたからではないかと思っています。今から各教室で、夏期講習会が始まります。特に受験を控えている生徒は、この夏が勝負です。1分1秒を大切に、最後まであきらめないという強い気持ちで臨みましょう。そうすれば、勉強の神様が君たちに微笑みかけてくれるはずです。

今日できることを100として考えて、今日より0.2パーセントの改善を試みたとしましょう。次の日には100.2できるようになります。10日目には101.8とすこしできるようになります。これを続けていくと1年365日後には207.3になるのです。すごいですね、1年間に約2倍になりました。

この0.2パーセントの改善は前の日と比べると少し良くなることなら何でもいいのですよ。「挨拶の声を少し大きくする」「家の事を今より少し多く手伝う」「朝起きる時間を10分早くする」「嫌いな食べ物を一口食べるようになった。」など毎日少しずつできることでいいのです。できることは1年間で約2倍で、2年で約4倍、3年で約9倍になります。

皆さんの周りに、1年前はたいしたことなかったのに、今はすごくできるやつ、となっている人はいませんか?その人は地道な改善を毎日繰り返している人かもしれませんね。
皆さん、日々の生活の中にこの0.2パーセントの改善を取り入れてみませんか。ほんの少し昨日より今日、今日より明日の改善をしていくことで将来できることの幅が広がっていきますよ。必要なことは、続けること、早くスタートすることです。

みなさんは、「世界がもし100人の村だったら」という話を知っていますか

これは、2001年頃にインターネット上で広まって、世界的に流布した世界の人々の相互理解、相互受容を訴えかける文章のことです。
日本では、中野裕弓さんが翻訳した文章が最初だと言われています。その一部を紹介します。


もしも世界が100人の村ならば

もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
その村には・・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

(中略)

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています

(以下略) ※中野裕弓 原約 「もしも世界が100人の村ならば」より

全文はこちらから
http://www.romi-nakano.jp/100people/index.html


このお話は、そんな風に、今の世界を分かりやすく100人の村にたとえているのです。
一度読んでみてください。そして、考えてみてください。
自分は人よりも恵まれていると思いましたか?
そんなかわいそうな人がいるのかと思いましたか?
人それぞれいろいろな感想があると思います。
この話の重要なところは、1つの村であるところです。
決して別々の村ではない…。
我々は共存しているのです。
私たちは誰のために勉強しているのでしょうか?
自分のためですか?
親のためですか?
私たちは人のために何かをしたときに幸せを感じる生き物です。
他人のために勉強しましょう。
それは最後には自分に返ってきます。
今やっている勉強は人のためになる!
そう思うとなんだかやる気が出てきますね。

今日はスベンサー・ジョンソンの「人生の贈り物―あなたの捜し物は何ですかー」について話しします。

このお話は、老人と少年のお話なのですが、少年は老人から「かけがえのないプレゼント」の話を聞きます。それを貰った人は、いつまでも幸せでいられるという不思議なプレゼント、かけがえのないプレゼントを探す。少年の長い旅はじまります。
皆さんは、一生の1つの素敵なプレゼントとは何だと思いますか?
それは、お金ですか?お仕事ですか?愛する人ですか?家族ですか?お友達ですか?
文中で、老人が少年にヒントを出します。
それは、『きみを幸せにする力は、きみにしかないんだよ。きみにしかね』
そうなんです、かけがえのないプレゼントとは、願いごととは関係がなく、人から貰うものでもなく、自分が自分に与えるものなのです、
原書のタイトル『The Precious Present』を直訳すると『かけがえのないプレゼント』となりますが、Presentには『贈り物』という意味のほかに、『現在』という意味もあり、『プレゼント』に『現在』をかけているという意味もあります。

現在とは、ありのままということで、それがかけがえのないことなのです。
何故、そうなのかわからなくても。現在は、そうなるべくしてなったものなのです。
その現在を知り、現在を受け入れ、過去でもなく未来でもない、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。そして、自分を否定することは、何よりも大事なものを否定することなのです。
思い通りにならなかった過去。どうなるかわからない未来を思い悩むのではなく、現在の瞬間こそが、唯一、経験出来る現実。だから今が大切なんです。今やらないといけないんです。
皆さんも瞬間、瞬間を大切に生きていきましょう。自分の将来のために。

勉強でもスポーツでも仕事でも何かに取り組んでると、必ず調子の波があるものです。いつも順調なときばかりではありません。調子の波が落ちて、思うように事が運ばないことも起こってきます。そんなときは気力や体調も衰え気味で、あせったり、「もうダメだ」と悲観して悩んだりしがちです。これが、いわゆるスランプです。

順調、不調の波の大きさは人によって違いはありますが、だれにでも起こることです。あのイチロー選手でも、年に二、三回は必ずスランプに見舞われるそうです。
じつは、こういうスランプのときこそ、次の飛躍のためのエネルギーを貯えるチャンスなのです。結果のことは考えないで、やるべきことを着実にくり返していけばいいのです。いずれ調子は回復してきて、気付いたら以前より一段高いところに進んでいるはずです。

見方をかえれば、スランプは飛躍の前兆なのです。たとえば、みなさんが勉強をしていて調子が落ちてきたとしても、それは決して能力がなくなったからではなく、もっと能力を発揮できる前兆なのです。心配したり落胆したりせず、むしろその状態を歓迎していいのです。

もし、わたしは人よりスランプの回数が多いと感じている人がいたら、それだけ向上するチャンスに恵まれていると考えましょう。あるいは、あまりに大きなスランプに見舞われていると感じたら、それだけ実力が高く評価されていると思ってください。

何もしないことをスランプのせいにはしないでください。
決して逃げず、歩みを止めず、堂々と前に進み続ける。これこそスランプに立ち向かう最善の策です。

最近の身の周りを観察してみると、日本人全体が下向き加減になっていることに気付きませんか。
絶対そうですよね。。
ほとんどの人間が携帯に向かって話しかけている?
メールに夢中になっている?
ゲームに必死になっている?
自分のことしか考えていないような雰囲気ですね。

かなり昔になりますが、日本全体が高度成長期の真っ只中でヒットした曲に「上を向いて歩こう」がありました。
♪上を向いて歩こうーーー涙こぼれないようーーに思い出す春の日一人ぼっちの夜・・・・♪
あの時代は日本人全体が上を向いて歩いていたように思い出しますし、実際に上を向いて背筋を伸ばして「凛」としていたように思います。

また、「365歩のマーチ」に感化されて、♪幸せは歩いて来ない、だから歩いていくんだよ・・・♪
この歌に元気をもらい、自分で能動的に活動しようと思いを馳せました。

皆さんはどうでしょうか。
うつむき加減でいるのと、上を向いて能動的に歩くのとどちらを選びますか。

時代の流れもありますが、1日の歩行中で天を相手に話しかけてみませんか。
いつもと違った景色に心が和むこともあるのではないですか。
夜なら満天の星を観察し、昔の偉人が見た星を見ることできます。

上を向いて歩く習慣を取り入れて、嫌なことがあっても常に前向きで考えたいものです。

アメリカに伝わる有名なジョークにアフリカに靴を売りに行った営業マンの話があります。

ライバル同士の靴のメーカーにAさんとBさんという2人の営業マンがいました。2人がいるメーカーはアフリカに靴を売りに行く計画を立てました。

ところが2人にとって予想外の状況が待ち受けていたのです。
何とアフリカの人たちは皆靴を履いていなかったのです。
それを見てAさんは急いで本社に報告しました。
「ここでは靴は売れません。だってみんな裸足なんですから。」と。

一方のBさんも現地の人たちをみて急いで本社に連絡しました。
「至急ありったけの靴を送ってください。ここでは誰も靴を履いていません。この人たち全員が靴を買ってくれたら、すごいことになります。」と。

この2人の反応をみて皆さんはどう思われますか?同じ状況でもポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかによって全く違う判断になります。
おそらく結果も違ってくるでしょう。
「未来は変えられる」と思うか思うわないかによって人間の取り組みは随分変わってくるのです。

自分が置かれた状況を「ピンチ」と捉えるか「チャンス」と捉えるかは自分次第です。出来るだけ前向きに捉えて取り組んでいければいいですね。