200225

先生はみなさんに英語を教える機会が多いのですが、先生は学生時分英語が苦手でした。今でも鮮明に覚えているのが、高校1年生終わりの頃だったかな、もうすぐ2年生になるくらいの英語の授業の一場面です。先生の英語の先生だったY先生は、バンバン生徒に答えさせるタイプの先生でした。こういうタイプの先生皆さんの周りにもいますよね。

その時の質問は「tallの比較級を答えなさい」でした。

当時の先生の頭の中は「??」。「tallって何?確か高いって意味かな」「比較級?…」という状態でした。比較級は中学2年生で習う単元なので、Y先生も気を使って質問された内容だったのではと後から気付きました。

なぜ、tallの比較級が分からなかったのか。答えは簡単で、勉強してなかったのですね。苦手意識があって、他の科目の勉強には取り組んでも英語は後回しの後回しで結局勉強しない状態でした。高校受験の時に頑張って勉強した英語も勉強しないから分からない。分からないからさらに勉強しないというベタな負のスパイラルにはまっていました。

でも、そんな「自分日本人なんで、英語分からなくて当然」というこれまたベタな納得の仕方をしていた先生もはりきって英語を勉強する時がきます。それは、ある人との出会いでした。

「tallの比較級分からない事件」が起きて少し経ってから、先生は学校が終わると友だち数人とゲームセンターへ足しげく通っていました。ゲームセンターには通っていましたが、アーケードゲームをしていた訳ではありません。先生が当時通っていたゲームセンターは少し変わっていて、ディーラーみたいな人がいて、トランプゲームを楽しめるコーナーが設けてあったのです。ディーラーとはトランプゲームを進行する人のことです。そしてそのディーラーがアメリカ人の大学生キャシー(仮名)だったのです。トランプゲームが大好きというより、先生はキャシーと友達になりたかったのですが大きな問題がありました。キャシーは日本語が、先生は英語が話せなかったのです。会話はボーリングのボールを地面に落とした時よりも弾みませんでした。

 当時を振り返るとこんな感じだったのでないかと思います。
キャシー「ハロー」
先生  「ハ、ハ、ハロー…」
キャシー「…ハウアーユー?」
先生  「???」
キャシー「…」

また、キャシー(仮名)は先生と仲間たちに学生証を見せてくれました。初めて見る大学生の学生証。かっこいいカードでした。先生たちが常に携帯していたメモ帳みたいな学生手帳とは全然違います。純粋に「かっこいい~」と思い、そして「全部英語で書いてあるから全然読めな~い」状態でした。先生は思いました。英語を勉強しよう。英語が聞けて、話せて、読めるようになりたいと思いました。それが出来るようになればキャシーと話が出来るようになると勝手に思い込んでいた若かりし日の先生がいました。

そこから先生の英語の勉強が始まりました。「聞く、話す、読む、書く」という4技能の勉強が始まったのです。この勉強が後の大学受験の勉強になっていくのですが、それはまだ後の話です。

あれだけ嫌だった英語の勉強をはりきってする日が来るなんて、高校1年生の頃は考えてもいませんでしたが、何がきっかけになるか本当に分からないです。今、皆さんに英語を教えることができるのはキャシー(仮名)のおかげかもしれませんね。

200225

少しずつですが日常が戻ってきました。ただ、今まで当たり前だった日常が変化しています。今までと違う環境の中で、思い込みを外すってことに勇気がいることを知りました。

そういえば昔から思い込んでいたことが変わることってありますよね。
トマトが嫌いで昼休みが無くなったあの日。でも今は、食べられるようになっている事。
小学生の時から走るのがとても苦手だったはずなのに、高校三年生のマラソン大会の時、自分って結構走ることができたんだって知った日の事。
自分は人見知りで恥ずかしがり屋だと思い込んでいた自分が今は、人の前でも話せるようになっている事。
小さい変化も大きい変化もきっかけがあったんだなって思います。

 

特に今年は周りの環境や様子も変化しています。今までの日常とは違う、変化した新しい日常が動いています。そんな中、これから学校行事が集中したり、部活や学校の宿題、定期テスト、ティエラの宿題、つまずいているところがありながらもぐらぐらしながらも進んでいく不安があるかもしれません。自分はこのくらいだろうって思い込んでしまっていることって何かありませんか。なかなか見つけることは難しいですが。

こんな時こそ、変化に対応するために「正解はひとつではない」って思うのはどうでしょう。
私は、固定概念にとらわれないように気をつけています。正解を決めつけてしまうと自分が知らない物の見方や価値観に対して臆病になりそうだから。自分の殻に閉じこもらないためにも、正解はそのときどきに応じて変わるものだと考えるようにすると、少し前向きになれます。

この夏もティエラの講習会があります。今までとは違う夏。だからこそ、自分の苦手なことの思い込み、勇気をもって外してみよう。未来におもいっきりワクワクしよう。
2020年の夏をきっかけにできるように、私たちティエラの先生も全力で応援します。

200225

先日、友人からたき火にはまっているという話を聞きました。みなさんはたき火をやったことがありますか?

今さらなんでたき火?と思ったけど、ここ数年、たき火のようなものを見てないなと思いました。先生が子どものころは、近くの空き地でたき火をしたり、近所の人たちとごみを焼く場所があったりと大きな火を見る機会がたくさんありました。(今は禁止されています)

そういえば、数年前からキャンプブームが来て、ソロキャンプとかキャンプ芸人みたいな言葉も聞くようになりましたよね。アウトドア専門のショップも増えてきて、たき火台なんてものを売っているところもあります。実は、たき火には様々な効果があり、たき火のゆれる火や音にはやすらぎの効果があるそうです。キャンプに行き、たき火の火を数時間見つめるだけの大人もいるそうです…。普段、かなりストレスを感じているんでしょうね。

たき火をしにキャンプに行くと、とても楽しいですが、予期もしないことが起きる場合があります。突然の風や雨・気温の変化・忘れ物・好奇心旺盛な森の虫や動物たち……。普通の生活では、寒かったり・暑くなったらエアコンをつければいい。何か足りないものがあればすぐに買いに行けます。しかし、キャンプでは、エアコンもない、近くにコンビニもない、水すらも自分で汲みに行く、何か問題がおきたら、その場で考え自分で解決しなくてはならない。自分で使ったものは自分で片づける。これは生きていく上で大事な力ではないでしょうか。不自由な中だからこそ、得られる経験や力があると思います。

みなさんも家族や合宿などでキャンプに行く機会があれば、いろんな経験をしてほしいと思います。そこで得られる経験は一生の宝になるはずです。

200225company”(カンパニー)という英単語の意味は知っていますか?多くの人が「会社」という意味を真っ先に思い浮かべるでしょう。実は、もう一つ大切な意味があります。

英語の諺(ことわざ)にこんなものがあります。

A man is known by the company he keeps.

(人はつき合っている友を見れば、その人柄がわかる。)

高校生になると良く出てくる文章ですが、companyには「仲間・友人(=friend)」という意味もあるのです。

語源(言葉の成り立ち)に注目して見ましょう。3つに分けてみると……
com = 共に
pan = ラテン語のpanis「パン・(広い意味で)食事」
y = 集団・人たち

つまり、companyとは「共に食事をする仲間」という意味があるのです。

先生が大学生の時に語源学を学んでいるとき、おもしろいなぁと思いました。日本語にも、長い間生活を共にしたり、苦楽を分かち合ったりした親しい間柄のたとえとして、

「同じ釜の飯を食う」

という言葉があります。日本でも西洋でも、食事と人間関係は非常に強い関係を生む重要な習慣なのだと感じました。古くから食事という行為は、人間にとってただ命をつなぐだけでなく、苦労して集めたり育てたりしたものをみんなで分け合う行為だったのでしょう。

先生の子どものころの家族のきまりとして、みんながそろうまではしをもたない、食事の間はテレビを消す、飯と呼んだら火事より急げとよく言われたものですが、今思い返せば食事という一日のうちのひとときを家族のコミュニケーションの場として大事にしていたのだと思います。

みなさんは最近、学校の友だちと会えない時期が続きました。その間に教室のある生徒が「今日は友だちとリモート飲み会をしました!」と楽しそうに話していました。

家族や友だちと絆を深めたいとき、新しい仲間を迎えたとき……いろんな場面で食事は重要になってきますが、それは大人だけでなく、みなさん子どもたちにとっても大切なことなんだと教えてもらった気がします。人との関係をつくりたいときや深めたいとき、直したいときはいっしょに食事をしてみてはいかがでしょうか?

最後にもうひとつ。英語だけでなく、いろんな言葉を覚えるときは語源について知ると、ただの丸暗記よりも楽しく、さらに広く知識を得ることができますよ。

200225

全国的な梅雨入りを果たし、これから雨の多い季節を迎えます。
さて『梅雨(つゆ)』という言葉ですが、なにやら不思議な感じがしませんか?
なぜ『梅』という字が使われているのでしょうか?

梅雨(つゆ)という言葉は、もともとは梅雨(ばいう)という言葉として、中国から伝わってきました。江戸時代のころから梅雨(つゆ)とも読むようになったそうですが、
元々梅雨(ばいう)は『黴雨』と書かれていました。『黴』は『かび』と読みます。

『かび』の雨・・・しっくりきますね。
ただ言葉としての美しさを求めた結果、同じ音の『梅』を用いるようになったとか・・・。

そして江戸時代の日本で、梅雨を『つゆ』とも読むようになったのですが、これは、『露』が語源であるとか、梅の実が熟してつぶれる時期であることから『潰ゆ(つゆ)』という言葉に由来するとか、諸説あります。

さてそんな『梅雨』の到来する6月ですが、旧暦では水無月とも呼ばれます。
「水」の「無」い「月」?
これまたイメージとかけ離れる文字が使われていますが…?

語源を調べると、「水の月」を意味する「水な月」→『水無月』になったという説、水の無い田んぼに水を引く季節であることから『水無月』になったという説など諸説あります。

ついでに、『水無月』という和菓子がありますが、これは6月30日に、それまでの半年間の穢れを祓い、残り半年の無病息災を願って食べるものとされています。

気が付けば1年も半年が過ぎようとしています。ここまで本当に大変であったと思いますが、これからの半年をより良いものとできるよう、先生も願っています。

200225

皆さんは「天才」という言葉を聞いたときに、なにを思いつきますか?

東大・京大生の頭脳、スポーツ選手のスーパープレイ、好きなアーティストの音楽・・・それぞれ思いつくジャンルは別でしょうが、なんとなく「生まれつき持っている才能」のように思ってしまいますよね。

 

「天才」と呼ばれる人で、「発明王」と呼ばれたアメリカの偉人、トマス・アルバ・エジソンについてお話しようと思います。

私が言うまでもなく、みなさんご存知かと思います。蓄音機や白熱電球、電話や発電機などの発明をしたと聞いたことがあるのではないでしょうか。それ以外にも映画(上映フィルムの規格や映写機)など、これらの発明品は形やあり方を変えて存在しています。彼の発明が、現代の生活を支える基盤になっているといっても過言ではないでしょう。もし電話が無かったら?もし電気が無かったら?今の私たちにはあまりにも身近で、それらがない生活は想像できないですよね。

 そんな偉大な発明品の数々ですが、実はエジソンが0からすべてを作ったわけではないのです。例えば白熱電球。設計・仕組みをつくったのは別の発明者(ジョセフ・スワン)なのですが、当時、19世紀半ばの一般家庭で使われていたガス灯よりも安全ではあるものの、約40時間しか使用できないものでした。エジソンは「どうやったら長く使えるようになるか」「どうやったら広く普及させる事ができるか」を考え数々の実験をする中で、フィラメントの素材に着目、手近にあった扇子を解体して竹炭にするアイデアに至ったのです。約1000時間光る上、従来よりも小型でネジ式の取り付け方式で交換しやすい、利便性を高める事に成功したことがエジソンの功績です。

 「天才」といわれるエジソンの功績は、既存のものに自分の発想を加えて使いやすくし、人々の生活をより良くする「改善改良」にあるといえるでしょう。今に満足せず、先人の発想を基盤にして、より良く出来るのではないか?と研究に取り組む。成功にたどり着くまで、多くの時間を積み重ねて成功にたどり着く。ひらめきだけでなく、実際に挑戦し続けること。決して途中で投げ捨てずに取り組めるというのは、功績を手にするために必要な「努力の才能」をエジソンが持ち続けたことの証明でしょう。

 皆さんが勉強するとき、手元には何がありますか。問題に取り組むためのゼミテキスト。そして参考書を活用して、自分に必要な考えをまとめて、ノートを作る。参考書に書かれている大切な知識は、先人の努力の積み重ねによって作られた、情報の集まり・集合体です。みなさんは、知識を得るための機会・媒体を数多く身近に持っています。「他の人によって集まった情報を」「自分にわかりやすくまとめる」。ノートづくりの基本であり、もっとも大切な事です。

 勉強で新しいことを学ぶ、スポーツで技術を体得する、・・・どんなことも、まずは基礎が大切です。そこから自分の能力を高めるために努力をしつづける、「努力の才能」を皆さんは持っているはずです。エジソンそのものになるのではなく、エジソンのような「努力の才能」に気付いてほしい。エジソンの言葉を引用します。

 “Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.”

「天才とは、1%のひらめきと、99%の汗である。」エジソンも多くの実験、失敗を経て様々な発明品を改善していきました。エジソンに倣いましょう。1%のひらめき、成功を手にするための、99%の努力の汗をかいていきましょう!

200225

みなさんはグレタ・トゥーンベリさんを知っていますか。
スウェーデンの高校生でありながら地球温暖化に関して強い志を持って活動されている環境活動家です。

二酸化炭素(CO2)をいかにして削減していくかが最大のテーマとなっています。
彼女は若干8歳にして、なぜ気候変動への対策がほとんど行われていないのか理解できなかったため、落ち込んで無気力になり、その後病気と診断されました。
後に彼女は、その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、病気とは見なさず、「スーパーパワー」と呼んで今の自分の根幹と考えているようです。

その後2018年に学校での気候変動のストライキとスピーチを開始しました。
後々この活動が大きく世界中に拡散していきます。
グレタさんと同じ学生たちや、アーティスト、政治家、企業など、【グレタ効果】により多くの人が多大なる影響を受けます。
今やSNSの時代ですから拡散のスピードも凄まじいです。

そして2019年、スウェーデンで最も重要な女性に選ばれました。
10年にも渡り、コツコツと訴え続けていることが大きいと思います。
人は元来飽きっぽい生き物と言われます。
よほど強い信念がなければ10年も続けるのはきついですね。
国連でSDGS(持続可能な開発目標)が採択され、2030年に向けて世界が動いています。
グレタさんと同じ10代のみなさんも、コツコツ(CO2 CO2)と自分の大きな目標に向け、頑張り続けて欲しいです。

「地球は死なないわ、私が守るもの」と言ってくれるくらいスケールが大きい人になって欲しいですね。

CO2 CO2が勝つコツ
継続こそ力なり

200225

今日は、不思議な池の話をします。
山口県の美祢市に、別府弁天池という池があります。美祢市には秋吉台や秋芳洞といった有名な観光スポットがありますが、別府弁天池も知る人ぞ知る名所です。みなさんの中には行ったことがある人もいるでしょう。

この弁天池は、神秘的な青い池として知られています。弁天池は地下から湧き出た水がたまってできた池なのですが、その水がとてもきれいな青色をしているのです。水が青いのは当たり前と思うかもしれません。しかし、水は本来透明のはずです。弁天池の水は、地下からの湧水で日本の名水にも選ばれるほどの澄んだ水です。実際にペットボトルに汲んだ水は全くの透明に見えます。藻などで濁った水とは違います。その水が、池では青く見えるのです。私が行ったときにはきれいなエメラルドグリーン色をしていました。南国の海の浅瀬のような色です。透明な水が緑色に輝いているのがとても不思議に思えました。青い池と紹介されることも多く、季節や天気や見る人によって見える色が違うのかも知れません。

なぜ澄んだ水が青色や緑色に見えるのでしょう。池の近くの案内板の説明には、光の性質や水の中に溶けているミネラルが影響していると考えられているが、実は理由はまだ解明されていない、とありました。なんとなくわかった気になりますが、ミネラルが反射するとなぜ青や緑に見えるのか、やっぱり不思議です。弁天池のあたりがカルスト台地であることも関係しそうです。

この弁天池には、こんな伝説があります。昔、この地方を開拓した者が、水に困って諏訪大明神に祈ったところ、弁才天をまつり青竹を杖に水をたずねよというお告げを受けて、まもなく清らかな湧水が発見されたそうです。ほかの各地にも似たお話は伝わっており、昔の人が水を得るのに苦労していたのだなあと思います。

この弁天池の湧水は持って帰ることができ、飲むことで長寿が保たれ財宝を得ることができるとも言われています。なんだかすごい水です。給水場があり、地元の方でしょうか、大きなポリ容器にたくさんの水を汲んでいる人もいました。私もペットボトルに汲んで帰りました。

みなさんの周りにもたくさんの不思議なことがあふれているはずです。そんな不思議なことに気づき、いろいろなことを考えることで、毎日がもっともっと楽しくなるかもしれませんね。

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世の中大変な状況です。新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、外出自粛の3密、①密閉空間(換気の悪い密閉空間)、②密集場所(多くの人が密集している)、③密接場面(互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる))の回避・休校期間

様々な影響が出てきていますが、それとは関係なく季節は移っていきます。春の陽気が日に日に勢力を増して、日差しの強い日には夏を予感させる暖かさが顔を出し始めました。それに伴い、いろいろな生物も活動を始めています。

『昆虫』もそんな生物の代表でしょうか。チョウが春の花に集まり、バッタが卵から孵化(ふか)して草にとまっている、そんな姿を目にするようになりました。もう少しすれば夏の昆虫が活動し始めます。カブトムシはその準備としてそろそろ蛹(さなぎ)になる頃でしょうか。今回はそんなカブトムシ同様、夏の昆虫の代表、『蝉(セミ)』について話をします。

セミがどんな一生を過ごしているかは知っている人が多いと思います。幼虫の期間は種類によって異なりますが、短い種類でも3年。大きくて力強いイメージ(先生だけ?)のクマゼミは5~6年間土の中で過ごします。そんな長い期間土の中で過ごしてやっと地上に出てくるのですから、あんなに一生懸命鳴くのもわかりますよね。(そんな成虫の期間は約1か月短いですね)それだけ長い時間をかけて成虫になるセミですが、種類によってはもっと長く幼虫として地中で過ごすセミもいます。『17年ゼミ』と言われる種類で、名前の通り17年間も地中にいます。なぜそれだけ長いのか

歴史をさかのぼれば『氷河期』と呼ばれる時代の環境が影響しているそうです。地上に出てきても低い気温ですぐに死んでしまうため、なるべく長い時間地中にいようと、幼虫でいられる限界の期間まで地中にいたことが原因とのこと。

では、地上に出てきてもすぐ死んでしまうのなら、その時に何をするのか。それは「子孫を残す」です。地上に出てきてすぐにオスはメスを、メスはオスを探し子孫を残すそうです。ただ不思議なのは、この17年ゼミ、きっちり『17年間』地中にいて、17年ごとに一斉に成虫になるそうです。(地域によって『13年ゼミ』のところもあるそうです。その規模はすさまじく「北米でセミが大発生!! 数十億匹の大合唱で電話の声も聞こえない!!」などとニュースになるほど。

なんでそんなにきっちり17年で成虫になるのか、少しずれて16年や18年になってもおかしくないだろうにと思うのですが、それには大きな理由があります。

長い期間地中にいることになった原因の一つである『氷河期』では、成虫になるタイミングが一匹ずつ異なればどうなるか。せっかく地上に出てきてもオスとメスが出会えないかもしれません。そうなれば子孫を残すことができずに、最終的には絶滅していくしかありません。気候が安定してきた現代でも、それは同じ事です。外敵から身を守る手段をあまり持たないセミとしては、「自分の身に何があったとしても種族(同じ種類のセミ)の繁栄があれば良い」として、鳥に食べられようが、蛇に食べられようが、子供に取られようがそれでもかまわないくらいの大群で成虫になる方が、子孫を残せる可能性が高いのです。そうやって残された子孫はさらに決意するわけです。『17年後に成虫になって会おう!』

すごいですね。17年という『期限』をおおきな目標として過ごします。命がけです。

このセミの『期限』という名の『目標』はぜひ見習いたいものです。命がけとまではいかないかもしれませんが、君たちにも譲れない「期限」があるはずです。受験生は当然「受験日」が期限となるでしょう。もっと先の「将来の目標」に期限を合わせるなら「社会人になるまで」が期限でしょうか?

セミ同様、私たちも限りある命を生きる限り、一度きりの人生だからこそ期限からは逃げられません。先生もまだまだこれからです。どうせ生きるなら未来の自分をもっと大切に大きな夢を描きたいですそういう意味では、君たちの可能性は無限大ですね。

今からならなんにでもなれます。ただし、その実現のためには「期限をどこに設定するか」「目標をどの高さまでもっていけるのか」思い込みを外して、勇気をもって目標を持つことが大切になると思います。

今はしっかりと自分を見つめなおす時間、将来に思いをはせる時間が取れるはずです。これを良い機会だと捉えて、ぜひ考えてみてください。

(ちなみに12年や18年ではなく、『13年』や『17年』になったのも理由があるようです。ヒント『素数』。この謎を解き明かしたのは日本の昆虫学者だそうです。興味のある人は調べてみよう。)

200225

みなさんは「知の呪縛」という言葉を聞いたことありますか?

知識はいくらあっても損をすることはないので、普通はたくさん持っているほどいいとされています。ところが、その反対に知っているからこそ起こる問題というものもあります。

人は自分が知っていることを、他の人も知っていると思ってしまうことがあります。知識を得ると、その知識を持っていない人の気持ちが分からなくなる現象が起きてしまいます。(熱心に勉強する人ほど、この傾向が強いそうです。)

一つの例として、「叩き手」と「聴き手」についての実験がありました。

たくさんの人を「叩き手」と「聴き手」の役に分け、「ハッピー・バースデー」など誰もが知っている25曲の歌のリストを渡しました。「叩き手」は、リストの中から1曲選んで机でリズムを叩きます。「聴き手」は、そのリズムを聴いて曲名を当てるゲームです。

ゲームの前に叩く方の人たちにたずねると50%は当たるだろうと予想しましたが、結果は120曲中、たった3曲(2.5%)しか当たりませんでした。聴いてる人には意味不明の音にしか聴こえませんが、叩いてる人は「なんで分からないんだ?」とイライラしました。

お互いの間にあるこのギャップが「知の呪縛」です。いったん知ってしまうと、それを知らなかったときのことが分からなくなり、知識に呪いをかけられたようになります。

そうすると、話をしていても溝が生まれてしまいます。

これは日常的によく起こっています。友だちと話しているときに「なぜ、知らないの?」「なんで分からないの?」と思ったことや、態度に出てしまったことはないですか?また、自分で作ったノートを見返しても分からなかったことはないですか?

作るとき(叩き手)は曲名を知っているので、頭の中にメロディが流れていますが、読み返すとき(聴き手)メロディが流れていません。

自分と人の知識にはギャップがあるということを意識するだけでも、物事の見え方がきっと変わってくるはずです。人の立場に立って考えることが良い人間関係を作ります。

新型コロナウイルスの影響で、自分勝手な行動を取る人が増えています。こんな時だからこそ、自分のことだけではなく、他人のことを考えた行動を取れる人になりたいですね。「思いやりの心」を忘れないで過ごしましょう!