「運が良かった」の一言で“成功”を片付けてしまってはいませんか・・・?
「運が悪かった」の一言で“失敗”を片付けてしまってはいませんか・・・?
人生は運だけではどうにかなるものではありません。
今、隣にいる仲間が何かに挫折するかもしれないし、皆さん自身が失敗することもあるかもしれません。
しかし、失敗は即その場で不成功を意味するわけではありません。挫折を繰り返しつつも、どれだけ踏ん張れるか、あきらめなかった者だけが夢を手に入れられるのです。

もちろんどんなにがんばっていても、運に左右されることはあるかもしれません。
運が悪ければ、10のうちの9の努力が、もしかしたら結果としては7や8になってしまうかもしれません。しかし9の努力が1や2になること、ましてや0になることはありません。
逆に運がいいといっても、結局は今までの努力が生み出した幸運だっただけです。
「努力は裏切らない!!!!!!」ということです。

‘運が悪いなぁ’とか‘ついてないなぁ’というのは本当は手に入れられるはずの幸運が、努力が足りないから生かせていないというだけのことです。
皆さん、すぐにあきらめないで下さい。
‘だめかもしれない’と思うこともあるかもしれません。
しかし考えてみてください。逆に根拠はないけれど‘なんかやれるかも’と自信を持ち挑戦することもあると思います。
自信がないから終わりではなくて、そこからいかに粘って続けられるか、あきらめないかが夢への近道なのです。

新学年になって新しいクラス、委員会、新しい学習と色々なことがスタートします。
その中で苦しいことがあるかもしれません。
それでもあきらめずに努力をしていくことで幸運に少しずつ近づいているのです。
まずはこの4月、目標を立ててそれに向かって努力!!

英語のPresent(プレゼント)には、2つの意味があるのをご存知でしょうか。
「贈り物」という意味が一つ。もうひとつは「今」という意味があります。

ところでみなさんは今を大事にしていますか?
「過去」を振り返りすぎて自己嫌悪におちいっていませんか。
「未来」を考えすぎて不安を感じていませんか。
大事なのは「今」この瞬間です。
いろいろな大人がみなさんを不安にさせる話をするかもしれませんが気にしないで下さい。先のことばかり考えず、今この瞬間になすべきことを一生懸命やってください。勉強以外のことでもかまいません。先のことばかり考えすぎて「今」をおろそかにしていては望む未来はありません。

砂時計をイメージしてください。上の砂は「未来」ですね。下の砂は「過去」の砂です。真ん中の細くなった部分が「今」です。さらさらと砂が今を刻みながら落ちていきます。この細くなっている部分だけに気持ちを集中してください。「未来」のために「今」だけを全力で取り組んでください。そうすれば望む未来がやってきます。また、物事を考える時、イメージすることは重要なことなので「イメージする力」を持ってください。

最初の話に戻りますが、Present(プレゼント)の意味に「今」があるのは、神様が「今」を大事にしなさいと私達にプレゼントしてくれたのかも知れませんね。

バンクーバー冬季オリンピックが終了しました。
みなさんはどんな競技、場面が印象に残っていますか。
メダルをとれた、とれなかったというのは確かに重要なことです。しかし、競技を終えた選手の顔を見ていると、大きなプレッシャーの中、最後まで全力で競技に集中し、自分の力を出し切ることができたかどうかがその人にとって非常に大きな宝物になると感じました。

各地で高校入試も終了しました。
「オリンピックの場=入試の場」と考えてみると、「本番で自分の力を最大限出せる」ということが、非常に重要なことであるとわかります。心身ともに追いつめられ、せっぱつまった状態で、いかに自分の持てる力の最大を発揮できるか。入試は土壇場力が試されています。

その“土壇場力”について考えさせられることが2つありました。
ひとつは浅田真央さんの涙です。自分の限界までやりきったからこそ、銀メダルであっても出せる悔し涙です。すごい「根性と意識の高さ」だと思いました。

もうひとつは、同じフィギィアスケートで織田選手の靴紐が競技中に切れたことです。
これは明らかに「準備不足」です。それまでの努力が本番前のちょっとした準備不足ですべてパーとなりました。

逆に超一流メジャーリーガーのイチロー選手は、毎日自分のスパイクを磨きます。
グローブ、バットも他人には触らせません。そういった自己管理、完全な準備があるからこそ、ああいった驚くべき数字を出せます。天才というより、そういうことが最も重要であるという意識が高いので超一流になれたといえます。

みなさんも「準備をきちんとしておくこと」「物(道具)を大事にすること」 この2つをしっかり頭において、目の前のすべてのことに一生懸命に取り組んでください。

冬季オリンピックが終わりました。熱心に観戦していた人も多かったのではないでしょうか?
様々な競技があって楽しかったですね。普段はあまり日本ではポピュラーでない競技もたくさんありましたが色んなところで頑張っている人がたくさん居るのだなと思いながら見ていました。

日本人選手も活躍していましたね。フィギアスケートやモーグル・カーリングなど期待を一心に背負って凄いプレッシャーと闘ってきた選手に改めて心から拍手を送りたいと思います。

結果として日本人選手団は金メダル0で課題を残した大会となったわけですが閉会式の選手の表情やインタビューのコメントなどを見ていると暗さは全くありませんね。
それどころかむしろすでに次の課題に向けての意気込みを語っている選手がほとんどです。
こういう部分が一流たるゆえんなのでしょう。

目の前のやるべきことに最善を尽くし、結果に関してはしっかり正面から受け止め、自分で課題を探し克服する、という手順を体が覚えているのだと思います。

この姿勢は皆さんの学習への取り組みにも参考になるのではないでしょうか。人は真剣に物事に取り組めば取り組むほど様々な課題や障害とぶつかってしまいます。
でもそれを克服していく事が人間を成長させてくれるし、幸せにしてくれるのでしょう。

真剣に取り組まなければ課題や障害にも気付かない生活を送ってしまう。
オリンピック選手のプログから次のような言葉をみつけました。

【難題のない人生は『無難な人生』 難題のある人生は『有り難い人生』】

皆さんはどちらの人生を選びますか?ティエラの生徒は後者を選んで欲しいと思っています。

皆さん、アメリカンフットボールを知っていますか?
アメリカでは日本と違って、とても盛んなスポーツです。
少し古い話ですが、1990年にカレッジフットボールの雄と言われている強豪ノートルダム大学をオレンジボウルで10-9で破り、コロラド大学が念願の全米制覇を成し遂げました。

実はこの試合には、涙無しでは聞けないエピソードがあります。
当時、ノートルダム大学は最強と言われ、このオレンジボウルでも誰もがノートルダム大学の勝利を信じて疑いませんでした。
対するコロラド大学に、とても悲しい出来事が起きました。コロラド大のエースQB(クォーターバック/チームの司令塔)が白血病になり、試合に出場できなくなったのです。
彼は何とか試合に出場できないかを医師と相談してきましたが、病状は思わしくなく、とても試合に出場できる状態ではありませんでした。

試合当日。
彼はオレンジボウルが開催されるフロリダに向けて、出発する飛行場にいました。せめてチームを激励しようと思い、病院から駆けつけたのです。しかし、そこで容態が急変し、そのまま病院に担ぎ込まれましたが、そのまま息をひきとりました。
コロラド大の監督は、試合会場で待っている選手たちを前に、彼が亡くなったことを告げました。そして、彼が乗るはずだった飛行機で送られてきた、彼が書いた手紙を読み上げました。

「みんなのところへは行けないが、フロリダの星になって、空からみんなを応援している」

手紙にはそう書かれていました。
試合は、会場のほとんどをノートルダム大のファンが占める、コロラド大にとって完全アウェーの中で行われました。
コロラド大がリードして迎えた、試合終了間際。あと1プレーでタイムアップになるところで、ノートルダム大はコロラド大のゴール前3ヤードまで攻め込みました。この1プレーでタッチダウンを獲ればノートルダム大の勝利、止めればコロラド大の勝利。

その時、コロラド大の選手たちは集まり、手を握りあって、空を見上げたのです。
何かに話しかけるように、ずっと空を見上げました。
星になって見守る彼も一緒に戦ったのです。
そして、コロラド大は悲願の全米制覇を成し遂げました。
この夢はエースQBを務めていた彼にとっての悲願でもありました。
試合に勝利した瞬間、選手たちは監督とともにグラウンドにひざまづき、空に向かって祈りを捧げました。

勇気には「強くある」という意味に加えて、「あえてする」という意味があるようです。「あえて」という言葉を漢字で書くと「敢えて」となります。つまり勇敢の「敢」と同じです。これは、自分の前に障害や困難があったとしてもそれを承知で(あえて)やってみることを言っています。

 また、勇気ある強い気持ちを持っている人は、常にその先にある成功に目を向けることができています。障害を乗り越えたその先にある成功をより現実として描けているので、立ちはだかる壁がどんなに高くても前に進むことができます。

 受験生は今まさに高校入試という壁(困難)にぶち当たっています。これまでの間、数々の壁に直面し、乗り越えてきたからこそ立てる舞台です。思い切って挑んでもらいたいと思います。

 これから受験を迎える生徒たちも、これから何かしら壁にぶち当たります。やってもやってもなかなか成績が上がらなかったり、やる気が全然沸かなかったり、また勉強以外の悩みを抱えたりと経験する障害は様々です。でも勇気があれば、壁の向こうにあるものに目を向け果敢に挑むことができます。

 ひとつ壁に直面するたびに、そびえ立つ壁の高さに目を向けるのではなく、壁の向こうにある成功や希望に目を向けなさい。そして前に進みなさい。それができる人は、「勇気」のある人です。

皆さんは、アメリカのプロバスケットボールリーグNBAの元選手、マイケル・ジョーダン選手のことを知っていますか?
彼は現役時代、並外れた技術により世界的な人気を集め、数々の賞(得点王10回、年間最多得点11回、平均得点歴代1位などなど)も受賞してきました。その実績から「バスケットボールの神様」とも呼ばれるスーパースターです。
そんな彼が、以前インタビューを受けてこんなことを話していました。

————————–

恐怖心は幻想だ!
人生で何かを達成したいと思う時は、積極的かつ、攻撃的にならなければならない。目標を決め、それに向かってひたすら努力するだけだ。受身の姿勢では絶対に達成することはできない。
多くの人が失敗に対する恐怖心のために、立ちすくんでしまうのは僕も理解できる。人は他人の悪い結果を見たり、失敗する可能性を考えたりした時、恐怖を感じる。僕はこんな理由で恐怖心を感じたりはしない。
恐怖心というのは単なる幻想に過ぎない。
『ベストを尽くすチャンス』と、『成功を収められる可能性』があるだけだ。
だからこそ、僕はいつでも「積極的に考えろ」とアドバイスする。そして、次のチャンスで失敗を原動力にすればいい。実際、失敗することで目標に近づけることもある。

「成功できないかもしれないから、挑戦することはできない」なんて、絶対に言うことはない。
(マイケル・ジョーダン)

————————–

2010年がスタートしました。今皆さんはどのような夢や目標の前に立っていますか?
人は等しく夢や目標を描く権利を持ちます。しかし、実現できる人とそうでない人が存在します。大きな夢や目標には、当然それに見合った壁が存在します。
「無謀だ、無理だ」と人から言われるような夢や目標であっても、決して「できない」とは言わないところから人の未来は大きく広がっていく。自分の可能性を誰よりも信じ、そして夢を自らの力でつかみ取れ。そんなことをマイケル・ジョーダン選手は、教えてくれています。

昨年マイケル・ジョーダン選手が、バスケットボール殿堂入りしたときのスピーチの締めくくりの言葉。
『そのうち、皆さんは私が50歳でバスケットボールをしている姿を見ることになるかもしれません。笑わないでください。絶対ないとは決して言いません。何しろ、多くの場合、限界も、恐怖と同じように幻想に過ぎないのですから。』

「やろうと思ってたけど・・・」「気分がのらなくて・・・」

やらないといけないことや自分で計画したことがなかなかうまくいかない人に一つアドバイスがあります。
『心のなかの勝負は51対49のことが多い』。
これはある心理学者の言葉です。みなさんの意識は、大きく二つに分けることができます。自分ではっきり認識できる意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)。実はこの心の表には出てこない、底の方にある無意識がみなさんの意識の大半をつくっています。息を吸ったり吐いたりする呼吸を考えるとわかりやすいです。意識せずに無意識でしている方がほとんどですよね。

例えば、やらなきゃいけない宿題があって気にはなっているけど、なかなか行動にうつせない。こんなとき、みなさんの意識上には「やりたくないなぁ。」という気持ちが浮かび上がっています。「今宿題をやらなければ。」という気持ちとの対立はスコアにすると「2対0」でしょうか。サッカーの試合なら完勝といった感じですね。

しかし、無意識の方ではこの気持ちの対立はせめぎあっていて、「51対49」くらいの僅差の勝負になっています。意識の上にちょっとだけ出ている部分だけをとらえて「全然ヤル気が起こらないし・・・」と言っているだけなんです。

何かを選択するとき、判断するときなど心の底の方では、対立する考えが同じだけの大きさで拮抗しています。心の表面に出てきているのはほんのわずかのこと。
このあたりの感覚をつかむと、意識の僅差のところを自分にとってメリットのある方に変えるのは、結構かんたんにできます。
普段の生活の中で、少し意識して活用してみてくださいね。

Aくん「先生、この問題って、先に引き算をするんですよね」
先生「ちがうよ。割り算をしてから、引き算だよ」
Aくん「ですよね(笑)」

このやりとりがおかしいと感じますか。感じなければ、あなたも「ですよね」くん危険度大です。
本来なら、Aくんの最後の台詞は「ああ、そうでした。僕が間違っていました。」または、「ああ、そうか、僕は勘違いしていました。」などになるはずです。Aくんは、この問題がわからなかったか、自信がないので確認したかったはずです。でも、自分がこんなことを質問するのははずかしいので、わかっているんだけど、ちょっと確認してみたフリが、この「ですよね」に込められていると思われます。

これを「知ったかぶり」といいます。実はこれが勉強の最大の邪魔になります。
勉強に限らず「素直な」子どもは、ドンドン伸びます。知らないことは恥ずかしいことではありません。間違えることから、勉強は始まります。「そうか、そういうことか」「今度は、間違えないようにしよう」という気持ちが、はっきりしていればしているほど、記憶は鮮明に残るのです。それが、知ったかぶりをすると、それがあいまいになってしまうのです。

残念なことに、大人にも「ですよね」くんはいます。でも、周囲の人たちは気が付いています。「ああ、この人は、本当はわかってないのに、素直にわからないって言えないんだな」ということを。その方が、もっと恥ずかしいとは思いませんか。

さあ、卒業シーズン前に、みんなは「ですよね」くんを卒業しよう!

野球が大好きだった身長136㎝の小さな少年は、生徒数わずか80名ほどの小さな海辺にある中学校に入学。その中学校には、部活が軟式テニス部とバレー部と卓球部の3つしかなく、好きなものを選ぶという状況ではありませんでした。でも、軟式テニス部は非常に強く、全国大会で個人・団体とも優勝経験があるほどの実力があり、魅力を感じていました。しかし、残念ながら部活選択の最終日までにラケットを準備できなかった少年は、しかたなくバレー部に入部しました。

 ネットの前に立ち、おもいっきりジャンプする少年。その当時のネットの高さは、2m20cm。身長136cmでは手を伸ばしてもネット上部までは 50cm以上はあり、何度ジャンプしても手はネットを越えることはありませんでした。

 身長が伸び、ジャンプ力もつき、中2の始めにようやくネットから手が出るようになり、セッターとしてレギュラーに定着。試合にも何度も出場しました。その間、何度も何度も、敵のアタックを止めるためのブロックに挑戦。しかし、一度も成功せず。ブロックでは、まったく戦力にならない状態が続きました。

 中学を卒業し、高校でもバレー部に入部。ネットの高さは、一気に2m43cmに上がり、中学での身長やジャンプ力の成長はすべて帳消しとなりました。再びネット上部から手が出ないところからのスタートです。

 ところが、バレーを始めて6年目の高校3年の5月、高台にある高校との練習試合での出来事でした。少年は、初めて納得のいくブロックに成功したのです。ネットからわずかしか出ていない手に、敵のエースが強烈にアタックしたボールが、偶然にもジャストミートしたのです。大量の汗が流れていたので、チームメイトには気づかれませんでしたが、目からは涙が流れていました。周囲から見れば、試合中の一瞬の小さな出来事に過ぎません。でも、少年にとって40歳を過ぎた今でも忘れることのできない大きな出来事になりました。

 中学入学から大学卒業まで、数え切れないほどの試合の中で、数え切れないほどブロックにチャレンジし、納得できるブロック数1。淋しい限りの数字です。でも、この「貴重な1は、他のどの数より大きい」と、おじさんになった少年は今もなお思っています。